NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第7回の放送も見たのですが、もう耐えきれませんでした。買ったばかりの運動靴や体操着が一晩で豚にボロボロにされるとか、バカバカしくて見てられませんでした。
黒島結菜さん登場まで我慢できなかったことが残念ですが、今回の朝ドラのまとめ記事は終了させていただきます。
ご愛読ありがとうございました。
昨夜は奈良市三条通の海風という店で沖縄料理を食べてちむどんどんした当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第6回の放送を見ましたよ。
父・賢三(大森南朋)が心臓発作で倒れた。
連絡を受けが暢子(稲垣来泉)たちきょうだいは急いで家に帰った。なんとか最期には間に合ったものの、賢三はそのまま息を引き取った。
亡くなる直前、賢三は家族のひとりひとりに励ましや感謝の言葉を述べた。けれども、暢子にだけは何も言わず、微笑みながら数回頷いただけだった。
暢子は、自分だけ何も言われなかったことを悔やんだ。しかし、姉・良子(土屋希乃)によれば、それは暢子は今のままでよいという意味だと説明した。確かに、生前の父から何度も言われていたことだ。それで暢子は納得し、自分は自分らしく生きていこうと決意した。
暢子たちの家には、家屋の建築費やさとうきび畑の購入費など多額の借金が残った。村の人々が連帯保証人になっており、彼らは家を売ってなるべく借金を返すよう迫った。
しかし、母・優子(仲間由紀恵)をはじめ、子どもたちは猛反発した。この家は父・賢三が自ら建てたものである。それだけはどうしても手放したくないのだ。
保証人たちも渋々納得し、彼らの紹介で母・優子は建築現場のまかない係として働きに出ることになった。そこでの仕事は日給を現金でもらうことができ、より早く借金返済にあてられるのだ。
優子は朝早く家を出て働きに行くようになった。子どもたちも朝早くから分担して家事や畑仕事を担うようになった。
優子の方こそ気丈に仕事を続けていたが、子どもたちの方は10日もしたら生活が破綻した。朝寝坊して家事が滞るようになり、イライラして夕食の場では喧嘩を繰り広げるようになってしまった。
そしてもうすぐ運動会である。
兄・賢秀(浅川大治)は運動靴、姉・良子は体操着がそれぞれボロボロになっていたが、そもそも賢三の生前から比嘉家には買い替える余裕がなかった。ましてや、今の状態ではとてもじゃないが買えそうになかった。
『芋たこなんきん』の田畑智子がいい感じだなと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第5回の放送を見ましたよ。
暢子(稲垣来泉)たち比嘉一家は、青柳(戸次重幸)に那覇のレストランに招待してもらった。
暢子は、レストランの瀟洒な雰囲気や美味しい料理に感激した。
出された料理は全てメモに取り、忘れないように一生の思い出にするつもりだ。シェフが客席を回って挨拶する姿もかっこよく、憧れの眼差しで見つめた。
東京にはたくさんのレストランがあると聞き、暢子はより強く東京に行ってみたいと思うのだった。
1ヶ月後には、青柳父子は東京に戻る。
沖縄の生活にすっかり馴染んだ和彦(田中奏生)も暢子たちとの食事を楽しみ、どこか名残惜しそうだった。
レストランから帰ってきても子どもたちの興奮は冷めやらなかった。
母・優子(仲間由紀恵)と父・賢三(大森南朋)はそんな様子に目を細めて喜んだ一方で、心配事も尽きなかった。自分たちは子どもらに十分なことをしてやれているのか自問自答した。
実際、比嘉家の家計は余裕があるとは言えなかった。子どもたちの運動靴や体操着すら簡単には買ってやれず、知人からのお下がりなどを使わせている。暢子がどんなに東京に行きたいと言っても、その旅費を工面できるはずがない。
さとうきび畑や自宅は大きな借金をして購入した。農閑期になると賢三は那覇へ大工仕事の出稼ぎをしなければ立ち行かない。
金のことは両親の悩みのタネだった。
ある日、さとうきび畑での作業中に賢三が倒れた。
再放送で見た『ちゅらさん』のまとめ記事は6回しか続かなかったし、結局、最後まで見た覚えもない方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第4回の放送を見ましたよ。
比嘉家は、青柳父子を夕食に招いた。家で買っていた豚を潰して振る舞うなど、これ以上ないもてなしだった。
しかし、沖縄に連れて来たことを後悔している和彦(田中奏生)は仏頂面のままで、あまり箸を進めようとしなかった。
ところが、暢子(稲垣来泉)が味付けをしたという沖縄そばを一口食べてみると、それは今まで食べたことがないほど美味しかった。和彦の表情は一気に和らぎ、その他の料理も次々と口に運んだ。
暢子は自分の手伝った料理を褒めてもらって大喜びした。
この出来事を契機に、和彦は沖縄のことも比嘉家のこともすっかり気に入った。
それからというもの、暢子たち兄弟と仲良く交流するようになった。
暢子は和彦にシークワーサーを食べさせてみた。
その酸っぱさに和彦は顔をしかめた。暢子の説明によれば、シークワーサーは冬になると黄色く熟して甘くなるという。その頃にまた食べさせたいと話した。
ところが、それを聞いた和彦は顔を曇らせた。彼らは運動会が終わる頃に東京に帰るのだという。冬のシークワーサーは食べられないのである。しかも、東京で中学を卒業した後はアメリカの高校へ留学することを考えているという。東京を訪問したいと望む暢子の願いも叶えてやれなさそうだった。
ある日、和彦の父・史彦(戸次重幸)が、比嘉家を那覇のレストランに誘ってくれた。
暢子たちは、初めて見るレストランの華やかな様子に感激した。
厚木に住んでいた頃、家から一番近い飲食店は沖縄そば屋だったこともあり、しょっちゅう食ってたなーと思い出した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第3回の放送を見ましたよ。
暢子(稲垣来泉)は山に行くことにした。熱を出した妹・歌子(布施愛織)のために薬草となるミンジャイグサを採るためだ。
その時、和彦(田中奏生)を誘った。彼から東京の美味しいものを聞き出すことを諦めきれないからだ。また、沖縄を気に入っていない彼に良いところを見せてやりたいとも思ったのだ。
和彦は渋々ながら応じた。
道中、暢子はいつか自分の家に食事に来るといいと提案した。みんなでご飯を食べると美味しくて楽しいからだ。暢子は、和彦がつまらなさそうにしている理由は、彼が父・史彦(戸次重幸)とふたりきりで沖縄に来たことにあると考えていた。きっと東京では母と3人で食事をしていただろうに、それがなくなってしまったせいだと思ったのだ。
しかし、和彦はそれを否定した。和彦の父と母は折り合いが悪いという。食卓は、いつも二人の喧嘩の場だったという。
まだ小学生で、両親の喧嘩など見たことのない暢子には、それがどういうことかよくわからなかった。
暢子は山の中で足を滑らせて転んだ。足をくじいて歩けなくなってしまった。和彦が背負い、なんとか山小屋まで避難することができた。
帰りが遅いことを心配した暢子の父・賢三(大森南朋)と和彦の父が、山小屋に探しに来て、二人は無事に保護された。
大事に至らなかったものの、暢子を助けてもらったお礼として、賢三は青柳父子を夕食に招待することに決めた。食いしん坊な暢子も大いに喜んだ。
賢三は暢子に沖縄そばの作り方を教えた。彼はある人にもらったという名前入り包丁を宝物にしていた。暢子はその包丁を憧れの目で見た。
そして、最後の味付けは暢子に任せた。暢子が自分の信じる通り、やればよいと言うのだ。初めてのことで戸惑ったが、暢子はやれるだけのことはやった。
沖縄そばを作り終えると、暢子は大好きなシークワーサの実を採りに行った。そこで偶然、和彦の父に出会った。彼は、沖縄の墓の観察をしているところだという。
暢子は、山原村はつまらないところであり、東京の方が良いところに違いないと話した。しかし、和彦の父の考えは違った。ここは暢子の故郷であり、大きくなったときにもう一度ここがつまらないところかどうか再考するとよいと助言した。
朝晩と日中の寒暖差に萎えている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第2回の放送を見ましたよ。
暢子(稲垣来泉)の暮らす山原村に東京から青柳親子がやって来た。
世界中の美味しい食べ物に興味津々な暢子は、息子・和彦(田中奏生)に東京の美味しい食べ物について尋ねた。しかし、沖縄に来たことを快く思っていない和彦は、来なければよかったと捨て台詞を吐くのみだった。
それでも暢子は意に介さなかった。和彦の心境よりも、自分の興味の方が優先されているのだ。明くる日、登校途中で和彦を待ち伏せて同じ質問を繰り返したが、やはり和彦は無視して立ち去った。それでも暢子は諦めず、いつかきっと聞き出すつもりでいた。
暢子の日課の一つは、毎朝豆腐を買いに行くことである。豆腐は暢子の好物の一つである。
豆腐は、母一人、子4人の砂川家で売られていた。
母・玉代(藤田美歌子)は病気がちで、中学生の長男・智(宮下柚百)が朝から豆腐作りに精を出していた。智は学校に行きたがらず、早く一人前になって金儲けをしたいと周囲に話していた。母・玉代は彼を学校に行かせたがったが、智は全く聞く耳を持たなかった。
ところで、暢子の母・優子(仲間由紀恵)は村一番のお人好しとして知られている。困っている人がいたら、助けずにいられない性格である。
優子は、砂川家の噂を初めて聞いた。夫を亡くし、年老いた父を頼って村に来たのだが、その父も亡くなってしまった。頼る相手がおらず、病気の身で4人の子供を育てなければならないのだという。
その晩、優子は居ても立っても居られなくなった。大量の新鮮な魚をおすそ分けしてもらったのだが、それを全て砂川家に持っていくというのだ。
ごちそうを前に暢子たちは抗議したが、優子の意思は固かった。優子や父・賢三(大森南朋)が亡くなったとしたら、暢子たちは砂川の子どもたちと同じ様になることを想像するよう諭した。それで子どもたちも納得した。
魚を持っていくと、砂川の子どもたちは大喜びした。その様子を見て、暢子たちも嬉しくなった。
ある日の夜、青柳親子が暢子の家を訪ねてきた。引っ越しの挨拶回りだという。
暢子は、東京のもなかをもらって大喜びした。東京のあんこはサラサラしていて美味しいのだ。
彼らは父・史彦(戸次重幸)と中学生の息子・和彦のふたりきりである。
史彦は民俗学が専門であり、暢子の家の暮らしに興味を持った。暢子の両親もそれを受け入れ、家の中を見せてやった。一方、沖縄のことが面白くない息子・和彦は先に帰ってしまった。
史彦は民俗学者として、沖縄の文化を将来に伝えていく必要があると話した。そもそも彼は、戦時中は沖縄の舞台に所属していたという。ところが、沖縄戦の直前に本土へ配置換えとなり、生き延びることができたのだという。史彦は自分が生き残ったことへの負い目と同時に、戦争で沖縄の伝統の多くが失われてしまったことを悔やんでいる。だからこそ、沖縄の風俗を記録しておきたいのだと話した。
彼の思いを聞いた優子と賢三は深く感じ入った。
賢三も戦時中は中国で戦ってにいたが、今は平和を強く願っている。優子の実家は首里城の近くにあったが、空襲ですべて焼けてしまったのだ。
その日の夜遅く、暢子はすすり泣く声が聞こえてきて目を覚ました。
縁側を除いてみると、優子が泣いていた。賢三がその肩を抱いて慰めていた。
暢子は見てはいけないものを見たような気がした。
前作『カムカムエブリバディ』は結果としてかなり面白かったわけであり、深津絵里や川栄李奈は最高だったわけだけれど、どうにも序盤の上白石萌音には心が動かされなかったし、運の悪いことに謎の発熱で萎えたせいで当ブログでのまとめ記事は3回で終わってしまったことをものすごく後悔しているんだけれど、今回のヒロインの黒島結菜さんはドラマ『アオイホノオ』の津田さん役で初めて見て一目惚れした経緯があるので、今回の根性だめしはがんばろうと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第1回の放送を見ましたよ。
舞台は1964年(昭和39年)、沖縄はまだアメリカの統治下にあった。
沖縄本島北部、山原村(やんばるそん)に主人公・比嘉暢子(稲垣来泉)は暮らしていた。
暢子の住む村は山と海に囲まれたのどかな地域である。近年やっと電気が通ったばかりで、現代的な生活からは遅れていた。
そのような時代と場所に住んでいたが、小学5年生(10歳)の暢子は明るく屈託がなかった。
たいへんな食いしん坊で、一生の間に世界中の美味しいものを全て食べ尽くすことが夢である。自分の食べた美味しいものをイラスト付きのメモでノートにまとめている。母・優子(仲間由紀恵)の作る料理も大好きで、家族と一緒に食べる食事は毎日の楽しみだった。村で一番美味しい実をつけるシークワーサーの木を知っていて、いつもそれをおやつにしていた。
暢子はまた、村で一番のおてんば娘だった。特に足が速く、体育授業の男女混合リレーでは男子をごぼう抜きにしてしまうほどである。14歳の兄・比嘉賢秀(浅川大治)とかけっこをしても簡単には負けない。
食いしん坊でおてんばであることは、暢子の自慢であり、同時に引け目でもあった。
父・賢三(大森南朋)はそんな暢子を大いに励ましてくれた。周囲に何を言われようが、暢子は自分の思う道を進めばいいと助言してくれた。正しいと思って筋を通せば、道は必ず見つかるというのが父の教えだった。
13歳の姉・良子(土屋希乃)は勉強が得意で、将来は教師になる夢を持っていた。8歳の妹・歌子(布施愛織)は熱を出しやすく、少々体が弱いようであった。
父と母、そして3人の兄弟とともに、暢子は毎日を楽しく暮らしていた。
そんなある日、東京の大学の先生・青柳史彦(戸次重幸)が村にやってきた。中学生の息子・和彦(田中奏生)も一緒である。
暢子たちきょうだいは、本土の人間を見るのは初めてである。とても珍しく、興味はあったが、遠巻きに見るばかりであった。
ある時、きょうだいたちは浜辺で貝を採った。水を張った空き缶で焚き火にかけ、おやつにしたのだ。暢子は最後にシークワーサーの搾り汁をかけた。それで最高に美味しくなった。
そこへ、東京からの転校生・和彦がやってきた。彼はきょうだいたちに声をかけるでもなく、離れたところに腰掛けて週刊漫画誌を読み始めた。
暢子は、おやつの貝を和彦に差し出した。そして、東京にはどんな美味しいものがあるのか尋ねてみた。
けれども、和彦は空き缶で煮た粗野な貝など食べる気がしなかった。暢子たちの方言も気に入らなかった。
和彦は、貝に手を付けず、美味しい食べ物はなにかという質問にも答えなかった。
沖縄になんか来るんじゃなかったと捨てぜりふを吐き、和彦は走って逃げた。