『花のズボラ飯』は山瀬まみで実写化するのが良いという意見(ただし最終的には篠崎愛が推されている)を見て、眼から鱗が落ちるとともに、それを先に思いつかなかったことに忸怩たる思いの当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第64回目の放送を見ましたよ。
昭和18年(1943年)3月。
善作(小林薫)の大やけどから2ヶ月ほど経った。まだリアカーに乗らなければ通院ができない状態だったが、経過は良好で、体を支えてもらえば自分で歩けるようになったし、顔の皮膚もずいぶんと再生し、はっきりとしゃべることもできるまでに回復していた。
ただし、自分がボヤで大やけどを負ったということは他人には伏せていた。たとえば、転んで焚き火に落ちた老婆を助けるためにやけどしたなどと嘘を言って回った。善作は自分が恥ずかしかったのだ。若者たちが戦争で死んだり、大怪我をしているさなか、ボヤごときで大怪我をしたことを恥じていたのだ。
その頃、日本軍はガダルカナルを放棄した。報道では戦略上の転身だと言われていたが、疑り深い人々の間では日本軍の敗退であることは明らかに思われた。まだ敗北が決まったわけではないが、日本が苦戦していることは分かった。
勝(駿河太郎)からハガキが届いた。糸子(尾野真千子)はざっと目を通して彼が生きていることを確認すると、昌子(玄覺悠子)に手渡して子供たちに代読するよう言いつけた。
自分は、まだ勝の浮気を許したわけではない。自分がハガキを読むと子供たちの前で怒り出すことがわかっていたので、それを避けたのだ。
しかし、それでも、糸子は勝が生きて帰ってくることを願った。怪我をしてでもよいから帰ってきて欲しいと思った。自分の手でしっかりと勝を休ませ、回復させてやろうと思った。そして、元気になったら、浮気の件をこってりと絞り上げようと決意するのだった。
着物に戻せるモンペ教室は繁盛していた。連日定員オーバーで、希望者を店頭で追い返すほどだった。入学式や結婚式、さらには夫や息子の出征見送りに、明るく華やかなモンペを身に付けたいという女性が殺到したのだ。
授業を開始しようとした矢先、八重子(田丸麻紀)が思いつめた表情で、慌てて駆け込んできた。どうしても今日中にモンペの作り方を教えて欲しいというのだ。
他の生徒への配慮や、安岡家との確執など複雑な思いはあったが、糸子は彼女を受け入れた。
モンペの作り方を教えながら八重子の方を盗み見ると、彼女は涙を流しながら着物にハサミを入れていた。
他の生徒達が帰った後も、八重子だけは何も言わずに座り続けていた。他に誰もいなくなったところで、ふたりはよそよそしい敬語で話し始めた。
八重子の夫で、糸子も小さい時から慕っていた泰蔵(須賀貴匡)が翌々日に出征することになったという。八重子は彼を華々しく見送るために、どうしてもきれいなモンペで送り出したかったのだという。
さらに八重子は、玉枝(濱田マリ)や勘助(尾上寛之)は落胆してまともに見送ることができないだろうと言い、代わりに糸子が見送りに来て欲しいと言うのだ。出征する泰蔵には明るい思い出と共に旅立ってほしい。そのためには、糸子の協力が必要だというのだ。
八重子につられて、糸子も激しく泣いた。自分が八重子や勘助に行った酷い言動を許してくれていることに涙が止まらなくなった。
ふたりは泣いて抱き合いながら和解した。
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