今日が仕事納めな当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第63回めの放送を見ましたよ。
村山興業の元社員であり、愛助(水上恒司)の父親代わりでもあった山下(近藤芳正)が、正式に「福来スズ子とその楽団」のマネージャーに就任した。戦況の激しくなった現状では、通常の公演依頼は一切なかった。しかし、地方への慰問公演ならばいくつかアテがあった。
地方公演では、まともな会場とは思えない場所で演奏した。工場の一角や、ゴザを敷いただけで壁や天井もない広場などである。
それでも人々は慰問を楽しんでくれたし、鈴子(趣里)も手を抜くことなく、精一杯歌った。
鈴子は地方での慰問公演を終えると東京に戻り、愛助の看病を行う。そしてまた地方へ出かける。その繰り返しで忙しい日々だった。
鈴子は、母・ツヤ(水川あさみ)が病気になった時に何もしてやれなかったことを悔やんでいた。弟・六郎(黒崎煌代)も鈴子の知らない場所でいつの間にか死んだ。そのような後悔は二度としたくないと思い、全力で愛助の看病をした。
その甲斐あって、愛助の結核は順調に回復した。もう咳が出ないし、腹を下すこともない。医者(要冷蔵)からも、再発の恐れはあるものの、症状は落ち着いたと診断された。
それから鈴子と愛助は病人と世話係としてではなく、まるで夫婦のように仲良く暮らした。
アメリカ軍の空襲が東京にも及ぶようになったが、まだそれは鈴子たちの住む三鷹からは遠い場所だった。赤く燃える夜空を不安げに見つめていたが、ふたりにとってはどこか違う世界の出来事のようにも感じられた。それくらい、鈴子と愛助はふたりで一緒にいることが幸せだった。これまでの人生で一番幸せだと思うほどだった。
その日、鈴子は京都の繊維工場で慰問公演を行なっていた。
開演直前、東京が大空襲に襲われたとの知らせが入った。あたり一面が焼け野原になっているとのことだった。主催者や楽団員たちは慰問公演を延期してすぐに帰郷すべきだと考えた。
もちろん鈴子も、愛助のことが心配で、胸が潰れそうなくらい不安になった。しかし、慰問を行うと言って聞かなかった。せっかく集まった客をそのまま帰すわけには行かないと言うのだ。
こうして、鈴子はいつも通りに快活に歌った。
慰問公演が終わると、急いで東京行きの汽車で帰った。
するとそこは、一面瓦礫ばかりで、すっかり様子の変わってしまった東京だった。
日本にいる鈴子(趣里)との接点はないので本文には書かないことにしているんだけれど、上海滞在中の羽鳥(草彅剛)の現状をお知らせします。
陸軍から、日中合同音楽会を開催するよう命令されました。軍の目論見としては、日本軍が上海を良好に占領していることを世界にアピールする手段のようです。それを承知の上で、羽鳥は引き受けます。
彼は軍を利用して、自分の好きなように音楽会を企画するつもりでいます。上海には世界中から面白い音楽家たちが集まっており、彼らと一緒に今しかできない音楽をやりたいと考えています。音楽は誰にも縛られない自由なものだと証明する機会にするつもりです。