姓が「おか」で名が「えり」の人ってどれくらいいるんだろうと思い、とりあえずFacebookで”Oka Eri”を検索してみたら想像以上にたくさん出てきたし、「にしおかえり」や「おかえりか」などのように似てる名前を除外しつつ目で数えるのが面倒になって33人でやめた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』の第33回めの放送を見ましたよ。
朝岡(西島秀俊)が登米に来ていると知り、中村医師(平山祐介)が通常よりも早くやって来た。
朝岡と中村、そしてサヤカ(夏木マリ)は東日本大震災の時から知り合いだったという。中村は災害派遣の医師、朝岡は救援ヘリコプターの支援のために沿岸部に気象観測機を設置、サヤカは復興支援の人々のために建物を提供していたという。互いに分野は違えど、登米を拠点に彼らは協力し合ったという、
3人は当時のことを懐かしがる一方で、まだ復興は終わっていないと言いあった。
朝岡は、急遽東京に帰ることになった。2つの台風が同時に発生し日本に接近しているため、対応する必要が生じたのだ。百音が彼を駅まで送ることになり、話をする機会を得た。
朝岡は、気象予報によって危険を予想し回避する時間的猶予が得られると話した。通常、人間は未来の出来事を知ることはできないが、気象は必ずしもそうではないというのだ。日本の南の海や北の大陸における気象データを分析すれば、その後に日本で起きる気象状況を予測できるからだ。
そして最後に、朝岡は百音が以前に言っていたことに言及した。
百音は東日本大震災の時に自分は何もできなかったと悔やんでいた。しかし、そのような後悔をしているのは百音だけではないと話した。朝岡本人やサヤカも同じように悔やんでいる。しかし、何もできなかったと悔やんでいる人は、将来こそは何かができるようになりたいと願う。それが人を動かす原動力なのだと述べた。
百音は感じ入った。
それから数日後、台風の影響で日本に記録的な大雨がもたらされた。百音たちの住む登米も例外ではなかった。
夜を迎えるにあたり、百音は入念な備えを行った。飲料水や防災袋を準備し、気象情報の収集を怠らなかった。また、サヤカと百音の寝室は別であるが、サヤカの寝室は山に面している。土砂崩れの恐れがあるので、百音の発案でふたりは百音の部屋で寝ることにした。
サヤカは娘時代の修学旅行に戻ったようだとはしゃいだ。
サヤカは自分は大きな台風が登米を襲った日に生まれたと話し始めた。それは年は違えど百音が生まれた時と同じであり、奇しくも誕生日も同じ9月17日だった。
サヤカは、水害によって多くの集落が壊滅状態になる混乱の中で生まれた。そのため、生みの親はサヤカのことを育てられなくなり、山主に引き取られて育った。その山主は昔から伊達家の命により植樹してきた家系であり、サヤカ自身もその教えを自分のこととして生きてきた。樹木は建築資材や燃料として利用できる。災害があっても樹木を使えば復興することができる。つまり、木は人々の暮らしを守る最後の砦であり、そういった樹木がふんだんにあるこの土地を守ることが自分の使命だとサヤカは話した。
ふたりは無事に翌朝を迎えた。サヤカは電話で各所と連絡をとったが目立った被害はなさそうだった。
百音は安心するとともに、サヤカや朝岡の言葉を反芻した。