NHK『カーネーション』第142回

3月からヒロインを含めほとんどのキャストが入れ替わったことに関して「糸子が味わったのと同じ『喪失感』を視聴者にも追体験させるための壮大な演出である」という説のあることを小耳にはさみ、それならそれで仕方ないか・・・と納得してしまった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第142回目の放送を見ましたよ。

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第25週「奇跡」

病院のファッションショーにおいて、患者をモデルとすることを糸子(夏木マリ)が強硬に主張した。患者に万が一の事があった場合を心配する総婦長・相川(山田スミ子)であったが、不承不承それを受け入れた。院内のあちこちに張り紙を出し、広く門戸を開いてモデルを募集することになった。

その病院に入院している奈津(江波杏子)もその張り紙を意味深げに眺めていた。しかし、そのことを誰にも知られないように注意していた。院内で糸子の姿を見かけても、奈津は特に話をしようともしなかった。むしろ、ふたりは早足で歩き、相手を抜いてやろうと無言で競い合った。

モデル募集には、15人の枠に対して54人もの希望者があったという。そのうち病院スタッフは13人のみで、ほとんどが患者であった。応募してきた患者の申込用紙には、カルテと照合した本人の病状の軽重が記されていた。総婦長・相川は、病状の軽い者の中からモデルを選ぶよう促した。

しかし、糸子の意見は正反対だった。より重い病状の者から優先的にモデルにすべきだというのだ。今はまだ夏であり、ファッションショーの行われる10月までは時間がある。病状の重い人が10月のショーに出たいということは、将来に対する夢を抱いたということだ。自分の病気を悲観することなく、夢を持った人々の希望を叶えてやりたい、彼女らを落胆させることはできないと主張した。

けれども、総婦長、および病院側にも言い分はあった。病院は、患者が治療に専念する場所である。それが病院の責任である。その責任を自ら放棄するわけにはいかないと言って、相川は譲らなかった。
結局、病院スタッフから7人をかき集め、残りは病状の軽い患者4人、重めの患者4人をショーのモデルとすることとなった。

糸子は応募書類をよく確かめたが、やはり奈津は応募していなかった。
それでも、糸子は奈津の洋服を作ることにした。自分のものと揃いのデザインにして、自分が赤、奈津が白の洋服にすることにした。そして、ショーの最後にふたりで並んで出演することとした。ワクワクしながらデザイン画を描きあげ、本番でふたりがにこやかに登場する場面を想像した。ふたりの長い腐れ縁の果てに、そういった晴れ舞台があることを思うと、顔がニヤケてしょうがなかった。

2001年(平成13年)8月。
ショーのモデルらとの顔合わせが行われた。糸子は膝とヘルペスを患っていることを自己紹介して患者たちに仲間意識を持たせつつ、ショーに関しては一切の妥協を許さないことを宣言した。その上で、今日から本番に向けて、モデル役には美しくなる努力をして欲しいと頼んだ。モデルが輝いてこそショーの価値が生まれるのであり、自分たちの輝く姿こそが観客に力を与えるのだということを肝に命じて欲しいと訓示した。
モデル役たちはその話に納得した。その後は、各人の衣装の打ち合わせや、採寸が行われた。終始、和気藹々とした雰囲気だった。

作業が全て終わると、糸子は帰宅前に奈津の病室を覗きに行った。
しかし、奈津のベッドはすっかり片付けられていた。病室の名札からも奈津の名前だけが消えていた。

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NHK『カーネーション』第141回

The Beatles の “She loves you” が脳内iPodでヘビロテ中の当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第141回目の放送を見ましたよ。

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第25週「奇跡」

奈津(江波杏子)が入院していると聞いた糸子(夏木マリ)は、すぐに病室を訪ねた。
奈津は昔から変わらずツンケンとした態度だったが、ポツリポツリと自分の来し方を語った。結婚後しばらくして、夫(ラサール石井)の故郷である四国に引っ越した。しかし、その夫に先立たれ、一人になってしまったため11年前に岸和田へ帰ってきたのだという。糸子は、奈津が音信不通になっていたことを責めるが、奈津はのらりくらりとしていた。その様子に糸子は呆れ返ってしまった。
しかし、糸子は嬉しかった。生きているうちに、再会できたことを奇跡だと思って喜ぶのだった。

奈津が帰ってきた時期というのは、ちょうど日本のバブルが崩壊した時期だ。それを境に、景気が悪くなってしまった。岸和田に大きなショッピングセンターができたことで、オハラ洋装店のある商店街もすっかり寂れてしまった。糸子の商売も芳しくない。店を訪れる客がめっきり減った。オハライトコ・ブランドも、シルバー向け市場の競争が激化して苦戦していた。
それでも、糸子がデザイナーとして有名であることに変わりはなかった。新聞社のインタビューを受けるなど、まだまだ活躍の場は多かった。

後日、糸子は再び病院を訪れた。奈津の病室を覗くものの、彼女の顔を見るだけで、声もかけずに立ち去った。奈津の方も、糸子に興味のなさそうな素振りをするだけだった。それで互いに不満はないようだった。

糸子が病院に来たのは、依頼されていた病院ファッションショーの打ち合わせのためだ。
しかし、打ち合わせは険悪な雰囲気で始まった。総婦長の相川(山田スミ子)は、仕事の合間に簡単にできる範囲で行うことを希望した。一方の糸子は、自分が引き受けるからには片手間では納得できないし、きっちりしたファッションショーにしたいと言うのだ。

特に、モデルの選出について大きく意見がわかれた。
糸子は、モデルについては、当初難しい注文はつけなかった。年齢・体型を問わず、15人いれば良いという。しかし、そのうち半分は入院患者から選ぶことを提案した。けれども、相川総婦長は入院患者をモデルにすることには反対であった。万が一のことがあったら病院として責任が取れないので、モデルはあくまで看護婦から選ぶべきだと主張した。
ますます雰囲気が悪化した。

糸子は、洋服の力を信じているといって説得を試みた。
病院スタッフが医療の力を信じて治療や看護に当たっているのと同様に、自分は洋服の力を信じているのだという。洋服は、人を慰め、勇気づけ、元気を与える力がある。だから、洋服で患者に力を与えたいのだという。患者が自身で洋服を着ること、またその姿を他の患者に見せることで、大きな力が生まれると信じているのだ。

半分が無理なら1人でも良いといって、糸子は頭を下げて真剣に頼んだ。

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NHK『カーネーション』第140回

昨日はmerveilleというお店でお食事会が催され、店の名称はフランス語で「奇跡」という意味だと教えてもらったのだが、某おねーさんの「きせきと言われて、『軌跡』かと思った」という発言はいいとして、某女の子の「えー、私は『鬼籍』かと思いました」というのはどーよ?と思った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第140回目の放送を見ましたよ。

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第25週「奇跡」

2001年(平成13年)7月。
糸子(夏木マリ)は88歳になっていた。この年になっても仕事を控えることはなく、テレビ・ラジオ出演や地方講演会などまで引き受けるようになり、糸子はますます忙しくなっていた。ただでさえスケジュールのやりくりが大変なのに、名士との付き合いの機会も増え、仕事と同じくらい遊びにも熱中していた。

糸子は、85歳を境に死生観が変わったという。
それまでは歳を取るのが嫌だったが、現在は自分の年齢が気にならなくなったという。世の中には楽しいことがたくさんあることを知り、死んでしまったらそれらをすることができなくなってしまう。だから、生きているうちにどんなことにでもチャレンジしたいというのだ。そして、今まで嫌いだったこともやってみると楽しいということがわかった。そうなると、死ぬのが嫌になって1日でも長く行きたいと思うようになったのだ。

けれども、糸子の体はあちこちにガタがきていた
4年前からヘルペスに苦しめられ、若い頃からの膝の不調も相変わらずだった。忙しいスケジュールの合間をぬって、頻繁に病院に通って検査や治療を受けていた。医者には、体のために仕事や酒を減らすように毎回言われるのだが、糸子はじっとしていると体の不調が気になる、だからついつい動きまわって気を紛らわすようにしているなどといって、態度を改めようとしなかった。自分でもそこに原因があることを自覚していながら、どうしても休む気になれなかった。

今日も病院に行くと、待合室でたまたま顔を合わせた病院事務長・香川(蟷螂襲)から声をかけられた。病院長・龍村(辰巳琢郎)を交えて話がしたいというのだ。香川と龍村は、病院でファッションショーを開催したいと話し始めた。毎年、病院では患者向けのイベントを行なっており、今年は糸子に協力してもらいたいというのだ。

香川の母は、糸子が1950年代に店でやっていた手作りのファッションショー(第98会)をよく見に行っていたという。その時のことを思い出した香川は、看護師がモデルになったファッションショーを思いついたという。馴染みのスタッフがきれいな衣装を来て出てくるのを見れば、患者たちも喜ぶだろうというのだ。
糸子は、その企画を二つ返事で引き受けた。10月に病院でファッションショーが行われることになった。

その後、世間話になり、龍村が桜井という患者の話を始めた。桜井は糸子の同級生だと言っているという。けれども、糸子には覚えがなかった。なにぶん、パッチ屋で働き始めるために女学校を中退した(第12回)後、同級生とはほとんど連絡を取っていない糸子なので、その名前に覚えはなかった。その他にも、病院には幼い頃の糸子の武勇伝を知っている老人も多いという。糸子にはさっぱり記憶のない話ばかりで、恥ずかしい思いをするのだった。

話が一段落した時、龍村がふと桜井のフルネームを思い出した。「桜井奈津」という名前だという。糸子は、奈津という名でやっと思い出した。
病室を覗いてみると、気品ある老婆(江波杏子)が背筋をシャンと伸ばしてベッドに座っていた。糸子の姿を見つけると、彼女は「なんや?なんか用け?」と静かに短く、ピシャリと言った。

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NHK『カーネーション』第139回

最近、某所で「ああ、そうね。人はこうやって恋に落ちていくんだね。」というのを目の当たりにし、正直そっちを見ている方が何倍も興味深く面白いと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第139回目の放送を見ましたよ。

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第24週「宣言」

1986年(昭和61年)7月20日。
ブランド「オハライトコ」の発表展示会が行われた。糸子(夏木マリ)らは朝から晩まで客や報道陣の対応に追われたが、大成功のうちに終わった。多数の取材を受け、翌日のマスコミで大きく取り上げられることは間違いないと思われた。

しかし、翌日の新聞では中村冬蔵(小泉孝太郎)が人間国宝に認定されたという話題が大きく扱われ、糸子の記事は脇に追いやられた。よりにもよって、冬蔵によって自分の晴れ舞台を邪魔されたことに糸子は憤慨するのだった。

けれども、テレビ出演や発表会の大成功により、オハラ洋装店(看板は「オハライトコ」になった)は連日大賑わいの大繁盛となった。

そんな中、里香(小島藤子)は東京の優子(新山千春)の所へ帰ることを決意した。
帰る日、糸子は店が忙しく、里香を駅まで見送ることができなかった。仕事の合間をぬって、リビングで里香に別れを告げた。世話になったことを涙ながらに感謝しつつ別れを惜しむ里香とは対照的に、糸子はきわめて明るくさわやかな態度を貫いた。一言二言声をかけると、糸子はサラリと仕事に戻った。

しかし、その夜、糸子はひとりきりになった家の中でしみじみと寂しさを感じていた。
寂しく思う心境を自分なりに分析し、相手のことが好きだから寂しいのだと自覚した。好きな人がそばからいなくなってしまうことが寂しいのだ。亡くなった人々の写真を眺め、ますます寂しく思った。
けれども、糸子は思った。自分がたくさん寂しい思いをするということは、それだけ好きな人が多いということだ。好きな人が多いということは、結構な話だと言って一人で笑った。

9月14日。だんじり祭の日。
優子と直子(川崎亜沙美)らと共に、里香が見物にやってきた。里香はすっかり清楚な装いになり、優子との関係も良好になっていた。勇壮なだんじりに里香はすっかり魅了された。
小原家ではいつものように宴会が催された。食材の買い出しを頼まれた里香は、家を出るや否や、だんじり衣装に身を包んだ神山(榎田貴斗)に出くわした。彼に綺麗な姿を見てもらおうと、里香は慌てて家に引っ込んで、身支度を整えなおすのだった。神山も、すっかり様子の変わった里香に見とれてしまった。

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NHK『カーネーション』第138回

またしても、まとめ記事の実演販売をすることになった(10日ぶり)当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第138回目の放送を見ましたよ。

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第24週「宣言」

糸子(夏木マリ)のブランドの宣伝を3人の娘たちに協力しようということになった。
しかし、糸子は反対だった。娘たちをライバル視し、彼女らを目の前において「仕事のことで助けられたくない」と啖呵を切ったことを思い出し、今さら頭を下げるわけにはいかないと意地を張っているのだ。やるなら、商社勤務で企画担当の高山(藤間宇宙)の勝手にしろと言い捨てた。
果たして、高山が無事に娘たち3人の宣伝協力を取り付けてきた。もう糸子は何も言えなくなった。

1986年(昭和61年)7月20日の発表展示会に向けて、作業に拍車がかかった。4月には商品ラインナップが確定し、試作品が完成した。6月に入るとロゴデザインの検討や、発表会の発送作業に追われた。

忙しくなる一方の中、糸子は遅くまで多くの仕事を1人でこなした。下請けの縫製工場の仕事が雑だといっては、自らミシンを操った。無理がたたって、昔からの弱点だった膝の痛みが悪化した。ミシン台から立ち上がろうとして尻餅をついてしまった。
一緒に暮らしている里香(小島藤子)は糸子の体調が心配でならなかった。密かに糸子の様子を伺っては、何かあったらすぐに助けられるように待機していた。糸子が床に転がってしまったのを見て、すぐに駆けつけた。

里香は、高齢の糸子が激務をこなすのをこれ以上見ていられなくなった。もう仕事はやめてくれ、苦しんでいる姿を見たくないなどと、泣きながら訴えた。
しかし、糸子は里香が考え違いをしていると言って笑い飛ばした。糸子は仕事が楽しくて仕方ないのだ。運動の選手が典型であるように、人は夢中になると苦しそうな顔になる。自分が仕事で苦しそうに見えるのは、夢中になっているからだと言って、里香を納得させた。

ブランドの発表展示会の前日、糸子は宣伝のためにテレビのワイドショーに出演することになった。
そこには、優子(新山千春)、直子(川崎亜沙美)、聡子(安田美沙子)の3人が勢ぞろいし、デザイナーとしての自分達の出自を語った。その中で、自分達3人の仕事の先輩であり、同時に厳しい父親のように育ててくれた存在があると説明した。それが自分達の母親だというのだ。

「お母ちゃん!」
と、3人が声をあわせて呼びかけると、糸子がスタジオに登場した。

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NHK『カーネーション』第137回

迷シーンの1つとして、テレビ出演したジョニー(浅利陽介)が女の子の黄色い声の中カッコつけて「みんなぁ、今年はお花見に行ったかぁい?・・・僕は行ったよ。(キリッ)」と呼びかけるシーンが挙げられるわけだが(第122回)、それと全く同じノリで「みんなぁ、昨日は山親爺のCMソングを歌ったかぁい?・・・僕は歌ったよ。(キリッ☆)」と呼びかける当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第137回目の放送を見ましたよ。

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第24週「宣言」

糸子(夏木マリ)の新ブランドの準備が始まった。

糸子と店の職人・水野(小笹将継)が中心となって、夜遅くまでデザインの検討を行った。水野は辛抱強い性格で、糸子の気まぐれで向こう見ずな注文にも文句ひとつ言わずに付き合った。
生地問屋・河瀬(川岡大次郎)や呉服屋の若旦那・吉岡(茂山逸平)が持ち込んだ和服用の反物を使ってシルバー向けのドレスを作ることになった。和服用の反物には大きくて複雑な柄があるため、どのように縫製するかを決めるのが難しかった。みんなは諦めかけるが、糸子は水野を使って粘り強く工夫し、なんとか形になりそうだった。

一方、経理や企画・宣伝などを任された2人はトラブル続きだった。商社のビジネスマン・高山(藤間宇宙)は矢継早に難しいことをまくし立てる。オハラ洋装店という商店街の店の経理しか行ったことのない孝枝(竹内都子)はそれについていけなかった。孝枝の飲み込みの悪さに高山は苛立ち、孝枝の方も我慢ができなくなって感情的になって泣き出してしまった。2人は全く歯車が噛み合っていなかった。
他に避ける人材もおらず、糸子は2人をなんとかなだめすかせて仕事をさせるほかなかった。

それでも、夕食時になるとみんなは和気藹々とした。里香(小島藤子)が食事係となり、みんなにカレーを振舞った。その時ばかりは皆の緊張がほぐれるのだ。
里香は確実に変化していた。外見も態度も、以前のような不良少女とは異なっていた。デート(デート?デートなのか!?)したことのある男子高校生・神山(榎田貴斗)と商店街で出くわしても気づかれないほどだった。里香と神山の関係に嫉妬していた不良少女達も、里香のことを神山の妹だと思って見過ごすほどだった。

糸子はますます仕事に邁進した。
骨折した時に家に設置した介護用ベッドは、邪魔だからといって撤去させた。通常の杖1本で歩き回れるようになり、誰よりも忙しく働いた。高山と孝枝の関係は冷え切ったままだったが、2人とも感情は抑えるようになり、ゆっくりとだが必要な業務も進んでいった。

ところが、無理がたたって、糸子はめまいで倒れてしまった。糸子は仕事で無理をして倒れることだけは、いくつになっても直らないと自嘲するのだった。

高山は新ブランドの宣伝として、糸子の3人の娘たちに協力してもらうことを提案した。有名な3人に手伝ってもらえば、認知度が一挙に上がるという魂胆だ。また、そうでもしなければ、事業を軌道に乗せることはできず、すぐに計画が頓挫するというのだ。
糸子は猛反対した。自分の実力を信じているので誰の力を借りる必要もないし、ましてやライバルである娘たちの力などは借りたくないと思うのだ。

しかし、高山は一切耳を貸さない。半ば強引に娘たちの協力を得る方向で話を進めた。
糸子は傲慢な高山に対してひどく腹を立てた。孝枝に助けを求めたが、孝枝は自分も耐えたのだから糸子も耐えろ、と言って無視するのだった。
糸子は高山に押し切られんばかりだった。

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NHK『カーネーション』第136回

今日はアノ日だから、みんなで山親爺のCMソングを歌おう!と呼びかける当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第136回目の放送を見ましたよ。

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第24週「宣言」

糸子(夏木マリ)は逡巡していた。
糸子はベッドに寝ながらも、デザイン画を描く仕事だけは続けていた。しかし、自分のブランドを立ち上げることを考え始めると、途端に仕事が手につかなくなった。
「攻撃は最大の防御」という、河瀬(川岡大次郎)の言葉を反芻し、ついに糸子は一歩を踏み出す事を決意した。自分のブランドを立ち上げることにした。すぐに、河瀬ら関係者を家に呼び寄せ、計画を練り始めた。

糸子の一存で、ブランド発表の日は半年後の7月20日と決めた。準備期間が異例の短さである上、糸子の怪我もあるので周囲は驚く。けれども、糸子は自信満々だった。のんびりしていても始まらないので、早急に集中して行ないたいと言うのだ。娘たちのブランド設立の手伝いもしたことがあるので勝手がわかるし、怪我だって仕事さえしていればむしろ早く治ると豪語した。それで計画は本格的に動き始めた。

その話を聞きつけた優子(新山千春)と直子(川崎亜沙美)が岸和田に揃って駆けつけた。ふたりは、糸子がブランドを作るという話に猛反対した。曰く、プレタポルテは一度始めると休むことなく続けなくてはならない、糸子の年齢では負担が大きすぎる、先日は引退を勧めたのになぜ反対のことをするのか、などなど。

もちろん、言い出したら聞かない糸子である。
糸子もどれだけ大変かは理解しているという。しかし、ブランドを作ると決まってから、ヒヤヒヤしたりソワソワしており、そんな状況が面白くて仕方がないというのだ。寝る間も惜しいほど仕事に熱中するのは長らく忘れていた気持ちだ。元気が沸き起こり、生きている実感を得ると言うのだ。
それ以上反論できなくなったふたりの娘を見て、糸子は高笑いした。

東京への帰りがけ、優子が里香(小島藤子)に声をかけた。優子は、里香が糸子のそばにいて、世話をしていることを大いにねぎらった。一方で、優子が高校へも行かずに岸和田に居続けることが心配だとも話した。今は糸子の怪我もあるので仕方ないが、糸子もきっと里香が今のような生活を続けることは望んでいないだろうと諭した。
里香は口をつぐんだままだったが、糸子と優子から同じ事を言われたことに揺れていた。

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NHK『カーネーション』第135回

昨日の放送で中森明菜の歌が流れてことに関して、「ミ・アモーレ→中森明菜→DESIRE→『真っ逆さまに落ちてDESIRE♪』→落ちてデザイナー→デザイナー糸子階段落ち」と2chに書かれていたのを見て盛大に吹き出した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第135回目の放送を見ましたよ。

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第24週「宣言」

糸子(夏木マリ)は階段から転げ落ち、左足を骨折した。病院で治療を受け、松葉杖を携えて帰宅した。

いち早く岸和田に駆けつけた直子(川崎亜沙美)が病院から糸子を連れて帰ってきた。一方、優子(新山千春)は東京で一仕事片付けてから来たため、到着が遅れた。優子と直子は、到着が遅れた/遅れないと言って、糸子をそっちのけで喧嘩を始めてしまった。糸子が一喝して、やっと収まった。
家を飛び出し、母に会いたくないと思っていた里香(小島藤子)は、優子と目を合わせようともしなかった。

オハラ洋装店は休業することとなった。1階のリビングに大きな介護用ベッドを設置し、糸子はそこで寝かされた。糸子はそれが気に入らなかった。リビングからテーブルが無くなっただの、ベッドが大きすぎるだの文句ばかり言った。周囲が止めるのも聞かず、自分で歩いて近所に怪我の挨拶に行ったりした。
糸子は自分の弱みを見せたくなかったのだ。

けれども、夜、一人で寝ていると心細くなってしまった。
年をとると、当たり前にできるはずのことができなくなる。それがなんと情けないことか。今は普通にできていることでも、この先いつできなくなってしまうかわからない。その恐ろしさといったらない。けれども、その情けなさや恐ろしさに、たった一人で対抗していかなくてはならないのだ。
糸子は、ふと自分の来し方を思った。この家でいろんなものを生み、育て、増やしていった。多くのものが増えていったはずなのに、気づけば結局自分一人になってしまった。自分が人生の選択を間違えたのか、それとも、人間とはそもそも色々なものを失っていく存在なのか。それすらもわからなかった。

糸子は、北村(ほっしゃん。)の言葉を思い出した。北村は、この家で一人で暮らしていくことは、年を取り、多くのものを失っていく一方だと言った(第127回)。ここで泣いたり、悔やんだりしたら、北村の言い分が正しかったことを認めたことになる。北村にだけは負けたくない糸子は、ぐっと涙をこらえた。

夜中に、里香が降りてきた。2階は優子らのいびきがうるさくて眠れないのだという。里香は糸子の横に布団を敷いて横たわった。暗闇の中で里香は、自分は一生糸子のそばを離れないと約束した。
それを聞いた糸子は、嗚咽を漏らした。

翌朝、優子と直子が東京に帰ることになった。しかし、その前に糸子に話があるという。その内容は聡子(安田美沙子)とも打ち合わせてあるので、3姉妹の総意だという。ただならぬ気配を察した里香は、優子と直子ににらみを利かせるように同席した。

優子と直子は、単刀直入に、糸子に仕事を辞めるよう説得した。70歳を超えて仕事をするのは、糸子の体を悪くする一方だというのだ。そして、娘たちの目の届くように、東京で暮らして欲しいと言うのだった。
もちろん、そんな話に乗る糸子ではなかった。娘たちが毎日電話をかけてきて、仕事の相談や手伝いをしていることを引き合いに出し、自分はまだまだ現役で働けると抗弁した。それに対して、優子と直子はついに本音を語った。ふたりとも、わざと簡単な仕事を糸子に与えていたのだ。仕事が大好きな糸子なので、自分達が頼りにしているふりをすると喜ぶのを知っていたからだ。

糸子の怒りは頂点に達した。
気に入らない客が来ると投げつけるお手玉を、優子と直子にも思いっきり投げつけた。仕事をやめることは、自分が死ぬことだと言って怒鳴った。

優子と直子が去った。
少し冷静さを取り戻した糸子は、甲斐甲斐しくお手玉を片付ける里香を見た。そして、床に散らばったお手玉すら拾うことのできない自分を不甲斐なく思った。

里香に優しく声をかけた。もう岸和田にいなくてもいいから、東京に一刻も早く帰れと優しく声をかけるのだった。
それと同時に、糸子は自分で立ち上がらなくてはならないと決意を新たにするのだった。

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NHK『カーネーション』第134回

某知人女性(当方の仲良しの中では珍しい正統派美女)から結婚するという報告を受け、なんだよマジかよ、俺の方が良いに決まってるって、考えなおせと思ったのだけれど、彼女の夫になる人は尾野真千子のファンで朝ドラも毎日見ているという話を聞いた途端、「それなら良いヤツだ。幸せになれ!」と心の底から祝福することに決めた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第134回目の放送を見ましたよ。

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第24週「宣言」

1986年(昭和61年)1月。
呉服屋の若旦那・吉岡(茂山逸平)を一度だけ助けるつもりで作ってやったシルバー向けスーツが大ヒットした。
吉岡によれば、サンプルを持って得意先回りをしたところ、たった1週間で予定販売数の半分が売れたという。客に話を聞くと、スマートでお洒落なデザインであるばかりか、高齢女性の体型や気持ちによく合い、着心地が良いと感想を述べたという。1着18万円という価格でも飛ぶように売れたのだ。
糸子は、自分がデザインしたのだから当然だといって、機嫌を良くした。

吉岡の友人の河瀬(川岡大次郎)が、知人の高山(藤間宇宙)に声をかけた。彼は商社のアパレル部門で働いている。彼の会社で販売に協力したところ、瞬く間に売れてしまった。そこで、生地を追加輸入し増産するほどになったという。

大きな手応えを感じた3人は、本格的に糸子のブランドを作りたいと思うようになった。そこで揃って糸子に頼みに来たのだ。糸子はとても嬉しかった。自分のデザインした洋服が世間で広く受け入れられたことは自信に繋がったし、若者たちが自分を一流のデザイナーだと認めて熱意に商売に誘ってくれたことも嬉しかった。

けれども、糸子は話を断った。
糸子は、自分は「オーダーメイド職人」としての矜持があるのだという。自分は洋裁職人として50年間働いてきた。その間、10年間は戦争のためにやりたい仕事がやれなかった。そして、戦争が終わったと思ったら既製服の時代になり、オーダーメイドは儲からなくなった。糸子自身、何度も既製服産業への転向を考えたりもした。
それでもなお、糸子は自分は一生をオーダーメイド職人として生きていく意地があるのだという。たとえ最後の一人となっても、オーダーメイドをやめるわけにはいかない。だから、これ以上既製服デザインの手伝いはできないといって、申し訳なさそうに断った。若者たちを助けたい気持ちはあるが、それができない。糸子は誠意を持って話したつもりだった。

ところが、若者たちはそんな糸子をバカにした。今さら「意地」などといっても流行らないというのだ。その態度に、糸子はいっぺんに腹を立てた。3人に二度と来るなと言って追い出してしまった。

それでも、糸子は自分の実力が認められたことは嬉しかった。気持ちにもハリが出てきた。
少し迷いのあった糸子は、直子(川崎亜沙美)に電話で相談してみた。シルバー世代向けの商品は自分には絶対に作れないだろうと言って、直子は感心した。けれども、プレタポルテの厳しさを知っている直子は、糸子がそれを始めることに反対した。気持ちばかり若くても、体力的に厳しいと言って、老いた母をいたわったのだ。
その言葉に納得した糸子は迷いが吹っ切れた。

糸子はまだまだ一線で働きたいと思うし、新しいことに挑戦したいという意欲はある。けれども、体力の衰えを自覚して自重してしまうのも事実だ。膝や腰が痛むので、最近では寝室のある2階との階段の登り下りにも苦労する始末だ。

重い体を引きずるようにして階段を登っていると、足を滑らせて転げ落ちてしまった。

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NHK『カーネーション』第133回

いつも見ているわけではないし、いつもながら見しかしていないのだが、渋い番組として面白いと思うNHKの週刊ブックレビューは1991年に放送を開始し来週で954回目を迎えるが、それが最終回になるそうで、なんかしみじみと残念だなと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第133回目の放送を見ましたよ。

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第23週「まどわせないで」

里香(小島藤子)が不良少女達とトラブルを起こし、オハラ洋装店のショーウィンドウが破壊された。
糸子(夏木マリ)は、里香の装いがこの事態を招いたのだと指摘した。人は、自分の着ている服に応じた出来事を引き起こす。里香の髪型とジャージ姿に原因があると言うのだ。逆に、どういう服装をすればトラブルに巻き込まれないか反省を促した。

翌朝、里香はついにジャージ姿をやめた。しかし、12月も末だというのに、半袖のTシャツにハーフパンツという夏服を着てしまった。驚いた糸子が訳を聞くと、優子(新山千春)が買って送りつけてきた服は着たくないのだという。それらを避けたら、夏服しかなかったのだ。
糸子は家中から古い衣類を見つけてきた。何年前に誰が着ていたのかもわからないようなドテラや、聡子(安田美沙子)が学生時代に着ていた体操着などだ。それを渡された里香は嫌がるでもなく着用し、その姿で平気で人にあった。

里香の更生を電話で知らされた優子は、すぐに里香を東京に帰すか、自分が岸和田に会いに行くことを許して欲しいと主張した。しかし、糸子はまだ時期が早いと言って応じなかった。糸子は、自分が里香を手放す前に、きちんと彼女の心境と向かい合う必要があると考えていた。

里香はいくぶん明るい表情になってきたし、人との会話も楽しむようになってきた。
そこである日、糸子は里香の核心に迫った。優子には上等な服をたくさん買ってもらっているし、良い高校にも入学させてもらった。何が気に入らないのか説明を求めた。
里香は混乱してた。自分でもどうして優子を避けているのかわからないのだという。理由はわからないが、優子の全てが嫌になったという。今は思い出すことすら嫌なのだという。目に涙を浮かべる里香を見て、糸子はそれ以上問い詰めることをしなかった。その代わり、そう思うのは里香が大人になるためにもがいている事の証拠だと指摘するのだった。

1986年(昭和61年)1月、オハラ洋装店の初売前日。
糸子は吉岡(茂山逸平)と河瀬(川岡大次郎)を呼びつけた。そして、新しくデザインしたスーツを見せ、それを吉岡が売る許可を与えた。そのスーツは和服と同じように腰のあたりを紐で結ぶようになっているので、体型が変わっても簡単に調節できる工夫が施されていた。吉岡の仕入れた高級生地もいいものなので、買った人は長く着れるだろうとコメントした。
糸子が河瀬の曽祖父を助けたことを50年以上経っても引き合いに出された。そこまでされては、助けないことには格好がつかない。それが糸子が吉岡に協力する理由だと説明した。

それからしばらくして、吉岡らがやって来た。糸子のデザインしたスーツの売れいきが驚くほど良いと言う。1着18万円の値付けをしたにもかかわらず、生地100反のうち95反分が予約注文だけで売りさばけたという。
これで成功を確信した吉岡らは、糸子のブランドを正式に立ち上げたいと切り出した。

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