札幌には「大通公園」があり、名古屋には「久屋大通公園」のあることまでは知っていたが、横浜の関内には「大通り公園」がある(参考: 横浜の公園発達史)と知って驚きつつ、今日は関内で女の子とジンギスカン・デート(デート?デートなのか!?)する予定の当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第54回目の放送を見ましたよ。
昭和16年(1941年)。
戦争の影響で、国民の生活にはさらなる変化が表れていた。軍需景気で儲かる商売と、ぜいたく禁止令で経営が難しくなる商売とに分かれてきていた。
ついに背広の売買が禁じられることとなったため、勝(駿河太郎)の仕事はほとんど無くなった。ポツポツと国民服の注文があるのみで、暇な時間は商店街の旦那連中と飲んで遊ぶばかりだった。
隣の履物屋・木岡(上杉祥三)の弟(多々納斉)は小さいながらも縫製工場を持っており、軍から制服の注文を受けたため、時局に乗って大儲けしているという。彼は羽振りよく商店街の旦那連中を招待して宴会を開いた。勝も喜んでそれに出かけるのだった。
奈津(栗山千明)が女将を務める吉田屋も、そういった宴会需要が多くて景気が良かった。また、本土で羽目を外したい軍人たちからも重宝され、奈津は大忙しだった。
一方で、奈津の夫・康夫(真鍋拓)は店の手伝いもせず、商店街の旦那連中に合流して自分の店で飲んだくれる始末だった。婿養子の立場でこれまでは奈津の言いなりになるばかりだったが、周りの男達にはやし立てられたことと酒のせいで気が大きくなり、奈津に口答えして追い返した。奈津は腹を立てるのだった。
糸子(尾野真千子)の婦人服については、今のところ目立った変化はなかった。
ぜいたく禁止令によって、豪華な衣類の売買は禁じられていたが、糸子の巧妙な工夫でそれを回避することができていた。また、女性たちのお洒落心もそう簡単に収まるものではなく、客の方も相変わらずだった。
ところが、同じように女性を相手にする商売である、美容師の八重子(田丸麻紀)は少々事情が違っていた。
パーマネントを求める客の数に変化はなかったが、八重子の心境に変化が表れていた。パーマネントは明示的に禁止されたわけではないが、お洒落は非国民のすることだと言って自粛すべきだという風潮になっているのだ。特に、八重子の息子たちがパーマネントのせいでいじめられるようになってきたことに心を痛めた。しかし玉枝(濱田マリ)は、何事にも良い時と悪い時がある、少々辛いからといって挫けるべきではないと励ますのだった。
そんな矢先、玉枝へ電報が届けられた。戦争に行っていた勘助(尾上寛之)が帰ってくるという。久しぶりの明るい話題に玉枝らは喜んだ。すぐに糸子にも伝えられた。顔見知りだけを集めた、小じんまりとして温かい宴会を糸子の家で開くこととなった。
しかし、主賓の勘助がなかなか現れなかった。
遅れて、兄夫婦の泰蔵(須賀貴匡)と八重子がやってきて、勘助は腹を壊して出席できなくなったという。その日は、主賓抜きであったが明るい夜を過ごした。
ところがおかしなことに、何日経っても勘助は皆の前に姿を現すことがなかった。人に会えないような大怪我でもしているのではないかと心配になった糸子は、勘助の家を訪ねた。
勘助は五体満足であったものの、心神喪失状態で自室に閉じこもっていた。糸子に会うと、無表情のまま「心を失くした」と言って涙を流すのみだった。勘助の変わり果てた姿にショックを受けた糸子は、早々に勘助の元を辞した。
後で、糸子の家に八重子が説明に来た。
戦争でよほど酷い目に遭ったせいだろうということだった。八重子は、懐かしい我が家でゆっくりとさせてやることが何よりの治療法だと言った。必ず良くなると信じて待つのだという。
糸子はやりようのない怒りに震えた。勘助が元通りになると強く願い、信じると共に、彼を変えてしまった戦争を憎むのであった。
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