NHK『花子とアン』第7回

7:15からBSプレミアムで再放送の始まった『カーネーション』を見て、「第1話からちゃんと面白いな―。いいねー。初回から各キャラがちゃんと立っていて、だんじりの躍動的なシーンと日常的なシーンのバランスもよく、不自然ではない人物紹介が行われ、すっと物語に入っていける。いいねー。」と機嫌を良くした当方が、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の第7回めの放送を見ましたよ。

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第2週『エーゴってなんずら?』

1903年(明治36年)。
10歳のはな(山田望叶)は修和女学校へ編入するため、吉平(伊原剛志)に連れられて上京した。汽車に乗るもの東京に行くのも初めてのことで、はなは緊張と不安で胸が張り裂けそうだった。

修和女学校の建物は大きく洒落ていて、故郷の甲府ではついぞ見たことのないような立派なものだった。この学校は明治のはじめにカナダの外国人宣教師が設立したミッション系スクールだという。授業は全て英語で行われるという。吉平は good morning, good afternoon, good evening の3フレーズだけ英語を知っており、それをはなに教えてやった。しかし、はなはそれがまるで呪文のように思えて、ちんぷんかんぷんだった。

学校では、校長のブラックバーン(トーディ・クラーク)に面会した。彼女は威厳があり、厳しい表情で英語しか話さなかった。英語教師兼通訳係の富山(ともさかりえ)も、校長の雰囲気そのままに厳しい態度で接した。はなは給費生として学費免除の代わりに、一度でも落第点を取ったら退学になることを伝えた。

そんな2人に比べれば、寮母兼裁縫教師の茂木(浅田美代子)は優しく接してくれた。「神の前で人は平等である。寄宿舎の生徒は姉妹同然」という言葉とともに、寄宿舎の生徒たちと別け隔てなく接することを約束してくれた。彼女に案内されて、はなは宿舎へ向かった。

修和女学校の寄宿舎では、必ず上級生と下級生が一緒の部屋に割り当てられ、予価、本科、高等科の生徒が一緒に暮らしていた。少女から成人した生徒までが同室だった。はなはさっそく同室の生徒たちに引き合わされた。

はなと同年代の醍醐(茂内麻結)は、父が貿易会社の社長を務めており、最近家族が外国へ移住したという。そのため、彼女だけが寄宿学校へ編入したのだ。彼女もこの学校に来たばかりであり、同じく編入してきたはなの存在を心強く思うのだという。ふたりはさっそく仲良くなった。リボンを持っていないはなに対しては、「髪にリボンを付けないのは、着物に帯を付けないのと同じ」と言って、自分のリボンをはなにくれた。

最年長の白鳥(近藤春菜)は、さっそくはなの下品な言葉遣いを注意した。彼女は言語矯正会の会長も務めており、言葉遣いには厳しいのだ。「言葉の乱れは心の乱れ」が彼女の言い分だった。
その他、上級生の一条(佐藤みゆき)と同室だ。

さっそく夕食の時刻になった。醍醐ははなを食堂へと案内してくれた。
その途中、はなは図書室を見つけた。大量の本があることを喜び、寄り道して本棚を眺めた。

しかし、そこにある本は全て英語の本だった。英語教師・富山によれば、授業も全て英語で行われるという。
はなは驚くとともに、この学校での生活が不安になった。

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NHK『花子とアン』第6回

女性の涙にはめっぽう弱いので、まとめ記事中止を撤回した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の第6回めの放送を見ましたよ。


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第1週『花子と呼んでくりょう!』

1903年(明治36年)、はな(山田望叶)は10歳となった。

はなは母・ふじ(室井滋)が夫・吉平(伊原剛志)との馴れ初めを話しているのを聞いた。
若いふじはブドウ畑に面した道で行商人の吉平と出くわした。吉平はふじに櫛を売りつけようとするが、胡散臭さを感じたふじは無視して通り過ぎようとした。その矢先、歩き疲れた吉平は道に倒れてしまった。不憫に思ったふじは、ブドウの実を絞って果汁を飲ませてやった。
それからふたりは親しくなり、特にふじは吉平の見聞録に魅了された。生まれてから一度も村を出たことのないふじにとって、見知らぬ土地の話はどれも興味深かった。そうしているうちに吉平自身にも惹かれるようになり、ふたりは結婚したのだ。

その話を聞いたはなは、まるで自分が本を読んでいる時のようだと母に語った。本を読むと自分の行ったことのない場所の景色が思い浮かび、胸がドキドキと熱くなる。吉平と出会ったふじもきっと同じ思いだったのだろうと言うのだ。
それを聞かされたふじは、本に対するはなの情熱は少しも冷めていないことを悟った。

ふじははなを東京の女学校へ行かせることを決意した。祖父・周造(石橋蓮司)は女の子に教育など必要ないというのが持論だったが、ふじが一度言い出したら聞かない頑固者であることを知っていた。そのため、はなの女学校入学を認めざるを得なかった。

一方はなは、あれほど憧れていた女学校入学と本に囲まれた生活だったはずなのに、なかなか実感がわかなかった。
小学校で担任(マキタスポーツ)に促され、みんなに別れの挨拶をしても、まだ別の世界の出来事のようだった。

はながぼんやりしていると、旧友たちが全員机の上に正座をした。それは、初めて小学校へ来た時、着席の仕方を知らなかったはなが誤って行った行為だ。その時は旧友たち全員から馬鹿にされて笑われた。当時は周囲からいじめられてもいた。
ところが、3年の間に級友たちとはすっかり打ち解けた。今や、机の上に座る行為ははなへの何よりのエールを意味しているのだ。

そこでやっとはなは、自分が友達や家族、故郷を離れていくのだと実感した。涙が溢れてきた。
それと同時に、はなは自分の新しい生活が楽しみでならなくなった。

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NHK『花子とアン』第5回

大好きな号泣映画を1本上げろと言われれば、みんなから「なんだよそれ?マイナーすぎ。知らねー」と言われようがなんだろうが、迷わず『ストーリー・オブ・ラブ』を挙げる当方が、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の第5回めの放送を見ましたよ。

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第1週『花子と呼んでくりょう!』

池にはまったせいで高熱を出したはな(山田望叶)は「まだまだとおもひすごしおるうちに はや しのみちへむかうものなり」と辞世の句を読んだ。

それでも、吉平(伊原剛志)が大慌てで病院へ担ぎ込み、適切な処置をしたおかげで一命を取り留めた。その後は順調に回復した。
死の淵をさまよったはなは、自分が一度生まれ変わったものと思い、自分で自分の名前を付け直すべきだと考えた。はなではなく「花子」という名前の方が自分のことを大切に思える。だから、以前にもまして周囲に「花子」と呼ぶことを強いるのだった。

ある日、吉平が牧師(山崎一)を家に連れてきた。花子を東京の女学校に入学させたいと思っている吉平だが、家族全員が反対しているので、牧師から説得して欲しいというのだ。
花子の辞世の句を見た牧師は、彼女の恵まれた才能に舌を巻いた。

しかし、牧師は花子の女学校入りに反対であると明言した。東京の女学校は華族や富豪の娘たちばかりである。給付制度によって最低限の生活が補償されるといっても、生まれも育ちも違う同級生たちとうまくやっていけないだろうと言うのだ。

夜、母・ふじ(室井滋)は花子の本心を聞き出そうとした。家の窮状を理解する花子は、はじめこそ学問に興味はないと答えた。しかし、ふじから、本を読んでいる時の花子の嬉しそうな表情を指摘されると、やっと本心を話しだした。
花子は本が大好きだと打ち明けた。何度も本を嫌いになろうとしたがうまくいかないのだという。自分の夢は、本のいっぱいある家に住み、思う存分本を読むことだと話した。

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NHK『花子とアン』第4回

そもそも、なぜ主人公は「はな」と呼ばれるのが嫌いで「花子」と呼んでもらいたいのか、そのあたりの事情が全くわからない当方が、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の第4回めの放送を見ましたよ。

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第1週『花子と呼んでくりょう!』

本を読むため教会に忍び込んだはな(山田望叶)と朝市(里村洋)は、牧師(山崎一)らに見つかりそうになり慌てて逃げ出した。逃走中、ふたりは過って池にはまりこんでしまった。

追手が迫る中、はなはかろうじて陸地にあがることができた。手を伸ばして朝市を救おうとしたが、彼はそれを拒んだ。追手がすぐそこまで迫っているので、はな一人で逃げろというのだ。一瞬躊躇したはなであったが、朝市の言葉に従い、一人だけ無事に家までたどり着いた。

一夜明け、はなが長野の材木問屋へ奉公に行く段になった。
ところが、仲介人がやって来て言うには、話に行き違いがあったという。先方が欲しがっているのは力仕事のできる男の子であり、はなではその条件を満たさないのだという。そのため、奉公の件は破談となり、安東家に前金として渡した米1俵も取り上げるという。

一連のやりとりを聞いていた長兄・吉太郎(山崎竜太郎)は、はなの代わりに自分が奉公へ行くと名乗りでた。一家の重要な労働力でもあるので、家族は反対した。しかし、本人の意思は堅かった。吉太郎は父・吉平(伊原剛志)に可愛がられていないことを密かに悩んでいたのだ。これをいい機会と捉え、家を出たいというのだ。

そのまま吉太郎は奉公に行ってしまった。はなは悔いた。そもそも自分が勝手に奉公の話を進めてしまったことで、結局吉太郎が行くことになってしまったのだ。
しかもその直後、はなは高熱を出した。直接の原因は、夜に池に落ち、ずぶ濡れで歩いて帰ってきたことにある。しかし、はなはそれが自分に与えられた罰だと思った。朝市を置き去りにして、自分一人だけ安全に帰ってきたことへの報いだと信じだ。

それから2日経って、父・吉平が行商から帰ってきた。その時になってもはなの熱は全く収まっていなかった。
父の姿を見ると、はなは筆と紙を所望した。自分はこのまま死ぬのだから、辞世の歌を詠みたいと言うのだ。父が文房具を渡すと、はなは子どもらしいが見事な字で歌を書き付けた。それを終えると、ぱたりと倒れこんでしまった。

帰宅したばかりの吉平であるが、そもそもはなを医者にみせていないらしいことに気づいた。慌ててはなを抱き上げ、医者へ連れて行くことにした。

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NHK『花子とアン』第3回

山瀬まみの「高田みづえのものまね」っつーのが意外と似ていて驚くとともに、「この映像は結婚前のもののはずなのに左手薬指にリングをはめてるんだなぁ」と感慨深く思った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の第3回めの放送を見ましたよ。

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第1週『花子と呼んでくりょう!』

小作料が引き上げられたことに心を痛めたはな(山田望叶)は、積極的に家の手伝いをするようになった。そのため大好きだった学校も休みがちになった。

ある日、使いで町に出ると、地主の徳丸(カンニング竹山)に出くわした。はなは自分を奉公人として受け入れてくれるところはないかと、家族に相談もせず勝手に口利きを依頼した。徳丸はそれを請け負い、長野の材木問屋での仕事を見つけてくれた。

後日、徳丸の使いの者が前払いの米1俵を持って安東家に現れた。何も知らなかった母・ふじ(室井滋)はとても驚き、すぐさま反故にしてくれるよう徳丸に頼みに行った。ふじと徳丸は幼なじみであり、徳丸はふじに対して普段から親切にしているが、今回ばかりは話が本決まりになっており、もう後戻りできないという。

いよいよはなが奉公に行く前夜となった。肝心なときに父・吉平(伊原剛志)は行商に出かけており、家にいない。はなは奉公先で読み書きやそろばんを教えてもらえるだろうと明るい希望を話した。ふじは全てを諦め、はなを手放すことを受け入れていた。

夜遅く、はなの幼なじみの朝市(里村洋)がやって来た。はなが教会の図書室の話をしていたことを覚えており、最後に彼女をそこへ連れて行こうとしたのだ。教会に侵入したふたりは、愉快に本を眺めた。

その時、教会の下男が見回りにやって来て、危うく捕まりそうになる。なんとか教会から脱出することはできたが、暗い夜道でふたりとも池にはまりこんでしまった。

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NHK『花子とアン』第2回

昨日のまとめ記事で「『親指姫』と言えばアンデルセンの童話ではなく、山瀬まみのロックアルバムだよな!」というとても大切な情報を書き漏らしてしまったことについて1日中ほぞを噛んでいた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の第2回めの放送を見ましたよ。

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第1週『花子と呼んでくりょう!』

吉平(伊原剛志)は、はな(山田望叶)を東京の修和女学校へ入学させることをひとりで計画した。勉強が好きなはなに良い教育を受けさせたいと思うのだ。自分が読み書きそろばんを独学したという苦労をはなに味あわせたくないという思いもあった。修和女学校はキリスト教の寄宿学校であり、貧しい者には給費制度もあるので好都合だった。

ただし、入学するためにはキリスト教信者であることが必要だった。さっそく吉平ははなを町の教会へ連れて行った。
しかし、吉平がひとりで勝手に話を進めていると見抜いた牧師(山崎一)ははなへの洗礼を渋った。まずは家族とよく話し合うべきだと諭した。

その時、退屈しのぎに教会の中を見物していたはなが感嘆の声を上げた。教会にある大量の本を見て感激したのだ。吉平から、女学校に行けばいつでも好きなだけ本が読めると聞かされ、はなは女学校に行くことを強く望むようになった。

その頃、小作人たちは窮地に立たされていた。地主の徳丸(カンニング竹山)が小作料を値上げすると言うのだ。徳丸の本業である生糸の相場が下がったことのしわ寄せが小作人たちに向けられたのである。米の収穫高の三分の二ほどを徴収されることとなった。
ふじたちはあまりの仕打ちに愕然としたが、地主に逆らうことはできず、言いなりになるままだった。

吉平ははなの女学校行きをふじに話した。しかし、当然ふじはいい顔をしなかった。吉平が教会に入り浸り、はなを女学校にいかせようとしているという噂はすでに村中に広がっており、吉平は西洋かぶれだと村人から馬鹿にされているとふじは話した。そして、小作料の値上げによってただでさえ足りない人手がますます足りなくなることの懸念を述べた。吉平が野良仕事を手伝えばまだましなのだが、彼は行商の仕事で年の半分は家にいない。家にいる時でも、畑仕事を手伝わず、遊んでばかりいることも不満なのだった。

はなは寝床でふたりの話を聞いていた。小作料の値上げで、この冬を越す米すら危ういという話ははなにとってショックだった。はなは女学校入学を諦めることにした。以後、吉平が教会で本を読むために連れだそうとしても、学校には行きたくないし、本も好きではなくなったと答えるほどだった。
その上、小学校へ弁当も持っていかないと言い出した。健気にも一家の経済状況に協力しようとしたのだ。

それでも、昼食時になると腹が減った。はなは一人で校庭へ出て、空を見上げた。浮かんでいる雲が真っ白な白米に見えた。はなは空想の握り飯を頬張り、空腹を忘れようとした。それと同時に、女学校のことも忘れようと努力した。

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NHK『花子とアン』第1回

妹・かよ役の黒木華だけを楽しみにしている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』の第1回めの放送を見ましたよ。

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第1週『花子と呼んでくりょう!』

1945年(昭和20年)4月15日。
村岡花子(吉高由里子)は文机で原稿用紙に向かっていた。黙々と洋書の翻訳をしていたのだ。

その時、けたたましい空襲警報が鳴った。東京にアメリカの爆撃機が多数飛来したのだ。
花子は娘の美里(三木理沙子)や近所の子どもたちを連れて防空壕へ避難することにした。恐れのあまりすくみあがっている子どもたちには空を見上げるように話した。多数の焼夷弾が光りながら落ちてくる。花子はそれを花火だと思えと言うのだ。花火の中を走るのだから何も怖くないと言って励ますのだった。

そして花子は、胸に1冊の洋書を抱えていた。それは花子が日本で初めて翻訳し、後に出版されることとなる『赤毛のアン』の原書であった。

時はさかのぼり、1900年(明治33年)。
甲府の貧しい小作農の娘として安東はな(山田望叶)は生まれた。

父・吉平(伊原剛志)は行商人をやっており、1年の半分は家にいない。代わりに、祖父・周造(石橋蓮司)や母・ふじ(室井滋)らが畑仕事を担っている。

はなは小学1年生であったが学校に行くことはできず、一家の貴重な労働力として働いていた。母たちが野良仕事で留守の間、妹や弟たちの子守をしたり、飯炊きや水汲みなどをしなくてはならない。

特に水汲みは重労働だった。川の水はまだ冷たく、桶いっぱいに溜めた水は子どもの身にとっては大変重かった。それでもはなは前向きに仕事をすることができた。それというのも、はなには空想の力があったからだ。辛い現実に直面すると、楽しい空想が頭に思い浮かんだ。まるで自分が白鳥になったかのように、大空から自分の住む村の風景を見ることができたのだ。

同時にはなは負けん気の強い子だった。同年代の子どもたちから小作人の子どもだとからかわれても、それにめげずに食ってかかるのだ。特に、自分のことをはなではなく「花子」と呼べと言うのが常套句だった。花子という名前は小作人らしからぬ名で、周りの子どもたちはますますはなのことを馬鹿にするのだが、はなは全く意に介さなかった。

ある日、父・吉平が行商から帰ってきた。彼は甲府の生糸を東京で売り、代わりに東京で仕入れた日用品を甲府で売ることを生業としている。一家の中で多少学があり、字が読めるのも彼だけだった。吉平は子どもたちへの土産として『おやゆび姫』の絵本を買ってきた。けれども、貧しく字も読めない一家はそれを冷淡に迎えた。そのようなものよりも食料の方がありがたいからだ。

そんな中、はなだけは目を輝かせて喜んだ。はなも字は読めないが、生まれて初めて見る本というものに憧れがあったのだ。そんなはなを見て、父・吉平も喜んだ。はなに対する期待も大きくなった。

さっそく吉平は、はなを小学校へ行かせることにした。家事への責任感を持っていたはなは初めこそ躊躇していたが、いざ学校へ来てみると嬉しくて仕方がなくなった。周りの子どもたちからは小作人の子として相変わらず冷淡にされていたが、はなは意に介さず勉学に励んだ。まだたどたどしくはあったが、たったの1週間でずいぶんと多くの字を読めるようになった。先生(マキタスポーツ)にもおおいに褒められたが、それがまた同級生たちのやっかみを買った。それでもはなは挫けることがなく、むしろいじめに対して断固としてやり返すのだった。

その頃、父・吉平は別の学校を訪れていた。

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