今朝1回限りでやめてしまった『ごちそうさん』まとめ記事のラストには、「次は、あの朝ドラで会いましょう。」とだけ書いて作品名は曖昧にしておいたのだが、2014年度上期に吉高由里子主演で放送される『花子とアン』(制作発表)ではなく、これまで一度も見たことのなかったこの作品を指していたのですよと、ネタばらしする当方が、2001年度上期NHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』の第1回めをBSプレミアム19:00の再放送で見ましたよ。
沖縄県の八重山諸島に属する小浜島に、古波蔵(こはぐら)一家が住んでいた。
古波蔵恵文(堺正章)は三線ばかり弾いていて、真面目に働かない男だった。一方、その妻・勝子(田中好子)は働き者だった。ふたりはサトウキビ農家として生計を立てていた。ただし、畑に出ても恵文はサボってばかりで、もっぱら勝子が仕事に精を出していた。それでも夫婦仲は良かった。
勝子の実家は那覇にあり、小浜島の古波蔵へ嫁いできた。姑・ハナ(平良とみ)と同居しているが、嫁姑の関係は良好だった。むしろハナは、実の息子よりも勝子の味方をすることが多いほどだった。他に、息子の恵尚(宮谷恵多)がいた。
1972年(昭和47年)5月15日、それまでアメリカの占領下にあった沖縄が日本へ返還された。
沖縄の人々の生活が劇的に変わるわけではなかったが、恵文はそれを好機だと捉えた。日本人が自由に行き来できるようになるので、小浜島にも大勢の観光客がやって来ると読んだのだ。自宅で民宿を経営すると言い出した。
ハナはいつも恵文の思いつきに振り回されるのでまともに相手にしなかった。夫に口答えすることがほとんどない勝子は、何も言わずにいた。
その日、それよりも大きな出来事は、身重だった勝子が産気づいたことだ。そうして無事に長女・恵里が生まれた。長男の恵尚と同様に、父・恵文から一文字授けられた名前だ。恵文はたいそう喜び、恵里に「ちゅらさん」と呼びかけた。それは沖縄の言葉で、美しいという意味だった。
1983年(昭和58年)11月、恵里(浦野未来)は小学5年生になっていた。
現在、兄・恵尚は石垣島の高校に入学し寮生活を行っている。古波蔵家には、次男・恵達(村上雄太)が生まれ、恵里と同じ小学校に通っている。恵里の夢は、祖母・ハナのように立派なおばばになることだった。恵里はいくぶんおてんば娘に育ち、弟の恵達にも威張ってばかりいた。
恵文の開いた民宿は、最初の年こそ何組かの客が来たが、その後は全く客足がなかった。恵里は物心ついて以来、一度も客を見たことがない。恵文と勝子は相変わらずサトウキビ畑で働いており、その稼ぎでは一家が食べていくだけで精一杯であり、蓄えをすることもできていなかった。
勝子は一家の将来が不安になった。特に、子どもたちの教育費が全くないことを心配した。これからの時代は大卒が当たり前になると言われているのに、一家には子どもたちを大学に行かせる余裕が無いからだ。勝子は、恵文に那覇へ引っ越すことを提案した。そこで稼ぎのいい仕事に就き、子どもたちの養育費を捻出しようと提案した。ハナは勝子の意見に半ば賛成だった。
しかし、恵文はのらりくらりと受け答えするだけで、小浜島を出るつもりは全くなかった。
まさにその時、東京の客から予約電話がかかってきた。母と2人の息子で長期滞在したいのだという。恵文は喜び勇んでそれを受け入れた。勝子も、客が来るということで那覇行きの提案を引っ込めた。むしろ、10年ぶりの客を受け入れる準備に張り切るのだった。
電話の翌々日、東京からの客を出迎えるため、恵文と恵里は港へ向かった。
港に入ってきた小型船には、上村母子が乗っていた。母・静子(真野響子)は、小浜島が見えてくるにつれ、何もない町並みに不平を言った。この島に来たいと言い出したのは、長男の和也(遠藤雄弥)だったのだ。和也の病気療養のため、次男・文也(山内秀一)と共にやって来たのだ。静子は、和也の快復のためにはなんでもする気でいた。
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