斎藤由香 「窓際OL: トホホな朝 ウフフの夜」

プチモテ期継続中。
また、読者(♀)からラヴいメールが届く。

80年代ポニーテールにしてみた

写真つき。
休日の朝寝坊でボンヤリした頭が急に冴え出す。

冴え出すとはいえ、思い出すのは「スケバン刑事」のポニーテールの斉藤由貴。
貧相な想像力。
でも、ポニーテールの斉藤由貴に萌える少年時代を過ごしたというエピソードは、多くの読者(♂)の共感を得るはず。

「てめぇら、許せねぇ」
そんなセリフと、桜の大門のヨーヨーを頭に浮かべつつ、近所の本屋へ。
平積みされていた文庫本に目が留まった。

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最近読んだ硬い本

「ヤバい経済学」

気鋭の経済学者 Steven D. Levitt(優しそうでハンサムな顔立ち)が、社会調査データを分析し、世の中の人々が思い込んでいる一般常識(本書の中では「通念」と訳されている。原著では “the prior beliefs” らしい)を痛快に覆してくれる。

例えば、「日本の大相撲の八百長を暴く」(カド番の時とそうでないときについて、同じ対戦相手との勝敗成績を手がかりにして実証)とか、「麻薬の密売人は儲かっていそうなのに、なんで母親と同居しているのか?」(理由は、麻薬の”末端”密売人は全然儲からないから)とか、「子供の年間の死因を見れば、銃よりもプールで溺れ死ぬ方が多い。銃じゃなくて、プールを規制すべきでは?」(ウケ狙いだと思うけれど、まぁ、データはその通り)とか書いてある。

この本、世の中を煽るような内容と文体なので、単発の話題づくりの本にも見えてしまう。
しかし、詳細までよく読めば、現代のミクロ経済学の常識的な考え方の「インセンティブ」の問題とか「情報の非対称性」とか出てくるし、背景は硬派。

ただ、「経済学の王道」的な世界では本書の内容はセンセーショナルなのかもしれないけれど、いわゆる「まっとうな」社会学の世界とか、某北大の社会心理学の世界とかだと、まぁ当たり前の分析法だったり考え方だったりするかもしれない。

いずれにせよ、社会に対する面白い見方を提供してくれる本です。


「眼の誕生」

熱中して読んだ。

主張は「カンブリア時代に生物の多様性が高まったのは、生物が眼を獲得したから」の一言。
明快。

ちょっと説明すると、地球は今から46億年前にできたとされる。
それから数億年経た、39億年前に地球上に初めて生命が誕生。
その後30億年近く、ごく少数の種しか地球にいなかったとのこと。

しかし、5億4300万年前に、爆発的に種が増える。
そしてそれ以後は、あまり種が増えていない。
その理由に踏み込む本。
(なんだか、数字が大きすぎてピンとこないな。1日後の自分のあり方だって想像できない(俺だけかも)のに、億の単位で語られても、ねぇ。)

約5億年前に何が起きたかってーと、眼が誕生したって話。
聴覚でも嗅覚でもなくて、視覚が重要と主張されている。
聴覚や嗅覚は、生物自身から発生する(動くときの音とか、生体の分泌物とか)。
しかし、光は全ての生物に等しく降り注ぐ。動こうが、じっとしていようが、「見えちゃう」。
つまり、受動的に影響を受けてしまう点で、視覚が非常にクリティカル。

視覚の獲得は、「見る方」だけではなく「見られる方」にも淘汰圧をかける。
そのせいで、いっせいに種の多様化がなされたと主張している。

エッセンスはこれだけ。
最初の章を読めば答えは出てるので、すぐわかる。
すぐわかるから、ここにも書いた。

じゃあ、この本の残りに何が書いてあるかというと、「古生物学の基礎」(化石の話)とか、光の性質とか、視神経の説明とか。
門外漢の僕には、これらの枝葉がとても面白かった。
生物学から地質学、物理学などの知識が縦横無尽に説明されるのは、すごく勉強になった。
高校とか大学の一般教養とかで、なんとなく習ったはずの知識だけれど、目的もなく聞いただけだとチンプンカンプンだった。
しかし、この本のように「眼の誕生を解き明かす」というストーリーに沿って説明されると、水を吸うスポンジのようにどんどん話がわかってきた。

著者自身も認めているように、この本のメインテーマは、素人でもお酒を飲みながら語れるような内容。
しかし、そのワキをつめる議論は、酔った素人には無理な話であり、そこが著者のスゲェとこだと思った。
シャーロック・ホームズや古畑任三郎が、1つずつ証拠を集めて犯人に迫るような書き方。
知的ミステリー風科学啓発書として、すげぇ。

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「痴人の愛」谷崎潤一郎

ロリコンで、足の裏フェチで、マゾヒスト必読。
って、俺じゃん!

大正末期、主人公はカフェで給仕係をしていたみすぼらしい15歳の少女を引き取って、立派なレディに育てるべく教育を施す。彼女の境遇を思いやってきちんと教育してやろうという志が半分、あわよくば自分の女にしてしまおうという思惑が半分。
スケベ心をなんとか抑えて共同生活をし、暑い夏には行水させてやって、思わず彼女の白い肌にクラクラしちゃったり、その体の成熟具合を日記にしたためたり。
ついには結婚することになって、彼女の若い肉体に発情しちゃったり、特に足の指とか踵とか足の甲とか足の裏とかに思いっきり萌えちゃったり。
ところがところが、このナオミちゃんってば「私、アナタのおかげで立派な生活を送っていられるのね。ありがとう。(はーと)」なんてしおらしいことを言う一方で、夫の留守中に若い男をとっかえひっかえヤリまくっちゃったり。

しまいには、さすがの主人公も堪忍袋の緒が切れて家から追い出すんだけれど、ナオミの魔性の魅力が忘れられず、その上、彼女の策に再びどっかりと使ってしまって、帰ってくることを懇願してしまったり。
自ら四つんばいになって馬乗りになってくれとお願いして、その背中の上に乗ったナオミから彼女にのみ有利な復縁の条件を突きつけられ、それを全てのんでしまったり。

嗚呼、ロリコンで、足の裏フェチで、マゾヒスト。

ジャスコ登美ヶ丘に行ってみた

きっかけは昨日の夜である。
家に帰ると家電量販店のジョーシンからハガキが来ていた。押熊にあった店舗が移転し、オープン特売をするとのこと。ハガキを持参すると、ポイントを300点(300円分)プレゼントとのこと。

移転先は、本日プレオープンのジャスコ登美ヶ丘
「あーきっと混んでるんだろうなぁ」と思ったし、出勤途中に同店舗のそばを通過するdadaa君が「今朝、シャレにならないくらい道が混んでいた」と言っていたし、とりあえず様子見をしようと思った。

様子見をしようと思っていたところ、ヤクザのような風貌なのに子煩悩な某オジサン(とは言え、僕と5歳くらいしか歳が違わない)から、「子どもとNゲージで遊んでる」みたいな話を聞かされ、僕もちょっと興味があると言えば、いきなりTOMIXという鉄道模型メーカーの分厚い(5cmくらいある)のカタログを渡されてしまった。
つらつら眺めた。
う~ん、入門セットが15,000円くらいで買えてしまう。量販店に行けば、2割引くらいだから12,000円くらいで買えちゃうだろう。

仕事をしつつ、カタログを眺めつつ、ちょっと心が揺らいできた。

「ちょっと、様子を見て、価格を実物を確認するだけ」
と自分を言い聞かせてジョーシン登美ヶ丘店、すなわち、新規開店のジャスコ登美ヶ丘店に行ってみた。

ジャスコ登美ヶ丘店

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寝ずの番 / 中島らも

最近映画化されたらしいですが、中島らもの「寝ずの番」の原作を読んでみました。

性的で下品なネタのオンパレードだけれど、笑える。
中学生が英和辞典で “sex” に蛍光ペンで印をつけて、友達どうして回し見してこっそりクスクス笑い合うようなしょーもない下ネタに終始しているけれど、ケタケタ笑える。
そして、最後の2ページで、ちゃんとホロリとさせてくれる。
文庫で95ページくらいでサラッと読める。
僕が買った講談社版には、表題作のほかに6編の短編が収録されている。
本屋で角川版と見比べたけれど、講談社版の方が作品数が多かったのでこっちにしてみた。
あと、角川版は、表紙がモロに映画の登場人物になっていて、なんか気に入らなかった。
#本屋でカバーをかけてもらわない主義なので、外で読むとき恥ずかしい。

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事例に学ぶ心理学者のための研究倫理 / 安藤寿康・安藤典明(編)

ご存知の方はご存知だと思うのですが、当方は心理学系研究者なわけで。

現在、ヒト(もしくは動物)を用いた実験を行う際に倫理審査を受けなければならない組織に所属しているわけで。
研究倫理審査委員会が設置されていること自体は、政治的に正しい。ものすごく。

しかし、個人的に困っていることは、必ずしも実験研究を行ってきた経験のある人々が委員を務めているわけでは無いということ。
ある特定の役職に付いた人が、それまでの経験とは無関係に、自動的に倫理委員に就任することになっている。
一方で、素人的な素朴な見解の下に審査を行うので、より実験参加者の立場に立って吟味できるという利点がある。
他方で、素人であるが故に、(我々の業界にとっては)ごく当たり前の実験手続きについても、いちいち質問や意見が寄せられてしまって、なかなか審理が終了しなくなってしまう。それどころか、実施不可という判断に至りかねなくなったりして、かなり綱渡り。ちょっとトホホ。

ただ、愚痴ってばかりいるだけでは、事態の好転は望めないので、「泣かぬなら、泣かせてみせようホトトギス」の精神で、いろいろ啓発活動をしていたり。

そのための”理論武装用”として、まずは「事例に学ぶ心理学者のための研究倫理」をパラパラと眺めた。
本書は、架空のケーススタディの羅列という印象で、散漫な感じがぬぐえなかった。
一つ一つの事例は、いかにもありそうな感じで、倫理問題について考え直すいい例題になっていると思う。
個人が研究倫理問題について考えるのには、いい教材。

しかし、第三者を説得する道具に使うにはつらそう。
#なんかいい本があったらおせーてください。「APA論文マニュアル」はチェック済みです。

利己的な遺伝子<増補新装版> / リチャード・ドーキンス

超有名書「利己的な遺伝子」(“The selfish gene”)が、初版刊行30周年を記念して、新装版が発売になりました。

日高敏隆の「第3版への訳者あとがき」によれば、今回の変更点は

  1. ドーキンスの書き下ろし序文を追加
  2. 第2版で削除されていたトリヴァースの「序文」を採録
  3. メダワー、ハミルトン、メイナード=スミスによる書評を収録
  4. 訳文の組版を刷新。生物用語などにルビを追加
  5. ごく一部に関して訳を手直し
  6. 原著の全索引項目を翻訳して収録

とのこと。

恥ずかしながら、今まで手にとった事はあっても、一度も読んだことはなかったので、つらつらと勉強させていただこうと思っている次第。

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「東京タワー: オカンとボクと、時々、オトン」 / リリー・フランキー

I
五月にある人は言った。
それを眺めながら、淋しそうだと言った。
ただ、ポツンと昼を彩り、夜を照らし、その姿が淋しそうだと言った。

II
五月にある人は言った。
どれだけ仕事で成功することよりも、ちゃんとした家庭を持って、家族を幸せにすることの方が数段難しいのだと、言った。

III
五月にある人は言った。
東京に住んでいると、そういうわかりきっていることが、時々、わからなくなるのだと、その人は言った。

IV
五月にある人は言った。
たとえ、姿かたちはなくなっても、その人の想いや魂は消えることはないのです。あなたが、手を合わせて、その声を聞きたいと願えば、すぐに聞こえるはずです、と言った。

V
五月にある人は言った。
「東京は、そんなに楽しいところですか?」

VI
五月にある人は言った。
あなたの好きなことをしなさい。でも、これからが大変なのだと、言った。

VII
五月にある人は言った。
東京でも田舎町でも、どこでも一緒よ。結局は、誰と一緒におるのか、それが大切なことやけん。

VIII
五月にある人は言った。
どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔することでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげてばよかったと。

IX
オカンが死んだ年の五月にある人は言った。
「東京タワーの上から東京を眺めるとね、気が付くことがあるのよ。地上にいる時にはあまり気が付かないことなんだけれど、東京にはお墓がいっぱいあるんだなぁって」

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売る売らないはワタシが決める: 売春肯定派宣言 / 松沢呉一・編

「売る売らないはワタシが決める: 売春肯定派宣言」(松沢呉一・編)が届いたので、夢中になって読んでいる。

この本の構成は、いわゆる「売春否定派」の文章(櫻井よし子とか田嶋陽子とか、村上龍とか)の象徴的な一説を引用し、著者人がそれぞれに対して痛烈な批判、反論、揶揄などをするというものである。
正直、著者側の意見も「うむ!なるほど!」というものから、「それってどうかなぁ。意味わかんね」というものまで玉石混交だ。

しかし、総じて興味深いし、新しい視点が得られるし、考えさせられる。

まだ、半分くらいしか読んでないのですが、全部読み終わって元気があったら、考えたことなど記事にする予定。
週末だし。

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今夜の刺激

【小西真奈美の写真集】
昨夜放送の「情熱大陸」をHDDレコーダーで見てた。
小西真奈美のドキュメンタリー。
かわいかった。

番組の中で、写真集の撮影が完了したことが紹介されていた。
21歳(?)の時から、6年間かけて撮影し続けたらしい。
彼女は、この写真集「27」を生涯で最初の最後の写真集にするつもりだとか。
そのため、ゆっくり時間をかけて撮影に望んだとか。
かわゆかったので、買おうという気が盛り上がった。

なお、番組を見ている限りでは、足の裏写真が見れそうな予感。ヨダレ。
ちなみに、女優(もしくはタレント)の写真集を買うなんて、山瀬まみ以来。
ところで、「情熱大陸」のスポンサーはアサヒであり、「ぐびなま」のCMキャラクターが小西真奈美(ビデオを見る。オトナの事情が垣間見える。

【性産業の是非】
今夜放送のアンテナ22は「カラダをはった仕事を選んだ女たち」というタイトルで、性風俗業に従事する女性への取材だった。

18歳の高校を出たばかりの女性が取材を受けていた。
実家は2坪。テレビもラジオも、洗濯機もない家庭に育ったと言っていた。両親が離婚し、病弱な母に引き取られ、家計は祖母が支えていたとのこと。
自分が一生懸命働いて、親に家を買ってあげたいと言っていた。
初出勤の日、4人の接客をし、日当32,000円。その半分を親に送金したそうだ。

ちなみに、この人
番組中、店の名前にモザイクをかけていたけれど、修正の仕方が不完全で、よく見ていたらわかった。ぐぐったら一発で見つかった。
可愛い。ボーナス出たら新幹線に乗って駆けつけたくなったとか、ならないとか。

給与所得者なって丸3年。両親に1円も仕送りをしたことのない自分を非常に恥じた。
職業に貴賎はなく、人の生き方に貴賎があるのだと思い、感慨深かった(それでもなお、親に仕送りはしないケド)。

信州大学東京農工大学守一雄教授が紹介していて、前から気になっていた「売る売らないはワタシが決める:売春肯定宣言」(松沢呉一)を入手して読もうと思った。

【Kiss me】
毎度おなじみ magmell さんの日記 (2006年5月29日)で知ったのですが、国家「君が代」の替え歌があるらしい(参考)。
英詞の歌だが、モゴモゴと歌うと「君が代」そっくりに聞こえる(さっき、ひとりでブツブツ歌ってみた)。
しかも、詩の内容が国家を揶揄したものになってる。

当方、ノンポリなので特に国家を歌いたいとも歌いたくないとも思わないし、国歌斉唱や国旗掲揚を強制されるのを良いともイヤだとも思わないので、単純に面白いパロディとしてこの歌詞を見ました。
こういう”作品”に嫌悪感を示すどころか、賞賛してしまう当方です。

ただし、こういう歌詞があるからといって、そして、なんとなく世の中の雰囲気的に「国家を歌うことを拒否することはカッコイイ」という風潮があるからといって、闇雲に “Kiss me”を歌うのはどうかと思うので、もしその気になった人がいたら、おやめいただきたいと、老婆心ながら思ってしまったり。
僕自身も、”Kiss me” を歌うかと聞かれれば、no と答えるし。
#むしろ、周りのみんなが “Kiss me” を歌い始めたら、天邪鬼に「君が代」を熱唱してやろうと思ってみたり。

君が代斉唱や国旗掲揚に反対している人が、何をそんなに強情になっているのか、僕にはよくわからなかったり。
MagMell さんは「強制されるのがイヤ」と言っていますが、たかが君が代ごときに、そんなにガンバル理由があるのかなぁ、とやはりノンポリな当方は思ってしまうわけです。

あまりケンカをするつもりもないので、適当かつ「いい子ちゃんぶって」まとめに入りますが、MagMellさんには彼女なりの信条があるのでしょうし、たまたまそれが僕の考え方とは異なっているだけの話ですよね。
どっちが良いとか悪いとかの問題ではなくて。

彼女の意見は意見として良いですし、僕の意見も意見として適当に流してもらえれば。
ただし、繰り返して述べたいのは、「ただなんとなく、”Kiss me” というおちゃらけた歌詞があるから歌ってみる」という態度ならば、本当にそれを歌うべきかどうか、一度よく考えたほうが良いのではないかと思うものであります。
本人の熟考の末、歌うのであれば、全然OKです。僕だって、時と場合によっては “Kiss me” 歌うだろうし。