4月に苗を植えたトマトがやっと色づいたので、もいで食べた。
少し皮が硬くて、想像していたよりも水分も甘みも少なかった。もう1-2日経ってから取ればよかったかもしれない。
しかし、初収穫のうれしさの分だけ美味しかった。
緑のカーテンにするはずのゴーヤは、最大でで50cmほどの長さまで伸びてきた。
しかし、まだヒョロヒョロとしていて、葉の密度も低い。そろそろ気温が高くなってきているし、日差しも強いので、早く茂って欲しいところ。
今日、たまたま Google ストリートビューで自宅付近を見ていたら、当方が現在住んでいるアパートの建設中の写真が出てきた。
おじさん、ありがとー。駐輪場やゴミ集積所のコンクリートはきれいな仕事ですよ。いつもお世話になってます。
昨日、ちばサイクルで自転車を購入。
今日は、10時に同店でパンク修理講習会 & my bicycle の納車。
I wanted to ride my bicycle bicycle bicycle
I wanted to ride my bicycle
I wanted to ride my bike
I wanted to ride my bicycle
I wanted to ride it where I liked
またしても早起きしてしまった。
家でいろいろ時間を潰し、ゆっくりと店に向かったはずなのに、またもや開店15分前に着いてしまった。電車で来たのに、である。
なんで電車で来たか?もちろん、家まで自転車で帰るためだ。
店に入ると、担当のお兄ちゃんがニコニコと迎えてくれた。
そして、my bicycle にご対面~。
注文通りのシャア専用自転車。
横にある青い巨星の自転車は、僕と同じモデル (TREK FX 7.3) の青。担当のお兄ちゃんの自転車だそうだ。
あ、俺のチャリ。
全体の調整、点検が終了し、作業完了となります。
くれぐれも事故には気を付けて、楽しい旅路となるよう祈っております。
うわー、ええ人や!
軽く目が潤んだ。
なんか、もう、この夏の企画の達成感の25%が満たされた感じ。
今日は、朝から僕はてんやわんやの大騒ぎ。
東海道五十三クリングの出発前の山場、自転車購入の日であった。
朝5時半に勝手に目が覚め、家庭菜園に水やりをし、『おひさま』を見て、シャワーを浴びて身支度を整えても、まだ8時半。自転車屋さんは10時開店だからまだまだ時間がある。ちょっと遠い自転車屋さんに行くつもりであったが、30分ほどで着く距離だ。
早く自転車を見に行きたくて、家でジリジリしていた。意味もなく家の中をあちこち歩いたりしていた。
わてホンマによー言わんわ。
マクドナルドで飯でも食えば時間も潰れるだろうと出かけたのだが、さすがは天下のマクドナルド様である。注文から1分半くらいでマックホットドッグクラシック・セットが揃ってしまった。ゆっくりゆっくり食べたつもりでも、2分位で食べ終わってしまった。さらに1分位ぼーっとしながらコーラSを飲んだのだが、もうこれ以上時間が潰せない。
わてホンマによー言わんわ。
時計は8:50。これからお店に向かっても、開店30分前についてしまう。そうなったらそれまでだ。店の前に車を停めさせてもらって近所を散歩しよう。そう思って車を走らせた。
途中で、FRPで作られた動物オブジェがたくさん陳列された妙な会社(有限会社パウ)を見つけた。車を停めて撮影し、ニンマリしたり、twitterに写真をアップしたりした。
そうやって時間を潰しても、やっぱりお店には9:35くらいに着いてしまった。開店25分前である。
わてホンマによー言わんわ。
今年の7月、2週間強の夏休みがもらえることになった。
夏場の節電に協力するため、オフィスをシャットダウンするのだ。
仕事熱心な人々の中には関西や海外に疎開して仕事を続ける者もおり、僕も一時期はその雰囲気に飲み込まれていた。なんだか、自分がものすごく怠け者のように思えて、気が引けたのだ。しかし、「いやいや。こんなチャンスはそう有るものでもない」と思い直して、夏をエンジョイすることにした。
しかし、夏をエンジョイするための具体的なアイディアは全くなかった。
ここ2週間ほど、昼休みの食堂で、オフィスのみんなと僕の夏の過ごし方を相談するのが定例となった。
いろいろなアイディアが出たのだが、東海道五十三次を踏破するというのが企画の軸となった。
厚木のオフィスに転勤して3ヶ月経った。
今まで黙っていたけれど、厚木のオフィスにいるアシスタントさん(♀)はなかなかの美人さんである。いつも一緒にお昼ごはんを食べていたりして、それはそれは楽しい毎日である。
問題は彼女が既婚であるという事である。
さらに問題とすべきは、彼女は妊娠しているということである。
最大の問題は、彼女が今月いっぱいで産休に入るということである。
7月から何を楽しみに会社に行けば良いのか。
山瀬まみは、毎週金曜日の午後、ニッポン放送の上柳昌彦 ごごばん!というラジオ番組に生出演している。
山瀬大ファンの当方は情けないことに同番組は一度も聞いたことがないのだが。
#だって、一応会社で仕事していることになっている時間だもの。京都に住んでいたときにはニッポン放送が入らなかったので、録音しておくという習慣も形成されず今に至る・・・。
東北地方太平洋沖地震が発生した 2011年3月11日(金)にも山瀬まみは同番組に出演していたそうだ。
その時の音声がニコニコ動画にアップされていた(youtubeにも同じものがある)。
「あっ・・・」と漏れ聞こえてくる山瀬の声に、彼女が無事だったことを知っている今であっても、思わずドキドキしてしまう。
ていうか、上柳昌彦の冷静かつ的確なアナウンスがカッコ良すぎる。抱かれてもいい。
昨日のまとめ記事では、ついうっかりとマクラを書き忘れた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』の第63回目の放送を見ましたよ。
1944年(昭和19年)春。日本軍劣勢の噂が人々の耳にも届くようになった。国内の物資も不足がちになっていた。
いよいよ春樹(田中圭)が軍医として戦地に旅立つ時が来た。
春樹は良一(寺脇康文)と名古屋で再会した。良一は飛行機工場で新兵器の開発に携わっている。過酷な環境に置かれているようで、春樹の目にも良一の憔悴がわかった。しかし、良一は弱音は一切吐かなかった。
良一は生きて帰ってくるよう言おうとした。しかし、春樹はその気持は口に出さずともわかると伝え、みなまで言わせなかった。
春樹は、以前に茂樹(永山絢斗)と話した内容を父に知らせた。春樹が実家で病院を開き、家族全員がその近所に住むようになればいいと言っていた。自分もそうなれば良いと思うと言うのだった。
父と別れた春樹は、まず安曇野の実家に立ち寄った。無人となった家屋を眺め、そこが病院となった様子を想像した。自分が医者として働く横に真知子(マイコ)を置いた。
それから、陽子(井上真央)に会うため松本へ向かった。陽子の義理の両親(串田和美、樋口可南子)ともすっかり打ち解けた。陽子が良い家族に嫁いだことを春樹は喜び、安心するのだった。
夜、陽子と二人っきりになった春樹は、真知子へ宛てた手紙を差し出した。
生前の母(原田知世)に言われていたとおり、自分は何でもすぐに我慢してしまう質である。しかし、最期くらいは自分らしくない行為をしたいというのだ。真知子に自分の気持ちを告げずに死ぬのは悔やまれることである。
そこで、もし自分が生きて帰らなかった場合は、その手紙を真知子に渡して欲しいというのだった。
翌朝、春樹は戦地へ旅立った。
陽子は、真知子も春樹に心を寄せていることを知っている。しかし、そのことを春樹に教えたことはなかった。黙ったままでよかったのかと、後日何度も悩むのだった。
その頃、真知子の婚約者
その頃、真知子へ婚約者(萬雅之)の死亡が伝えられた。欧州からの帰国の途中、船の事故にあって死亡したというのだった。