「だんだん」日誌終結宣言 From: 木公 (matuda@alm-ore.com) Date: 2008年11月23日(日) 14:17:05 Categories: 映画・ドラマ, だんだん Tags: NHK, がっかり, だんだん, マナカナ, 感想, 連続テレビ小説 Re: 15 comments 「だんだん」第9週 “恋のバカンス”のあらすじを読んでひどくガッカリした当方が、「だんだん」日誌の連載をやめることをここに宣言しますよ。 今まで応援してくださった皆さん、どうもありがとうございました。 次は、来年春より放送開始の「つばさ」でお会いしましょう。 #アンチ多部未華子な当方ですが、それはいったん水に流す。
「だんだん」第9週 “恋のバカンス”のあらすじを読んでひどくガッカリした当方が、「だんだん」日誌の連載をやめることをここに宣言しますよ。 今まで応援してくださった皆さん、どうもありがとうございました。 次は、来年春より放送開始の「つばさ」でお会いしましょう。 #アンチ多部未華子な当方ですが、それはいったん水に流す。
どもです。 とりあえずblogへの記事投稿はやめたわけですが、放送を見るのもやめるかどうかは、まだ迷っています。 朝の放送は見逃したのですが、12:45の回を見るべきかどうか、ものすごく悩んでいる僕がいます。 返信 ↓
その時間に合わせてわざわざテレビの前に座るよう、生活をセッティングするのもまた、コストの一種。一切の機会コストがないならば、そもそも「見ようか迷う」という問いすら出てこないのでは? つい、マジレスしてしまいましたが。 返信 ↓
今まで日記を書いてきたから見続けるわけではないので、sunk cost ではないのです、僕の主観では。「だんだん」を見る以上に効用の高い活動が他に見つからない現在です。 そんなわけで、とりあえず今日は 12:45 からの放送を見ることにしました、ハイ。実家ですることもないし。 返信 ↓
この「だんだん日誌」も終わってしまったので、仕方なく、初めて放送を見てみたんですが…(と言うか、本当は偶然見たんだけど)。本当にダメダメですね。「だんだん日誌」の方が面白かったかも。主人公の2人に「主人公としての輝き」が足りないような気がします。 返信 ↓
>「だんだん日誌」の方が面白かったかも。 そりゃ、「この面白くないドラマを、いかに読者が興味を持つように紹介するか」が僕のチャレンジでしたから。(自画自賛) >主人公の2人に「主人公としての輝き」が足りないような気がします。 僕は基本的にマナカナ・シンパだったのですが(ていうか、だからこのドラマを一生懸命見ていた)、マナカナにネガティブな印象を持つようになってしまうほどダメダメでした。 彼女らの演技がだめなのか、脚本がダメなのか、舞妓姿に無理があった(昨日の放送で、二人そろってカジュアル・ウェアで歌う姿は良かった)のか、もうどこに理由があるのかもよくわからなくなっていますが。 返信 ↓
今、翌週のあらすじ(10週)読みました。 ますます酷い。 「石橋のその一言に彼の真意を見出し、夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。」 「老人ホームで歌い、めぐみと完全に心が通じ合った夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。」 「全力で戦い、リングに倒れた父の姿を見て、夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。 」 「それ以上はなにも語らない嘉子であったが、子供たちを分け隔てなく愛する姿に感動し、夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。」 4つのうち3つは、僕が捏造したあらすじだけれど、どれもあり得そうな気がするあたり、もうダメダメ。 芸妓にならないという結論ありきで、それにいたるステップは何でもアリアリ感満載。 返信 ↓
日誌を読ませて頂きました。見方は小説家っぽいですが、心理は、男性的な見方に偏っていると思いました。女心は苦手かな?素直にドラマを楽しめばいいのに。私が好きになれない人、それは忠さんの母と石橋さん。自分の考えが一番正しいと思っていることです。二昔以上前の発想ですよね。今、一番心配なのは、のぞみさんの将来です。芸能界で活かすことができればいいのですが。 返信 ↓
お疲れさまでした。
こんなあらすじあったんですね。
しかし、これってちょっと。。。脚本ですね。
なんでもありもいいとこというか。。。
木公さん、お疲れさまでした。
ありがとうございました。
チョンマルロ スゴハショッソヨ。
10月いっぱいくらいで、このドラマあまりにもヒドいんじゃないか、という気がしましたもんねぇ…。
どもです。
とりあえずblogへの記事投稿はやめたわけですが、放送を見るのもやめるかどうかは、まだ迷っています。
朝の放送は見逃したのですが、12:45の回を見るべきかどうか、ものすごく悩んでいる僕がいます。
>blogへの記事投稿はやめたわけですが、放送を見るのもやめるかどうかは、まだ迷っています。
人、それをsunk costと呼ぶ。
見るのをやめても、他にすることがないので sunk cost じゃないような気がするんです・・・。
その時間に合わせてわざわざテレビの前に座るよう、生活をセッティングするのもまた、コストの一種。一切の機会コストがないならば、そもそも「見ようか迷う」という問いすら出てこないのでは?
つい、マジレスしてしまいましたが。
機会コストがかかっているのは認めますが、埋没費用(sunk cost)はちゃうんじゃないかなぁ、というマジレス。
「面白くもないのに見る=わざわざコストを払う」のは、過去に大きなコストをかけた(つまらなくなる一方なのに見続けて日記に書いてきた)ため。
それがsunk costに嵌るって話です、何か?
今まで日記を書いてきたから見続けるわけではないので、sunk cost ではないのです、僕の主観では。「だんだん」を見る以上に効用の高い活動が他に見つからない現在です。
そんなわけで、とりあえず今日は 12:45 からの放送を見ることにしました、ハイ。実家ですることもないし。
この「だんだん日誌」も終わってしまったので、仕方なく、初めて放送を見てみたんですが…(と言うか、本当は偶然見たんだけど)。本当にダメダメですね。「だんだん日誌」の方が面白かったかも。主人公の2人に「主人公としての輝き」が足りないような気がします。
>「だんだん日誌」の方が面白かったかも。
そりゃ、「この面白くないドラマを、いかに読者が興味を持つように紹介するか」が僕のチャレンジでしたから。(自画自賛)
>主人公の2人に「主人公としての輝き」が足りないような気がします。
僕は基本的にマナカナ・シンパだったのですが(ていうか、だからこのドラマを一生懸命見ていた)、マナカナにネガティブな印象を持つようになってしまうほどダメダメでした。
彼女らの演技がだめなのか、脚本がダメなのか、舞妓姿に無理があった(昨日の放送で、二人そろってカジュアル・ウェアで歌う姿は良かった)のか、もうどこに理由があるのかもよくわからなくなっていますが。
今、翌週のあらすじ(10週)読みました。
ますます酷い。
「石橋のその一言に彼の真意を見出し、夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。」
「老人ホームで歌い、めぐみと完全に心が通じ合った夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。」
「全力で戦い、リングに倒れた父の姿を見て、夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。 」
「それ以上はなにも語らない嘉子であったが、子供たちを分け隔てなく愛する姿に感動し、夢花はある決断を胸に祇園へ。そして、夢花は久乃や花雪を前に、芸妓にはならないと告げる。」
4つのうち3つは、僕が捏造したあらすじだけれど、どれもあり得そうな気がするあたり、もうダメダメ。
芸妓にならないという結論ありきで、それにいたるステップは何でもアリアリ感満載。
正解は「それ以上はなにも語らない嘉子であったが、子供たちを分け隔てなく愛する姿に感動し」ではないかと推測。一番ダメダメっぽいから(芸妓にならないという決断と最も無関係)。
日誌を読ませて頂きました。見方は小説家っぽいですが、心理は、男性的な見方に偏っていると思いました。女心は苦手かな?素直にドラマを楽しめばいいのに。私が好きになれない人、それは忠さんの母と石橋さん。自分の考えが一番正しいと思っていることです。二昔以上前の発想ですよね。今、一番心配なのは、のぞみさんの将来です。芸能界で活かすことができればいいのですが。
「だんだん」最終回 (3/28)
「だんだん」第9週 “恋のバカンス” のあらすじを読んでひどくガッカリして、日誌の連載をやめることを宣言したにも関わらず、最終週 “縁の糸” が放送される…