NHK『おかえりモネ』第100回

本日ついに、我が最愛の山瀬まみの誕生日の前日を迎え、少々舞い上がっている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』の第100回めの放送を見ましたよ。

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第20週『気象予報士に何ができる?』

子どもたちがコミュニティFMの放送スタジオにやって来た。次の日曜に子ども会の秋祭りを開催するという告知である。子どもたちはたどたどしくも元気いっぱいに宣伝をした。百音(清原果耶)もたくさんの元気をもらった。

彼らが帰った後、百音は当日の天気予報を調べた。すると、朝は風のない良い天気だが、10時ころから風が吹き始め、午後にはひじょうに強い風が吹くと予想されていた。祭り会場となる公園を下見したところ、風を遮るような構造物がなく、屋台のテントなどが強風で倒壊するおそれのあることがわかった。

百音は保護者たちに祭りの延期を提案した。しかし、彼らは簡単には従わなかった。天気予報が必ず当たるとは限らない、風が吹き始めたら撤収すればよいなどと楽観的に考えているのだ。さらには、予報がはずれた時に百音は責任をとれるのかと詰め寄った。

説得に難儀した百音は、切り札となる情報を持ち出した。
その日の朝だけは風が吹かないので、海が穏やかで澄んでいる。このことから、今年初のアワビ漁の日になるかもしれないと話した。彼らにとって、アワビ漁は一家総出の大きなイベントであり収入源である。アワビ漁とも慣れば子ども会の祭りどころではない。
保護者たちは祭りの延期を決めた。

けれども、アワビ漁の許可はなかなか出なかった。百音は自分の予想がはずれ、保護者たちに吊るし上げられるのではないかとヤキモキしていた。
秋祭りが予定されていた日の前日、14時ころになってやっとアワビ漁解禁が発表された。百音の予想通り、秋祭りをやるはずだった日の朝、2時間だけ許可するというのだ。

コミュニティFMで告知した漁協長・太田(菅原大吉)は帰り際に百音に声をかけた。アワビ漁解禁日について情報提供した百音のことを邪険に扱っていたが、百音が勝手に置いていった資料を少しは参考にしたというのだ。太田の口調はぶっきらぼうであったが、百音への感謝がにじみ出ていた。それだけで百音は嬉しかった。

こうして、17日は朝からアワビ漁が行われ、予報通り風もなく海は澄み渡っていた。そして、午後にもやはり予報通り強い風が吹いた。全ては百音の予想通りだった。

子ども会保護者の中心人物である高橋(山口紗弥加)が百音にお礼を言いにきた。彼女は現在のコミュニティFMの前身となる災害FM放送にボランティアとして参加していた。そのため現在も思い入れがあり、百音が参加してくれたことを嬉しく思っているという。
そして、百音が人々のことを助けたいと思っていることに共感を示した。高橋が災害FMに参加した動機も同じだったからだ。高橋からの応援を受け、百音は嬉しかった。

一方で、自分の行く先を考えさせられることもあった。
大学を休学して復興や街づくりを手伝いつつ学びに来ていた水野一花(茅島みずき)が東京に戻ることにしたという。彼女は外から来た人間にはできることがないと思い知ったという。しばらく離れていたとはいえ、地元出身の百音とは立場が違うというのだ。
百音は、外から来た人だからこそより一生懸命考えるし、それによって良いこともあるかもしれないと話した。それは水野を励ます言葉であるとともに、自分を正当化するための発言だと自覚していた。
それでも気仙沼を去るという水野の意思は変わらなかった。

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NHK『おかえりモネ』第42回

山瀬まみには『夏、7月13日』という歌があって「起きたらランチタイムを過ぎていた」という歌詞があるのだが、今日は起きたら放送時間の過ぎていた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』の第42回めの放送を見ましたよ。

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第9週『雨のち旅立ち』

百音(清原果耶)は気象予報士試験の合格通知を受け取った。一刻も早くサヤカ(夏木マリ)に知らせたかったが、彼女はどこかへ出かけたままなかなか帰ってこなかった。

やっとサヤカが帰宅した。
しかし彼女の顔を見ると、百音はなぜか合格のことを言えなくなってしまった。

何日か経って、今度はサヤカが百音に結果を尋ねた。百音は我知らず引きつった表情になり、不合格だったと嘘をついた。
その様子を嘘だと見抜いたサヤカは、こっそりと菅波(坂口健太郎)に話を聞こうとした。しかし、サヤカの様子から何かを読み取った菅波は、守秘義務があるなどと言って結果を教えなかった。

一方、樹齢300年のヒバを切る日が近づいていた。
伐採後は、いくつもの木材に加工し、使用目的に応じて10年から50年ほどの乾燥が必要である。材木関係者に協力を依頼し、ほとんどの木材の預かり先は決まった。しかし、能舞台の柱に使う予定の木材だけは引き取り手が見つからないままだった。乾燥には50年が必要であり、誰にとっても負担が大きいからだ。

協力者が見つからないまま、伐採の日になった。
大鋸の一方をサヤカ、もう一方を百音が持ち、挽き始めた。

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『25th Anniversary Best Album』10周年記念日

本日は4月20日である。この日は私にとって重要な日である。
1998年のこの日、日本酒(真澄)を買ってきて、しこたま飲んだのである。どうやって飲んだかはどうでもいい。誰と飲んだかが問題である。
たいへん良い思い出であり、とても悪い思い出でもある。

そして、2011年のこの日、当方の最愛の山瀬まみ様の25周年ベストアルバム『25th Anniversary Best Album』が発売になった。
当時、Youtube にアップされていた本人の宣伝文句によれば
「隠れた名曲、隠れすぎた名曲などがたくさん入っています」
というものである。
僕にとっては、その全てが隠しても隠しきれない魅力に溢れているわけだけれど、本人がそう言うならそうなのだろう。
付録DVDには、アイドル時代のミュージックビデオや、「山瀬ロック化計画」時代のライブ映像などが収録されていて、ファン必携である。

ファンじゃない人は、中古CDショップに行けば「や」の欄にたいてい1枚くらいはひっそりと売られているのでぜひ。
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山瀬35周年

本日は3月21日である。この日は私にとって特別な日である。そう、当方の最愛の山瀬まみのデビュー記念日なのである。おめでとうございます。
そして、今年は2021年である。この年もまた特別な年である。そう、山瀬まみのベストCDアルバム山瀬まみ-25th Anniversary Best Album-が発売されてから10年目の節目なのである。付属のDVDに収録された映像がアツい。

以上、ふたつの事実を統合すれば、今日は当方の最愛の山瀬まみのデビュー35周年記念日なのである。こんなにめでたいことは、向こう5年は巡ってこないだろうと思う。
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山瀬まみ作詞曲について書きたいことを書く記事

今月、各社音楽サブスクリプションサービスで、我が最愛の山瀬まみの伝説のプロジェクト「山瀬ロック化計画」の2枚のアルバム『親指姫』と『親指姫ふたたび・・・』の配信が開始された。
両アルバムには、山瀬作詞の楽曲が3つずつあるので、それについて書きたいことを書いていく所存。
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あけおめことよろ2021

あけましておめでとうございます。

碧しのさんを引用しつつ、健康を誓った2020年でしたが、おかげさまでCOVID-19に感染することもなく、無事に新年を迎えることができました。

昨年の3月頃に “マジで新型コロナウィルスはやばいらしい” なんて話になって緊急事態宣言だなんだって言われた時にも「まぁ、4月末くらいには日常に戻るでしょ」なんてノンキに考えていた当方ですが、まさかそのまま年が明けてしまうとは。そればかりか、まだまだ先が見通せなくて、どうなることやらといくぶん仄暗い気分になってきますが。

加えて、当方の最愛の山瀬まみ様のレギュラー番組が次々となくなってしまい(2021年3月に『火曜サプライズ』が終了することが発表されており、このままでは『新婚さんいらっしゃい!』だけになってしまう)、何を楽しみに生きていけばいいのかよくわからなくなったり、ならなかったり。

しかし、新年を迎えたことですし、いつまでもいろんなことに未練がましくメソメソせずに前向きに健康第一で生きていきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

マスカットパンチラ

本日、10月2日は当方の最愛の山瀬まみさんのお誕生日です。おめでとうございます。

先週、レギュラーの生放送ラジオ番組『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』が終わってしまいました。毎週金曜日の放送で、2016年4月放送開始でした。その間、10月2日が金曜日にあたることはありませんでした。今年は誕生日が金曜なので何かあるかと数ヶ月前から楽しみにしていたのですが、その1週間前に終わってしまうとは。無念です。

それはさておき。
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2月のアレ

本日は6月26日である。この日は私にとって重要な日である。

そう、2009年6月26日にMichael Jacksonが亡くなったのである。マイケルの命日は6月25日であるが、日本時間では26日なのでこの日に追悼するのが正しい。

10年前のこの日、日課の朝ドラを見ようとテレビをつけていたら、マイケルの訃報が伝えられた。最初は壮大なドッキリだと思ったりもしたが、次々と続報が伝えられるにつれ、真実であると信じざるを得なくなった。しんどかった。

僕が中学1年生の時(1987年)、マイケルが来日公演を行った。それまで僕は彼のことにほとんど興味はなかったのだけれど、偶然テレビで来日特集を見て一気にファンになった。テレビで放送された横浜スタジアムでのライブを録画して、毎日何度も見返した。こっそりムーンウォークの練習をしたし、僕のロン毛化もこの時始まった。ライブ放送のメインスポンサーのひとつはNTTだったことを今でも覚えている。当時は、とても先進的でホットな企業だなぁと思ったものだ、当時は(お、おう)。

同時期に放送されていたドキュメント番組も見た。当時もその後も、マイケルと言えば奇人セレブという印象が強かったが、ドキュメント番組では彼の謙虚さや平和主義、博愛主義な側面が強調されていた。それがどの程度真実を反映していたか僕には知りようもないが、たとえ演出上のウソであったとしてもロールモデルとしては悪くない。真のマイケルがどのような人であれ、謙虚で平和的で博愛的な人物は理想だ。僕は多感な時期だったので彼のような人間になることを目標として定めた(どうやら計画倒れのようだ)。

マイケルが晩年の域に達し、生涯最後の公演計画を発表し、これから彼がどういう生き様を見せてくれるのかと期待していた矢先に死んでしまった。とても残念なことであった。
そんなことを思う6月26日である。
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FIFTIES が2019年7月17日で閉店

神奈川県平塚市のレストラン・バー FIFTIES が2019年7月17日をもって営業を終了するとのこと
僕は一度しか訪問したことがないけれど、とても残念でなりません。

案内文によれば、営業開始から30年が経ったという。あの人の芸歴が33年くらいだから、ほぼ同じくらいの期間やってたことになりますな。
僕が2012年に行った時はあの人のお母さんがハンバーガーを作ってくれた。その時でずいぶんお年を召していらっしゃると思ったので、続けられなくなっても仕方ないのかなと思う。ラジオで聞いたところによると、お父さんの方は入院していたりもしたらしいし(時期、病状等は不明)。

可能なら、閉店前の七夕に再訪したい。
こんな思い出もあるし