映画『ティファニーで朝食を』を見た。

アメリカに向かう飛行機のビデオ・オン・デマンドで見た。ネコとオードリー・ヘップバーンとミスター・ユニオシ(ミッキー・ルーニー)が最強に可愛い映画だった。いいフライトだった。

特にネコ。茶トラのかわいいネコ。カワイイくせに演技派のネコ。映画を見ながらニヤニヤが止まらない。そして、ネコとの別れの雨のシーンは泣けてくる。
ネコ好きは見逃してはならない名作。
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映画『真幸くあらば』を観た

尾野真千子の全裸オナニーシーンがあると聞いていきり立った当方が、映画『真幸くあらば』のDVDを見ましたよ。

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南木野淳(久保田将至)は遊ぶ金欲しさに空き巣に入った。留守だと思った家には住人の若い男がいた。顔を見られて焦った南木野は、台所にあった包丁でとっさに男を刺し殺してしまった。殺された男は家に情婦を連れ込んでいた。南木野は彼女を絞殺した。

南木野はすぐに捕まり、一審で死刑判決がくだされた。担当弁護士(佐野史郎)はすぐに控訴の準備に取りかかった。彼は死刑制度に反対しており、その是非を問いたいという思惑もあった。
南木野の死刑判決に反対する運動は、すぐに拡大したわけではなかった。けれども、敬虔なキリスト者であった川原薫(尾野真千子)がボランティアとして支援活動に参加してくれた。彼女は、南木野に面会して気軽な話し相手になることや、差し入れなどを進んで行った。

しかし、ほどなくして南木野は、誰にも相談することなく一人で控訴を取り下げてしまった。これにより南木野の死刑が確定した。
南木野は自分の罪を潔く認め、深く反省し、死をもってしか償うことができないと考えたのだ。
さらに南木野は、殺人よりも重い罪を犯したと思い込んでいた。彼は被害者女性を絞殺した後、彼女の下着姿に欲情した。殺人現場で彼女の死体に寄り添いながらマスターベーションをしたのだった。そのことを深く反省し、重く思い悩んでいた。しかし、そのことは誰にも打ち明けることができず、胸にしまったまま死んでしまうことを望んでいた。

他者との関係をことごとく拒絶する南木野であったが、薫だけは諦めることなく南木野の支援を続けた。ついに薫は、南木野と養子縁組することで関係を強固なものにした。薫の夫が半年間のロンドン出張となり薫も同行するよう誘われたのだが、薫は日本に残ることを選んだほどだった。

ある日面会に表れた薫は、南木野に聖書を読んで勉強するよう薦めた。薫が愛用している聖書を差し入れするとともに、南木野が読むべき箇所を指定した。差し入れを受け取り、独房に戻った南木野がその箇所を開くと、薫からの秘密の通信文が書かれていた。こうすることで検閲を免れたのだ。

そこには、薫が南木野を支援する本当の理由が書いてあった。
南木野が殺した男は、薫の婚約者だったのだ。ゆえに、薫は南木野が憎かった。南木野が裁かれる一部始終をそばで見届けたいと思ったのだ。
一方で、婚約者が殺された時、彼は別の女と一緒にいた。事件によって薫の婚約者の不実が暴かれたのだ。このことについて、薫は南木野に感謝したく思っていた。
婚約者の死と裏切りによりショックを受けた薫は、特に愛してもいない男と結婚した。不満もないが喜びもない夫婦生活の中で、薫は南木野に複雑な感情を抱き始めていたのだ。

ふたりは面会室の仕切りを越えることができない

南木野は、秘密の通信文が書かれた聖書をすぐに薫に返した。ただし、面会でさり気なく聖書の特定の箇所に言及した。そこには南木野からのメッセージが書かれていた。
南木野は、女性の死体でマスターベーションしたことを告白した。自分は童貞で女を知らないことも告げた。さらに、いつしか薫のことを女性として愛してしまったことを正直に伝えた。
どうあっても薫の肌に触れられないことを落胆し、死刑を受け入れてしまったことを激しく後悔していた。

それを受け取った薫は、ますます南木野に惹かれた。同じ方法でふたりは密通を続けた。
南木野は絵が達者であることを知っている薫は、自分の下着写真を聖書に埋め込んで送った。南木野は薫の裸体を想像画を送った。薫はそのイラストに満足した。

ついにふたりの肉欲は限界に達した。しかし、絶対にふたりが交わることはできない。
そこで、次の満月の夜に互いのことを思って自慰をすることを約束した。
実行した夜、ふたりは生涯でもっとも満ち足りた時間を経験した。

ほどなくして南木野の死刑が執行された。
踏切で電車の通過を待っていた薫は、向こうに見えた南木野の姿を追った。

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映画『バグダッド・カフェ』

山瀬まみがラジオ番組(ニッポン放送『ごごばん!』2011年11月4日放送分)で生涯で2番目に好きな映画として『バグダッド・カフェ』を挙げていた。好きな人が好きだといっている映画なので見てみた次第。

きっといい映画なんだろうなと、は思う。でも、僕にはちょっと退屈だった。
ただし、山瀬まみがこの映画の「世界観と映像」がお気に入りだと言っていた訳はわかったように思う。確かに、独特の世界観と映像には引き込まれる。

そして、主題歌であり、劇中で何度も流れる “Calling you” (Jevetta Steele)もいい曲ですね。
この映画の主題歌だとは知らなかったけれど、曲自体は昔から知っていた。George Micheal のカバー版を持ってる(”Five Live”に収録されている)。

『太陽を盗んだ男』を見た

主演・沢田研二、監督・長谷川和彦、1979年製作の映画『太陽を盗んだ男』を見た。

当時、人気絶頂だった沢田研二が演じる主人公は、少々エキセントリックな中学理科教師。催眠スプレーで交番を襲い、拳銃を奪取。それで武装し、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪する。それを原料に自宅で原子爆弾を作成する。
原子爆弾を用いて警察を脅迫するというお話。

『太陽を盗んだ男』主演の沢田研二。プルトニウムの精製に成功し、喜びに打ち震える。

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生まれて初めて『天空の城ラピュタ』を見た俺の独り言

1986年公開の映画『天空の城ラピュタ』が名作の誉れ高いことは知っていた。けれども、僕はこれまでラピュタのことが好きではなかった。

その理由は、ハイダーの「バランス理論」を援用して説明できる。

バランス理論の簡略図

バランス理論の簡単な説明は次のとおりである。
僕たちは、いろいろな理由によって他人や物事を好きになったり嫌いになったりする。そのときのプロセスの法則の一つだと言われている。

この理論では、物事の好き嫌いに関して3者関係を想定する。「自分」、「相手」、「何か」である。その3つの間の関係をプラスとマイナスで表すものとする。好意を抱いている関係をプラス、嫌いな物をマイナスとする。たとえば、僕は山瀬まみが好きなので「自分-相手(山瀬まみ)」の関係をプラスとする。僕は黒ビールが嫌い(その理由は割愛する)なので「自分-何か(黒ビール)」の関係をマイナスとするわけである。

3者関係のそれぞれにプラスとマイナスの記号を付ける。ここで中学校で習う「マイナスの掛け算」の知識を動員する。つまり、プラスとプラス、および、マイナスとマイナスの積はプラスになる。一方、プラスとマイナスを掛け合わせた積はマイナスになる。この定義に従い、3つの関係のプラスとマイナスの記号を掛け算する。3者関係の掛け算の積がプラスの時には安定し、マイナスの時には不安定となると考えられる。上の図の左側を見ると、プラス×プラス×マイナス で積がマイナスとなる。この状態は不安定である。
不安定な時、人は積がプラスとなるよう態度を変えると考えられている。図の右側のように、それまで嫌いだった何かを好きになる(右上)か、それまで好きだった相手を嫌いになる(右下)だろうと考えるのだ。

この理論を当てはめれば、僕のラピュタ嫌いが説明できる。
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映画『ジョゼと虎と魚たち』を見た

2003年公開の映画。原作は田辺聖子
脚本が渡辺あや。この人はNHK『カーネーション』の脚本も書いており、同ドラマはすごく面白い。それで渡辺あやの他の作品が気になって、彼女のデビュー作と言われている『ジョゼと虎と魚たち』を見てみた。

映画の舞台はおそらく寝屋川。もしくは東大阪辺りかもしれない。いずれにせよ大阪市近郊。
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映画『サルベージ・マイス』は広島以外でいつ見ることができるのか?

週末から空前の谷村美月マイブームが巻き起こっている。

それでいろいろ調べていたら、『サルベージ・マイス』という映画で谷村美月が主演を務めていると知った。

この映画は、盗難美術品を逆に盗むという義賊の話だそうだ。その女盗賊を谷村美月が演じるという。谷村美月がアクション映画初挑戦だという。
この女盗賊は覆面をして盗みに入るそうだ。ウェブサイトを見ると、キャッツアイみたいでカッコイイぞ。

キャッツアイみたいでカッコイイのはいいんだが、トップページに谷村美月の素顔が一切でてこないのはどういうことだ?アリか?アリなのか!?
予告編を見ても、助演の長野じゅりあばかりが目立つし。

それでも、予告編を見ると痛快爽快系で悪くなさそうだ。これはぜひ見てみたい。

しかし、劇場情報を見ると、広島でしか公開されていない。映画の舞台が広島市なので、同地で10月22日に先行公開したのだという。
いや、ロケ地で先行公開するのはいいけど、それ以外の地域のスケジュールが決まってないってどういうことですか!?

配給会社がんばれ。俺の谷村美月マイブームが終結する前にちゃんと神奈川でも公開してくれ。頼むよ。

『コドモのコドモ』

オトナのための性教育ビデオですかね、これは。

小学5年生の女の子(甘利はるな)が、妊娠・出産するというお話。
父親は、幼なじみで同級生の男の子(川村悠椰)。性に関する知識を全く持っていなかったふたりが、わけもわからず遊びの延長上で性交して妊娠するという流れ。あまりにあまりな設定だが、小学5年生ならば初潮・精通も終わっていて不思議ではない年頃なので、生物学的にはアリなお話だろう。
妊娠の事実はクラスメイトたちには知られることとなったが、大人達には一切秘密にされた。それでも胎児は時間と共に成長していき、主人公は破水してしまう。大人達の助けなしに小学生たちだけで出産に挑む。それもどうかというストーリーだが、駅のトイレで一人で出産してそのまま乳児を遺棄するというニュースもたまに聞こえてきたりするので(あんまりいいたとええじゃないけど)、まぁアリっちゃアリなお話しなのかもしれない。

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スティーブン・ピンカーの『2001年宇宙の旅』への言及

クラークと監督のスタンリー・キューブリックは第三千年紀の生活のラディカルな像をつくりだしたが、それはいくつかの点で実現した。永続的な宇宙ステーションは建設中だし、ボイスメールやインターネットは日常生活の一部になっている。しかしクラークとキューブリックが、進歩について楽観的すぎた面もある。仮死状態も、木星へのミッションも、唇の動きを読んで反乱を企てるコンピュータもまだない。逆に、完全に乗り遅れてしまった面もある。彼らがつくった2001年の像では、人びとがタイプライターで言葉を記録している。クラークとキューブリックは、ワードプロセッサーやラップトップ・コンピュータの出現を予想していなかったのである。そして彼らが描いた新千年紀のアメリカ人女性は「アシスタントの女の子」―秘書や受付係や客室乗務員だった。

彼らのような先見の明をもつ人たちが、1970年代に起こった女性の地位の大変革を予想していなかったという事実は、社会のありかたがどれほど急速に変化するものであるかを、あらためて鋭く思い起こさせる。女性がむいているのは主婦や母親や性的パートナーだけだと見なされ、男性の場所を取ることになるからという理由で職業につくのを阻まれ、日常的に差別をうけたり見下されたり性的強要にあったりしていたのはそれほど昔のことではない。

(強調筆者)

この引用は、スティーブン・ピンカー(山下篤子訳)『人間の本性を考える(下)』p.108にある。第18章「ジェンダー: なぜ男はレイプするのか」の冒頭部であり、「女性の地位が向上した理由」という節に書かれている。

さっき、ふと思い出したのだが、内容はうろ覚えだった。それでちゃんと調べた。そして、調べたついでにここにメモしておく次第。

なお、映画『2001年宇宙の旅』は1968年に公開されたとは信じられないほど良くできた作品だ。ピンカーの『人間の本性を考える』も僕たちが人間自身を理解し、これからの社会をどう作っていくのかを考える上でたくさんの示唆にとんだ良書。

映画『ソーシャル・ネットワーク』を見た

世界最大のSNS Facebookを作った学生たちの友情と確執を描いた作品。デヴィッド・フィンチャー監督、ジェシー・アイゼンバーグ主演、2010年作品。

主人公のマーク・ザッカーバーグは、他人の感情に注意が向かず、不適切な言葉を投げかけては人を不快にさせる。人付き合いのヘタクソなコンピュータ・オタクなのだが、彼のテクニックと独創性は一流だった(実際に Facebook を創り上げたことだし)。
ある日、数少ない友人の一人であり、唯一の恋人(まぁ、恋人は通常唯一であるべきだが)にまでヒドイことを言ってしまい、フラれてしまう。その腹いせもあり、マークはネット上でのコミュニティサイトの作成にのめり込んでいく。
少しずつプロジェクトに協力する仲間も増えてきた。しかし、プロジェクトが大きくなるに連れて、組織の内外に嫉妬や方向性の相違が生まれ、マークは孤立していく。

そんなお話。

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