生涯で初めて付けられたあだ名は小1の時に「まっちゃん」だった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『マッサン』の第1回めの放送を見ましたよ。
1971年(昭和46年)。
亀山政春(玉山鉄二)の作ったウィスキーが名誉ある賞を獲得し、北海道余市で祝賀会が開かれていた。
そのウィスキーは、政春の亡き妻の名を取り「スーパーエリー」と名付けられていた。
年老いた政春は自身の来し方を思い出すのだった。
受賞を遡ること50年、1920年(大正9年)5月。
政春はスコットランドでの2年間のウィスキー修行を終え、日本へ帰国する船上にいた。
彼の傍らには、妻のエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)がいた。政春はウィスキーの技術だけではなく、スコットランドの美しい女性をも娶っていたのである。まだ国際結婚の珍しかった時代、ふたりは恋に落ちて結婚した。
政春が日本でのウィスキー造りという新しい人生の始まりに胸を膨らませるのと同様に、エリーは初めて見る日本への期待と好奇心でいっぱいだった。政春の元に届いた手紙によれば、彼の両親はふたりの結婚を祝福してくれているという。エリーは政春の母に会うことを特に楽しみにしていた。
50日間の船旅を終え、さらに汽車とバスを乗り継いで、やっと政春の故郷である広島県竹原へ到着した。政春の実家は古くから続く造り酒屋であった。政春は早速エリーを酒蔵に案内し、日本酒や日本酒造りのしきたり(酒蔵は女人禁制など)を説明するのだった。
ところが、実家に着くやいなや政春の態度がおかしくなりはじめた。政春はエリーを実家の人々から遠ざけようとするのだ。特に、母と会うことを避けているようだった。実は、実家から届いた手紙の内容について、エリーに嘘をついていたのだ。
けれども、いつまでもそうしているわけにもいかなかった。番頭の島爺(高橋元太郎)が政春の母を呼びに行った。父・政志(前田吟)は組合の視察旅行で留守なのだという。
いよいよエリーが政春の母と対面することとなった。
どれだけ歓迎されるかと期待でいっぱいのエリーだったが、母・早苗(泉ピン子)の態度はまったくの予想外のものだった。
不機嫌な表情の早苗は、外国人の嫁は絶対に認めないと言い切るのだった。
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