NHK『ちむどんどん』第6回

昨夜は奈良市三条通の海風という店で沖縄料理を食べてちむどんどんした当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第6回の放送を見ましたよ。

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第2週『別れの沖縄そば』

父・賢三(大森南朋)が心臓発作で倒れた。
連絡を受けが暢子(稲垣来泉)たちきょうだいは急いで家に帰った。なんとか最期には間に合ったものの、賢三はそのまま息を引き取った。

亡くなる直前、賢三は家族のひとりひとりに励ましや感謝の言葉を述べた。けれども、暢子にだけは何も言わず、微笑みながら数回頷いただけだった。
暢子は、自分だけ何も言われなかったことを悔やんだ。しかし、姉・良子(土屋希乃)によれば、それは暢子は今のままでよいという意味だと説明した。確かに、生前の父から何度も言われていたことだ。それで暢子は納得し、自分は自分らしく生きていこうと決意した。

暢子たちの家には、家屋の建築費やさとうきび畑の購入費など多額の借金が残った。村の人々が連帯保証人になっており、彼らは家を売ってなるべく借金を返すよう迫った。
しかし、母・優子(仲間由紀恵)をはじめ、子どもたちは猛反発した。この家は父・賢三が自ら建てたものである。それだけはどうしても手放したくないのだ。

保証人たちも渋々納得し、彼らの紹介で母・優子は建築現場のまかない係として働きに出ることになった。そこでの仕事は日給を現金でもらうことができ、より早く借金返済にあてられるのだ。

優子は朝早く家を出て働きに行くようになった。子どもたちも朝早くから分担して家事や畑仕事を担うようになった。
優子の方こそ気丈に仕事を続けていたが、子どもたちの方は10日もしたら生活が破綻した。朝寝坊して家事が滞るようになり、イライラして夕食の場では喧嘩を繰り広げるようになってしまった。

そしてもうすぐ運動会である。
兄・賢秀(浅川大治)は運動靴、姉・良子は体操着がそれぞれボロボロになっていたが、そもそも賢三の生前から比嘉家には買い替える余裕がなかった。ましてや、今の状態ではとてもじゃないが買えそうになかった。

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NHK『ちむどんどん』第5回

芋たこなんきん』の田畑智子がいい感じだなと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第5回の放送を見ましたよ。

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第1週『シークワーサーの少女』

暢子(稲垣来泉)たち比嘉一家は、青柳(戸次重幸)に那覇のレストランに招待してもらった。

暢子は、レストランの瀟洒な雰囲気や美味しい料理に感激した。
出された料理は全てメモに取り、忘れないように一生の思い出にするつもりだ。シェフが客席を回って挨拶する姿もかっこよく、憧れの眼差しで見つめた。
東京にはたくさんのレストランがあると聞き、暢子はより強く東京に行ってみたいと思うのだった。

1ヶ月後には、青柳父子は東京に戻る。
沖縄の生活にすっかり馴染んだ和彦(田中奏生)も暢子たちとの食事を楽しみ、どこか名残惜しそうだった。

レストランから帰ってきても子どもたちの興奮は冷めやらなかった。
母・優子(仲間由紀恵)と父・賢三(大森南朋)はそんな様子に目を細めて喜んだ一方で、心配事も尽きなかった。自分たちは子どもらに十分なことをしてやれているのか自問自答した。

実際、比嘉家の家計は余裕があるとは言えなかった。子どもたちの運動靴や体操着すら簡単には買ってやれず、知人からのお下がりなどを使わせている。暢子がどんなに東京に行きたいと言っても、その旅費を工面できるはずがない。
さとうきび畑や自宅は大きな借金をして購入した。農閑期になると賢三は那覇へ大工仕事の出稼ぎをしなければ立ち行かない。
金のことは両親の悩みのタネだった。

ある日、さとうきび畑での作業中に賢三が倒れた。

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NHK『ちむどんどん』第4回

再放送で見た『ちゅらさん』のまとめ記事は6回しか続かなかったし、結局、最後まで見た覚えもない方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第4回の放送を見ましたよ。

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第1週『シークワーサーの少女』

比嘉家は、青柳父子を夕食に招いた。家で買っていた豚を潰して振る舞うなど、これ以上ないもてなしだった。
しかし、沖縄に連れて来たことを後悔している和彦(田中奏生)は仏頂面のままで、あまり箸を進めようとしなかった。

ところが、暢子(稲垣来泉)が味付けをしたという沖縄そばを一口食べてみると、それは今まで食べたことがないほど美味しかった。和彦の表情は一気に和らぎ、その他の料理も次々と口に運んだ。
暢子は自分の手伝った料理を褒めてもらって大喜びした。

この出来事を契機に、和彦は沖縄のことも比嘉家のこともすっかり気に入った。
それからというもの、暢子たち兄弟と仲良く交流するようになった。

暢子は和彦にシークワーサーを食べさせてみた。
その酸っぱさに和彦は顔をしかめた。暢子の説明によれば、シークワーサーは冬になると黄色く熟して甘くなるという。その頃にまた食べさせたいと話した。
ところが、それを聞いた和彦は顔を曇らせた。彼らは運動会が終わる頃に東京に帰るのだという。冬のシークワーサーは食べられないのである。しかも、東京で中学を卒業した後はアメリカの高校へ留学することを考えているという。東京を訪問したいと望む暢子の願いも叶えてやれなさそうだった。

ある日、和彦の父・史彦(戸次重幸)が、比嘉家を那覇のレストランに誘ってくれた。
暢子たちは、初めて見るレストランの華やかな様子に感激した。

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NHK『ちむどんどん』第3回

厚木に住んでいた頃、家から一番近い飲食店は沖縄そば屋だったこともあり、しょっちゅう食ってたなーと思い出した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第3回の放送を見ましたよ。

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第1週『シークワーサーの少女』

暢子(稲垣来泉)は山に行くことにした。熱を出した妹・歌子(布施愛織)のために薬草となるミンジャイグサを採るためだ。

その時、和彦(田中奏生)を誘った。彼から東京の美味しいものを聞き出すことを諦めきれないからだ。また、沖縄を気に入っていない彼に良いところを見せてやりたいとも思ったのだ。
和彦は渋々ながら応じた。

道中、暢子はいつか自分の家に食事に来るといいと提案した。みんなでご飯を食べると美味しくて楽しいからだ。暢子は、和彦がつまらなさそうにしている理由は、彼が父・史彦(戸次重幸)とふたりきりで沖縄に来たことにあると考えていた。きっと東京では母と3人で食事をしていただろうに、それがなくなってしまったせいだと思ったのだ。

しかし、和彦はそれを否定した。和彦の父と母は折り合いが悪いという。食卓は、いつも二人の喧嘩の場だったという。
まだ小学生で、両親の喧嘩など見たことのない暢子には、それがどういうことかよくわからなかった。

暢子は山の中で足を滑らせて転んだ。足をくじいて歩けなくなってしまった。和彦が背負い、なんとか山小屋まで避難することができた。
帰りが遅いことを心配した暢子の父・賢三(大森南朋)と和彦の父が、山小屋に探しに来て、二人は無事に保護された。

大事に至らなかったものの、暢子を助けてもらったお礼として、賢三は青柳父子を夕食に招待することに決めた。食いしん坊な暢子も大いに喜んだ。
賢三は暢子に沖縄そばの作り方を教えた。彼はある人にもらったという名前入り包丁を宝物にしていた。暢子はその包丁を憧れの目で見た。
そして、最後の味付けは暢子に任せた。暢子が自分の信じる通り、やればよいと言うのだ。初めてのことで戸惑ったが、暢子はやれるだけのことはやった。

沖縄そばを作り終えると、暢子は大好きなシークワーサの実を採りに行った。そこで偶然、和彦の父に出会った。彼は、沖縄の墓の観察をしているところだという。
暢子は、山原村はつまらないところであり、東京の方が良いところに違いないと話した。しかし、和彦の父の考えは違った。ここは暢子の故郷であり、大きくなったときにもう一度ここがつまらないところかどうか再考するとよいと助言した。

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NHK『ちむどんどん』第2回

朝晩と日中の寒暖差に萎えている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第2回の放送を見ましたよ。

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第1週『シークワーサーの少女』

暢子(稲垣来泉)の暮らす山原村に東京から青柳親子がやって来た。
世界中の美味しい食べ物に興味津々な暢子は、息子・和彦(田中奏生)に東京の美味しい食べ物について尋ねた。しかし、沖縄に来たことを快く思っていない和彦は、来なければよかったと捨て台詞を吐くのみだった。
それでも暢子は意に介さなかった。和彦の心境よりも、自分の興味の方が優先されているのだ。明くる日、登校途中で和彦を待ち伏せて同じ質問を繰り返したが、やはり和彦は無視して立ち去った。それでも暢子は諦めず、いつかきっと聞き出すつもりでいた。

暢子の日課の一つは、毎朝豆腐を買いに行くことである。豆腐は暢子の好物の一つである。

豆腐は、母一人、子4人の砂川家で売られていた。
母・玉代(藤田美歌子)は病気がちで、中学生の長男・智(宮下柚百)が朝から豆腐作りに精を出していた。智は学校に行きたがらず、早く一人前になって金儲けをしたいと周囲に話していた。母・玉代は彼を学校に行かせたがったが、智は全く聞く耳を持たなかった。

ところで、暢子の母・優子(仲間由紀恵)は村一番のお人好しとして知られている。困っている人がいたら、助けずにいられない性格である。
優子は、砂川家の噂を初めて聞いた。夫を亡くし、年老いた父を頼って村に来たのだが、その父も亡くなってしまった。頼る相手がおらず、病気の身で4人の子供を育てなければならないのだという。

その晩、優子は居ても立っても居られなくなった。大量の新鮮な魚をおすそ分けしてもらったのだが、それを全て砂川家に持っていくというのだ。
ごちそうを前に暢子たちは抗議したが、優子の意思は固かった。優子や父・賢三(大森南朋)が亡くなったとしたら、暢子たちは砂川の子どもたちと同じ様になることを想像するよう諭した。それで子どもたちも納得した。
魚を持っていくと、砂川の子どもたちは大喜びした。その様子を見て、暢子たちも嬉しくなった。

ある日の夜、青柳親子が暢子の家を訪ねてきた。引っ越しの挨拶回りだという。
暢子は、東京のもなかをもらって大喜びした。東京のあんこはサラサラしていて美味しいのだ。

彼らは父・史彦(戸次重幸)と中学生の息子・和彦のふたりきりである。
史彦は民俗学が専門であり、暢子の家の暮らしに興味を持った。暢子の両親もそれを受け入れ、家の中を見せてやった。一方、沖縄のことが面白くない息子・和彦は先に帰ってしまった。

史彦は民俗学者として、沖縄の文化を将来に伝えていく必要があると話した。そもそも彼は、戦時中は沖縄の舞台に所属していたという。ところが、沖縄戦の直前に本土へ配置換えとなり、生き延びることができたのだという。史彦は自分が生き残ったことへの負い目と同時に、戦争で沖縄の伝統の多くが失われてしまったことを悔やんでいる。だからこそ、沖縄の風俗を記録しておきたいのだと話した。

彼の思いを聞いた優子と賢三は深く感じ入った。
賢三も戦時中は中国で戦ってにいたが、今は平和を強く願っている。優子の実家は首里城の近くにあったが、空襲ですべて焼けてしまったのだ。

その日の夜遅く、暢子はすすり泣く声が聞こえてきて目を覚ました。
縁側を除いてみると、優子が泣いていた。賢三がその肩を抱いて慰めていた。

暢子は見てはいけないものを見たような気がした。

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NHK『ちむどんどん』第1回

前作『カムカムエブリバディ』は結果としてかなり面白かったわけであり、深津絵里川栄李奈は最高だったわけだけれど、どうにも序盤の上白石萌音には心が動かされなかったし、運の悪いことに謎の発熱で萎えたせいで当ブログでのまとめ記事は3回で終わってしまったことをものすごく後悔しているんだけれど、今回のヒロインの黒島結菜さんはドラマ『アオイホノオ』の津田さん役で初めて見て一目惚れした経緯があるので、今回の根性だめしはがんばろうと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第1回の放送を見ましたよ。

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第1週『シークワーサーの少女』

舞台は1964年(昭和39年)、沖縄はまだアメリカの統治下にあった。
沖縄本島北部、山原村(やんばるそん)に主人公・比嘉暢子(稲垣来泉)は暮らしていた。
暢子の住む村は山と海に囲まれたのどかな地域である。近年やっと電気が通ったばかりで、現代的な生活からは遅れていた。

そのような時代と場所に住んでいたが、小学5年生(10歳)の暢子は明るく屈託がなかった。
たいへんな食いしん坊で、一生の間に世界中の美味しいものを全て食べ尽くすことが夢である。自分の食べた美味しいものをイラスト付きのメモでノートにまとめている。母・優子(仲間由紀恵)の作る料理も大好きで、家族と一緒に食べる食事は毎日の楽しみだった。村で一番美味しい実をつけるシークワーサーの木を知っていて、いつもそれをおやつにしていた。
暢子はまた、村で一番のおてんば娘だった。特に足が速く、体育授業の男女混合リレーでは男子をごぼう抜きにしてしまうほどである。14歳の兄・比嘉賢秀(浅川大治)とかけっこをしても簡単には負けない。

食いしん坊でおてんばであることは、暢子の自慢であり、同時に引け目でもあった。
父・賢三(大森南朋)はそんな暢子を大いに励ましてくれた。周囲に何を言われようが、暢子は自分の思う道を進めばいいと助言してくれた。正しいと思って筋を通せば、道は必ず見つかるというのが父の教えだった。

13歳の姉・良子(土屋希乃)は勉強が得意で、将来は教師になる夢を持っていた。8歳の妹・歌子(布施愛織)は熱を出しやすく、少々体が弱いようであった。
父と母、そして3人の兄弟とともに、暢子は毎日を楽しく暮らしていた。

そんなある日、東京の大学の先生・青柳史彦(戸次重幸)が村にやってきた。中学生の息子・和彦(田中奏生)も一緒である。
暢子たちきょうだいは、本土の人間を見るのは初めてである。とても珍しく、興味はあったが、遠巻きに見るばかりであった。

ある時、きょうだいたちは浜辺で貝を採った。水を張った空き缶で焚き火にかけ、おやつにしたのだ。暢子は最後にシークワーサーの搾り汁をかけた。それで最高に美味しくなった。
そこへ、東京からの転校生・和彦がやってきた。彼はきょうだいたちに声をかけるでもなく、離れたところに腰掛けて週刊漫画誌を読み始めた。

暢子は、おやつの貝を和彦に差し出した。そして、東京にはどんな美味しいものがあるのか尋ねてみた。
けれども、和彦は空き缶で煮た粗野な貝など食べる気がしなかった。暢子たちの方言も気に入らなかった。

和彦は、貝に手を付けず、美味しい食べ物はなにかという質問にも答えなかった。
沖縄になんか来るんじゃなかったと捨てぜりふを吐き、和彦は走って逃げた。

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『カムカムエブリバディ』まとめ記事断念

昨日から発熱に苦しんでいます。病院には行きました。新型コロナウィルスの検査をすることになり、結果は明日の夕方ころ知らされます。喉がとても腫れているとのことで抗生物質と解熱鎮痛薬が処方されました。
何をする気力もなく、バカみたいにずっと横になっています。『カムカムエブリバディ』の第4回は昼の再放送をぼんやり見ました。しんどい体で無理してまでまとめ記事書くほどではないなと思ってしまいました。雉真家の妻役でYOUが登場したのは嬉しいんだけれど。
1日くらいなら休んで、後日追いつけばいいかなとも思ったのだけれど、明日もダウンしてそうです。2日飛ばしたらさすがにもうダメだ。

というわけで、3日坊主でまとめ記事終了です。ご愛読ありがとうございました。
次は黒島結菜さん主演の『ちむどんどん』でお会いしましょう。

NHK『カムカムエブリバディ』第3回

人種や出自、外見で人を判断することはよくないことだとわかっているけれど、藤本有紀さんの『ちりとてちん』では伝統的な塗箸職人として川平慈英がキャスティングされていて、その少々日本人離れしたバタ臭い造作に違和感を感じていたのだけれど、終盤になってそのキャスティングの妙が見事に解決されて唸った覚えのある当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』の第3回の放送を見ましたよ。

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第1週『1925-1939』

1939年(昭和14年)、14歳になった安子(上白石萌音)は尋常小学校卒業後は家の手伝いをしていた。和菓子屋の店番や配達などを嫌がることなく率先して行っていた。幼いときから家の和菓子が大好きだった安子にとってはこれ以上ない幸せな日々だった。

一方で、ちょっとした面白くないこともあった。
おしゃれにも憧れのある安子は、幼なじみのきぬ(小野花梨)に勧められ、髪にパーマをかけたいと思った。しかし、実直な性格の父・金太(甲本雅裕)には叱られるに違いない。なんとか母・小しず(西田尚美)を味方につけ、母から父を説得してくれるよう約束を取り付けた。しかし、日中戦争が激しさを増し、ノモンハン事件を契機に日本はソ連とも衝突することになった。その影響で、国内ではパーマが禁止されてしまった。安子は自分とは関係のないことでおしゃれができなくなったことに憤慨した。

しかし、それでも安子および周囲は平穏な毎日だった。安子自身は特にこれといった夢や目標を持たなかったし、持つ必要もなかった。

小学校時代の安子の同級生である雉真勇(村上虹郎)は中学校に進学し、野球に打ち込んでいた。ランニング中に安子と出会った勇は、安子のことを「あんこ」と呼んでからかった。彼は小学生の時から安子に気があるのだが、素直にそれを表すことができず、安子の前ではいつも意地悪をしたり威張ってみせたりしてしまうのだ。
勇は、野球の全国大会で甲子園に出場することが目下の目標だと話した。その後は大学に進学し、六大学野球で活躍することを夢見ていると話した。

勇の夢を聞いても、やはり安子は今の生活に何も不満や焦りを感じなかった。ただ、大好きな街で大好きな人と暮らす日々がいつまでも続けばいいと思うのだった。

暑い夏の日、安子が店番をしていると一人の大学生(松村北斗)が買い物に来た。帰省のために岡山に着いたところだが、急いで汽車に乗ったのでお土産を準備できなかったという。そこで実家に持って行く土産を探しに来たのだ。
このような暑い季節は、くず餅などが涼しげで良い。しかし、安子はあえておはぎを勧めた。店のあんこは絶品で、小さいときから食べて続けてきた安子ですら食べ飽きることがないと説明した。大学生は安子の勧めを受け入れておはぎを買うことに決めた。

別のある日、大量のおはぎを受注し、安子が届けることになった。その日はラジオで甲子園の野球大会の決勝戦が中継されており、家の者はそれに夢中になっていた。誰も配達になど行きたくないのだ。

届け先はとても大きな屋敷だった。門から声をかけてもなかなか人が出てこない。訝しんでいると、やっと門が開いた。
そこから出てきたのは、先日おはぎを買っていった大学生だった。彼の家族は安子に勧められたおはぎを体操気に入ったのだという。それで彼の父は来客の接待用に使うことを決めたのだと話した。

安子と大学生が門の前で話していると、奥から小学校の同級生だった勇が顔をのぞかせた。なんとそこは彼の家で、件の大学生は勇の兄・稔なのだという。
勇は、野球中継が佳境だと兄を呼びに来たのだ。野球に夢中な勇は、そこに安子がいるにもかかわらず、すぐに家の中に戻ってしまった。

安子はいつも自分が勇にからかわれていることを話した。それには兄・稔も苦笑いした。

そこへ、外国人が近寄ってきて、外国語で道を訪ねた。外国語のわからない安子は慌てふためいたが、稔が流暢な英語で道案内をした。安子には何も理解できなかったが、スラスラとしゃべる稔に感心した。
稔は、翌朝6時半にラジオを聞くよう提案し、家の中に引っ込んだ。

翌朝、安子は言われたとおりにラジオをつけた。すると英会話講座が始まった。
やはり安子には何を喋っているのかまったくわからなかったが、流れるような英語の調べにうっとりと耳を傾けた。

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NHK『カムカムエブリバディ』第2回

とりあえず上白石萌音が本格的に出てくるまでは様子見だと思っている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』の第2回の放送を見ましたよ。

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第1週『1925-1939』

和菓子屋である橘家の朝はあんこ作りから始まる。
安子(網本唯舞葵)は目を覚ますと必ず菓子工房を覗く。そばに近寄ることは許されなかったが、職人たちの働く姿を眺め、あんこの香りを嗅ぐのが大好きだった。

安子の祖父であり、現役の職人である杵太郎(大和田伸也)の持論は、職人の気持ちが菓子に乗り移るということだった。食べる人の嬉しそうな顔を思い浮かべ、菓子が美味しくなれという気持ちを込めて作ることが何よりも大事だといつも言っている。安子もそれを信じていた。

安子は自分も菓子職人になりたいと思っている。しかし、家族は兄・算太(濱田岳)を跡取りと決めていた。ゆえに、安子に菓子作りを直接教えないばかりか、女の子の仕事ではないと言い含めるばかりだった。
安子は、しかたなく庭で土団子を作って遊ぶばかりだった。

その一方で、安子はときおり店番を頼まれることがあった。
その日も店番をしていると、幼なじみで親友の水田きぬ(岡陽毬)が買い物に来た。きぬは豆腐屋の末娘であるが、女きょうだいしかいない。姉は家を出て自由にすることが決まっている。そのため、きぬが婿をとって家を継ぐことに決まっているのだと話した。
きぬは自分の運命を呪っていた。安子には兄がいるおかげで、好きな人と結婚できることを羨ましいと話すのだった。

しかし、安子の兄・算太はまったく修行に身が入っていなかった。頻繁に仕事を抜け出しては映画を見に出かけていた。祖父・杵太郎は孫に甘いところがあり、父・金太(甲本雅裕)も算太にあまり厳しく接することはなかった。

ある日、算太はダンサーになりたいと言い出した。映画で見たチャップリンに憧れたというのだ。もちろん、家族は反対した。
ところが、安子だけは算太の味方だった。いつも遊びに付き合ってくれる算太のことが好きなのだ。安子は自分が婿をとって家を継ぐから算太を自由にさせてやってほしいと頼んだ。
しかし、家族は首を縦に振らなかった。むしろ、幼い妹にまで気を遣わせたことについて算太は叱られた。

庭で土団子遊びをはじめた安子のところへ算太がやって来て謝った。
安子は、菓子作りをしている算太は少しも楽しそうではないと話した。祖父の言葉を借りれば、作り手の気持ちが菓子に乗り移るはずである。しかし、算太が菓子作りを嫌がっているのがわかると言う。
一方、算太が映画を真似て踊ってみせた時は楽しそうだったと話した。

その様子を陰から見ていた杵太郎と金太は、算太のダンサー修行を認めることとした。大阪で修行し、ものにならないと分かればすぐに帰ってくることを条件に送り出した。

その後しばらくして、杵太郎は腰を痛めて隠居することになった。金太が二代目として取り仕切ることになった。

そして、安子(上白石萌音)は14歳になった。今でも、目を覚ますと菓子工房に直行し、あんこの匂いを嗅ぐ。

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NHK『カムカムエブリバディ』第1回

本作の脚本は藤本有紀さんなんだけれど、彼女が2007年に担当した朝ドラ『ちりとてちん』を今でも大好きな当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カムカムエブリバディ』の第1回の放送を見ましたよ。

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第1週『1925-1939』

1925年(大正14年)、日本でラジオ放送が開始された。
まさにその日、橘安子(網本唯舞葵)が生まれた。

安子の生家は和菓子屋だった。
祖父・杵太郎(大和田伸也)が創業し、父・金太(甲本雅裕)も共に働いている。杵太郎は厳しい人物で、金太をはじめ、住み込みで働く職人たちも彼にはまったく頭が上がらなかった。
安子の兄・算太(濱田岳)も職人見習いとして働いていたが、彼は仕事に身が入らず、父・金太の頭痛の種だった。

尋常小学校の3年生になった頃、安子は家中の者からかわいがられていた。
母・小しず(西田尚美)や祖母・ひさ(鷲尾真知子)は登校する安子に毎日おいしい弁当を作ってくれた。兄・金太は仕事をサボってブラブラしていても、安子の遊びには嫌な顔をせず付き合ってくれた。

中でも特に安子をかわいがっていたのは祖父・杵太郎だった。
菓子工房を神聖な場と考え、そこでふざけたり怠けたりすることを一切許さない杵太郎であるが、安子がつまみ食いに来ても咎めなかった。むしろ、自分の仕事の手を止めて安子に菓子を食わせてやることもしばしばだった。

その頃、ラジオは人々の憧れの的だったが、庶民にはまだ高嶺の花だった。
職人たちは、おそるおそる杵太郎にラジオ購入を願い出た。ラジオがあれば仕事の能率も上がるし、家族の余暇も充実すると言うのだ。安子もラジオが買ってもらえると期待した。
けれども、もちろん杵太郎は即座に却下した。

ところが、ある朝目を覚ますと、安子の枕元にラジオが置いてあった。そこには、杵太郎からの贈り物だという手紙も添えてあった。家中の者に知らせると、みなも大喜びした。
しかし、杵太郎本人はそんなことをしていないという。手紙を確かめると、それは杵太郎のものではない拙い文字であった。

すぐに兄・算太(濱田岳)の仕業だと露見した。商店街で唯一人ラジオを所有していたのは荒物屋・赤螺吉兵衛(堀部圭亮)であるが、彼の家から算太が盗んできたのだ。彼の妻・清子(宮嶋麻衣)が産気づき、吉兵衛はラジオを店先に置いたまま慌てて産婆を呼びに行った。そのすきに盗んだのだと言う。

算太は父・金太に連れられて、謝罪と返還に出向いた。もちろん吉兵衛は怒り心頭でなかなか許さない。
そこへ、祖父・杵太郎がまんじゅうを持って後から現れた。清子に無事に子どもが生まれた祝いだという。清子も子どもが生まれてめでたい時に怒るのはやめてほしいと取りなした。
それで、吉兵衛は今回ばかりは許してやることにした。

こんな騒動はあったが、一時でもラジオが家にあった時、家族も職人もいい顔をしていた。それは良い光景だったと思った杵太郎はラジオを買うことに決めた。
こうして安子の家にラジオがやって来た。

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