映画『小さいおうち』

chiisai-ouchi160x40朝ドラ『純と愛』において、ヒロイン(夏菜)が就職面接を受ける際に同じく応募者としてその場に出演していたのが女優の黒木華さんであり、その姿を見た瞬間に彼女に一目惚れしたという経歴を持つ当方が、映画『小さいおうち』(監督・山田洋次、主演・松たか子、助演・黒木華ほか)を見ましたよ。

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1936年(昭和11年)、日本は中国との戦争を行っていたが、国内は繁栄し好景気に湧いていた。

近頃、玩具メーカーの重役・平井(片岡孝太郎)は東京の小高い丘の上に家を新築した。その家はそれほど大きなものではなかったが、西洋風のモダンな建築様式で真っ赤な瓦屋根を有している。近所でも評判の建物だった。平井には妻・時子(松たか子)と幼い息子の恭一(秋山聡)があった。
当時、ある程度の収入のある家では女中を雇うことが当たり前の事だった。新しく家を構えたこともあり、平井は新しい女中を雇うこととした。

そこへやって来たのが、山形の寒村出身のタキ(黒木華)だった。1年前に村を出る時こそしゃべりから訛りが抜けていなかったが、元々聡明であったことに加え、東京の小説家(橋爪功)の家で女中の基本を仕込まれたこともあり、平井家に来たとたんに立派に女中として働き始めた。
時子はタキのことをよくかわいがったし、息子の恭一も彼女によく懐いた。タキは一家のために全身全霊をかけて尽くそうと思うのだった。また時子は管弦楽や洋風の喫茶を趣味にするなど、先進的で洗練された女性だった。タキはそんな時子への憧れも強く抱くのだった。

ある年の正月、平井の玩具メーカーの新人デザイナー・板倉(吉岡秀隆)が年始の挨拶にやって来た。彼は美術学校出身で、就職した後もモダンな長髪で芸術家風だった。どこか社会の大人たちに馴染めない様子であるらしく、平井家の新年会でも会社の仲間たちと仕事や世情の話をするよりも、平井の子どもに絵本を読んでやる事の方が落ち着くらしかった。

時子とタキは、板倉の独特な雰囲気に惹かれた。

日本の戦局が悪化し、景気もひどく落ち込んだ。平井の務める玩具メーカーは材料不足や需要減少の煽りをもろに受けた。そんな中、会社の重役たちは独身の板倉に白羽の矢を立てた。彼を名士の娘と結婚させて、会社を支援してもらうことを目論んだのだ。多くの若者たちが戦地へ行っており、適齢期の男は少なかったのでチャンスがあったのだ。しかも、板倉は目と気管支が悪く徴兵される見込みがなかった。名士たちにとっても、娘婿が戦争へ行くことは望まないので願ったりかなったりだったのである。

数人の候補者がすぐに見つかり、板倉の見合いの段取りは時子に任されることとなった。夫に命じられてその役を引き受けたものの、時子は板倉が政略結婚の道具に使われることをよく思わなかった。板倉の方も自分に結婚はまだ早いと考えており、何かと言い訳をつけては見合いを断り続けた。話の進まないことを夫に叱責されながらも、時子は板倉の味方であり続けた。

見合いの打ち合わせとして何度も顔を合わせているうちに、時子と板倉は互いに強く惹かれ合うようになった。そして、板倉の下宿で男女の契を交わした。

ふたりの関係に最初に気付いたのはタキであった。見合いの打ち合わせに出かけた前後で時子の帯の結び方が変わっていたからである。しかも情交は一度きりではないらしい。加えて、御用聞きの酒屋(螢雪次朗)も彼らの関係を怪しんでいるらしく、彼はタキに気をつけるよう促すのだった。

タキは葛藤に陥った。時子を先進的な女性として崇めるタキは、彼女の恋愛を応援したいと思う。一方で、平井家の幸福や平和を第一に考えるタキは、時子の不倫を露見させるわけにはいかないのである。

日本の戦局はますます悪化し、徴兵の範囲が広がった。そのため板倉にも召集令状が届いた。
板倉が東京を発つ前日、時子は彼に会いに行こうとした。それをタキは押し留めるのだった。タキはふたりの関係が噂になりかけていることを忠告し、時子が出かけるべきではないと説得した。その代わり、彼を平井家に呼び出すのが良いと助言した。会社員が上司の家に出入りするのならば不自然はないからである。

タキは、時子に手紙を書くよう言い、それを自分が板倉に届けると申し出た。そうすれば彼はきっと会いに来るだろうと言うのだ。時子は短い文を封筒に入れた。それを預かったタキは、すぐに家を出て板倉の下宿へ向かった。

しかし、結局、板倉は会いに来なかった。

その後、日本の劣勢はますます激しくなり、タキは郷里の山形に帰ることになった。終戦後、タキは平井家の消息を訪ねに来た。そこでわかったことは、平井夫婦は庭の防空壕で抱きあうようにして死んでいたということであった。息子の恭一の行方は知れなかった。

平成になり、タキ(倍賞千恵子)は親戚・健史(妻夫木聡)の勧めもあり、平井家での思い出をノート数冊に書きあげた。彼女の死後、遺品整理中にタキが保管していた写真など、数点の平井家縁の品が見つかった。

ひょんなきっかけから、健史は平井家の息子・恭一や板倉の終戦後の足取りについて調べ始めるのだった。

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無鮨 むら田 に行ってきた

『あっぱれ1ニッポン国民遺産の山瀬まみ

『あっぱれ1ニッポン国民遺産の山瀬まみ

2014年1月13日放送の『あっぱれ!ニッポン国民遺産』で山瀬まみが大阪市にあるすし店の取材を行っていた。
山瀬ファンの当方としては、もちろん同じ店に行かなくてはならないのである。だから行ってきたのである。

店は、大阪市北区のいわゆる北新地にある「無鮨 むら田」。
番組では主に以下のように紹介されていた。

  • 鮨の味は無限にあると考え、店名に『無鮨』とある。
  • 店主は手元を見ずにきゅうりの千切りを作る。
  • 大阪北新地という有名な歓楽街にあるのに、ランチはたった1000円。

そして、山瀬ファンの当方はテレビ画面を凝視し、山瀬まみの座った席がカウンターに向かって右から4つめだということを突き止めた上で店に向かった。
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掃除機と通販と山瀬まみ

中学生の時、僕に片思いしてくれていたクラスメイト女子がいたわけで、彼女が僕と会話のきっかけを作りたかったらしく「山瀬まみの新しいCDが出たんだって?聴いてみたいから貸して」なんて言ってきたことがあり、彼女の気持ちになんとなく気づいてもいたし悪い気もしなかったので、翌日に山瀬まみのロックアルバム『親指姫』を貸してあげたという青春の1ページを思い出す当方が、通販生活の山瀬まみが掃除機を紹介するCMはまだ見てないんだけれど、新聞折込広告の写真を見ましたよ。

通販生活のチラシ2種

通販生活のチラシ2種。すてきな奥さん風に掃除機を構えている。

これはマイミクのますたぁさんが購読している新聞に入っていたものだそうだ。写真を撮って送ってくれた。おまけに、郵送で譲ってくれることになった。アムロ風に言えば、こんなに嬉しいことはない。

とても嬉しいことに2枚もある。池田勇人風に言えば、山瀬倍増計画だ。さらに嬉しい事といえば、チラシをよく見れば表題が2種類あって、それぞれ「通販生活」と「朝日新聞」になっている。

もしかしたら他の新聞社バージョンもあるかもしれない。生粋の山瀬ファンとして、全種類集めたいと思うのは当然だ。1月15日の新聞に折り込まれていたそうなので、お持ちの方がいらっしゃればぜひご連絡ください。
宛先はこちら
山瀬指差し(2014国民遺産)

matuda@alm-ore.com

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毎年成人式の時期になると思い出すこと

2001年に読んだ新聞記事。

山岸俊男 独立心を育まない社会 米国から見た「成人式」(産経新聞 2001年1月29日 夕刊 3面)

(前略)

騒ぎはさておき、正直言って驚いたのは、いまだに、新成人を一堂に集め「えらいさん」が祝辞を述べるというかたちでの成人式が続いていて、それに多くの新成人が参加しているという事実である。

(中略)

 私自身は大学の卒業式も拒否していた世代だから、もちろん成人式になど出たことはない。出たいと思ったこともない。成人式などに平気で出席し、「えらいさん」の教訓をおとなしく我慢して聴くことのできる「大人」がいるなど、私には想像もできない。例えば不惑(まどわず)の日なる祝日を作って、新しく四十歳になった新不惑人を対象に、不惑式(まどわずしき)なるものを自治体が実施したとしよう。その式典には「えらいさん」が出席してありがたい教訓を述べる。「あなたたちはもう不惑の年になったのだから、これからは不倫などに心を惑わされることなく、社会の役に立つ不惑人になりましょう」、などと。

 そんな式典に参加し、「えらいさん」の祝辞をありがたく拝聴したいと思う新不惑人がどれほどいるだろう。少なくとも私にはそのような場は我慢できないだろう。それは多くの読者も同じではないだろうか。それなのに、なぜ新成人は同じような式に出席し、ありがたいお言葉をおとなしく聴くのが当然だと思えるのだろう。それが当然だと思う人は、多分、二十歳の成人を一人前の大人として認めていないからなのだろう。

 新成人を半人前扱いにすることに何の疑問も抱かないこのような社会の態度は、多分若者たちの独立心の欠如と合い呼応しているのだろう。

(中略)

 いわゆる「パラサイト・シングルズ」を生み出しているのは、実は一人前の大人であるはずの新成人を半人前扱いする、このような成人式のありかたに何の疑問も感じない社会なのだということを、われわれはそろそろ理解してもいいのではないだろうか。

(後略)

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やしきたかじん死去


今朝、やしきたかじんさん主演の夢を見て目を覚ました当方が、やしきたかじんさんがお亡くなりになったというニュースを知りましたよ。

やしきたかじんさんには特に思い入れがあったわけではないですが、難波にあった彼プロデュースのラーメン屋(すでに閉店)ではよく食事させてもらっていました。

コンビニの中心で内田有紀を思う

2014-01-07 22.06.15先ほど、コンビニで缶ビールを2本だけ買おうとした。

僕が2本の缶をレジの前に置くと、店員さんは手早くスキャナでバーコードを読み取った。最近のコンビニでは、ビールを買うと年齢確認が行われる。ディスプレイに年齢確認のためのボタンが表示され、それを客が自ら押さなくてはならないことになっている。店員さんがビールのバーコードを読み取った瞬間、やはり年齢確認ボタンが表示された。店員さんはマニュアル通りに「確認ボタンを押してください」と口頭で述べた。

僕はコンビニではいつもスマホのおサイフケータイで支払いをする。その意思を店員さんに伝えるタイミングが、偶然にも確認ボタンを押すよう促す店員さんと一致した。店員さんはテキパキと電子マネーでの支払いに切り替えてくれた。そして、また偶然にも、僕が確認ボタンを押すタイミングと一致した。

商品バーコードの読み取り、年齢確認処理、電子マネー支払いへの切り替えという3つの動作が瞬時に終了した。店員さんはまとめの動作として、購入合計額を弾きだした。そして店員さんは、小さな買い物袋を取り出し、2本のビールをそこへ入れようとした。

僕はスマホを読み取り機にかざそうとして一瞬手を止めた。購入金額にはビール1本分しか計上されていないのだ。
「俺の男が試されている」
そう思った。
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あけましてまめぶとうございます

旧年中は『あまちゃん』でお騒がせした当方ですが、その慣性のまま新年に突入し、北三陸市(久慈市)名物のまめぶ汁で年を越しています。

まめぶ汁

まめぶ汁


2014年もまめぶのように甘いんだか辛いんだかよくわからない感じで生きていこうと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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