東京スカイツリーでメダリオン

東京スカイツリーへ行ってきた。
目的はもちろん、茶平工業の記念メダルをゲッツするためである。

事前に下調べもせず、「まぁ、展望台に登ればメダル販売機はあるだろう」と軽い気持ちで出かけた。
しかし、それは結果として大失敗であった。

まず、スカイツリーの展望台に登るまでが一苦労だった。13時ころ現地に着いたのだが、すぐに入場できるわけではなく、入場整理券が配布されていた。それを受け取ると、17時の入場整理券だった。4時間待ちということだ。そこでジタバタしても仕方ないので、浅草あたりをぶらぶらして夕方まで時間を潰した。

当日券購入整理券

そして、17時ちょっと前にスカイツリーに戻ってきたのだが、チケット売り場への長蛇の列。16時50分頃から列に並んで、入場券(2,000円)購入窓口に到着したのが17:45頃だった。1時間近くも行列に並んでいたのだ。疲れた。
それでも、分速600mというエレベータに乗り、あっという間に地上450mの展望デッキに到着した時は軽く感動した。空は曇っていたけれど、関東平野のずっと遠くまで一望できた。この眺めはなかなか。
ただ、常にタワーが揺れているような気がして、軽く酔った。高所恐怖症の人は行ってはいけない。

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せんとくん記念メダル

ならファミリー1F(近鉄百貨店内)に、「平城遷都1300年祭 オフィシャルショップ」というのができていた。

なんか、ヤケっぱちっぽい感じだったけど。
売り場面積は、10m四方くらいで、チョー狭い。

平城遷都1300年祭をうたっているわりには、例の”せんとくん” のキャラクターグッズ以外には何もなかったけれど。
クッション(2,500円)だのエプロン(価格不詳)だの、ペンだのキャップだのトートバッグ、イマイチ欲しくないようなものばかり。
まぁ、なんだかんだいって、せんとくんがオフィシャルキャラクターだから仕方ないのだけれど、あまりに繁殖しすぎでちょっと酔った。

そんな中、メダリオンこと記念メダルで有名な茶平工業謹製のせんとくんメダルが売っていた。
すげぇ欲しかったところではあるが、メダル刻印機が設置されておらず、文字を刻むことができなかったので買うのやめた。
#もっとやる気見せて欲しいなぁ。

せんとくんメダルセット

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東大寺大仏殿、記念メダルを販売せず

東大寺盧舎那仏像金沢産のカワイコちゃんが当方を訪ねてやってくるとのことなので、デート(デート?デートなのか!?)することになったわけで。

おあつらえ向きに、本日は若草山の山焼きが開催される日だったので、奈良公園周辺を散策することとした。
さらに、当方の考える奈良三大名物といえば、興福寺の五重塔(猿沢の池から見る)、鹿(および彼らのフンと鹿せんべい)、そして東大寺の盧舎那仏像(通称、奈良の大仏)である。

そんなわけで、小雪がちらつく中、テクテクと大仏殿の拝観(500円)に向かった。

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大阪城へ記念メダルを買いに行く

日本を代表する城といえば、やはり大阪城だろう。
天下を手中に収めた豊臣秀吉が贅沢を尽くして作った大坂城。
大坂冬の陣で豊臣が敗れたため、徳川によって外堀どころか内堀まで埋められてしまった大坂城。
鳥羽・伏見の戦いで徳川慶喜が逃げ出した後、混乱で焼けてしまった大坂城。
昭和に入り、市民からの寄付で大阪のシンボルとして復興された大阪城。

自宅からもっとも近い位置にある城にもかかわらず、今まで地方の城に行ってばかりで、大阪城は未踏だった。
今回、勝手に「大阪・秋の陣」と名乗って、大阪城を攻めてきた。
もちろん、目指すは茶平工業の記念メダルである。それを手中に収めて、はじめて城を攻略したことになる。

大阪城に攻め入る俺

大阪城、今からお前を攻め落とす!
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二条城を見学した(クイズに答えて二条城コインをGETしよう)

今日は、とある用事で二条城の目と鼻の先のホテルに行っていた。

ホテルなんて言ったら、なんとなく男女の隠微な想像もあったりなかったりするのだが、そういう浮いた話じゃなくて。
某政党の元代表の挨拶を聞いたり、その退屈さにケータイをいじって遊んでいたりしていたわけだが、そういうこととはまったく関係なく、とにかく天気もいいし、すぐそばなので二条城の見学に行くことにした。
二条城のweb サイトもある。

二条城は、徳川家康が天下統一後に築城を命じたもの。将軍が上洛したときの宿舎および政務執行所として使うことを目的に作られたそうだ。
十五代将軍・慶喜が諸大名に対して初めて大政奉還を発表したのも二条城だったそうだ。そのときに使われた大広間(二の丸内)も見ることができた。

当方は、城に造詣が深いわけではないが、出かけた先に城があればできるだけ見物するようにしている。それらと比べると、二条城がかなり特殊な造りであることが、素人ながらによくわかる。
日本各地にある城のほとんどは、徳川幕府以前の戦国時代までに造られたものだ。そのため、戦で生き抜くことを目的に造られている。大きな石垣の上に、階層化された天守閣を持ち、敵の侵入を防ぐための仕組み(銃を撃つための穴など)がたくさん造りこまれている。
それに対して、二条城は徳川泰平時代に作られたものだ。国内に明確な敵がいなかった時代であり、戦目的に作られたようには見えなかった。刀や鉄砲で命のやり取りをするということではなくて、朝廷との舌戦を戦い抜くという目的のため、上品で華美な装飾が施された特殊な城だと思った。

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小田原攻め (クイズに答えて小田原城コインをGETしよう!)

信玄の小田原攻め(注)があってから二十年間、小田原の繁栄はつづき、日本有数の大都会として、関東では、髪の結い方、着物の着方、刀のさしようまで「小田原様(よう)」といって、人々が争って真似したと伝えられている。
二十一年目に、豊臣秀吉の小田原攻めが行われた。

(海音寺潮五郎『日本名城伝』 pp.174-175)
注: 1596年4月

そして、390年目に、木公の小田原攻めが行われた。

2006年10月6日午前11時、新幹線で小田原に到着。
13時に箱根の某温泉宿に行くというのが本来の目的であったのだが、小田原城に行くために早めの新幹線を予約してやってきた当方なのである。

しかし、激しい雨。
駅から歩いて10分とかからないところに小田原城があるとのことだが、軟弱な当方は雨ニモマケテ、断念。
時間をもてあましたために、小田原駅にある本屋さんをブラブラ。

すると、文庫の平積みコーナーで海音寺潮五郎の「日本名城伝」を発見。
雨で断念した小田原城への怨念を果たすため、とりあえず手にとってみる。

ほら、文庫本って、紙のしおりがはさんであるじゃん。
僕が手に取った本にもしおりがはさんであって、パラパラとめくると、しおりがはさんであったページでふとページが止まった。

173ページ。
ちょうど、「小田原城 -地震とお城-」の最初のページ。

もう、狙っているとしか思えない。
すごいな、小田原クオリティ。
#しかし、念のため平積みの2冊目を調べたら、岐阜城の途中に挟まってた。

「のせられてるな、俺」と自覚しつつも、同書を購入。
雨で遠のいた小田原城に思いを馳せつつ、読む。

同書で得た、小田原城に関する知識:
・地震で揺れて、檜が互いに擦れて、天守閣が自然発火したことがある
・自然発火した檜にこりて、栂(とが)で天守閣を再建。しかし、栂は乾燥すると硬いが、もろくなる。地震の衝撃でホゾなどが欠けて、天守閣が傾いた。(後に、縄などをかけて引っ張って直したらしい)
・明治に入り、天守閣の損傷が激しくなったが、小田原藩には修復する費用がなかった。しかたないので、解体して民間に払い下げた。鯱は、西洋人に1つ七百両で売れた。

地震に苦しめられ、しまいには売られてしまう小田原城。
すごいな、小田原クオリティ。

そんなこんなで、小田原城に想いを馳せつつ、箱根でちょっとだけマジメなことをやって、あとは飲み食いしたり、お風呂に入ったりしつつ、一夜明けた。

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ひろしまのこい

広島城じゃけん

新幹線で京都から1時間45分、広島駅からバスor市電で紙屋町へ。そこから15分ほど歩くと広島城じゃし、いつものアングルで写真を撮らんといかんじゃけぇねぇ。

いつものコインプレゼントもあるよ。
プレゼントクイズは、この記事の最後に!
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