NHK『カーネーション』第54回

札幌には「大通公園」があり、名古屋には「久屋大通公園」のあることまでは知っていたが、横浜の関内には「大通り公園」がある(参考: 横浜の公園発達史)と知って驚きつつ、今日は関内で女の子とジンギスカン・デート(デート?デートなのか!?)する予定の当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第54回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

昭和16年(1941年)。
戦争の影響で、国民の生活にはさらなる変化が表れていた。軍需景気で儲かる商売と、ぜいたく禁止令で経営が難しくなる商売とに分かれてきていた。

ついに背広の売買が禁じられることとなったため、勝(駿河太郎)の仕事はほとんど無くなった。ポツポツと国民服の注文があるのみで、暇な時間は商店街の旦那連中と飲んで遊ぶばかりだった。

隣の履物屋・木岡(上杉祥三)の弟(多々納斉)は小さいながらも縫製工場を持っており、軍から制服の注文を受けたため、時局に乗って大儲けしているという。彼は羽振りよく商店街の旦那連中を招待して宴会を開いた。勝も喜んでそれに出かけるのだった。

奈津(栗山千明)が女将を務める吉田屋も、そういった宴会需要が多くて景気が良かった。また、本土で羽目を外したい軍人たちからも重宝され、奈津は大忙しだった。
一方で、奈津の夫・康夫(真鍋拓)は店の手伝いもせず、商店街の旦那連中に合流して自分の店で飲んだくれる始末だった。婿養子の立場でこれまでは奈津の言いなりになるばかりだったが、周りの男達にはやし立てられたことと酒のせいで気が大きくなり、奈津に口答えして追い返した。奈津は腹を立てるのだった。

糸子(尾野真千子)の婦人服については、今のところ目立った変化はなかった。
ぜいたく禁止令によって、豪華な衣類の売買は禁じられていたが、糸子の巧妙な工夫でそれを回避することができていた。また、女性たちのお洒落心もそう簡単に収まるものではなく、客の方も相変わらずだった。

ところが、同じように女性を相手にする商売である、美容師の八重子(田丸麻紀)は少々事情が違っていた。
パーマネントを求める客の数に変化はなかったが、八重子の心境に変化が表れていた。パーマネントは明示的に禁止されたわけではないが、お洒落は非国民のすることだと言って自粛すべきだという風潮になっているのだ。特に、八重子の息子たちがパーマネントのせいでいじめられるようになってきたことに心を痛めた。しかし玉枝(濱田マリ)は、何事にも良い時と悪い時がある、少々辛いからといって挫けるべきではないと励ますのだった。

そんな矢先、玉枝へ電報が届けられた。戦争に行っていた勘助(尾上寛之)が帰ってくるという。久しぶりの明るい話題に玉枝らは喜んだ。すぐに糸子にも伝えられた。顔見知りだけを集めた、小じんまりとして温かい宴会を糸子の家で開くこととなった。

しかし、主賓の勘助がなかなか現れなかった。
遅れて、兄夫婦の泰蔵(須賀貴匡)と八重子がやってきて、勘助は腹を壊して出席できなくなったという。その日は、主賓抜きであったが明るい夜を過ごした。

ところがおかしなことに、何日経っても勘助は皆の前に姿を現すことがなかった。人に会えないような大怪我でもしているのではないかと心配になった糸子は、勘助の家を訪ねた。
勘助は五体満足であったものの、心神喪失状態で自室に閉じこもっていた。糸子に会うと、無表情のまま「心を失くした」と言って涙を流すのみだった。勘助の変わり果てた姿にショックを受けた糸子は、早々に勘助の元を辞した。

後で、糸子の家に八重子が説明に来た。
戦争でよほど酷い目に遭ったせいだろうということだった。八重子は、懐かしい我が家でゆっくりとさせてやることが何よりの治療法だと言った。必ず良くなると信じて待つのだという。

糸子はやりようのない怒りに震えた。勘助が元通りになると強く願い、信じると共に、彼を変えてしまった戦争を憎むのであった。

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NHK『カーネーション』第53回

童顔巨乳で有名な篠崎愛の主演映画『パンツの穴 THE MOVIE ~童貞喪失ラプソディー~』が11月19日に公開され、2週間も経たずに首都圏で上映する劇場がなくなった挙句、公開から1ヶ月も経たない12月16日に1,470円でDVDが発売されるという情報をゲットし、その潔い投げ売りっぷりに感心する当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第53回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

次女・直子の子守りが岸和田に見つからない。糸子(尾野真千子)と勝(駿河太郎)は、勝の実家へ彼女を預けることにした。勝の実家は馬場(現・貝塚市)の山奥にあった。小原家から距離があるため、一度預けたら大晦日まで会うことができないが、仕方なかった。

勝の実家は、亘(浜口望海)が継いでいる。糸子から見ても、兄よりも弟の方が立派な人物だと思えた。長男の勝が家を継がず、小原家の婿になった理由もわかるようだった。

勝の弟・亘は快く直子を預かってくれた。
しかし、いざ別れの時になると、糸子は名残惜しくてしょうがなかった。特に、眠っている姿はとてもかわいらしく、別れがたくなった。それは勝も同じであった。糸子らが岸和田に帰ろうと玄関を出るや、直子が目を覚まして泣き出す声が聞こえた。あやしに戻ろうとする糸子であったが、母の顔を見ると直子も別れが辛くなると止められ、会うことができなかった。ますます直子のことが気にかかる糸子だった。

岸和田に戻ってからも直子の事ばかりが気がかりで、糸子は仕事に少しも集中できなかった。それは勝も同様だった。

直子を預けて3日目、夜になって突然、勝は実家の直子に会いに行くと言い出した。当然、糸子も同行することとなった。雪が降りしきる中、暗い山道をランプの灯りだけを頼りにやっとのことで勝の実家にたどり着いた。
けれども、直子に会わせてもらえなかった。直子はやっと眠ったところで、今起きるとまた手が付けられなくなって困るというのだ。家の前には壊れた家財道具が積まれており、亘の顔はアザだらけだった。いずれも直子の仕業と思われた。直子によってこれ以上迷惑をかけられないと思ったふたりは、言われるがままに帰ることにした。

帰りの道中、勝はずっと泣き続けていた。いつも底抜けに明るい勝がこんなにも落ち込んでいる姿を初めて見た。そして、そのような勝を見ていると、糸子は逆に冷静になっていくのだった。人の親になるということは、どこか哀れなものなのだと感じいった。同時に、直子のことを考えてばかりいても仕方がないと悟った。

それからの糸子は、仕事の鬼に戻った。
大晦日までの2週間あまり、食事をモリモリと食べ、睡眠時間も削って仕事に明け暮れた。おかげで、河瀬(南条好輝)から引き取った金糸入りの生地100反を全て売りさばいた。受注していた大量の洋服も全て大晦日までに納品できた。

糸子と勝は直子を迎えに行き、無事に家族揃って正月を迎えることができた。
一家での初詣の行き帰りで、少なくとも8人が糸子の作った洋服を着ているのを見つけた。それは誇らしい眺めだった。

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NHK『カーネーション』第52回

先週金曜日のニッポン放送『上柳昌彦 ごごばん!』で、山瀬まみが次の木曜日(すなわち本日)にスパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)へ行くと言っていたので、本当は朝6時に家を出発して追っかけに行きたかった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第52回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

ぜいたく禁止令が発布されたことで、上等な生地の売買が禁じられた。金糸入りの生地を大量に抱えた問屋・河瀬(南条好輝)を助けるため、糸子(尾野真千子)が一肌脱ぐことになった。

糸子は、金糸の部分に黒いリボンを縫いつけた。その黒い線がアクセントとなるようにデザインに活かした。店で働く昌子(玄覺悠子)や妹の静子(柳生みゆ)に着させて宣伝した。さらには、同じデザインでハル(正司照枝)の前掛けまで作った。

上等な生地にしては破格の安さであることに加え、ぜいたく禁止令が解除された後には黒いリボンをはずして金のラインが浮かび上がるなどといったことも評判になり、オハラ洋装店に客が殺到した。糸子は、問屋の不良在庫を全て売りさばくつもりで、次々に注文を受けた。

しかし、繁盛しすぎるのも問題だった。
糸子が抱える4人の縫い子だけでは仕事が捌ききれなくなった。紳士服部門の勝(駿河太郎)とその職人たち2人に協力を依頼したり、母(麻生祐未)や妹たち(坂口あずさ杉岡詩織)に手伝わせたりして、なんとかやりくりした。

それでもなお、次女・直子の子守りの問題が残された。直子の異常な暴れん坊ぶりのせいで、誰も子守りを引き受けてくれないのだ。店の者も糸子も、注文をさばくのに必死で直子の面倒をみる暇はない。善作(小林薫)は長女の優子ばかりをかわいがり、直子を受け入れるつもりはまったくなかった。

他に頼るところもなく、勝の弟の所へ直子を預けることとなった。
ただし、勝の弟は岸和田から遠い馬場に住んでいるため、毎日預けて引き取るわけにはいかない。一度預けたら、大晦日まで会えなくなってしまう。そのため躊躇する糸子であったが、他に選択肢はなかった。

翌日、糸子と勝は馬場へ直子を連れて出かけた。
糸子は山道がとても長く感じた。前回来たときは結婚直後で、戦争もなかったし、子供もいなかった。当時の自分はもっと若くてきれいだったと思うと、ますます気が重くなるのだった。

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NHK『カーネーション』第51回

猫日めくり争奪フォト575大会の締め切りが今日なのに、応募が1件しかなくて少し涙目になっている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第51回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

昭和15年(1940年)、「ぜいたく禁止令」が発布され、嗜好品の売り買いができなくなった。

甘い物が大好きな糸子(尾野真千子)は、栗まんじゅうが食べたいのに大福しか売っていないと言ってカリカリしていた。国民に辛抱を強いているようでは戦争に勝てるわけがないと、糸子は声高に不平を漏らした。
妹の静子(柳生みゆ)らは、国や軍の聞きとがめられると困るといって落ち着かせようとするのだが、糸子の勢いは止まらなかった。

ぜいたく禁止令は、糸子の商売にも影を落とした。100円以上の洋服は贅沢だといって販売が禁止された。
しかし、それでも糸子はめげなかった。決められた価格の中でとびきり上等な洋服を作ろうと、むしろ意欲を燃やすほどだった。その努力は客たちにも認められた。金を支払えない代わりに、食料品を持って来てくれる者が大勢いた。そのおかげで、糸子の生活も助けられた。

けれども、儲けを度外視すた糸子の態度は、雇い人のリーダー格・昌子(玄覺悠子)の非難の対象となった。価格が規制されているのに、上等な生地を使ったり、丁寧な縫製をしているせいで微々たる利益しかあげられていないというのだ。
昌子の言い分は理解できるものの、糸子は洋服の質を落とすことだけはしたくなかった。さっきまで国や軍部の方針を批判していた舌の根も乾かぬうちに、糸子は国の非常時だから仕方ないと方便を使うのだった。この様な時局だからこそ、自ら率先して国民に奉仕することが重要だと主張した。
糸子の調子のいい様子に、一同は呆れてしまって、その場は収まった。

一方、糸子は仕事を進める上で、もう一つ悩みの種があった。次女・直子の子守が見つからないことである。直子は桁外れにやんちゃな子供だった。まだ1歳かそこらなのに、夜中に起きだして花瓶の花を振り回したり、住み込みの縫い子の布団の上に登ったりして暴れまくった。子守りをお願いした家の中もめちゃくちゃにしてしまうので、たった1日で断られる始末だった。
善作(小林薫)に面倒を看るよう頼んだが、長女・優子の世話で手一杯だといって断られてしまった。優子は体が弱いので目が話せず、直子にまで引き受けるのは難しいというのだ。

糸子は仕方なしに、直子を自分で背負って仕事をすることにした。しかし、それはなかなか難儀なことだった。

ある日、糸子は、善作からいい話があると言って呼び出された。
直子の子守りでも見つかったのかと思い、喜んで出かけていったのだが、そこで会ったのは生地問屋を営む河瀬(南条好輝)だった。河瀬のもとには高級な布地が大量にあるのだが、ぜいたく禁止令のあおりで売れなくなって困っているという。金糸がたった一筋入っているだけで販売禁止となってしまったのだ。
問題の生地を見せられた糸子は、それを気に入った。以前はこのような布をよく使っていたのだが、今は手に入らなくて残念に思っていたのだ。そしてまた、この布がぜいたく禁止令に抵触しないように仕立て上げる方法を考えることに意欲を燃やした。

糸子は、問題の生地を引き取ることにした。

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NHK『カーネーション』第50回

大泉洋主演の映画『探偵はBARにいる』のディスクが来年の2月に発売になりますよ、Amazon なら現在27%引きですよ、と宣伝する当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第50回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

第二子を身ごもった糸子(尾野真千子)は、半ば強引に神戸の祖父母宅で静養させられていた。しかし、仕事をしていないと退屈であるばかりか、岸和田の店のことばかりが気になるのだった。

神戸では、親族が所有する紡績工場の今後について深刻な話し合いが行われていた。民間向けの事業はほとんど立ち行かなくなり、別の企業と合併するか、軍に衣料品を納めるかしなくてはならない状況に立たされた。親から引き継いだ会社の伝統を大切にしている祖母(十朱幸代)は、合併にも軍需産業にも大反対だった。しかし、祖父(宝田明)やおじ(田中隆三)は、時局だから仕方ないと諦め始めていた。
その様子を垣間見た糸子は、自分の店もいつまで安泰でいられるだろうかと心配になるのだった。

祖父母たちが用事で出かけたのをいいことに、糸子は家を抜けだして岸和田に向かった。電話であれこれ指示を出しても埒があかないのにじれったくなったのだ。岸和田に少しだけ滞在して、すぐに神戸に戻ってくるつもりだった。

しかし、岸和田に向かう道中で陣痛が始まった。なんとか家の近所までたどり着いたが、もうそれ以上動けなくなり道にうずくまった。偶然通りがかった木之元(甲本雅裕)に家まで運んでもらい、すぐにお産の準備が整えられた。

長女のお産と違って今回は難産だった。起伏のない、苦しい陣痛が何時間も続いた。12時間以上経過し、深夜にやっと次女が生まれた。なかなか生まれてこなくて苦労させられた。今後は素直な子に育つようにと、直子と命名された。

会社の存続で気を病んでいた祖父母も駆けつけてきた。糸子が家を抜けだしたことを叱りもせず、子供が生まれたことを大喜びしてくれた。子宝に恵まれてさえいれば、他の物を少しくらい失っても良いとにこやかに話すのだった。
なかなか生まれず、気を揉んでいた善作(小林薫)と勝(駿河太郎)も安堵した。生まれる前は男の子が欲しいと願っていたふたりだが、いざ元気な女の子を目の当たりにすると、性別へのこだわりはなくなった。新しい子がかわいくて仕方がなかった。

糸子は、髪結いの玉枝(濱田マリ)にも直子を見せに行った。最近では、八重子(田丸麻紀)の手がけるパーマネントが評判を呼び、店は繁盛していた。
そこでは、戦地の勘助(尾上寛之)から届いたハガキを見せてもらった。文面を読むと、他人の目を意識してか、当り障りのないことしか書かれていなかった。糸子には、幼なじみの彼が、どこか知らない人間のように思われるのだった。

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NHK『カーネーション』第49回

糸子と勝が『新婚さんいらっしゃい!』に出場した様子を妄想している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第49回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

昭和12年(1937年)、日本は中華民国との戦争を拡大しつつあった。
勘助(尾上寛之)に召集令状が届いた。そのことで勘助は落ち込んでしまった。以前に工場で働いていた時、上司に怒鳴られてばかりで仕事を辞めたことを思い出し、軍隊では厳しくしごかれるのが不安でならないのだ。その上、死と隣り合わせになることに恐怖を感じていた。

そんな勘助の思いとは逆に、近所の人々は明るく勘助を送り出した。
日露戦争に出征した経験のある善作(小林薫)は、自分はこうして生きて帰ってきた、だから勘助も大丈夫だと言って安心させた。また、必ずしも前線に配属されるわけではなく、訓練や後方勤務だけで帰ってこれるかもしれない。そうやって励まされているうちに、勘助は気を取り直すことができた。
少々心配であった糸子(尾野真千子)も、勘助に元気が出たことに安心し、明るく彼を送り出すのだった。

しかし、糸子は国や軍のやり方に気に入らない所があった。
勘助が出征して2ヶ月経った頃、彼から玉枝(濱田マリ)にハガキが届いた。ところが文面の所々が墨で塗りつぶされていた。どうやら、軍部の検閲に該当する文言が書かれていたようだ。そのようなやり方が、糸子には気に入らなかった。

国家総動員法が発令され、国民は軍に協力し、物資も軍に優先的に回されることとなった。国はどんどん日中戦争にのめり込んでいった。報道では日本軍の連戦連勝であったが、一向に戦争が終わる気配が見えなかった。

昭和14年(1939年)7月には国民徴用令も施行された。人々はますますの節約と軍への物資提供を求められた。たとえば、綿は作るのも売るもの規制がかけられた。繊維工業に大きく依存していた大阪は、その影響を大きく受けた。

ただし、そのような中でも糸子の店はますます繁盛していた。
岸和田の女性たちは洋装という新しいおしゃれに目覚め、毎日客がひっきりなしにやって来た。糸子の婦人物だけではなく、勝(駿河太郎)の紳士物の方も何人かの職人を雇うほどになっていた。

また、糸子は第二子を妊娠していた。
ところが、腹が大きくなっても店の中で忙しく動き回っていた。無理がたたって、店の中で倒れてしまった。

善作とハル(正司照枝)が中心となって糸子を説得し、彼女は神戸の祖父母宅で静養することとなった。糸子は店のことが心配でならなかったが、それに従うほかなかった。

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NHK『カーネーション』第48回

『動物のお医者さん』(佐々木倫子)のワンシーンを引き合いに、「北海道の人って、本当に自分が歩くところしか掃除しないんですね」とバカにされたことのある当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第48回目の放送を見ましたよ。

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第8週「果報者」

昭和10年(1935年)1月。
糸子(尾野真千子)が勝(駿河太郎)と結婚してから2ヶ月が経過した。祖母・ハル(正司照枝)を加えた3人暮らしにも慣れてきた。勝が紳士服を担当してくれるおかげで男性客も増え、店は繁盛していた。家内安全と商売繁盛に恵まれ、糸子は結婚して良かったと喜んでいた。

しかし、糸子は祖母から怒られてしまった。というのも、これまで1日たりとも夫婦は同じ部屋で寝たことがなかったのだ。ふたりで仕事以外の話をしたこともなく、まるで勝が雇われ職人のようだというのだ。今夜こそ一緒に寝て、夫婦として向きあえときつく言いつけられた。

祖母に従って、糸子は初めて勝と布団を並べた。しかし、どんな話をすれば良いのかわからずに戸惑った。
糸子は思っていることを正直に話そうと思い、自分は仕事が最優先であると打ち明けた。自分は世間一般の妻のようにはなれない、何が起きようと死ぬまで仕事を続けるであろうと言い、謝った。そして、勝がどうして自分のような女と結婚する気になったのかさっぱり分からないと言った。

勝の返答は、糸子の働いている姿に惚れたというものだった。ロイヤル紳士服点で一緒に働いていた時、糸子は先輩たちにいびられてもめげず、愚痴も言わず、いっさい手を抜かなかった。その仕事ぶりに惚れたのだ。だから、好きなだけ仕事をすればいいと告げた。家のことは全てハルに任せよう、彼女が良いものを食べて長生きできるように、ふたりで一生懸命稼ごうと誓い合うのだった。
それをきっかけに、ふたりはいろいろな話をした。将来のこと、子供のこと、店のこと。話をしながら、糸子はこの結婚をして本当に良かったと心から思った。

2年が経過し、昭和12年(1937年)1月になった。
糸子の店は順調に成長していた。店名を当世風に「オハラ洋裁店」と改め、看板や店構えも立派になっていた。妹の静子(柳生みゆ)を含め、縫い子を4人ほど雇うほど事業が大きくなった。善作(小林薫)は、焦って店を大きくすると必ず失敗するなどと小言を言うが、糸子には釈迦に説法という感じであった。

そして、もう一つ、糸子に大きな変化があった。妊娠し、臨月を迎えていた。
大きな腹を抱えながらも、店の一番前で仕事を続けていた。むしろ、仕事に支障を来すので妊娠とは厄介で面倒なものだと思うほどだった。子供を産み終わったら、すぐにでも仕事に復帰するつもりでいた。

しかし、出産はそれほど生やさしいものではなかった。なんとか無事に元気な女の子を産むことができたが、疲労困憊した。仕事のこともどうでもよくなり、3日ほどは何もせずに寝るつもりだった。けれども、娘は夜中でも関係なく泣き始め、ゆっくりと休ませてはくれない。糸子のあてが完全に外れてしまった。

それでも、赤ん坊が可愛くて仕方なくなった。自分でも、赤ん坊のことがこんなにかわいく思えるとは事前に予想できないことだった。
そして、もっと予想外だったことは、善作がデレデレと孫をかわいがることだった。糸子から孫を強引に取り上げ、昼は自分が専門に子守をするなどと勝手に決めてしまうほどだった。

長女は優子と命名された。

昭和12年(1937年)9月。
糸子は当然仕事に復帰していた。仕事中は隣町に住む善作に子を預け、夕方に迎えに行くという生活になっていた。

糸子は、優子を背負って家に帰る時間を愛していた。同時に、不思議なことに自分の心境に変化が現れていることにも気づいていた。いつも強気でどんなことも前向きに考えるはずの自分が、優子のことを考えると弱気になっていることを自覚したのだ。優子が平穏無事に成長できるかどうか、不安に思わずにいられなくなるのだった。

歩いていると、幼なじみの勘助(尾上寛之)に出くわした。浮かない顔をして、召集令状を受け取ったと糸子に告げるのだった。

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NHK『カーネーション』第47回

Mな当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第47回目の放送を見ましたよ。

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第8週「果報者」

結婚式当日まで仕事を続けていた糸子(尾野真千子)。無理がたたって膝を痛め、一歩も動けなくなってしまった。結婚式の宴は始まっているのに、花嫁だけが不在だった。
糸子の幼なじみで、会場の料理屋の若女将・奈津(栗山千明)は、じれったくなって家まで様子を見に来た。近所の助けを借りて糸子を式場まで運ぼうとしたが、みんな糸子の結婚式に出かけて留守だった。

仕方のない奈津は、自分で糸子を背負って会場に向かった。口では糸子をなじり続けていたが、力の限りを尽くして糸子を無事に送り届けた。

しかし、肝心の花嫁衣裳を家に忘れてきたことに気づいた。ただでさえ花嫁が異例の遅刻をしているのに、これ以上時間を浪費するわけにはいかなかった。
見兼ねた奈津が、自分の花嫁衣裳を貸してくれた。奈津の結婚式直前に父(鍋島浩)が死亡し、式が中止になったために自分では着ることのできなかった高価な白無垢であった。おかげで、糸子はとても美しい花嫁姿となった。

糸子が会場に入ると、列席者は例外なく皆できあがっていた。新婦の父である善作(小林薫)が場を掌握しよとしても、誰も言うことを聞かないほどの混乱ぶりだった。
勘助(尾上寛之)などはできもしない曲芸を見せたりしていた。ただし、勘助が曲芸をやるのも、奈津に命じられてのことだった。花嫁の不在をなんとか取り繕うとする、奈津の配慮だったのだ。

糸子は席に着くと、まずは花婿の勝(駿河太郎)に遅刻を謝った。けれども、勝は「仕事なら仕方がない」と言って全く気にしていなかった。
集まった列席者も、糸子のことを責めるものはいなかった。むしろ、心の底から祝福してくれているのがありありと分かった。糸子が一人ひとりに視線を送ると、誰しもがにっこりと微笑んでくれた。例外は、照れて難しい顔をしている善作と、無様な糸子に腹を立てている奈津のふたりだけだった。
その二人を含め、みんなの助けで自分は幸せな結婚ができるのだとしみじみ思った。自分は果報者だと思うと、嬉しくて涙が出た。

翌朝、糸子はいつものように2階の自室で目を覚まし、朝食を摂るために茶の間へ降りた。今日は看護婦の制服10着の納品日なので忙しいのだ。
すると、勝が茶の間に布団を敷いて寝ていた。自分が結婚したことを忘れていたのだ。糸子はどうも調子が狂うと思って、落ち着かなかった。知らない男が家にいることが奇妙に思えたし、勝の下着の洗濯が恥ずかしかった。その日の夜も、互いに気を使いたくないと申し合わせて、別室に布団を敷いて寝た。

それでも、勝が家にいてくれて、糸子とハル(正司照枝)は何かと都合が良かった。
膝を痛めている糸子の代わりに、勝が病院への納品に行ってくれたことには助けられた。また、細かいことには頓着せず、いつも機嫌の良い勝のおかげで家の中が明るくなるのがわかった。同居人として申し分のない男だと思うのだった。

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NHK『カーネーション』第46回

ここの1枚目の写真(第8回名古屋CVPRML勉強会: とうごろぐ)のモデルは当方の知り合いであり、補正前で十分美人さんじゃねーかと言えるわけで、そんな彼女と初めて出会った時に交際を申し込もうと思ったこともあるわけだが、その時はまさに彼女自身の結婚式だったという間の悪い当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第46回目の放送を見ましたよ。

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第8週「果報者」

糸子(尾野真千子)は、タバコの栽培に使うという300坪のテントを一晩で縫い上げる仕事を引き受けた。
結婚が決まってからというもの、周囲のみんなはとても喜んでくれた。しかし、その結婚は親や親戚がトントンと決めていったもので、自分自身は何もしていない。だから、祝福される度に居心地が悪かった。
そんな矢先、自分を頼ってきてくれた客(はりた照久)がいた。それは自分の手柄だと胸を張れる。だから、無理な仕事でも喜んで引き受けたのだ。

テントを縫い始めると、それは思っていたよりも大変な作業だった。大量の布地が部屋中に散乱するし、休みなく徹夜で縫い続けなくてはならない。そして何よりも、テント用の分厚い生地は針がすぐに折れてしまうし、ミシンを動かすために通常以上の力で強く踏み板を押さなければならなかった。

糸子は夜半に膝の違和感を覚えた。明け方に無事テントは完成したが、その時には自分の足で立つことができなくなってしまった。
慌てた祖母(正司照枝)は、隣に住む履物屋の木岡(上杉祥三)をたたき起こして糸子を病院に連れて行ってもらった。
処置が早かったため、松葉杖を使えば自分で歩けるところまで回復したが、医者(国沢潤三)から向こう1週間はミシンの使用を禁じられた。

その間は、花嫁衣裳の生地合わせをするなど、のんびりと過ごした。神戸の祖母(十朱幸代)や母(麻生祐未)は大はしゃぎであれこれ注文をつけていたが、糸子はいちいち面倒くさくて仕方がなかった。結婚式など早く終わってしまえばいいと、どこか他人ごとのようであった。

一方で、結婚祝儀のかわりだと言って、洋服を注文してくれる人がぽつぽつと現れた。そのおかげで今月は少しばかりの利益が出そうだと、糸子はほくほくした。
けれども、仕事が増えた分はきっかり膝への負担となった。糸子の病院通いは長引いた。

ところがある日、看護婦たちの和装を見た糸子は、新しい洋服の売り込みのチャンスだと気づいた。
医者に掛けあって、10着分の制服を受注することができた。膝への負担を考えると医者は難色を示したのだが、「弟子が3人いて、彼らにミシンを任せている」と嘘をついて説得した。

ただし、困ったことに、家に帰ってきてから予定表を再確認すると、医者と約束した納品日は自分の結婚式の翌日であった。一瞬困った糸子であったが、少し早めに仕事をして結婚式の前日までに仕上げれば問題ないだろうと、あまり気にしなかった。

ところが、一向に良くならない膝のせいで、思ったように仕事が進まなかった。残り1着となったところで、結婚式当日を迎えてしまった。
祖母や母が会場に行くよう急かすのだが、仕事を終えてから行くと言って聞かなかった。彼女らを先に会場に向かわせ、糸子は一人で作業を続けた。

夕方になり、結婚式の開始時刻となった。列席者はみな揃ったのだが、肝心な花嫁席だけが空白だった。客を待たせるのも申し訳ないと、善作(小林薫)と花婿の勝(駿河太郎)が申し合わせて、先に宴を始めてしまうことを決めた。

会場の若女将である奈津(栗山千明)も、自分のことのようにイライラし始めた。花嫁のいない結婚式などあってはならないとカンカンに怒っていた。
しびれを切らせた奈津は、自分一人で糸子の家へ迎えに行くことにした。

すると、糸子がミシンの前で倒れているのを見つけた。

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NHK『カーネーション』第45回

誰が書いたかは知らないが、wikipedia の天本英世に「忘れえぬ人を想い続け、生涯独身であった。」と書いてあるのを見つけて、そのフレーズも、天本英世もカッコいいなと思った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第45回目の放送を見ましたよ。

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第8週「果報者」

糸子(尾野真千子)が店で仕事をしていると、神戸の祖父(宝田明)がひょっこり現れた。仲の良いふたりは、はしゃぎながら再会を喜んだ。
しかし、祖父の背後から善作(小林薫)が姿を表すと、糸子は怪訝な表情を浮かべた。折り合いの悪いはずのふたりが一緒にいる理由に心当たりがなかった。身近な誰かに不幸でもあったのではないかと、不安が募るばかりだった。けれども、彼らはにこやかで、これまでになかったほどふたりは親しげにしていた。

善作の話は、糸子の結婚についてだった。
糸子は21歳で適齢期、自分の店を開店させた直後でもあり、時期として申し分がないという。相手の川本(駿河太郎)も評判のいい好青年であり、婿養子になっても良いと言ってくれている。糸子が婦人服、川本が紳士服を担当すれば店の繁盛も間違いない。これ以上の相手はいないと強く推すのだった。

その場はそれで収まったが、糸子は全く結婚する気になれなかった。今は仕事のことで頭がいっぱいで、それ以外のことは全て排除しておきたかったのだ。

糸子は、良き相談相手の八重子(田丸麻紀)を訪ねた。しかし、八重子の意見も糸子に結婚を勧めるものだった。
八重子も糸子と同じように、自分の仕事を第一だと考え、結婚する気は全くなかった。自分は美容師として大成することを考えていた。親に勝手に進めた縁談で、結婚式の日まで夫となる泰蔵(須賀貴匡)に会ったことすらなかったという。けれども、今では強引に結婚を決めた親に感謝をしているという。嫁ぎ先の義母(濱田マリ)は髪結いであり、自分はそれを手伝うことで夢を実現できた。幸せな家族にも恵まれている。
今にして考えれば、無理強いした親にむしろ感謝していると言うのだった。

八重子の話を聞いて家に帰ると、母・千代(麻生祐未)が隣町から訪ねてきてくれた。
早合点した母は、糸子の結婚がすでに決まったものと思い、泣きながら喜んだ。母は川本に一度だけ会ったことがあるが、その時のことを引き合いに出し、あの男なら間違いなく糸子とうまくやれると言っておいおい嬉し泣きをした。
その母の様子が決め手となって、糸子は結婚することを承諾した。

結婚を決めてしまうと、その後は物事がトントン拍子に決まっていくし、周囲もにわかに騒がしくなった。会う人はみな、口々に糸子のことを祝福してくれたし、糸子の結婚式の噂で持ちきりになった。けれども、糸子はそれが却って気に入らなくてムシャクシャした。自分が晒し者になった気がして、少しも嬉しくなかった。

ある日、糸子の店に一人の客(はりた照久)がやって来た。彼は大八車に大量の生地を載せ、他の店で仕事を引き受けてもらえなかった、糸子が最後の望みだと言って必死にすがるのだった。かなり難しい仕事のように思えたが、彼の困った様子を見ていると助けてやらずにはいられなくなった。

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