連ドラ「だんだん」 第32回 (11/4)

昨日、「魅力満載スペシャル」とかいうプチ総集編を見た当方が、「だんだん」の32回目の放送を見ましたよ。

めぐみ(三倉茉奈)は、のぞみ(三倉佳奈)を大学授業見学に誘う。和服姿の舞妓の登場で教室は騒然となり、逃げ出す二人。しかし、のぞみはの大学生活や洋服着用などへの憧れをますます強くする。ある日、置屋の全員(めぐみを含む)が大阪に出かけることとなった。のぞみは仮病を使って京都に残り、みんながいなくなった隙にめぐみに扮して大学へ向かうのであった。

相変わらず、周囲の人たちが、いろいろ心配したり気を回したりというシーンが多いのが気になる。グレてしまった義弟の扱いについて、松江のご近所連中が集まって相談したり。めぐみが所属していたバンド・シジミジルの復活に関して、スカウトマンが松江に残されたメンバーを説得したり。その根拠が「めぐみはきっと歌いたいはずだ。だから、バンドを再結成すべきだ」というもの。

以前から、登場人物が自分で道を切り開かないことが、ものすごく不満だったのだが。
今日、ふと、「八百万の神が人間の運命を決定する」という思想とドラマの展開が表裏一体になっているのではないかと気づいた。
主題歌にも「天が描いた シナリオに沿い」という一節があり、運命は神から与えられるということをほのめかしている。ただし、主題歌の作詞は脚本家ではなく、竹内まりやなので、本当に脚本の内容を反映した詞であるかどうかは疑問だが。
人間の運命を決めるのは毎年10月で、出雲大社に集まった神様たちだ。このあたりも、ドラマと符合する。

そして、めぐみとのぞみの運命を導く神様の象徴が、例のスカウトマンなんじゃないか、と。彼がキモいのは、人間じゃなくて、神様だからこそで、我々人間からは異形に見えるんだ、きっと。

義弟の行く末をどうしようかと相談する松江のご近所衆も、忠と真喜子の離婚を言い下した置屋の女将も、みんな人間の運命を決める神様の象徴なんだ、きっと。

そういう考えにいたって、無茶な展開とか、主人公が周囲に流されるがままの状況なんかも、「神様の決めたとおりなんだから、仕方ないよな」と我慢できるようになってきたとか、こないとか。

ところで、体温計を使った仮病テクニックは、ドライヤーの熱風を当てるんじゃなくて、シーツで軽くこするというのが王道だと思うのだが。でも、それだと画面上で見栄えがしないし、分かりにくいからドライヤーで暖めたと考えてよろしい?

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