相手には指一本触れられず、女の子を無償で送り迎えする「アッシーくん」、同様に食事をご馳走する「メッシーくん」、パソコンの設定などを行う「ツナグくん」という言葉はもう死語なのだろうかと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第80回目の放送を見ましたよ。
1945年(昭和20年)12月。
東京で購入したパーマ機が八重子(田丸麻紀)の元へ届いた。大感激している八重子は、一緒に東京へ行った昌子(玄覺悠子)と糸子(尾野真千子)に最初にパーマを掛けてやるのだった。
仕事が立て込んでいる糸子よりも先に、手の空いている昌子が出かけることになった。糸子は先をこされたことをとても悔しがった。
その後、糸子が八重子の家に来た。玉枝(濱田マリ)と仲違いして以来、家に上がるのは数年ぶりのことだ。戦死した泰蔵(須賀貴匡)と勘助(尾上寛之)の遺影にもやっと手を合わせることができた。それでも湿っぽいところはひとつもなく、初めてパーマをあてることをニコニコしながら二人に報告するのだった。
けれども、玉枝は一向に姿を表さない。二階に引きこもり、寝てばかりいるのだという。特に、八重子が無断でパーマ機を購入し美容室を開くことについて、ますますつむじを曲げてしまったのだという。八重子は多少困った素振りを見せつつも、自分のやりたい仕事を好きなようにやらせてもらうのだと言い切った。玉枝とのことに悩んでいた八重子であったが、ずいぶんと元気を取り戻していた。
糸子はパーマをかけてもらう間、ずっと目をつぶっていた。作業終了の声に、おそるおそる目を開けると、鏡の中に今までとは違う自分の姿を見た。想像していたよりもきれいな仕上がりで、自分で見てもよく似合っていてお洒落に思えた。八重子と二人ではしゃいで大喜びした。
大はしゃぎしながらも、パーマ姿に明るい未来を見た。これからは何事にも負けずに頑張っていこうと誓い合うのだった。
それからしばらくして年の暮れになった。闇市にはずいぶんと品物が増えてきて、特に正月用品が多数並ぶようになった。しかし、洋服用の生地はなかなか手に入らなかった。また、必死に商品を買い求める人々の中で、派手な格好でアメリカ兵を相手にしているパンパンの姿だけは異彩を放っていた。糸子は彼女らを遠目に見ながら、お洒落のポイントを盗みつつ張り合おうとするのだった。
その年の大晦日、ラジオでは紅白音楽試合が放送された。優子(野田琴乃)と直子(二宮星)はラジオに合わせて「リンゴの唄」を大声で歌った。縫い子たちは実家に帰ってしまったが、小原家は家族揃って、明るく愉快な年越しをした。
糸子は平和で楽しい様子を見ながら、来年はもっと良い年になるようにと願うのだった。
1946年(昭和21年)2月。
相変わらず、洋服用の生地は手に入らない。仕方なしに軍需品の払い下げ生地で洋服を作り続けている。それでも客は増える一方で、糸子の店は大忙しだった。戦争中、仕事が減った時から子守専属にしていた縫い子のりん(大谷澪)を第一線に復帰させなければ間に合わないほどの繁盛ぶりだった。
店が忙しくなり、りんが子守をやめてしまったことで、優子と直子が野放しになった。二人は店に客がいようがお構いなしで、大声で騒ぎ立てる。そのたびに糸子はものさしを持って追いかけ、取っ組み合いになり、やっとのことで家の外に追い出さねばならなかった。
そんなある日、戦地帰りの男(土平ドンペイ)が家に訪ねてきた。彼は湖南省で勝(駿河太郎)と同じ部隊になり、勝の最期まで一緒だったという。
男の話によれば、勝はいい奴で、最期までのん気な様子であったという。内心では辛いこともあっただろうに、それを一切表に出さず、いつも上機嫌だったのだという。糸子はそんな勝の様子が手に取るようにわかり、おかしくてたまらなかった。
男は、勝が一番大切にしていたという遺品を持ってきてくれた。小さな紙の包みを開けてみると、一枚の写真が入っていた。それは、ある年の正月に家の前で親子4人(第53回; その時、三女・聡子は生まれていなかった。1941年(昭和16年)のこと)で撮った記念写真だった。
男が帰った後、糸子は縁側に火鉢を寄せ、ひとり物思いにふけった。
そして、勝と菊乃(赤松悠実)の浮気写真を取り出した。腹立たしさのあまり、これまでどういうわけか処分できずに残してあったのだ。
糸子は勝に買ってもらったショール(第57回)を久しぶりに肩にかけた。
勝と菊乃の写真を火鉢に放り込んだ。やっと勝を許してやることができた。写真は煙を上げて燃えた。
続きを読む