NHK『カーネーション』第57回

明日の朝は移動の予定で、リアルタイムに放送を見ることができないため、まとめ記事の投稿が遅れることをアナウンスする当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第57回目の放送を見ましたよ。

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第10週「秘密」

勝(駿河太郎)が突然、糸子(尾野真千子)を歌舞伎に誘った。
しかし、糸子は全く乗り気がしなかった。まず、仕事を休みたくはなかった。どうせ仕事を休むなら、出かけるよりも寝ている方がよほどマシだ。都会に出かけるのにふさわしい着物を持っていないのも気詰まりだ。大嫌いな歌舞伎役者・春太郎(小泉孝太郎)の顔を見るのもおぞましい。
けれども、結婚してから一度も夫婦らしいことをしたことがないという勝の説得に圧される形で、しぶしぶながら出かけることにした。

糸子が一切化粧をしていないことをハル(正司照枝)に咎められた。自分のためにするのではなく、勝に見てもらうために化粧をするのだとハルに言い含められ、静子(柳生みゆ)が大事にしている口紅を塗ってから出かけた。

電車に乗ってもつまらなそうにしていた糸子であったが、難波の街に一歩足を踏み出すと、急にウキウキとしはじめた。難波には戦争の暗さはほとんどなく、行き交う人々はみなお洒落に着飾っていた。華やかな雰囲気に気分も高揚し、大嫌いだった春太郎にすら寛大な気持ちを持つことができた。

歌舞伎場のホールで、菊乃(赤松悠実)という芸妓が勝に声をかけてきた。彼女は二言三言社交辞令を言うと、歌舞伎の見物もせずに帰ってしまった。
糸子は、勝の意外な顔の広さと、歌舞伎場まで来て何も見ずに帰ってしまった菊乃の行動を不思議に思った。けれども、勝が平然としているのでそれ以上は何も聞かず、歌舞伎に熱中した。

歌舞伎が終わると、心斎橋百貨店に向かった。
ここは、以前に糸子が制服を作った店なのだが、今では旧態然とした和装の制服に戻ってしまっていた。勝に自分の仕事を見せたかったのだが、それがかなわずにがっかりした。

用事がすんだので帰ろうとする糸子を引き止め、勝は百貨店で糸子のためにショールを買ってくれた。何枚か肩に当てて試しているうちに、糸子はますます楽しくなってきた。勝が自分に優しくしてくれることも心地よかった。
ショールを試着しながら鏡を見ると、自分の口紅が取れかかっていることに気づいた。自分が口紅すら持ち歩いていないこと、および、化粧の崩れた姿を勝に見せることに少々恥ずかしい思いがした。

それでも、その日は糸子にとって良い日になった。
ふたりが初めて夫婦らしくなったと思い、とても嬉しかった。これまで、仕事と子供たちのことばかり考え、勝のことは単に仕事に都合の良い同居人くらいにしか思っていなかった。
けれども、この日を境に、勝のことをとても愛おしく思うようになった。糸子は、勝のために毎日口紅を塗るようになった。勝が出かけるときには、姿が見えなくなるまで手を振って見送るようになった。
夫の勝のことを絶対に失いたくないと思うのだった。

ところが昭和17年(1942年) 12月1日、ついに勝に召集令状が届いた。

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NHK『カーネーション』第56回

対談記事が読みたくてわざわざ週刊アスキー12月6日号を2週間前に買っていたのだが、昨日「大槻ケンヂ×みうらじゅん “スティーブ・ジョブズ”をガチで語る!」にその掲載内容はもちろん、紙面ではカットされた秘密部分まで全て公開されているのを見つけ、「すげえや!太っ腹!!」と叫んだ当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第56回目の放送を見ましたよ。

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第10週「秘密」

糸子(尾野真千子)のお節介のせいで、勘助(尾上寛之)は完全に神経が参ってしまった。彼の母・玉枝(濱田マリ)は糸子のせいだと責め立て、ついには糸子の商売繁盛を妬んだり、人格を否定する発言をした。その時、糸子は何も反論をしなかった。

翌朝、糸子が店の雨戸を開けると、勘助の義理の姉・八重子(田丸麻紀)が立っていた。八重子は玉枝の無礼を詫びた。家業の美容院の経営が苦しい上に、勘助の調子も悪くなったことで、玉枝は心労が絶えなかったのだ。近頃では家族にもつらく当たることが多い。根の優しい玉枝のことだから、しばらくすれば元に戻る。どうか許して欲しいと言うのだった。

ところが、糸子はその謝罪を受け入れなかった。
自分は安岡の家族ではないので、そもそも我慢したり仲良くしたりする筋合いはない。元々自分は他前から目障りに思われていたに違いない。店は繁盛しているし、勘助を弟のように構っていた。それらが玉枝には気に入らないのだろうと断定した。
もう二度と安岡家には近づかないと言い放ち、八重子にもよそよそしく接し、彼女を追い返した。

しかし、糸子も苦しかった。本当は安岡家と仲良くしていきたかった。けれども、その態度を素直に表すことができなかった。気持ちとは裏腹に、八重子に八つ当たりしてしまったことに自己嫌悪した。
人恋しくなった糸子は、娘の直子(心花)をきつく抱きしめた。ところが、その無遠慮な行動は直子にまで嫌がられた。自分を受け入れてくれる人は誰もいないと思い、ますます落ち込んだ。
ついに、仕事も放り出して、二階でふてくされて寝てしまった。

糸子の事情には関係なく、店には客が殺到していた。もうすぐ衣料品の配給制度が始まるので、その前に気に入った洋服を手に入れようとする客が多いのだ。
縫い子のリーダー格の昌子(玄覺悠子)に叱られても、糸子は全く仕事をする気がなかった。自分が稼ぐと、その分よその誰かの稼ぎが減り、貧乏な人を苦しめることになる。だから、自分は仕事をしない方が良いなどと屁理屈を言うようになった。

怒った昌子と揉み合いになり、ふたりは絡みあったまま階段を転げ落ちた。それが刺激となり、糸子は自分を取り戻した。
自分には大切な家族のほか、生活の面倒を見ている7人の縫い子、さらに自分を待ってくれている大勢の客がいる。誰から嫌われようとも、自分の大切な人たちを守るために自分が頑張らねばならないと思い出した。戦争にも貧困にも負けず、自分は自分らしくやっていくのだと決意した。

その日の夕、安岡家の前におすそ分けの野菜をこっそりと置き、それを餞別として彼ら一家のことを頭から追いやった。もう玉枝や勘助のことで悩むことはしなかった。

昭和17年(1942年)9月。
衣料品の配給制度が始まった。衣料品の欲しい人は衣料切符と共に購入しなくてはならない。店側は、回収した切符を配給所に提出し、売れた分だけしか生地を仕入れることを許されなかった。仕入れに難儀するかと思われたが、偶然にも勝(駿河太郎)が配給係に任命されたので、何かと融通が効いて助かっていた。

配給制度が始まっても、オハラ洋装店は順調だった。他の勤め先を解雇された妹の清子(坂口あずさ)と光子(杉岡詩織)を縫い子として働かせることができるほどだった。その上、衣料切符の整理係として善作(小林薫)を使うほど、人手が足りなかった。

そして、糸子は3人目を身ごもっていた。

また、最近、勝が夜遊びをするようになった。
本人は夜釣りに誘われたなどと言って健全な遊びであるかのように振る舞うのだが、昌子が言うには悪い遊びに違いないという。けれども、糸子はまったく頓着しなかった。糸子は仕事や子供たちのこと、戦争の行く末など他にたくさん考えるべきことがあった。勝がひとりで機嫌よくしている分には、糸子にとって何の問題もなかった。だから放っておくことにした。

11月のある夕。
店じまいの時間になると、勝が珍しく歌舞伎に誘ってくれた。

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NHK『カーネーション』第55回

本作の善作や、ドラマ『深夜食堂』のマスター役などで小林薫のことを好ましく思っていたのだが、映画『秘密』で僕たちの憧れの広末涼子とイチャイチャしているのを見て敵視していたことを思い出した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第55回目の放送を見ましたよ。

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第10週「秘密」

昭和16年(1941年)12月8日。
日本軍はアメリカ軍と交戦状態になり、大東亜戦争が始まった。人々はそれを喜び、熱狂しだした。
一方で糸子(尾野真千子)は、また戦争が始まったことを苦々しく思うのだった。思うように商売がしたいので、勝っても負けても良いから早く戦争が終われと密かに願うのだった。

国民への規制も強化されていった。
女性はモンペ着用が半ば強制された。洋装店主の矜持として、糸子はモンペなど絶対に履かないと心に決めていた。あまりのブサイクさに我慢がならないのだ。
しかし、強く勧められて試しに履いてみると、意外に着やすく動きやすかったのでいっぺんに気に入ってしまった。戦争中は戦争中のお洒落として、モンペを活かすファッションを考えようと燃え始めるのだった。

また、鉄製品の供出も少しずつ始まっていた。ただし、糸子のミシンやアイロンは、国民服やモンペの縫製によって国に奉仕できるということで供出を免れていた。
ところが、八重子(田丸麻紀)のパーマ機は危機的な状況だった。今のところ取り上げられてはいないが、見つからないようにひっそりと隠していた。それに、女のお洒落は戦争にとって一番無駄なものだと言われ、パーマへの風当たりも強い。パーマ機の購入代金の月賦も終わっていないのに、それで商売ができなくなってしまっていたのだ。

髪結いの玉枝(濱田マリ)ともども、生活が苦しくなり始めていた。戦争から帰ってきたものの、精神を病んでしまった勘助(尾上寛之)も抱え、彼女らの家は火が消えたようにひっそりとしていた。
唯一の明るいニュースは、勘助がなんとか和菓子屋で働けるところまで回復したという話だった。
糸子は早速、和菓子屋を覗きに行った。まだバリバリと仕事をするわけでもなく、ぼんやりと店頭に座っているだけだったが、その姿を垣間見て糸子は嬉しくなった。

糸子は勘助をもっと喜ばせてやろうと思い、仕事帰りに喫茶店に誘った。そして、勘助の初恋の相手であるサエ(黒谷友香)も呼び出して、引き会わせてやった。サエのダンスホールはとっくに閉鎖され、今は軍需工場で働いているという。

ところが、サエの姿を見るやいなや、勘助は様子がおかしくなった。体が震えだし、吐きそうになった。すぐに走って店を飛び出してしまった。その後、河原の草むらにうずくまり、大きな声で泣き叫んでいた。
糸子のお節介が完全に裏目に出てしまった。

その日の夜、雨に濡れながら玉枝が怒りの形相で糸子を訪ねてきた。
勘助は家の2階から飛び降りようとしたという。全ては糸子のせいだと責め立て、もう二度と家に来て欲しくないし、勘助にも会わないようにと言いつけた。
糸子は心が強く、商売も成功し、家族にも恵まれている。そういう人間には、逆の立場の人間の気持ちなどわかるはずがない。勘助の家族がどれだけ神経をすり減らして彼の回復を願い、手を尽くしたかが糸子にわかるはずがない。わからないどころか、糸子は勘助の一家にとって毒であると言い放った。
去っていく玉枝を、糸子は何も言えず呆然と見つめるだけだった。

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NHK『カーネーション』第54回

札幌には「大通公園」があり、名古屋には「久屋大通公園」のあることまでは知っていたが、横浜の関内には「大通り公園」がある(参考: 横浜の公園発達史)と知って驚きつつ、今日は関内で女の子とジンギスカン・デート(デート?デートなのか!?)する予定の当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第54回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

昭和16年(1941年)。
戦争の影響で、国民の生活にはさらなる変化が表れていた。軍需景気で儲かる商売と、ぜいたく禁止令で経営が難しくなる商売とに分かれてきていた。

ついに背広の売買が禁じられることとなったため、勝(駿河太郎)の仕事はほとんど無くなった。ポツポツと国民服の注文があるのみで、暇な時間は商店街の旦那連中と飲んで遊ぶばかりだった。

隣の履物屋・木岡(上杉祥三)の弟(多々納斉)は小さいながらも縫製工場を持っており、軍から制服の注文を受けたため、時局に乗って大儲けしているという。彼は羽振りよく商店街の旦那連中を招待して宴会を開いた。勝も喜んでそれに出かけるのだった。

奈津(栗山千明)が女将を務める吉田屋も、そういった宴会需要が多くて景気が良かった。また、本土で羽目を外したい軍人たちからも重宝され、奈津は大忙しだった。
一方で、奈津の夫・康夫(真鍋拓)は店の手伝いもせず、商店街の旦那連中に合流して自分の店で飲んだくれる始末だった。婿養子の立場でこれまでは奈津の言いなりになるばかりだったが、周りの男達にはやし立てられたことと酒のせいで気が大きくなり、奈津に口答えして追い返した。奈津は腹を立てるのだった。

糸子(尾野真千子)の婦人服については、今のところ目立った変化はなかった。
ぜいたく禁止令によって、豪華な衣類の売買は禁じられていたが、糸子の巧妙な工夫でそれを回避することができていた。また、女性たちのお洒落心もそう簡単に収まるものではなく、客の方も相変わらずだった。

ところが、同じように女性を相手にする商売である、美容師の八重子(田丸麻紀)は少々事情が違っていた。
パーマネントを求める客の数に変化はなかったが、八重子の心境に変化が表れていた。パーマネントは明示的に禁止されたわけではないが、お洒落は非国民のすることだと言って自粛すべきだという風潮になっているのだ。特に、八重子の息子たちがパーマネントのせいでいじめられるようになってきたことに心を痛めた。しかし玉枝(濱田マリ)は、何事にも良い時と悪い時がある、少々辛いからといって挫けるべきではないと励ますのだった。

そんな矢先、玉枝へ電報が届けられた。戦争に行っていた勘助(尾上寛之)が帰ってくるという。久しぶりの明るい話題に玉枝らは喜んだ。すぐに糸子にも伝えられた。顔見知りだけを集めた、小じんまりとして温かい宴会を糸子の家で開くこととなった。

しかし、主賓の勘助がなかなか現れなかった。
遅れて、兄夫婦の泰蔵(須賀貴匡)と八重子がやってきて、勘助は腹を壊して出席できなくなったという。その日は、主賓抜きであったが明るい夜を過ごした。

ところがおかしなことに、何日経っても勘助は皆の前に姿を現すことがなかった。人に会えないような大怪我でもしているのではないかと心配になった糸子は、勘助の家を訪ねた。
勘助は五体満足であったものの、心神喪失状態で自室に閉じこもっていた。糸子に会うと、無表情のまま「心を失くした」と言って涙を流すのみだった。勘助の変わり果てた姿にショックを受けた糸子は、早々に勘助の元を辞した。

後で、糸子の家に八重子が説明に来た。
戦争でよほど酷い目に遭ったせいだろうということだった。八重子は、懐かしい我が家でゆっくりとさせてやることが何よりの治療法だと言った。必ず良くなると信じて待つのだという。

糸子はやりようのない怒りに震えた。勘助が元通りになると強く願い、信じると共に、彼を変えてしまった戦争を憎むのであった。

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NHK『カーネーション』第53回

童顔巨乳で有名な篠崎愛の主演映画『パンツの穴 THE MOVIE ~童貞喪失ラプソディー~』が11月19日に公開され、2週間も経たずに首都圏で上映する劇場がなくなった挙句、公開から1ヶ月も経たない12月16日に1,470円でDVDが発売されるという情報をゲットし、その潔い投げ売りっぷりに感心する当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第53回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

次女・直子の子守りが岸和田に見つからない。糸子(尾野真千子)と勝(駿河太郎)は、勝の実家へ彼女を預けることにした。勝の実家は馬場(現・貝塚市)の山奥にあった。小原家から距離があるため、一度預けたら大晦日まで会うことができないが、仕方なかった。

勝の実家は、亘(浜口望海)が継いでいる。糸子から見ても、兄よりも弟の方が立派な人物だと思えた。長男の勝が家を継がず、小原家の婿になった理由もわかるようだった。

勝の弟・亘は快く直子を預かってくれた。
しかし、いざ別れの時になると、糸子は名残惜しくてしょうがなかった。特に、眠っている姿はとてもかわいらしく、別れがたくなった。それは勝も同じであった。糸子らが岸和田に帰ろうと玄関を出るや、直子が目を覚まして泣き出す声が聞こえた。あやしに戻ろうとする糸子であったが、母の顔を見ると直子も別れが辛くなると止められ、会うことができなかった。ますます直子のことが気にかかる糸子だった。

岸和田に戻ってからも直子の事ばかりが気がかりで、糸子は仕事に少しも集中できなかった。それは勝も同様だった。

直子を預けて3日目、夜になって突然、勝は実家の直子に会いに行くと言い出した。当然、糸子も同行することとなった。雪が降りしきる中、暗い山道をランプの灯りだけを頼りにやっとのことで勝の実家にたどり着いた。
けれども、直子に会わせてもらえなかった。直子はやっと眠ったところで、今起きるとまた手が付けられなくなって困るというのだ。家の前には壊れた家財道具が積まれており、亘の顔はアザだらけだった。いずれも直子の仕業と思われた。直子によってこれ以上迷惑をかけられないと思ったふたりは、言われるがままに帰ることにした。

帰りの道中、勝はずっと泣き続けていた。いつも底抜けに明るい勝がこんなにも落ち込んでいる姿を初めて見た。そして、そのような勝を見ていると、糸子は逆に冷静になっていくのだった。人の親になるということは、どこか哀れなものなのだと感じいった。同時に、直子のことを考えてばかりいても仕方がないと悟った。

それからの糸子は、仕事の鬼に戻った。
大晦日までの2週間あまり、食事をモリモリと食べ、睡眠時間も削って仕事に明け暮れた。おかげで、河瀬(南条好輝)から引き取った金糸入りの生地100反を全て売りさばいた。受注していた大量の洋服も全て大晦日までに納品できた。

糸子と勝は直子を迎えに行き、無事に家族揃って正月を迎えることができた。
一家での初詣の行き帰りで、少なくとも8人が糸子の作った洋服を着ているのを見つけた。それは誇らしい眺めだった。

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NHK『カーネーション』第52回

先週金曜日のニッポン放送『上柳昌彦 ごごばん!』で、山瀬まみが次の木曜日(すなわち本日)にスパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)へ行くと言っていたので、本当は朝6時に家を出発して追っかけに行きたかった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第52回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

ぜいたく禁止令が発布されたことで、上等な生地の売買が禁じられた。金糸入りの生地を大量に抱えた問屋・河瀬(南条好輝)を助けるため、糸子(尾野真千子)が一肌脱ぐことになった。

糸子は、金糸の部分に黒いリボンを縫いつけた。その黒い線がアクセントとなるようにデザインに活かした。店で働く昌子(玄覺悠子)や妹の静子(柳生みゆ)に着させて宣伝した。さらには、同じデザインでハル(正司照枝)の前掛けまで作った。

上等な生地にしては破格の安さであることに加え、ぜいたく禁止令が解除された後には黒いリボンをはずして金のラインが浮かび上がるなどといったことも評判になり、オハラ洋装店に客が殺到した。糸子は、問屋の不良在庫を全て売りさばくつもりで、次々に注文を受けた。

しかし、繁盛しすぎるのも問題だった。
糸子が抱える4人の縫い子だけでは仕事が捌ききれなくなった。紳士服部門の勝(駿河太郎)とその職人たち2人に協力を依頼したり、母(麻生祐未)や妹たち(坂口あずさ杉岡詩織)に手伝わせたりして、なんとかやりくりした。

それでもなお、次女・直子の子守りの問題が残された。直子の異常な暴れん坊ぶりのせいで、誰も子守りを引き受けてくれないのだ。店の者も糸子も、注文をさばくのに必死で直子の面倒をみる暇はない。善作(小林薫)は長女の優子ばかりをかわいがり、直子を受け入れるつもりはまったくなかった。

他に頼るところもなく、勝の弟の所へ直子を預けることとなった。
ただし、勝の弟は岸和田から遠い馬場に住んでいるため、毎日預けて引き取るわけにはいかない。一度預けたら、大晦日まで会えなくなってしまう。そのため躊躇する糸子であったが、他に選択肢はなかった。

翌日、糸子と勝は馬場へ直子を連れて出かけた。
糸子は山道がとても長く感じた。前回来たときは結婚直後で、戦争もなかったし、子供もいなかった。当時の自分はもっと若くてきれいだったと思うと、ますます気が重くなるのだった。

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NHK『カーネーション』第51回

猫日めくり争奪フォト575大会の締め切りが今日なのに、応募が1件しかなくて少し涙目になっている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第51回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

昭和15年(1940年)、「ぜいたく禁止令」が発布され、嗜好品の売り買いができなくなった。

甘い物が大好きな糸子(尾野真千子)は、栗まんじゅうが食べたいのに大福しか売っていないと言ってカリカリしていた。国民に辛抱を強いているようでは戦争に勝てるわけがないと、糸子は声高に不平を漏らした。
妹の静子(柳生みゆ)らは、国や軍の聞きとがめられると困るといって落ち着かせようとするのだが、糸子の勢いは止まらなかった。

ぜいたく禁止令は、糸子の商売にも影を落とした。100円以上の洋服は贅沢だといって販売が禁止された。
しかし、それでも糸子はめげなかった。決められた価格の中でとびきり上等な洋服を作ろうと、むしろ意欲を燃やすほどだった。その努力は客たちにも認められた。金を支払えない代わりに、食料品を持って来てくれる者が大勢いた。そのおかげで、糸子の生活も助けられた。

けれども、儲けを度外視すた糸子の態度は、雇い人のリーダー格・昌子(玄覺悠子)の非難の対象となった。価格が規制されているのに、上等な生地を使ったり、丁寧な縫製をしているせいで微々たる利益しかあげられていないというのだ。
昌子の言い分は理解できるものの、糸子は洋服の質を落とすことだけはしたくなかった。さっきまで国や軍部の方針を批判していた舌の根も乾かぬうちに、糸子は国の非常時だから仕方ないと方便を使うのだった。この様な時局だからこそ、自ら率先して国民に奉仕することが重要だと主張した。
糸子の調子のいい様子に、一同は呆れてしまって、その場は収まった。

一方、糸子は仕事を進める上で、もう一つ悩みの種があった。次女・直子の子守が見つからないことである。直子は桁外れにやんちゃな子供だった。まだ1歳かそこらなのに、夜中に起きだして花瓶の花を振り回したり、住み込みの縫い子の布団の上に登ったりして暴れまくった。子守りをお願いした家の中もめちゃくちゃにしてしまうので、たった1日で断られる始末だった。
善作(小林薫)に面倒を看るよう頼んだが、長女・優子の世話で手一杯だといって断られてしまった。優子は体が弱いので目が話せず、直子にまで引き受けるのは難しいというのだ。

糸子は仕方なしに、直子を自分で背負って仕事をすることにした。しかし、それはなかなか難儀なことだった。

ある日、糸子は、善作からいい話があると言って呼び出された。
直子の子守りでも見つかったのかと思い、喜んで出かけていったのだが、そこで会ったのは生地問屋を営む河瀬(南条好輝)だった。河瀬のもとには高級な布地が大量にあるのだが、ぜいたく禁止令のあおりで売れなくなって困っているという。金糸がたった一筋入っているだけで販売禁止となってしまったのだ。
問題の生地を見せられた糸子は、それを気に入った。以前はこのような布をよく使っていたのだが、今は手に入らなくて残念に思っていたのだ。そしてまた、この布がぜいたく禁止令に抵触しないように仕立て上げる方法を考えることに意欲を燃やした。

糸子は、問題の生地を引き取ることにした。

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NHK『カーネーション』第50回

大泉洋主演の映画『探偵はBARにいる』のディスクが来年の2月に発売になりますよ、Amazon なら現在27%引きですよ、と宣伝する当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第50回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

第二子を身ごもった糸子(尾野真千子)は、半ば強引に神戸の祖父母宅で静養させられていた。しかし、仕事をしていないと退屈であるばかりか、岸和田の店のことばかりが気になるのだった。

神戸では、親族が所有する紡績工場の今後について深刻な話し合いが行われていた。民間向けの事業はほとんど立ち行かなくなり、別の企業と合併するか、軍に衣料品を納めるかしなくてはならない状況に立たされた。親から引き継いだ会社の伝統を大切にしている祖母(十朱幸代)は、合併にも軍需産業にも大反対だった。しかし、祖父(宝田明)やおじ(田中隆三)は、時局だから仕方ないと諦め始めていた。
その様子を垣間見た糸子は、自分の店もいつまで安泰でいられるだろうかと心配になるのだった。

祖父母たちが用事で出かけたのをいいことに、糸子は家を抜けだして岸和田に向かった。電話であれこれ指示を出しても埒があかないのにじれったくなったのだ。岸和田に少しだけ滞在して、すぐに神戸に戻ってくるつもりだった。

しかし、岸和田に向かう道中で陣痛が始まった。なんとか家の近所までたどり着いたが、もうそれ以上動けなくなり道にうずくまった。偶然通りがかった木之元(甲本雅裕)に家まで運んでもらい、すぐにお産の準備が整えられた。

長女のお産と違って今回は難産だった。起伏のない、苦しい陣痛が何時間も続いた。12時間以上経過し、深夜にやっと次女が生まれた。なかなか生まれてこなくて苦労させられた。今後は素直な子に育つようにと、直子と命名された。

会社の存続で気を病んでいた祖父母も駆けつけてきた。糸子が家を抜けだしたことを叱りもせず、子供が生まれたことを大喜びしてくれた。子宝に恵まれてさえいれば、他の物を少しくらい失っても良いとにこやかに話すのだった。
なかなか生まれず、気を揉んでいた善作(小林薫)と勝(駿河太郎)も安堵した。生まれる前は男の子が欲しいと願っていたふたりだが、いざ元気な女の子を目の当たりにすると、性別へのこだわりはなくなった。新しい子がかわいくて仕方がなかった。

糸子は、髪結いの玉枝(濱田マリ)にも直子を見せに行った。最近では、八重子(田丸麻紀)の手がけるパーマネントが評判を呼び、店は繁盛していた。
そこでは、戦地の勘助(尾上寛之)から届いたハガキを見せてもらった。文面を読むと、他人の目を意識してか、当り障りのないことしか書かれていなかった。糸子には、幼なじみの彼が、どこか知らない人間のように思われるのだった。

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NHK『カーネーション』第49回

糸子と勝が『新婚さんいらっしゃい!』に出場した様子を妄想している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第49回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

昭和12年(1937年)、日本は中華民国との戦争を拡大しつつあった。
勘助(尾上寛之)に召集令状が届いた。そのことで勘助は落ち込んでしまった。以前に工場で働いていた時、上司に怒鳴られてばかりで仕事を辞めたことを思い出し、軍隊では厳しくしごかれるのが不安でならないのだ。その上、死と隣り合わせになることに恐怖を感じていた。

そんな勘助の思いとは逆に、近所の人々は明るく勘助を送り出した。
日露戦争に出征した経験のある善作(小林薫)は、自分はこうして生きて帰ってきた、だから勘助も大丈夫だと言って安心させた。また、必ずしも前線に配属されるわけではなく、訓練や後方勤務だけで帰ってこれるかもしれない。そうやって励まされているうちに、勘助は気を取り直すことができた。
少々心配であった糸子(尾野真千子)も、勘助に元気が出たことに安心し、明るく彼を送り出すのだった。

しかし、糸子は国や軍のやり方に気に入らない所があった。
勘助が出征して2ヶ月経った頃、彼から玉枝(濱田マリ)にハガキが届いた。ところが文面の所々が墨で塗りつぶされていた。どうやら、軍部の検閲に該当する文言が書かれていたようだ。そのようなやり方が、糸子には気に入らなかった。

国家総動員法が発令され、国民は軍に協力し、物資も軍に優先的に回されることとなった。国はどんどん日中戦争にのめり込んでいった。報道では日本軍の連戦連勝であったが、一向に戦争が終わる気配が見えなかった。

昭和14年(1939年)7月には国民徴用令も施行された。人々はますますの節約と軍への物資提供を求められた。たとえば、綿は作るのも売るもの規制がかけられた。繊維工業に大きく依存していた大阪は、その影響を大きく受けた。

ただし、そのような中でも糸子の店はますます繁盛していた。
岸和田の女性たちは洋装という新しいおしゃれに目覚め、毎日客がひっきりなしにやって来た。糸子の婦人物だけではなく、勝(駿河太郎)の紳士物の方も何人かの職人を雇うほどになっていた。

また、糸子は第二子を妊娠していた。
ところが、腹が大きくなっても店の中で忙しく動き回っていた。無理がたたって、店の中で倒れてしまった。

善作とハル(正司照枝)が中心となって糸子を説得し、彼女は神戸の祖父母宅で静養することとなった。糸子は店のことが心配でならなかったが、それに従うほかなかった。

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NHK『カーネーション』第48回

『動物のお医者さん』(佐々木倫子)のワンシーンを引き合いに、「北海道の人って、本当に自分が歩くところしか掃除しないんですね」とバカにされたことのある当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第48回目の放送を見ましたよ。

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第8週「果報者」

昭和10年(1935年)1月。
糸子(尾野真千子)が勝(駿河太郎)と結婚してから2ヶ月が経過した。祖母・ハル(正司照枝)を加えた3人暮らしにも慣れてきた。勝が紳士服を担当してくれるおかげで男性客も増え、店は繁盛していた。家内安全と商売繁盛に恵まれ、糸子は結婚して良かったと喜んでいた。

しかし、糸子は祖母から怒られてしまった。というのも、これまで1日たりとも夫婦は同じ部屋で寝たことがなかったのだ。ふたりで仕事以外の話をしたこともなく、まるで勝が雇われ職人のようだというのだ。今夜こそ一緒に寝て、夫婦として向きあえときつく言いつけられた。

祖母に従って、糸子は初めて勝と布団を並べた。しかし、どんな話をすれば良いのかわからずに戸惑った。
糸子は思っていることを正直に話そうと思い、自分は仕事が最優先であると打ち明けた。自分は世間一般の妻のようにはなれない、何が起きようと死ぬまで仕事を続けるであろうと言い、謝った。そして、勝がどうして自分のような女と結婚する気になったのかさっぱり分からないと言った。

勝の返答は、糸子の働いている姿に惚れたというものだった。ロイヤル紳士服点で一緒に働いていた時、糸子は先輩たちにいびられてもめげず、愚痴も言わず、いっさい手を抜かなかった。その仕事ぶりに惚れたのだ。だから、好きなだけ仕事をすればいいと告げた。家のことは全てハルに任せよう、彼女が良いものを食べて長生きできるように、ふたりで一生懸命稼ごうと誓い合うのだった。
それをきっかけに、ふたりはいろいろな話をした。将来のこと、子供のこと、店のこと。話をしながら、糸子はこの結婚をして本当に良かったと心から思った。

2年が経過し、昭和12年(1937年)1月になった。
糸子の店は順調に成長していた。店名を当世風に「オハラ洋裁店」と改め、看板や店構えも立派になっていた。妹の静子(柳生みゆ)を含め、縫い子を4人ほど雇うほど事業が大きくなった。善作(小林薫)は、焦って店を大きくすると必ず失敗するなどと小言を言うが、糸子には釈迦に説法という感じであった。

そして、もう一つ、糸子に大きな変化があった。妊娠し、臨月を迎えていた。
大きな腹を抱えながらも、店の一番前で仕事を続けていた。むしろ、仕事に支障を来すので妊娠とは厄介で面倒なものだと思うほどだった。子供を産み終わったら、すぐにでも仕事に復帰するつもりでいた。

しかし、出産はそれほど生やさしいものではなかった。なんとか無事に元気な女の子を産むことができたが、疲労困憊した。仕事のこともどうでもよくなり、3日ほどは何もせずに寝るつもりだった。けれども、娘は夜中でも関係なく泣き始め、ゆっくりと休ませてはくれない。糸子のあてが完全に外れてしまった。

それでも、赤ん坊が可愛くて仕方なくなった。自分でも、赤ん坊のことがこんなにかわいく思えるとは事前に予想できないことだった。
そして、もっと予想外だったことは、善作がデレデレと孫をかわいがることだった。糸子から孫を強引に取り上げ、昼は自分が専門に子守をするなどと勝手に決めてしまうほどだった。

長女は優子と命名された。

昭和12年(1937年)9月。
糸子は当然仕事に復帰していた。仕事中は隣町に住む善作に子を預け、夕方に迎えに行くという生活になっていた。

糸子は、優子を背負って家に帰る時間を愛していた。同時に、不思議なことに自分の心境に変化が現れていることにも気づいていた。いつも強気でどんなことも前向きに考えるはずの自分が、優子のことを考えると弱気になっていることを自覚したのだ。優子が平穏無事に成長できるかどうか、不安に思わずにいられなくなるのだった。

歩いていると、幼なじみの勘助(尾上寛之)に出くわした。浮かない顔をして、召集令状を受け取ったと糸子に告げるのだった。

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