NHK『ブギウギ』第72回

今朝は夢の中で緊急地震速報がけたたましく鳴り激しい揺れを感じたのだけれど、ちょうどスマホの目覚ましアラームが鳴り、それと連動して腕に着けている活動量計のバイブレーターが振動していたというわけで、目覚めの悪かった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第72回めの放送を見ましたよ。

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第16週『ワテはワテだす』

戦争が終わり、自由に音楽活動ができるようになった。
それぞれが活動範囲を広げ、新たな段階へ進めるよう、鈴子(趣里)は「福来スズ子とその楽団」を円満に解散させた。
ただし鈴子は、マネージャー・山下(近藤芳正)と付き人・小夜(富田望生)だけは手元に残すつもりだった。
しかし、小夜は理由も告げず、一方的に付き人を辞めると言って姿を消してしまった。鈴子はショックを受けた。

それから3ヶ月が経ち、1946年(昭和21年)4月になった。
愛助(水上恒司)は大学を卒業し、村山興業に入社した。東京支社長・坂口(黒田有)の下で、宣伝部員として働いている。背広姿が決まっていて、鈴子は彼に惚れ直した。

そんな頃、マネージャー・山下が新しい仕事の話を持ってきた。
日本を代表する喜劇役者タナケンこと棚橋健二(生瀬勝久)が歌える女優を探しているのだという。タナケンは数多くの喜劇映画に出演したり、自身が演出/主演を務める舞台で大活躍している。またとないチャンスだという。
タナケンの次の舞台は、レビュー劇団のドタバタを描いた喜劇である。歌って踊れる女優が必要だが、それが見つからず難儀している。先方は、ぜひ鈴子に会ってみたいと言っているという。

鈴子は乗り気ではなかった。歌と踊りには自信があるが、これまで芝居は一度もやったことがないからだ。畑違いのことなどやりたくないと断った。
しかし、山下は食い下がった。楽団を解散したばかりの今だからこそ、活動の幅を広げるチャンスである。日本一のタナケンの胸を借りるつもりでやってみればいいと説得した。
その熱意に押され、鈴子は一度だけ会ってみることに同意した。

こうしてタナケンの劇団を訪問したが、散らかった会議室で鈴子たちはお茶も出されず2時間待たされた。
やっとタナケンが現れたかと思ったから、彼は鈴子を半ば無視して台本に目を通し始めた。劇団員は彼にだけ茶を出した。

鈴子と山下は、タナケンにうやうやしく挨拶をした。それでもタナケンは一言も喋らなかった。
鈴子が聞こえているのか?と尋ねると、やっとタナケンは口を開いた。
タナケンは、鈴子を好き好んで呼んだわけではないと話し出した。ある人に配役が難航していると話したら鈴子のことを強く推され、ほんの少しの興味で会っただけだという。自分の舞台に出すかどうかもわからないと言う。

鈴子は頭に来た。時間の無駄だと言って、帰ろうとした。
そこへ、作曲家・羽鳥(草彅剛)が入室してきた。彼は今回の舞台の音楽監督を務めているのだという。タナケンに鈴子のことを推薦したのも羽鳥なのだという。

羽鳥は新曲「コペカチータ」を書いたと言う。この曲は不思議なリズムで構成されていて、鈴子以外には歌いこなせないだろうと言う。今回の舞台は鈴子が歌ってこそ完成するのだと話した。
それを手掛かりに、羽鳥と山下マネージャーはタナケンに再び鈴子を推薦した。

タナケンは興味なさそうに認めた。
こうして、鈴子はタナケンの新しい舞台『舞台よ!踊れ!』への出演が決まった。

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NHK『ブギウギ』第71回

今朝も起きるのが辛かった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第71回めの放送を見ましたよ。

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第15週『ワテらはもう自由や』

1946年(昭和21年)1月。
「福来スズ子とその楽団」にはひっきりなしに公演依頼が舞い込み、休みがまったくないほどだった。アメリカ軍が進駐して、流行りの音楽が大きく変わったことも拍車をかけていた。

忙しい一方で、メンバーたちに少しずつ変化が起きていた。
ギター・三谷(国木田かっぱ)とドラム・四条(伊藤えん魔)が遅刻したり、終演後のミーティングを欠席するようになった。本人たちは忙しさのあまり疲れているせいだと言って謝った。
付き人・小夜(富田望生)は腹が痛いと言って早退することが多くなった。

小夜は腹痛だと嘘をついて、仲良くなったアメリカ兵・サム(ジャック・ケネディ)と頻繁に会っていた。
小夜は福来スズ子のような歌手になりたくて付き人をしていると話した。すると、サムから歌うように頼まれ、小夜は往来で福来スズ子のモノマネをした。
通りがかりの人々は、小夜の滑稽な姿を見て笑った。サムは褒めてくれたが、小夜は急に恥ずかしくなった。サムに挨拶もせず、小夜はそのまま走り去った。

終演後のミーティングで、いつものように三谷と四条が帰った後、二村が鈴子(趣里)に真相を明かした。
あのふたりは、他の楽団と掛け持ちをしているという。どこの楽団も人手不足で、演奏家は引く手数多だと言う。実際、二村や一井(陰山泰)にも引き抜きの声がかかっているという。ただし、二村と一井はそれらを断り、鈴子の楽団に集中していると話した。

鈴子は一晩考え、結論を出した。
翌日、メンバーに楽団の解散を宣言した。

鈴子にとって、楽団員たちが他所から引き抜かれることは嬉しいことだという。
戦争で梅丸楽劇団が解散したことで、鈴子は歌う機会が奪われた。その代わりとして苦し紛れに作ったのが今の楽団である。けれども戦争中は公演も少なく、ずっと食うや食わざるやの苦しい状態が続いた。いよいよ戦争が終わって、自由に音楽ができるようになり、好きな音楽で生計を立てられるようになった。これからは楽団メンバーも自由だというのだ。
鈴子は心の底からメンバーたちにこれまでの礼を言った。

楽団メンバーたちも鈴子に感謝して解散を受け入れた。
戦争で仕事がなくなっていたのは彼らも一緒だったからだ。鈴子のもとへ集まったことで、演奏を仕事にすることができたし、日々の鍛錬にもなった。他に取り柄もなく、鈴子がいなければ野垂れ死にだったろうと口々に礼を言った。

こうして、付き人の小夜とマネージャーの山下(近藤芳正)だけを残して、「福来スズ子とその楽団」は活動を終えた。

ところが、小夜も付き人を辞めるという。
明確な理由も述べず、小夜は走り去ってしまった。

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NHK『ブギウギ』第70回

今朝も寝坊してリアルタイムで見れなかったんだけど、それはさておき、我が最愛の山瀬まみレギュラー出演中のラジオで美味しいと言っていたKiriクリームチーズのチロルチョコを今日も買いに行った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第70回めの放送を見ましたよ。

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第15週『ワテらはもう自由や』

戦後初の歌謡ショーでいよいよ鈴子(趣里)の出番となった。
戦時中に封印されていた『ラッパと娘』を思う存分歌い、踊った。楽団はそれに合わせるように盛り立てた。観客たちは往年の人気曲に大盛り上がりだった。

熱狂のうちにステージが終わり、鈴子は楽屋に引き上げた。久しぶりに激しく歌ったせいで鈴子は死ぬ思いがした。しかし最高の気分だった。
先に出番を終えていた茨田りつ子(菊地凛子)も良いステージだったと褒めてくれた。
するとそこへ、羽鳥が現れた。上海に行ったきり終戦後は音信不通だったため、鈴子もりつ子も驚いた。羽鳥は身柄を拘束されるなどの災難に遭ったものの、無事に釈放され命からがら引き上げ船で帰ってきたのだと言う。羽鳥はふたりのステージはこれまでで最高だったと絶賛した。そして、自分も負けずに新しい曲を作ると宣言した。上海での経験で新しい音楽の可能性を見出したと言うのだ。ただし、向こうで書いた楽譜は全て没収されてしまった。けれども、頭の中に残っているので、すぐに書き直すと言って早々に帰って行った。

鈴子が帰宅すると、愛助(水上恒司)は玄関に正座して鈴子を待っていた。今日のステージは、今までの福来スズ子の歴史の中で最高のものだったと感激しながら話した。
鈴子も今日の出来に満足しており、これからは誰に何を言われようと自分の好きなように歌うと約束した。

それからしばらく、鈴子たちは平穏に暮らした。
ただし、以前に鈴子と小夜(富田望生)が買った宝くじはきれいさっぱり外れてしまった。

小夜は、カラくじを持って一人で売り場に向かった。4枚のカラくじはタバコと交換してくれるからだ。
小夜はタバコを一切吸わないが、アメリカ兵・サム(ジャック・ケネディ)にあげようと思った。小夜が宝くじを買う時には3枚分の金しか持ってなかったが、通りかかったサムが1枚買ってくれたのだ。小夜は、サムがいつも決まった時間にやって来て、子どもたちにチョコレートを配ることを知っていた。だから、その時間に合わせて宝くじ売り場へ行った。

こうして、小夜は宝くじの礼としてサムにタバコを渡した。それだけ済ませて帰ろうとした小夜をサムが呼び止めた。彼は片言の日本語で食事に行こうと誘った。
食べ物に目のない小夜は喜んでついて行った。

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NHK『ブギウギ』第69回

我が最愛の山瀬まみが『居酒屋新幹線2』の放送開始(昨夜)を楽しみにしていると言っていたので、僕も録画しておいたものを見ようと思っている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第69回めの放送を見ましたよ。

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第15週『ワテらはもう自由や』

終戦から3ヶ月、日帝劇場が再開され、スター歌手たちを集めた公演が行われることになった。

鈴子(趣里)と楽団員たちは久しぶりに事務所に集まり、演目の相談をした。
当然のように満場一致で『ラッパと娘』を演奏することになった。福来スズ子の代表曲であるものの、派手な歌や踊りであるため戦争中は自粛していたのだ。戦争が終わって思う存分やれることとなり、鈴子も楽団員たちも大いに盛り上がった。

鈴子は自宅で家事をしながら、『ラッパと娘』の稽古をした。久しぶりに歌うのでメロディーや踊りを忘れているところがあったのだ。
その様子を見た愛助(水上恒司)は大いにはしゃいだ。そもそもが彼女の大ファンだった愛助は、往年の福来スズ子が帰ってくることが嬉しいのだ。

ところが、鈴子は不安になっていた。戦争があったことで、人々が変わってしまったのではないかと思うのだ。ましてや、今は戦後復興に必死な時である。以前のように自分の歌と踊りを楽しんでくれるかはわからない。
愛助は、福来スズ子の歌には力があるので心配はいらないと話した。鈴子はほんの少しだけ気が楽になったが、それでもまだ不安は拭えなかった。

いよいよ公演当日。鈴子は久しぶりに派手な衣装を身につけ、昔のように巨大なつけまつ毛を付けた。それでもまだ不安で落ち着かなかった。
すると楽屋へ、茨田りつ子(菊地凛子)が現れた。久しぶりの再会に鈴子は大いに喜んだ。

しかし、りつ子は沈み込んだ様子だった。東京の家が空襲で焼けてしまったのだと言う。そればかりか、特攻隊員の慰問に行ったことがずっと心に引っかかっているのだと話した。
特攻隊員たちは自分の歌を聞き、勇気づけられて出撃した。りつ子は、最終的に自分の歌が隊員たちの背中を押して死に追いやったのではないかと悩んでいるのだ。歌は人を生かすためにあるものなのに、それと反対のことをしてしまったと悔やんだ。

その話を聞いた鈴子は、戦争が終わった今こそ、自分たちの歌で人々を生かさなければならないと述べた。今はどん底なので、あとは良くなるばかりだ。歌えば歌うだけ人々は元気になるはずだから、好きなように歌おうと話した。
りつ子にそう話しているうちに、鈴子は自分の抱えていた不安が吹き飛んだ。溌剌としてやる気に満ち溢れた。
ひとりで興奮している鈴子を見て、りつ子は苦笑いした。それでも、りつ子の気持ちも少し軽くなった。

本番が始まり、最初はりつ子の出番だった。
りつ子は人気曲『別れのブルース』を歌った。歌いながら特攻隊員たちのことを思い出してしまったが、それがかえって歌の情感を高めた。観客たちは涙を拭いながら聞き入った。舞台袖で聞いていた鈴子も涙を止めることができなかった。

歌い終えたりつ子も頬を涙で濡らしていた。
舞台袖に引き上げてきたりつ子に、鈴子は賛辞を送った。
そして、次は鈴子の出番だった。雰囲気を入れ替えるかのように、大きく手を振りながら元気よくステージに躍り出た。

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NHK『ブギウギ』第68回

昨夜は我が最愛の山瀬まみの夢を見て、夜中に一度目が覚めた時に「よし、この夢を明日のマクラに書こう」と決めたのに、今朝目が覚めると山瀬まみが登場したということ以外は内容を全てすっかり忘れてしまった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第68回めの放送を見ましたよ。

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第15週『ワテらはもう自由や』

1945年(昭和20年)11月、終戦から3ヶ月が経った。世の中の混乱は続いており、鈴子(趣里)には公演の機会がなかった。

一方で、愛助(水上恒司)はみるみる体調が良くなっていた。ついに彼は大学に復学することを決めた。自身が結核になったことや戦争で、いつでも勉強できるのが当たり前ではないと気づいた。できるうちに学業に取り組みたいと言う。鈴子も大賛成した。

鈴子は、愛助の復学を祝うため、その日の夕食はいつもより豪華にしようと考えた。そこで、小夜(富田望生)を伴って闇市に出かけた。
闇市は客の足元を見ているのか、どれも値が張った。米少々のほか、大根とシシャモ、醤油などを手に入れるのが精一杯だった。

帰り道、腹を空かせた子どもたちが道に座り込んでいるのを見かけた。鈴子は胸を痛めて立ち去り難くなったが、小夜は空腹なのは自分たちも同じだと言って鈴子になるべく気にしないよう諭した。

そこへ、アメリカ兵がやってきた。彼らは子どもたちにチョコレートを配って歩いた。
小夜は自分もチョコレートが欲しいと言って、子どもたちに混じってチョコレートをねだった。小夜は、どこかで手に入れた英会話手帳で少しだけ勉強したのだという。カタコトの英語でなんとかチョコレートをもらうことができた。分けてもらった鈴子も、久しぶりに食べるチョコレートに感激した。

さらに歩くと、宝くじ売りに出くわした。鈴子は夢を買うつもりで、1枚だけ購入した。

その日の夕食は、いつもよりほんの少しだけ豪勢だった。愛助はとても喜んだ。
さらに鈴子は、買ってきた宝くじを愛助に見せた。1等が当たれば10万円もらえると言う。闇市では米1合が7円ほどのところ、その宝くじを1枚10円もした。それでも、10万円が当たった時のことを想像して楽しむだけの価値はあると話した。

愛助は、10万円あれば海外の有名な喜劇役者を日本に呼ぶことができると話した。良い芝居や音楽で日本の人々を元気づけたいのだという。
小夜は、毎日うなぎを腹一杯食べたいと話した。うなぎそのものを食べたことはないが、奉公していた時に主人が食べ終わったうなぎの器に残ったタレを舐めてみたことがあるという。その美味さを忘れることができないと言うのだ。
喜劇役者を呼ぶか、うなぎを食べるかで、愛助と小夜は意見が対立した。鈴子はそれを笑いながら仲裁した。ただし、鈴子は少しだけ小夜の方に肩入れした。日々腹が減っているのは鈴子も同じだったからだ。

翌日、小夜は自分のへそくりを持って、宝くじを買いに行った。
小夜は宝くじを3枚買おうとした。しかし、宝くじ売りは4枚買った方がいいと勧めてきた。はずれクジが4枚あればタバコと交換できるので、少しだけ得だと言うのだ。しかし、どうかき集めても、小夜は宝くじ3枚分の金しかもっていなかった。小夜と宝くじ売りは押し問答になった。

その様子を見ていた1人のアメリカ兵が近寄ってきた。
彼は宝くじを1枚購入すると、それを小夜にくれた。そして「Good luck」とだけ告げて立ち去った。
その言葉の意味を調べた小夜は、キザな男だと思った。

その頃、家にいた鈴子のところへ、マネージャーの山下(近藤芳正)が駆け込んできた。日帝劇場が再開され、鈴子にも公演依頼があったという。複数のスター歌手を集めたショーを行うもので、茨田りつ子(菊地凛子)などに声がかかっているとのことだった。
鈴子は二つ返事で承諾した。

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NHK『ブギウギ』第67回

7時に目が覚めて休みの日だから二度寝しようか迷ったけれど、寝直すにしてもちゃんと日課をこなしてから寝ようと決めた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第67回めの放送を見ましたよ。

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第15週『ワテらはもう自由や』

1945年(昭和20年)8月15日、日本が負けて戦争が終わった。

海軍基地で特攻隊員を目の当たりにした茨田りつ子(菊地凛子)は鹿児島の旅館に滞在したまま、放心状態で畳に寝転がったままだった。終戦の知らせを受けても、感情が沸くことなく、淡々と事実を受け入れるのみだった。

上海に滞在していた羽鳥(草彅剛)は危機に陥っていた。現地住民は日本軍に対して領土返還の抗議運動を始め、大きな騒ぎになっていた。羽鳥は帰国する目処も立たず、滞在先の室内でじっとしているしかなかった。いつも泰然自若としているはずの羽鳥も先行きが不安になり、深刻な表情をしていた。
中国人音楽家・黎錦光(浩歌)が訪ねてきた。彼は羽鳥の顔を見るなりめでたいことだと言った。音楽家の国境がなくなり、敵味方の区別なく音楽家同士が付き合うことができるようになったのは良いことだと説明した。そう指摘されて、羽鳥は納得した。ふたりは抱き合い、この後も変わらない友情を確かめ合った。

羽鳥は心配することをやめ、音楽に没頭することにした。部屋に一人で楽譜に書き込みをしていた。
突如、銃を持った中国人が踏み込んできた。羽鳥はそのままどこかへ連れ去られてしまった。

鈴子(趣里)は慰問先の富山で終戦を迎え、急いで東京に帰ることにした。
戦争に勝つことだけを信じていた従業員たちは気を落とし、これから進駐してくるアメリカ兵たちに蹂躙されるのではないかと不安がっていた。鈴子は、何があっても生きていくしかないのだと明るく彼らを励まして出発した。

汽車は満員で、鈴子たちは座ることもできず、ずっと立ちっぱなしだった。そればかりか、混雑した車内にはスリもいて、気を抜くことができなかった。
やっとのことで東京の家にたどり着いたが、戸はきつく閉められており、開けることができなかった。愛助(水上恒司)は病気がちであるし、終戦の混乱もあり、鈴子はにわかに不安になった。

しばらく声をかけていると、やっと愛助(水上恒司)が勝手口から現れた。国中が混乱し、人々も殺気立っているので警戒していたのだという。それでも、互いの無事を確認し、鈴子と愛助は抱き合って喜んだ。

鈴子は、香川に帰った父・梅吉(柳葉敏郎)や自分の故郷である大阪の人々の安否がわからず心配だった。しかし、自分は生きているし、愛助や楽団メンバーは全員無事である。安否不明な人々のことは考えたところでわかるわけでもなく、無事であると信じるのだと話した。
日本はめちゃくちゃになったが、自分たちが生きているだけで十分だと明るく言った。その言葉に愛助は勇気づけられた。

しかし、家には食料が一切なかった。
鈴子は、付き人・小夜(富田望生)と共に近所の野草を摘んで食料にすることにした。愛助は、庭に畑を作ってジャガイモを植えることにした。
その日の夕食は、野草の味噌汁とおひたしだけだった。何もないよりはマシだったが、食卓は貧相だった。そればかりか、採ってきたきた野草は思いのほか不味かった。鈴子と愛助、小夜の3人はジャガイモの収穫が楽しみだと話しながら食事をした。さらに、ジャガイモの収穫後に新たに栽培する野菜についても話し合った。
素人の家庭菜園ではロクな作物はできそうになかったが、野草を食べるよりは良いし、今なら何を食べてもご馳走に思えるなどといって笑い合った。

敗戦で暮らしはますます混迷し、人々は不安に苛まれた。しかし鈴子は、明るく前向きに生きようとしていた。

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NHK『ブギウギ』第66回

昨日から頭の中で “Give Peace a Chance” の鳴り続けている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第66回めの放送を見ましたよ。

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第14週『戦争とうた』

慰問公演のため、富山県高岡市の旅館に宿泊している鈴子(趣里)たち一行。

鈴子はそこで働く女中・静枝(曽我廼家いろは)と知り合った。彼女の夫は南方で戦死したという。静枝は夫の死を少しも悲しいと思っていないという。むしろ、命を投げ打って国のために奉仕した夫を誇りに思うと話した。鈴子たちの浮ついた様子に対しても、いささか忌避感を抱いているようだった。
鈴子は口にこそ出さなかったが、静枝が無理に強がっているように思えた。鈴子も弟・六郎(黒崎煌代)を同じように南方の戦場で亡くしているので、静枝の複雑な心境がわかるような気がした。自分の歌で彼女の気を楽にしてやりたいと思った。

翌朝、慰問会場へ出かける前に、鈴子は静枝に声をかけた。ぜひとも公演を見にきて欲しいと頼んだ。
しかし静枝は、鈴子に素っ気ない態度だった。仕事があるので行くことはできないと断った。
もう一度念押しして、鈴子は出かけた。けれども、公演が始まっても、やはり静枝の姿はなかった。

同じ頃、鹿児島の海軍きでは、茨田りつ子(菊地凛子)の慰問公演の本番が始まっていた。
指揮官・横井少佐(副島新五)から軍歌を歌えと命じられて一度は断ったものの、死の約束された若い特攻隊員たちの姿を目の当たりにし、彼らを見過ごすことができなくなってしまったのだ。自ら進んで軍歌は歌いたくないが、隊員たちからの要望があれば歌うと約束した。

舞台上のりつ子が募ると、特攻隊員は『別れのブルース』をリクエストした。初めは上官の目を気にして一人が小さな声で言っただけだったが、次第に他の隊員たちも同調し、全員の総意となった。指揮官・横井少佐は、聞こえないふりをして会場を出て行った。それを黙認の合図と受け取り、りつ子は『別れのブルース』を歌った。

特攻隊員たちは涙を浮かべながらそれを聞いた。りつ子が歌い終えると、特攻隊員たちは立ち上がり、口々に威勢よく礼を述べた。思い残すことがなくなった、勇気づけられた、晴々しく出撃できるなど、全員が死を受け入れたことは明らかだった。会場の外にいた横井少佐も、彼らとの根性での別れを思い、密かに泣いた。
特攻隊員たちの賛辞が止まぬ中、りつ子は舞台袖に急いで戻った。そこでりつ子は泣き崩れた。

富山県高岡市での鈴子の公演は、いよいよ残すところ1曲のみとなった。するとそこへ、静枝が現れた。
彼女を見つけると、鈴子は最後の歌『大空の弟』の紹介をした。南方で戦死した弟の歌であると説明し、客にも自分の大切な人のことを思いながら聞いて欲しいと頼んだ。
『大空の弟』は、戦地から手紙が届くという内容である。静枝も、戦地の夫から届いたハガキを肌身離さず持っていた。静枝はそれを取り出し、涙ぐみながら鈴子の歌を聞いた。

慰問公演を終えた鈴子たちは、旅館に戻って夕食をとっていた。
すると、前夜と同じように静枝の幼い娘・幸(眞邊麦)が入ってきて、鈴子に甘えた。前の晩は、客から食事をもらうと幸の癖になるといってやめさせた静枝であったが、今夜は何も言わなかった。

静枝は、鈴子の『大空の弟』の感想とともに、夫との思い出を語った。
夫は頻繁に手紙を書いてくれて、とても嬉しかったという。しかし、静枝は一度も返事を書いたことがない。なぜなら、夫の字は印刷物のようにきれいだったのに、静枝の字はとても下手だったからだ。夫は普段はめったに笑わないのだが、静枝の粗末な字を見た時だけは腹を抱えて笑ったという。それが悔しいやら恥ずかしいやらで、静江はついぞ夫に手紙を書かなかったという。

そのような内容を静枝は微笑みながら話した。
鈴子は、つい涙をこぼしてしまったが、つとめて笑顔を作った。彼女のために歌って、本当によかったと思った。

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NHK『ブギウギ』第65回

年明けから大事件がいろいろ起きているけれど、淡々と朝ドラ仕事をしていこうと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第65回めの放送を見ましたよ。

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第14週『戦争とうた』

慰問巡業を再開した鈴子(趣里)は富山県高岡市の旅館に到着した。
数日前、近くの富山市が大空襲に襲われ、高山市のその旅館は多数の被災者を受け入れていた。惨状を目にし、鈴子は自分の慰問公演が役に立つのだろうかと不安になった。

宿には女中・静枝(曽我廼家いろは)と、その幼い娘・幸(眞邊麦)がいた。幸に遊び相手がいないのを見てとった鈴子は、彼女の子守りを買って出た。静枝は恐縮し遠慮したものの、鈴子は自分も楽しいのだなどと言って半ば強引に引き受けた。幸も鈴子によく懐いた。

その日の旅館の夕食は貧相なものだった。しかし、昨今の時局はもちろん、富山市に大空襲があった直後だと思えば誰に文句を言えるわけでもなかった。その少ない夕食の中から、鈴子は幸に食事を分けてやった。幸も喜んで食べていた。
その様子を見た静枝は、慌てて幸を連れ去った。客の食事に手をつけるなど言語道断だというのだ。鈴子は自分は満腹であるから問題ないのだと説明しても静枝は聞く耳を持たなかった。それどころか、贅沢を慎まなければならない状況なのに、幸の癖になっては困ると言って強硬に断った。

食後、鈴子が一人で夕涼みをしていると、静枝が通りがかった。静枝は先の騒動で、スズ子の親切を無下にしたことを謝った。鈴子も同様に自分の勝手な行為を謝った。
鈴子は静枝の夫のことを尋ねた。静枝の夫は高岡で教師をしていた真面目な人だったが、南方に出征して戦死したという。鈴子は口にこそ出さなかったが、同じく戦死した弟・六郎(黒崎煌代)のことを思い出しながら話を聞いた。
静枝は、国のために命を捧げた夫のことを誇りに思っていると話した。だから、悲しい思いはしていないという。夫に託された娘・幸を立派に育てることが残された自分の使命であるとも話した。そして、このまま日本は勝つと信じていると述べた。日本が勝たねば、夫の死は無駄になると話した。

その頃、茨田りつ子(菊地凛子)は鹿児島の海軍基地を訪問していた。翌日に基地の兵隊向けの慰問公演を行うのである。
基地の横井少佐(副島新五)は、りつ子の洋服を見て難癖をつけた。自分の服装が槍玉にあがることに慣れているりつ子は、今着ているのは普段着で、公演ではもっと華やかな衣装を身につけるので心配はいらないなどと涼しい顔で言ってのけた。
さらに横井少佐は、りつ子に『海ゆかば』や『同期の桜』などを歌うよう要請した。しかし、りつ子は軍歌は性に合わないと言ってきっぱり断った。

りつ子は、自分では慰問の役に立ちそうにないと言って、そのまま帰ろうとした。
その時、若い兵たちが部屋を覗いているのに気づいた。彼らは本物の茨田りつ子を見たと言って騒いでいる。しかし、それが見つかって一括されると、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
横井少佐の説明によれば、彼らは特攻隊員だという。命令が出ればすぐに出撃せねばならず、りつ子の公演中に中座することになっても許して欲しいというのだ。そして、一度出撃したら二度と戻ってこない。他に何も持たせてやることができないので、せめて歌を聞かせてやって欲しいと頼まれた。
りつ子は、隊員たちが望む歌ならばなんでも歌うという条件で慰問公演を行うことに同意した。

同じ頃、上海では作曲家・羽鳥(草彅剛)が軍の命令による音楽会を行なっていた。
羽鳥は検閲されないのをいいことに、自分のやりたいことを全て盛り込んだ。中国人音楽家・黎錦光(浩歌)の作った曲を、日本人の羽鳥が編曲し、アメリカのブギのリズムをのせた。完成した曲を世界中から集まった聴衆に聞かせた。現在の日本では演奏できないような曲を、上海では自由に演奏できた。こうして羽鳥は自分の好きな音楽を思う存分やったのはもちろん、時代や権力には縛られず、音楽は自由であることを証明してみせた。

中でも、李香蘭(昆夏美)の歌った『夜来香ラプソディ』は大好評だった。これも黎錦光が作曲し、羽鳥がアレンジしたものである。
羽鳥はこの曲こそ、自由の象徴であり、世界中の人々が一つになったことの証明であると感じた。大満足であった。

そのような上海での活況を知る由もなく、鈴子やりつ子は日本の現状や行先に気分が沈んでいた。

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あけおめことよろ2024

旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

ていうか、今年は我が最愛の山瀬まみが55歳になるし、僕は50歳になるしで、ゴーゴーゴーで生きてきたいと思います。テーマ曲はもちろん、山瀬まみ『ゴォ!』(サエキけんぞう作詞、奥田民生作曲)です。

20年といえば

リラックマ20周年だそうです。

今は日本の成人年齢が18歳になったわけだけれど、数年前までは20歳で成人とされていたし、今でも酒やタバコは20歳以上にならないと認められないわけで。20年というのはなかなかの長期間ですわな。
僕も20歳になったときは感慨深かったし。

ところで、本ブログも本日で設立20年を迎えました。
開設日の記事がこれで、10周年がこっちです。

ご愛顧ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。