NHK『ブギウギ』第5回

OSK日本歌劇団の公演で翼和希さんは何度も見たことがあるのだけれど、毎回ド派手なメイクなので、ちょっとメイクが変わると途端に同定できなくなる当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第5回めの放送を見ましたよ。

翼和希主演『へぼ侍: 西南戦争物語』のパンフレットより(2023年8月)

* * *
第1週『ワテ、歌うで!』

花咲音楽学校の入学試験で不合格となった鈴子(澤井梨丘)はひどく落ち込んだ。

そんなある日、父・梅吉(柳葉敏郎)が梅丸少女歌劇団(USK)のチラシを見つけてきた。道頓堀の劇場で、映画の幕間に歌や踊りのレビュー・ショーを披露している、まだ新しい劇団なのだという。
梅吉は鈴子を連れてそれを見に行った。

そこで鈴子は、USKの「胡蝶の舞」という出し物を見た。
大和礼子(蒼井優)と橘アオイ(翼和希)を中心とした、華やかな衣装の歌と踊りだった。
あまりのかっこよさに、鈴子は全身に鳥肌が立つほどだった。

しかも、翌日がUSKの入団試験日だという。鈴子はそれを受験することを決めた。

試験当日、USKの事務所にやってきた鈴子であったが、なんと試験日を読み間違えていた。入団試験は前日に終わってしまったのだと追い返されそうになった。
しかし、鈴子は引き下がらずに食い下がった。来年の試験日を待つと、自分はライバル劇団である花咲に行ってしまうかもしれない、そうなると花丸にとっては大きな損失だと話し始めた。今年は背が小さくて不合格になってしまったが、来年までには背が伸びる。そうすれば合格間違いなしだと主張した。母・ツヤ(水川あさみ)も鈴子にどれだけ才能があるかを捲し立てた。
一度、鈴子の歌を聴いてみてほしいと頼み込んだ。

事務職員たちはほとんど無視を決め込んでいたが、林部長(橋本じゅん) は1曲だけ歌うことを許した。そうすれば納得して帰っていくだろうと思ったのだ。

鈴子は十八番の「恋はやさし野辺の花よ」を朗々と歌いあげた。
目も合わさず書類仕事を続けていた職員たちであったが、態度には出さずとも、たしかに鈴子の歌には感じ入るものがあると思えた。

歌い終わると、林部長は部下に入団手続きを進めるよう命じた。どうせ今年の新人もすぐに何人か辞めるだろうから、帳尻はあうだろうと言い訳した。上層部は自分が説得すると話した。

こうして、鈴子の梅丸少女歌劇団への入団が決まった。

* * *

続きを読む

NHK『ブギウギ』第4回

昨日公開された福来スズ子(趣里)の『東京ブギウギ』がレトロな歌い方ですごくいいなと思った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第4回めの放送を見ましたよ。

* * *
第1週『ワテ、歌うで!』

小学校卒業後の進路に悩んでいた鈴子(澤井梨丘)は、母・ツヤ(水川あさみ)の言葉に従って、自分がこれだと思うものはなにか考えていた。
そして、やはり自分は歌と踊りが大好きだと悟った。そうしている時が一番楽しいし、披露することでみんなが喜んでくれるのも嬉しい。

鈴子は花咲音楽学校に入りたい旨を両親に伝えた。
すると、母・ツヤも父・梅吉(柳葉敏郎)も即座に大賛成した。何も聞くことなく、笑顔で受け入れて応援してくれた。
鈴子は学費のことを心配したが、両親は何も心配することはないと答えた。

その夜、梅吉とツヤはふたりで話し合った。
鈴子の前では金の心配はいらないと豪語したものの、実際には工面に苦労しそうだった。
それでも、鈴子が自分でやりたいと言ったことはやらせるという方針を以前から決めており、なんの躊躇もなかった。金のことは楽天的に捉えていた。
そもそも、何でも好きなことをやらせるという方針は、母・ツヤの提案だった。なので、ツヤは鈴子から進路の相談を受けた時にほとんど口出ししなかった。その代わり、自分でやりたいものを見つけろとだけ話したのだ。そして実際、鈴子は自分で道を見つけ出した。梅吉は、ツヤの子育ての巧みさに感心した。

翌日から、鈴子は花咲音楽学校の入学試験に向けた準備を始めた。歌や踊りのほか、学科試験や面接もある。それらの稽古に励んだ。
そして、試験を受けた。鈴子は全ての科目において、満足に実力を発揮できたと思った。

試験当日に合格発表が行われた。
しかし、鈴子は不合格だった。
鈴子は、付き添いのツヤに抱きついて泣いた。自分より歌や踊りの下手な者が合格しているのは、自分がチビだからだと嘆いた。

* * *

続きを読む

NHK『ブギウギ』第3回

昨日のマクラでは「蒼井優さんが早く出てこないかと楽しみにしている」と書いたのだけれど、6年前には『わろてんか』の2回めのマクラで「岡本玲さんが早く出てこないかなと、それだけを楽しみにしている」と書いているのを見つけて苦笑した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第3回めの放送を見ましたよ。

* * *
第1週『ワテ、歌うで!』

鈴子(澤井梨丘)がタイ子(清水胡桃)と一緒に縁日に出かけると、同級生の男子たちと偶然出くわした。その中には、タイ子が片想いしている松岡(湯田大夢)もいた。
彼らは、鈴子が松岡に宛てた恋文を書きかけているのを以前に目撃していた。実際にはタイ子のために代筆していたものだが、男子たちは鈴子は松岡のことが好きだから探しに来たのだろうとはやし立てた。

そのやりとりを聞いていた鈴子の弟・六郎(又野暁仁)は、松岡のことが好きなのは鈴子ではなくタイ子であるとバラしてしまった。まだ幼くて、なにかとドジな六郎は空気が読めないのである。
男子たちは、より一層はやし立てた。松岡が、芸者であり妾の子であるタイ子に惚れられたと言ってからかった。
鈴子は激しく腹を立て、松岡を除いた男子3人を相手に取っ組み合いの喧嘩を始めた。

それまでうつむいて黙っていたタイ子であったが、ついに声を上げた。自分が松岡のことを好きであることを認めた。過去に学校でお漏らしをしたとき、松岡が慰めてくれた。それ以来、ずっと松岡のことが好きなのだと白状した。
しかし、松岡は他に好きな人がいると言って、タイ子の告白を拒絶した。鈴子は松岡に食ってかかった。なぜタイ子の愛を受け入れないのかと激しく問い詰めた。

タイ子は鈴子を止めに入った。
タイ子は、松岡に気持ちを言うことができてスッキリして、未練はないと言う。そして、以前から鈴子のようにはっきりとものを言える人になりたいと思っていたと話した。今日、松岡に気持ちを伝えるという形で、やっとそういう人になれた。鈴子のおかげだと感謝し、鈴子への恩返しができたと言った。
ふたりは松岡のことはそっちのけでご機嫌になった。手を繋いで歌いながら仲良く帰っていった。
そんなふたりに、松岡は「なんかええな」と声をかけた。

その年の暮れ、大正天皇が崩御し、元号が昭和に変わった。
1927年(昭和2年)、小学校卒業が間近に迫り、鈴子は進路を考えるべき時期になった。

タイ子は女学校へ進学することになったという。家が貧しく学費のことが心配であったが、芸者である母の客であり、タイ子の父である男が援助してくれることになったと言う。タイ子は勉強が得意であり、鈴子はよいことだと思った。

一方の鈴子は、卒業後の進路が明確に描けていなかった。
実家の風呂屋の仕事は好きなので、漠然と家業の手伝いをするものだと考えいた。しかし、歌や踊りも得意であり大好きだ。タイ子に教えてもらった花咲歌劇団のことも少々気になる。けれども、養成学校に通うのにも金がかかり、現実的ではないと思っていた。

父・梅吉(柳葉敏郎)に話を聞いてみると、「卒業後のことは卒業してから考えればいい」と言って、ほとんどあてにならなかった。
母・ツヤ(水川あさみ)には、彼女の昔の夢を聞いてみた。ツヤは外国に行くのが夢だったと答えた。海の近くで育ったので、その向こうにはどんな国があるのだろうかといつも考えていたのだと言う。

そしてツヤは、人は自分がこれだと決めたことで生きていくのだと話した。そしてまた、それが何なのか探し続けるものだとも話した。今の自分は風呂屋をすごく楽しんでいると言った。
鈴子は、自分にとってはそれがなんなのか考え始めた。

* * *

続きを読む

NHK『ブギウギ』第2回

蒼井優さんが早く出てこないかと楽しみにしている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第2回めの放送を見ましたよ。

* * *
第1週『ワテ、歌うで!』

鈴子(澤井梨丘)の実家・はな湯の常連客の中に、”アホのおっちゃん”と呼ばれる男(岡部たかし)がいた。彼はいつも「金を落とした」と言ってタダで入浴している。鈴子は、なぜそれを許しているのか、母・ツヤ(水川あさみ)に尋ねた。

ツヤによれば、彼は初めての客だったと言う。
5年前にはな湯を開店した日、なかなか客が来ず、ツヤと父・梅吉(柳葉敏郎)は不安でたまらなかった。香川から大阪に出てきて10年間、様々な仕事に就いたがどうにもうまくいかなかった。梅吉の思いつきで銭湯を始めることになったが、また失敗するのではないかと思われたからだ。

そこへ、アホのおっちゃんがふらりとやってきた。たいへん身なりが汚く、本人は10万円もの大金を落として無くしてしまったと言っているが、嘘であることはほぼ明らかだった。
そんな彼を見て、梅吉は彼を無料で風呂に入れてやった。梅吉は、彼が何かに困っているのだろうと同情すると同時に、初めての客として験担ぎだと言って笑っていた。アホのおっちゃんは、お礼だと言って店の看板を作ってくれた。その看板は今でも入り口に掲げられているし、アホのおっちゃんは今でも通ってくる。

初めこそ無線入浴について小言を言っていたツヤであったが、アホのおっちゃんが気持ちよさそうに入浴する姿を見ているとやりがいを感じるようになり、初めての客としての恩も感じるようになった。
それこそ「義理と人情」だと話した。

「義理と人情」という言葉を聞いた鈴子は、自分にも恩を返すべき人物がいると思いついた。
その相手とは、親友のタイ子(清水胡桃)だ。
鈴子は1年生の時に大阪市福島に引っ越してきた。転校生として不安だった時、初めに声をかけてくれて友達になったのがタイ子である。その恩を返したいと思った。

タイ子は、同級生の松岡に片想いしている。鈴子はその恋を成就させようと試みた。
タイ子が躊躇するのもお構いなしに、易者(なだぎ武)に恋愛運を占わせたり、松岡と二人っきりにさせようとしたり、恋文の代筆をしたりした。

初めは鈴子にされるがままだったタイ子だったが、ついにやめてほしいとキッパリと言った。
タイ子の母は芸者であり、タイ子は客の子だった。タイ子の父は、たまに家に通ってくるだけだった。
それだけならまだしも、タイ子は「妾の子」と同級生からからかわれたこともある。恋愛沙汰でこれ以上悪目立ちをしたくないのだと言って立ち去ってしまった。

家に帰った鈴子は、母・ツヤに相談した。鈴子にはタイ子の言い分が全く理解できなかったのだ。色恋や生まれのことをとやかく言う方が馬鹿げているので、タイ子は堂々としているべきだというのが鈴子の意見だった。
ツヤは、鈴子にとって平気なことでも、タイ子がそうであるとは限らないと諭した。誰しも、言われると辛いことの一つや二つはある。それを他人が気にすべきでないと言うのは筋違いだと説明した。
一方で、鈴子のお節介なところは長所だと褒めた。加えて、タイ子が嫌なことをはっきりと言えたところも長所だと指摘した。鈴子にもそうなってほしいと話すのだった。

翌日、鈴子はタイ子に謝罪した。タイ子はすぐにそれを受け入れ、ふたりの仲は元通りになった。
その日、ふたりで天神の縁日に出かけた。たくさんの屋台を見て周り、ふたりは楽しい気分になった。

そのままふたりで将来の夢を語った。鈴子は、家業の銭湯を継ぐつもりであると話した。
タイ子は小学校を卒業したら女学校に進学したい話した。さらに欲を言えば、花咲音楽学校に行きたいと言う。しかし、どちらに行くにしても、家が貧しいから無理だと諦めていた。花咲音楽学校に行くにしても、金がないばかりか、タイ子は音痴だから合格しないだろうと嘆いた。

鈴子は、花咲音楽学校とは初耳だった。
タイ子は、そばで売られていたブロマイドで説明してくれた。ヨーロッパ風の歌と踊りを取り入れた大人気の歌劇団があり、それを養成するための学校なのだという。
鈴子は、歌って暮らせることに憧れを抱いた。

* * *

続きを読む

NHK『ブギウギ』第1回

本日は僕の最愛の山瀬まみさんのお誕生日であることをお喜び申し上げる当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第1回めの放送を見ましたよ。

* * *
第1週『ワテ、歌うで!』

1926年(大正15年)、大阪市福島。
主人公・花田鈴子(澤井梨丘)の実家は銭湯・はな湯を営んでいた。
小学生の鈴子は、勉強は苦手であったが、歌と運動は大好きで得意であった。男児に混じってメンコをすれば、彼らを打ち負かした。実家の銭湯では、客から請われると喜んで歌って聞かせた。鈴子は少々おてんばなところもあったが、家族や近所の人たちからかわいがられる子どもだった。

父・梅吉(柳葉敏郎)は映画や芝居、酒が大好きで、仕事にはあまり身の入らない男だった。それでも夫婦仲は良く、母・ツヤ(水川あさみ)は明るく気丈に銭湯を切り盛りしていた。弟・六郎(又野暁仁)はトロくさい子であったが、鈴子は彼の面倒をよく見ていた。
実家の銭湯・はな湯にはいつも近所の常連たちが集まり賑やかであると同時に、みんなの憩いの場だった。

鈴子の一番の親友は、同級生のタイ子(清水胡桃)だった。
彼女の母は日本舞踊の師匠であり、鈴子はそこへ踊りの稽古に通っていた。きっかけは母・ツヤから「芸は身を助ける」と言われたことであったが、今では踊りが大好きになった。師匠から筋が良いと褒められ、うれしかった。

一方で、鈴子は色恋のことにはてんで疎かった。
親友・タイ子は、同級生の松岡に片思いをしている。松岡は鈴子のメンコの対戦相手である。タイ子の気持ちを知っている鈴子は、タイ子も一緒に遊ぶよう誘うが、彼女は恥ずかしがって加わろうとしない。鈴子には、松岡の異性としての魅力がわからないのと同時に、タイ子が恥ずかしがる気持ちも理解できなかった。

* * *

続きを読む

ギターで表彰された話

Green Day に “Wake me up when September ends” という曲のあることを最近知った。同バンドのヴォーカル Billie Joe Armstrong が少年時代に父親を亡くした悲しみについての歌だそうだ。父が亡くなったのは9月だったので、その月はずっと眠っていたいという内容だ。

その曲に倣ったわけではないけれど、そろそろ9月も終わるし、当ブログもなんか書こうかと。
続きを読む

君と花火

今日はバンフェスでした。
バンフェスってのは、「バンドフェスティバル」の略称です。僕が通っている音楽教室の発表会です。今まで当ブログでは、より一般的な呼称である”バンド発表会”と表記していました。その方が直感的にわかるかと思って。
しかし、今がシーズン真っ盛りの夏フェスと語感が似てるし、良い機会かなと思って、バンフェスと書くことにしましょう。

今回もいつものメンバーであるところの、ボーカル女子、ドラム女子、キーボードおっさん、ギター俺という布陣で参加です。
我々は季節にあった曲を演奏するということを信条にしているので、夏らしい曲を2曲演奏させていただきました。
続きを読む

レスポール女子あつめてみた

今日は、ギタリスト Les Paul (1915-2009)の誕生日であり、僕がずっと憧れていたエレキギターの Gibson Les Paul を買った1周年の日なので、YouTube から Les Paul を持った女子ギタリストを集めてみた。
レスポールを持っているのはいいとして、女子ギタリストでなければならない理由はないのだけれど、それはそれです。
続きを読む

Charはんの客イジリ

今日はサウンドメッセ in Osaka 2023の見学に行きました。ギターやウクレレに関する楽器関連企業が数十社集まる展示会です。
このイベント全体のレポートは割愛します。ここを見にくる常連読者の多くにとっては、たぶんあまり興味がないことだろうから。

その代わり、日本を代表するギタリストである Char についてちょっとしたメモを残しておきたい。ギターに留まらない、彼の人間性に惚れたから。
続きを読む

NHK『らんまん』第1回

本作の公式サイトがあまり整備されておらず不安しかない当方が、NHK朝の連続テレビ小説『らんまん』の第1回めの放送を見ましたよ。

* * *
第1週『バイカオウレン』

慶応3年(1867年)。
槙野万太郎(森優理斗)の生家は、藩から名字帯刀を許された豪商の本家であり、土佐の由緒ある造り酒屋である。
彼の祖父や父はすでに亡く、名目上は万太郎が当主ということになっているが、実際は祖母・タキ(松坂慶子)が一家や分家を取り仕切っている。母・ヒサ(広末涼子)は病弱で、床に伏せがちであった。姉・綾(太田結乃)は主に母の介護をしていた。

万太郎本人も肺や心臓が弱く、激しい運動を禁じられていた。槙野家の使用人の中には、万太郎と同年輩の子どももいるが、万太郎は仕事を命じられることもなく好き勝手に遊んでいるばかりだった。

今日は、半年間にわたった醪仕込みの最終日である。樽を洗浄し、出稼ぎに来ていた蔵人たちは故郷へ帰っていく。そのため祝宴が行われることになっていた。家の男たちも女たちも、朝から大忙しであった。

そんな中、やはり万太郎は遊んでばかりいた。何もしていないのに、祝宴のご馳走を誰よりも楽しみにしていた。台所から菓子を二つ盗み出し、友達に分けてやるために家を抜け出した。

普段から走ったりしないよう言いつけられていた万太郎であったが、街中で同年代の子どもたちが走り回っているのを見たら、自分も平気だと思われた。それで、友達の家へ駆け出した。
しかし、にわかに胸が苦しくなり、友達の家にたどり着くなり倒れ込んでしまった。家に担ぎ込まれ、医者の往診を受けた。大事には至らなかったが、しばらく安静にしている必要があるとのことだった。せっかくの宴会に参加することもできず、寝かされてしまった。

蔵人たちを労う宴会が始まった。
小間問屋を営んでいる分家の豊治(菅原大吉)は万太郎が倒れ、宴会に姿を見せないことに嘲笑った。彼の息子・伸治(坂口涼太郎)は、万太郎の歳の頃には立派に店の手伝いをしていた。それに比べて、本家の跡取りであるはずの万太郎は遊んでばかりで当主らしいことは一切しないばかりか、病弱で宴会に顔を出すこともできない。槙野家の先行きも不安だと嘆いた。

別室で横になっていた万太郎は、豊治が廊下でこそこそと万太郎の悪口を言っているのを聞いてしまった。豊治は万太郎は生まれてこない方がよかったとまで言い出した。

* * *

続きを読む