前回の記事のマクラで「某あまちゃんファンの先生と一緒に当然のごとく『太巻ポーズ』で写真に収まった」と書いたのだが、送られてきた写真を見たところ、彼は「太巻ポーズ」をとっていなかったことが判明し(彼と僕は離れたところに立っていて、撮影時には僕からは彼のポーズが見えなかった)、軽くショックを受けた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の第127回めの放送を見ましたよ。
2010年10月、映画『潮騒のメモリー: 母娘の島』の撮影が始まった。初日はオープニングの撮影が予定されていた。日の出のシーンを撮影するため、夜明け前から漁港でスタンバイしていた。クランクインにあたって、母役の鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が挨拶を述べた。しかし、鈴鹿のスピーチは20分以上も続き、その間に太陽が昇ってしまった。結局、そのシーンの撮影はできなかった。波乱のクランクインとなった。
映画は物語の順序通りに撮影されるわけではなく、翌日はスタジオでクライマックス・シーンの撮影が行われることになった。娘役のアキ(能年玲奈)が病気で臥せる母を心配しながらも、島を出て行くという複雑な心情表現が重要視される場面だ。「親孝行できなくて、ごめんなさい」というセリフを離す場面であり、ヒロイン・オーディションで何度も演じたシーンである。その時のアキの演技が荒巻(古田新太)の心を打ち、アキを抜擢する決め手となったシーンである。
ところが、撮影本番のアキはどうしても上手く演じることができなかった。オーディション1次審査の日は、夏(宮本信子)が北三陸で倒れたという報せを受けた日だった。その日のアキは、夏のことを心配していたおかげで、素直に役に入り込むことができた。しかし、今では夏の容態はすっかり良くなったと聞いており、オーディションの日のように気持ちを込めることができなくなってしまったのだ。結局、その日の撮影は全てNGとなってしまった。
その日の夜、無頼鮨で食事をしながら、アキは鈴鹿ひろ美からみっちりと叱られた。撮影現場でのアキには表情に硬さがあり、普段の様子と全く違うのだと指摘された。鈴鹿ひろ美との間にも目に見えない壁のようなものがあるという。そこで鈴鹿は、アキと一緒に暮らすことを決めた。映画と同様、私生活でも母娘になることで見えない壁を取り除こうと言うのだ。
アキはその提案を受け入れた。アキは自分が鈴鹿ひろ美の家に住み込むものだと思い込んでいたのに、逆に鈴鹿がアキの家で暮らし始めることとなった。アキはそれを拒絶するわけにもいかず、正宗(尾美としのり)と3人の奇妙な共同生活が始まった。鈴鹿ひろ美は天野家でもマイペースだった。誰よりも早く朝5時前には起床し、ウォーキングと風呂に入り、本人特製の野菜ミックスジュースを飲むのが日課だった。鈴鹿の物音で目を覚ましたアキは、起き抜けに特製ジュースを飲まされた。あまりの不味さに、アキは衝撃を受けるのだった。
その頃、春子(小泉今日子)はいつ東京に戻るか思案していた。夏の容態はすっかり良くなったし、地元の人々も手伝いに来てくれるので、春子は必ずしも必要ではなくなった。夏に「ありがとう」と言わせるという密かな目標も達成された(第126回)。その上、元気になった夏と小さな衝突も起こすようになってきたのだ。しかし、東京の自宅に鈴鹿ひろ美が住み込み始めたと聞いて自分の居場所が無いように感じられた。その上、自分の性格上、やめようと思っていてもアキの撮影に余計な口を挟むだろうことが予想された。今回の映画ヒロインはアキが自分自身の実力で掴みとった大役であり、自分はしゃしゃり出るべきではないと考えている。それで、もうしばらく北三陸に滞在することにした。
夏も、春子に頼る気はなかった。昔から、夫・忠兵衛(蟹江敬三)や娘の春子は家にいないものと思って一人で生きてきた。だから、今さら春子に頼る気にもなれないという。気心の知れた地元の人々が毎日顔を出してくれるので、そちらと付き合っている方が気楽でもあるのだった。
映画の撮影3日目は、初日に撮影できなかった日の出のオープング・シーンの撮影が行われることとなった。朝日をバックに、漁船に乗って島へ帰ってくる母・ひろ美を迎えるシーンだ。舳先に立つ鈴鹿ひろ美からは大女優のオーラが強烈に漂い、本番中であるにも関わらず、アキは見とれてしまってセリフを間違えた。
そのせいで太陽が昇りきってしまい、その日のロケも失敗に終わった。クランクインから3日、まだ1シーンも撮影出来ていなかった。
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