NHK『エール』第3回

昨夜のアレaikoの『4月の雨』を取り上げたのだけれど、Dreams Come Trueに同じタイトルの曲があると知った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『エール』の第3回めの放送を見ましたよ。

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第1週『初めてのエール』

もうすぐ小学校の運動会です。大正時代の運動会といえば、地域の一大イベントです。大人も子供も興奮しています。

そんな中、運動が苦手な裕一(石田星空)は憂鬱でなりません。子どもたちの中で人気者となるのは、運動が得意だったり、喧嘩の強い子です。裕一はからっきしなので強い劣等感を抱くばかりです。

最近、佐藤久志(山口太幹)という子が転校してきました。父が県議会議員であり、裕福なようです。回りの子たちが着物で過ごしている中、彼だけはきれいな洋服を着ています。登校中も難しそうな本を読んでいます。
そんな久志は、運動や喧嘩は幼稚なことだと言って馬鹿にしています。裕一に対しても気にしないように助言しますが、裕一はまだ割り切ることができません。

小学校では騎馬戦の練習が行われました。裕一は馬の役でしたが、敵と接近するまえに潰れてしまって自滅しました。しかも、裕一はこのはずみで足をくじいてしまいました。
仲間からは罵倒されるし、先生からは気合が足りないとビンタを張られ散々です。先生は、足をくじいたのも気合が足りないせいだし、言い訳をするのは男らしくないとますます怒りはじめました。

そこへ助け舟を出してくれたのは、新任の藤堂先生(森山直太朗)でした。
人は一人ひとり、顔も違えば、歩く速さや話し方がそれぞれ違っていて当然だ。自分がみんなと違うことを気にするなとアドバイスした。
裕一は、くっきりと心が変わったわけではないが、新しい風が吹いてきたような気がした。

いよいよ運動会当日を迎えた。
裕一は、出場した徒競走で派手に転んでしまった。足をくじいたせいでうまく走れないのだ。立ち上がるのも一苦労で、走ろうとすると再び転んでしまう。
観衆はそんな裕一を見て大笑いした。裕一は何もかもが嫌になった。

その時、小学校のハーモニカ部を率いる藤堂先生が部員たちに演奏をさせた。
その音色に勇気づけられるように裕一は立ち上がった。足を引きずりながら、ゆっくりだがゴールに向けて歩きはじめた。いつしか、聴衆からの笑い声は消え、全員が裕一に声援を送った。

それは、裕一が生まれてはじめて聞く、自分へ向けられたエールだった。

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2月のアレ

NHK『エール』第2回

今朝の体温は36.1度だった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『エール』の第2回めの放送を見ましたよ。

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第1週『初めてのエール』

古山裕一(石田星空)は、1909年(明治42年)に生まれた。
父・三郎(唐沢寿明)と母・まさ(菊池桃子)はなかなか子宝に恵まれず、待望の男の子だった。

生家は、絹産業が盛んな福島の呉服屋であった。
父・三郎は三男であったが、兄二人が亡くなったため家を継ぐことになった。しかし、目下の者には偉そうにしているばかりで、あまり商才もなさそうであった。妻・まさの兄・権藤茂兵衛(風間杜夫)は県内でも有名な実業家で、三郎は彼とは顔を合わせたくなかった。

三郎はおかしなところがあり、裕一の誕生を知るやいなや家を飛び出し、どこかからレジスターを買って帰ってきた。それは国内にも数台しかないという貴重なものであったが、三郎は結局うまく使いこなせなかった。また、2年後に次男・浩二(潤浩)が生まれた時には祝いだと言って蓄音機を買ってきた。

そんな父であったが、やっとできた子である裕一は大事に育てられた。

一方、大事に育てられたせいか、小学生の頃の裕一は内気な弱虫な子に成長してしまった。
運動は苦手であり、喧嘩をすれば女の子にも負ける。緊張するとどもってしまい、バカにされる。回りの子どもたちとの間に見えない壁があるように感じている。一人で絵を描くのがもっぱらの楽しみであった。
母に甘えたいと思うこともしばしばであったが、彼女は弟・浩二につきっきりで、それも叶わなかった。

父・三郎は、そんな裕一の性質をわかっていて、心配をしていた。三郎は、なんとか心を開かせ明るくさせようとするが、裕一は相変わらずだった。
気晴らしに蓄音機で舶来物のレコードを聞くよう誘うが、裕一は応じなかった。

諦めた三郎は、一人でそのレコードをかけた。
すると、自室に篭もっていた裕一が吸い寄せられるように蓄音機の前にやってきた。裕一の心には、初めて聞く西洋音楽が深く響き渡ったのだ。

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NHK『エール』第1回

「♪エル!エルはラブのエル。エル!エルはリップのエル。この唇に燃える愛をのせて、エルはあなたを見つめてる」などと口ずさみながら、「しかし、『The かぼちゃワイン』を実写化するとしても、二階堂ふみさんではちょっとボリュームが足りないな。なんのボリュームかは言わないけれど」などと独り言ちている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『エール』の第1回めの放送を見ましたよ。

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第1週『初めてのエール』

1964年(昭和39年)10月10日、東京オリンピックの開会式が始まろうとしていた。

今回のオリンピックのマーチは、古山裕一(窪田正孝)が作曲した。彼は、今や日本を代表する作曲者の一人であるが、その作品は国外で聞かれることはなかった。オリンピックで採用されることになり、ついに海外にも知られるチャンスとなったのである。

当の古山裕一は国立競技場のトイレに篭りっきりだった。何度も戻しそうになっている。周囲の期待とは裏腹に、彼は自分の作品が世界に向けて発表されることに緊張していたのである。昔から弱虫で、その性質は変わっていなかった。

あと数分で開会式が始まろうとしている。妻の音(二階堂ふみ)があちこち探し回り、やっとのことで裕一を見つけた。夫とは対照的に、音は気丈な性格である。裕一を強引に会場へと引きずっていった。

しかし、怖気づいた裕一はロビーで座り込んでしまった。
その様子を見ていた警備員(萩原聖人)が声をかけた。彼は長崎出身であり、原爆投下で親類縁者を全て亡くしたのだという。生きる希望をなくしていた時、裕一が作曲した『長崎の鐘』を聞いたことで希望を取り戻した。
裕一の曲は、人の心を励まし応援してくれる。みんなが受け入れられることは間違いないので、自信を持って会場で自分の曲を聞くべきだと促した。

その言葉に勇気づけられ、裕一は妻・音とともに会場へ向かった。

そんな裕一は、1909年(明治42年)8月に、福島の老舗呉服屋に生まれた。
父・三郎(唐沢寿明)は、長男の誕生に興奮し、家を飛び出して町中を走り回った。母・まさ(菊池桃子)は落ち着いた様子で、笑いながら赤ん坊を抱いていた。

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風しん抗体検査に行ってきた

昨日宣言した通り、風しんの抗体検査に行ってきた。
この検査のなんたるかは、厚生労働省「風しんの追加的対策について」を参照のこと。

なお、以下の記述はあくまで僕の経験談であって、どこまで一般化できる話かはわかりません。自分も風しん抗体検査(無料)を受けようと思っているお年頃の男性諸君は、自分の自治体の情報をよく調べること。
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風しん抗体検査を予約した

昭和37-53年度生まれの男性は風しんの公的な予防接種がされていない世代だそうで。成人がかかると症状が重くなることや、娠初期の妊婦に感染させると赤ちゃんに障害が発生するリスクがあるそうで。
厚生労働省が該当世代に対して追加対策をしているそうだ(厚生労働省の案内)。

そういえば、ずいぶん前に僕のところにも自治体から案内が来ていたなぁ、と。確か、有効期限が2022年3月と書いてあったような気がするから、まぁそのうち行こうかなぁ、と。いつもの鞄に入れっぱなしにして、気が向いたらフラッと行こうかなぁ、と。
幸か不幸か独身一人暮らしの身なので家の中で妊婦に感染させる心配は一切ないけれど、昨今のコロナウィルスうんぬんを思えば、いつどこで妊婦さんと濃厚接触(エロい意味ではない)して危険に晒すとも限らない。
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NEUTRINO で俺がモテるように歌わせてみた

NEUTRINOというフリーの歌声シンセサイザー(「ボーカロイド」というのはYAMAHAの登録商標らしい)があって、かなり性能も良いというので早速試してみた。

とりあえず、「俺がめっちゃモテてるラムのラブソング」ということで。

すげぇな。

#ちょっと楽譜を間違えているけれど、歌声シンセサイザーの具合を見るにはこれで十分でしょう。

冥利

2日間の学術集会。僕は主催者のひとりとして参加。

初日の午前に、某大学のM2の学生さんが発表してくれた。後で聞けば、指導教員は入試業務とバッティングして会場に来れなかったとのこと。M2の学生さんがひとりで一見の研究会に参加するなんて、不安と緊張でいっぱいだったろうに。

偉そうなことを言って申し訳ないが、彼の発表自体はまぁ凡庸なものだった。M2の修論をとりあえず発表します、みたいなもの。よくある。
よくあるので、まぁ淡々と発表と質疑は終わった。
その後も彼は会場に残ってはいたけれど、置物のようにただ座っているだけだった。
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