主演・沢田研二、監督・長谷川和彦、1979年製作の映画『太陽を盗んだ男』を見た。
当時、人気絶頂だった沢田研二が演じる主人公は、少々エキセントリックな中学理科教師。催眠スプレーで交番を襲い、拳銃を奪取。それで武装し、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪する。それを原料に自宅で原子爆弾を作成する。
原子爆弾を用いて警察を脅迫するというお話。
今日の日中(夜じゃないところがトホホ)は某かわいこちゃんとデート(デート?デートなのか!?)だというのに、僕は朝ドラを見てブログを書く必要があるので、その分だけ待ち合わせ時刻を遅らせてもらったりして、「お前やる気あんのか?」と自問自答している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第72回目の放送を見ましたよ。
1944(昭和19年)年9月。
今年は、ついにだんじり祭りが中止になってしまった。若く元気な男たちがみな戦争にとられてしまったので、物理的にだんじりを曳くことができないのだ。無邪気な次女・直子(心花)は、男しかだんじりを曳けないというしきたりなど無視して、来年は自分が曳くと言って騒ぎ出した。糸子(尾野真千子)は、それはできないのだと諭しながらも、小さい頃の自分を見ているようでかわいらしく思った。
しかし、糸子は悔しくてたまらなかった。戦争によって、人が人らしくない生き方を強いられていることに納得がいかなかった。
学校で子供たちは、人の殺し方と自分の死に方ばかり教えられている。一度は戦争に興味を失った長女・優子(花田優里音)も、最近ではまた軍事教練ごっこばかりしている。八重子(田丸麻紀)の長男で中学生の太郎(大原光太郎)。は、日本軍の正義を信じこみ、自分は海軍予科練に入って飛行士になることを夢見ていた。
それでも糸子は、太郎のことを親思いのよい子供だと思っていた。彼は毎日、糸子の店を手伝っている八重子の帰りを迎えに来る。八重子がどんなに断って、必ず八重子の荷物を運んでやるという心優しい息子だった。
そんなふたりを見ていると、糸子は安岡家のことが気にならないわけにはいかなかった。八重子自身は毎日明るく元気だが、夫・泰蔵(須賀貴匡)を戦争に取られ、義母・玉枝(濱田マリ)の髪結いは店じまいし、義弟・勘助(尾上寛之)は復員後に精神がやられ無気力な毎日を送っている。その上、3人の子供の母である。八重子は何も表に出すことはないが、大変な苦労をしているに違いないと思うのだった。
ところが、糸子も一家の大黒柱として忙殺されるようになり、八重子にばかり肩入れする余裕も無くなった。ある日、八重子の元気がなく、一日中ぼんやりとしていたのだが、糸子はそれに気づかなかった。異変を察した千代(麻生祐未)が話を持ちかけるのだが、糸子はみんな大変な時期なのだから、自分のことは自分でやってもらわなくては困るといって取り合わなかった。
特にその日は、店の者たちが検品の手を抜いたことによる不良品のクレームで大忙しだったのだ。
糸子が忙しく働く声や姿は、店の外まで漏れていた。
その様子を、勘助がこっそりと、そして嬉しそうに覗いていた。それを、使いから帰った四女・光子(杉岡詩織)が見つけた。
勘助の装いを見て、光子は彼が出征するのだと気づいた。糸子に会って行くよう誘う光子であったが、勘助は丁寧にそれを拒否した。そして、糸子を助けることを光子に託すのだった。
自分も本当は糸子に別れを告げたいのだが、その資格が無いのだと寂しそうに言った。自分が弱虫であることを恥じているのだ。そして、そんな自分も今回の出征でやっと終わりにすることができると言うのだった。
それは、死ぬことをほのめかした発言だった。
光子は泣きながら家に帰ってきたが、何も言おうとしなかった。その様子から悟った八重子が、勘助の出征のことを打ち明けた。
何も知らなかった糸子は、慌てて勘助の後を追った。しかし、糸子は勘助に追いつくことができなかった。
一月後、勘助は戦死した。
明日の日中(夜じゃないところがトホホ)は某かわいこちゃんとデート(デート?デートなのか!?)だというのに、クリスマス・プレゼントを準備しておらず、しかも今日は出勤日だから買い物にも行けねぇよ、やべぇよと焦っている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第71回目の放送を見ましたよ。
1944年(昭和19年)4月。
八重子(田丸麻紀)はついにパーマ機を金属供出してしまい、店を閉じることになった。収入のなくなった安岡家を救うため、糸子(尾野真千子)は彼女を店で雇うことにした。
明るい八重子はみんなの話題の中心になったし、糸子の良き相談相手にもなってくれた。八重子の夫・泰蔵(須賀貴匡)は戦争に行ったままであったが、彼の男前ぶりの噂で持ちきりだった。そろそろだんじり祭りの時期だが、大工方として屋根に登った泰蔵のことなどが語られた。
糸子はふと、泰蔵に恋をしていた奈津(栗山千明)のことを思い出した。すると奇遇なことに、奈津から電話がかかって来て呼び出された。
糸子が奈津の家に行くと、自分が結婚式を挙げた部屋に通された。しかし、その部屋は現在では半分物置のような状態になっていた。食料物資が不足していて客に提供する料理もないし、当局からの指導で商売もほとんどやれなくなったのだという。
そして奈津は、本題を切り出した。
土地と家屋を含めて1万円で店を買って欲しいと言うのだ。店の経営に失敗し、それだけの借金をこしらえてしまい、どうすることもできなくなったのだ。何人もの金持ちに相談したが、この時局では買い手がまったく見つからなかったという。
もちろん糸子にはそんな大金を用意できるはずもなく断った。そして、幼なじみの奈津に対する友情と、同じ経営者としての不甲斐なさとから、つい大きな声で説教をしてしまった。しかし、負けん気の強い奈津はまともに聞こうともせず、ふたりは喧嘩腰で別れた。
腹を立てて帰宅した糸子は、八重子に全て話した。すると八重子は奈津に同情するのだった。奈津は父(鍋島浩)を早くに亡くし、婿養子の夫(真鍋拓)は蒸発、母(梅田千絵)は体が弱い。奈津は頼る人物もおらず、ひとりで店を切り盛りしてきた。最終的に失敗してしまったかもしれないが、これまでの頑張りは立派なものだと褒めるのだった。
糸子は困っているなら、どうして手遅れになる前に相談してくれなかったのかと苦々しく思った。しかし、八重子のいうことももっとだと思い、できる限りのことをしてやろうと思った。
まずは神戸の祖母(十朱幸代)に購入を持ちかけたが、彼女は興味を示さなかった。
他に手のなくなった糸子は、店のリーダー格・昌子(玄覺悠子)が反対するのも聞かず、店の金で何とかしようと思い、奈津の所へ向かった。
奈津の家の前では借金取りたちが地団駄を踏んでいた。話を聞くと、奈津と母親は夜逃げして姿を消したという。店は軍が二束三文で買ったのだという。
糸子は怒りと悲しみの感情に駆られた。誰もいなくなった家に向かって口汚く罵りながら泣き叫ぶのだった。
僕の借りていたサーバーは、そもそも機材がおかしい。すごく遅い。
でも、機材の遅さは、もう僕にとってどうでもいい問題だ。もう手遅れだから。
さくらのVPSに乗り換えたら、すごく快適になった。
あまりにサクサクと軽快に動くので、あっという間にブログの移設も終わった。みんなは気づいてないかもしれないけれど、これを表示しているサーバーは昨日とは違うのだ。
わはは。
本当は2週間の無料試用期間があったのだけれど、コンソールを3分使っただけで、もう旧サーバーに戻る気が失せた。信じられないかもしれないが、旧サーバーは ls でファイルリストを表示するのに10秒以上かかることがしばしばあった。
それが、さくらのVPSでは、まさに「打てば響く」という状態。旧サーバーをこれ以上使い続ける理由はなにもない。
2週間の無料期間を前倒しして、すぐに本契約を開始した。
今さらながら、斉藤和義「ずっと好きだった」(Get back)と「やさしくなりたい」(衣装はこれだけれど、動きはこっちっぽい)のPVが the Beatles のライブ映像を再現していると知り、その完成度の高さに感激した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第70回目の放送を見ましたよ。
1943年(昭和18年)9月。戦争の影がより濃く日常生活に浸透していた。
オハラ洋裁店の仕事は軍服の下請けばかりになった。若者が戦死し、店の前を葬送の列が通りがかった。配給が目に見えて減っているし、商店街でも多くの店が閉店してしまった。人々は庭で食料を自給して飢えをしのぐようになった。小原家では下着や靴下を農家に持ち込んで食料に交換することができる分だけ恵まれていた。
糸子(尾野真千子)は戦地の夫・勝(駿河太郎)に善作(小林薫)が亡くなったことを何度か知らせた。しかし、勝からの返事には、どういうわけか毎回、善作のことを気遣う文が書かれていた。
ハル(正司照枝)もすっかり老けこんでしまった。善作をなくし、世は戦争ばかりで生きていてもちっとも面白くない、無駄飯食いであることだし早く死んでしまえばいいと弱音ばかり吐くようになった。
国民学校では軍事教育が盛んになった。そのせいで優子(花田優里音)もすっかり軍国少女になってしまった。毎日、勇ましい声を出して、兵隊ごっこに明け暮れるのだった。
ある日、優子が戦争映画に連れて行けと騒ぎ出した。初めは相手にしていなかった糸子だったが、根負けして優子と直子(心花)を連れて行った。
あれほど楽しみにしていたのだが、戦闘シーンばかりの映画は優子の期待にそぐわなかった。すぐに飽きてしまって、帰ると言い出した。親子は映画を途中でやめて帰路についた。
帰る途中、憲兵が共産主義者に暴行を加え、逮捕するところに出くわした。
あまりの光景に子供たちは震え上がった。糸子は娘たちをかばい、眼を伏せさせて凄惨な様子を見せないようにした。
その時、糸子は思った。戦争ばかりで、美しいものをほとんど目にすることのない娘たちがなんとかわいそうなことか、と。
すぐに糸子は、元来絵の上手な優子のために色鉛筆を買ってやった。物資不足の昨今、それはとても高価なものであったが、糸子は躊躇しなかった。そして、きれいなものをたくさん描け、きれいなものが描けたら妹たちに見せてやれと優子に言うのだった。
優子も色鉛筆をすぐに気に入り、もう戦争ごっこはしなくなった。
もうすぐ、だんじり祭の時期だ。
若者達が戦争に取られてしまったため、年寄りばかりの祭りになりそうだ。しかし、どんなことがあってもだんじりは曳かれなくてはならない。
だんじり祭りのことを考えると、糸子は暗いことは全て忘れて、うきうきと明るい気持ちになることができた。
確かに僕のサーバーは重い。遅い。
当blogを開くのに10秒近くかかることもある。
僕の愛すべき読者にはいつも申し訳なく思っている。
サーバーが遅いのは、僕が借りている某レンタルサーバーのせいだと思っていた。
いくつかの候補の中から、一番安い会社と契約した。安いし、まぁこんなもんだろうと思っていた。
一度契約して環境も作ってしまったので、今さら移籍するのもめんどくさい。だから使い続けている。
ただし、重くて遅いことは十分承知しているので、少しでも軽快に動作するように最善は尽くしているつもりだ。
つもりだった。
つもりだったのに、本日、名指しのメールで直接怒られた。
レンタルサーバーの運営会社が、「あんたはサーバー全体の迷惑になるくらい大きな負荷をかけている。早急に改善せよ」と言ってきた。
続きを読む
昨日のまとめ記事はマクラとラストを綾瀬はるかで結んでいたのと同様、実は小野小町の「いとせめて・・・」が糸の掛詞にになっていたわけで、誰か褒めてくれるかと期待していたのだが、誰も言ってくれなかったので自分で言ってしまう当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第69回目の放送を見ましたよ。
糸子(尾野真千子)は自分の傲慢が、町の人々から爪弾きにされる原因を作ったのだと反省した。町の人々に対してにこやかに接し、下手に出るよう心がけた。
おしゃれモンペ教室を再開したところ、心配したほどには客足は減らなかった。以前と同じように食料を代金替わりにした女性たちがやって来た。糸子は一安心した。
その矢先、婦人会の澤田(三島ゆり子)らが店にやって来た。以前なら澤田の顔を見ただけで腹を立てていた糸子であったが、自分を落ち着かせて穏便に対応した。
しかし、澤田の要求は糸子には到底受け入れられないものだった。国が戦時体制にある時期に、お洒落をしようなどというのは言語道断だというのだ。ボロ布以外でモンペを作ることを禁じられてしまった。
さらに、お洒落にうつつを抜かしているようならば、店にミシンは必要ないと言われてしまった。鉄を溶かして武器にした方がよほど国の役に立つ。そこで、翌日回収に来るから準備をしておけと言うのだった。
その命令に、ついに糸子は堪忍袋の緒が切れた。澤田らを怒鳴って追い返した。
澤田らを追い返したのはいいものの、明日にはミシンをとられてしまう。糸子は悩み始めた。
ミシンは一家の重要な生活の糧であるばかりか、善作(小林薫)の形見でもあるのだ。彼が一大決心をし、自分の商売を諦め、店の反物全てと引き換えに買ってくれたものなのである。絶対に手放すわけにはいかなかった。
困った糸子は、善作の仏前で手を合わせ、心のなかで相談した。もちろん、善作の遺影は何も答えてはくれなかった。
ふと見ると、優子(花田優里音)が隣に来て、一緒に手を合わせていた。
糸子は優子の髪を切ることを決めた。優子をかわいがる善作は、優子の髪を伸ばしておさげにすることを命じていた。糸子はそれが気に入らなかった。善作が口出しできなくなったのをいいことに、優子をオカッパにしてしまった。
優子自身は、自分の髪型を少しも気に入らなかった。そのため、むくれてしまった。
糸子は優子をなだめるために、みんなに意見を聞いて来いと追いやった。
家の者は、異口同音に新しい髪型が似合っていると褒めてくれた。しかし、それでは納得できなかった。
家を飛び出した優子は、隣の履物屋に飛び込んだ。
そこには偶然、木岡の弟・靖(多々納斉)が来ていた。靖は優子の新しい髪型を褒めつつ、糸子によろしく伝えるよう優子に頼んだ。軍の仕事を請け負っていて商売が順調な靖は、オハラ洋裁店に困ったことがあったら仕事を回すと約束していたのだ。いつでも糸子を助ける準備のあることを、優子に託して伝えた。
優子は家に帰って糸子に靖のことをすぐに伝えた。
それで閃いた糸子は、すぐに隣に駆け込んで靖に仕事を卸してくれるよう頼んだ。軍服の縫製を行えば、ミシンを供出しなくてもいいと考えたのだ。
その日のうちに軍服の仕事に取り掛かった。
翌日、澤田らがミシンを回収に来たが、糸子らは胸を張って軍に協力していると言い放った。軍服を作るためにはミシンが必要だから供出には応じられないと突っぱねるのだった。そう言われてしまっては、澤田も手ぶらで帰るしかなかった。
糸子は大切なミシンを守ることができた。
昨日と同じように善作の仏前に座った糸子は、事の顛末を善作に報告した。自分がいかに巧妙にミシン供出を免れたかを説明するのだった。
ふと見ると、優子が隣に来て、一緒に手を合わせていた。
そこで、あっと思った。全ては善作の差配だったと気づいたのだ。善作が優子を使ってことをまとめてくれたのだ。
糸子は、まだまだ善作にはかなわないと思った。
小野小町の「いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る」という歌があることを知り、寝間着を裏返しにして寝ると恋しい人の夢を見る事ができるというのでユニクロのスウェットを裏返して試してみたら、自分の結婚式の夢を見ることができて、花嫁はミニスカートのウェディングドレスで絶対領域も白く眩しい綾瀬はるかだったのだが、「俺的にはなんか違う。山瀬まみ、もしくはそれに準じる女の子じゃないと納得できん」とプリプリしながら目を覚ました当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第68回目の放送を見ましたよ。
善作(小林薫)の葬式の翌朝、糸子(尾野真千子)は寝床でうつらうつらしていた。娘たちの健やかな寝顔を眺めつつ、善作がいなくなったことをしみじみと考えていた。
そこへ、いつも食事作りをしている清子(坂口あずさ)と光子(杉岡詩織)が騒ぎながらやって来た。家の食料がすっかりなくなっているというのだ。葬儀の参列者に立派な食事を振舞ったため、底をついてしまったのだ。
国内の物資が窮乏していて、今ではみな最低限の簡素な葬式しか行なっていない。静子(柳生みゆ)が反対するのも聞かず、糸子が後先考えずに立派な葬式を出してしまったことが招いた結果だった。糸子の右腕である昌子(玄覺悠子)はすぐにでも店を開けて商売をしなければ飢えてしまうと訴えた。しかし糸子は、善作の喪が開けるまで絶対に店を開かないと言って聞かなかった。葬式の香典をかき集め、店の者(高田真衣、吉澤沙那)に買い物に行かせた。
ところが、買い物に行かせたふたりが泣きながら手ぶらで帰ってきた。市場では、小原家に食料は売らないと言われたという。小原家は非合法の闇商売をしているという噂があるといって門前払いされてしまったのだ。葬式を手伝いに来てくれた町内会の奥さん連中が、台所にあった大量の食料を見て不審に思って流した噂だと思われた。
善作を失ってただでさえ落ち込んでいる一家に、さらなる衝撃であった。
結局、背に腹は代えられないので、喪が開ける前に店を開くことになった。しかし、店に対する嫌がらせも始まった。植木鉢が壊されていたり、「非国民」と書いた紙が貼り付けられたりしていた。客足も鈍っていて、開店休業状態であった。
この時、糸子は初めて世間の冷たさや怖さを知った。
同時に、自分の意地を引っ込めるべき時が来たことを悟った。これまで家の者を配給所に行かせなかったのは、国からの施しを受けなくても、才能で家族を養うという自分の甲斐性を誇りに思っていたからだ。配給所の無様な行列に並ばないことで、自分たちの一家が特別な存在であるかのように思いたかったのだ。
けれども、そういった思い上がりが人々の反感を買ってしまったのだと思い知ることになった。
糸子が落ち込んでいる所へ、電器店・木之元の妻(西村亜矢子)が回覧板を持ってきた。それは野菜の配給を知らせるものだった。
どこかぎくしゃくするふたりだったが、木之元の妻が一緒に配給所に行こうと誘ってくれた。糸子は素直にそれを受け入れた。配給の当日、履物屋・木岡の妻(飯島順子)も合流して3人で配給所へ向かった。
赤の他人から店への嫌がらせは相変わらずだが、昔から親しい隣近所の人々は自分のことを信じてくれている。そのことで糸子は勇気づけられた。そして、近所にそういった親切な人々がいるのも、まさに善作の遺産だとしみじみ思うのだった。
Wikipediaの「カーネーション(朝ドラ)」に「この記事は過剰な加筆が行われ、読みにくくなっています。あまり重要ではない事項を細かく解説することは、むしろ閲覧者の理解を妨げ関心を損ないます。」とタグが付けられているのを見て、自分のまとめ記事の反面教師にしようと思った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第67回目の放送を見ましたよ。
石川県の温泉地で死去した善作(小林薫)は遺骨となって岸和田に帰ってきた。
千代(麻生祐未)をはじめ家の者はみな泣き叫んで取り乱していたが、糸子(尾野真千子)だけは気丈に振舞っていた。
同行した木岡(上杉祥三)と木之元(甲本雅裕)の話によると、酔って風呂に入ったのが原因で死んだという。木岡と木之元は酒を飲んで深く酔ったことを振り返り、善作を止めなかった原因がどこにあるのか、ふたりで言い争いを始めた。
それを見ていた糸子は、そもそも善作に酒を持たせたのは自分であると言って自分のせいにした。木岡と木之元には、最期まで善作の面倒を見てくれたことを感謝した。
葬儀についても糸子が全てを取り仕切った。近頃では客足も鈍り、金の代わりに食料を持ってくる人ばかりなので金はなかったが、善作のために最大限の葬式をあげようと決めたのだった。
生前の善作の人柄を慕って、葬式には多くの人々が来てくれた。
善作を贔屓にしてくれていた地元の名士・神宮司の娘(酒井藍)は、善作がいつも「べっぴんだ」と言ってくれたという。自分の器量が悪いことはわかっており善作の完全なるお世辞だとわかってもいたけれど、それが嬉しくて、彼の来るのが楽しみだったという。
木岡の弟で、縫製工場を経営している靖(多々納斉)も善作の多大なる世話になったという。工場が借金で危なくなった時、善作が仕事をかき集めてきてくれて窮地を救ってくれたのだという。靖はその恩返しができていないので、何かあったらいつでも相談に来るよう言ってくれた。最近では、軍服の受注をしているので、糸子に回せる仕事もたくさんあるという。
糸子は祭壇の前で善作に感謝した。
善作がみんなに優しくしていたおかげで、その優しさが残された家族に返ってきたのだ。
そして、その場で疲れて眠ってしまった。
糸子の妹たち(柳生みゆ、坂口あずさ、杉岡詩織)は、善作の幽霊に会ったという木岡の妻(飯島順子)から話を聞いていた。
木岡の妻は幽霊のようなものを見るのは初めてだという。善作がいるのを不思議に思ったが、いつものように軽い調子で元気に入ってきたので、あまり不審に思わなかったという。終始上機嫌で木岡の妻に愛想を振りまき、糸子を頼むと何度も繰り返していたという。
その様子が善作そのものだったので、妹たちも善作が来ていたに違いないと信じるのだった。
一方で、葬式の手伝いに来ていた近所の奥さん連中は、小原家の台所に大量の食料があるのを怪しんでいた。小原家の人間を配給所で見かけることは少ないのに、これだけ食料品があるのはおかしいというのだ。ましてや、最近ではめったに手に入らない酒まであった。きっと闇市に出入りしているに違いないと噂しあうのだった。
夜遅く、ずっと取り乱していた千代がやっと正気を取り戻した。
寝ずの番をしている者たちに休むよう言い、床で突っ伏して寝ている糸子に毛布をかけ、彼女を優しく撫でてやるのだった。
よしながふみの『きのう何食べた?』について調べようと思って Google 検索したのだが全くヒットせず、どうしたことだろうかと不思議がっていたら、検索キーワードが「今夜何食べたい?」になっていたという当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第66回目の放送を見ましたよ。
1943年(昭和18年)4月。長女の優子(花田優里音)が小学校に入学することになった。
この頃、善作(小林薫)はずいぶんと回復して元気になっていた。
寝たきりの状態を脱し、居間で優子を膝に乗せながら新聞を読んだり、登校する優子を家の前で立って見送ることなどもできるようになった。さらには、配給切符の整理係として店の手伝いもできるほどになっていた。
同時に、以前のようにわがままで口うるさい態度も復活した。
糸子(尾野真千子)は「すぐに体が大きくなる」と言って、大きめのセーラー服を作った。優子を贔屓してかわいがっている善作は、洋裁屋のくせに手を抜くなと言って糸子を叱った。また糸子は、優子のおさげを毎日結うのが面倒で、オカッパにしてしまいたいと思っている。けれども善作は、次女の直子(心花)をオカッパにしても、優子にだけは絶対に許さないのだった。
糸子は、善作が元気になったことを心の底から喜んだ半面、彼のやかましさに腹を立てたし、すぐに無理をしてしまう様子も心配であった。
そんな頃、隣の履物屋の木岡(上杉祥三)が、石川県の温泉の噂話を持ってきた。それを聞いているうちに、善作はすっかり乗り気になって、湯治に行くと言い出した。長旅は無理だといって周囲は猛反対した。
しかし、温泉の資料を集めて楽しそうにしている善作の様子を見た糸子は、止め切れなくなって温泉行きを許してしまった。
出発前に、糸子は真心を込めて新しい国民服を作ってやった。それは、今では入手困難な純毛の生地を使った上等なものだった。出発の日、それを身につけた善作は上機嫌になってみんなに見せびらかした。
一人台所で出発準備を手伝っている糸子の所へ行き、善作は言いにくそうに、素っ気なく新しい服の礼を言った。糸子も、神妙な表情の善作を前に照れてしまい、まともに受け合わなかった。それでも、善作の喜びはひしひしと伝わってきた。
糸子から善作へ、もう一つの贈り物があった。秘蔵しておいた酒を水筒に入れて善作に持たせてやった。味見した善作は満面の笑みを浮かべ、素直に何度もスラスラと礼を述べた。服にはまともな礼がなかったのにと、糸子は苦々しく思うのだった。
それでも、気持ちよく善作の出発を見送った。善作も、仲間たちと一緒に機嫌よく元気に旅立って行った。
糸子が店で大福帳を調べていると、善作の見事な字で「オハラ洋装店 店主 小原糸子」と書かれているのを見つけた。それは、善作が糸子のことを一人前の商売人だと認めた証拠だとわかった。糸子は嬉しくなって、何度もそれを見返していた。
その日の夜、糸子の元へ電報が届けられた。善作が危篤状態に陥ったので、すぐに来て欲しいという内容だった。
糸子は、冷静に自分を落ち着かせた。まずは旅館の住所を調べるために、善作と同行している木岡の家に行って、彼の妻(飯島順子)から聞こうとした。
ところが、家を出ると、木岡の妻も表に出てきていた。
彼女は雨の降る中、傘もささずに寝間着のままで呆然と立っていた。糸子が声をかけると、今しがた善作に会ったのだという。温泉に行っているはずの善作がここにいるのは不思議だが、「糸子をよろしゅう頼む」と言っていたのだという。
はっとした糸子が道の先を見ると、そこに善作の姿が見えた。
雨にけぶってぼんやりとした姿であったが、彼は何も言わず優しい笑顔で立っていた。その姿はみるみるうちに薄くなってしまい、程なく完全に消えた。
糸子は道に崩れて号泣した。
1943年4月27日、善作は59歳で生涯を終えた。