金曜日は社員研修で神奈川県に出張していた。
京都オフィスからは2人の社員が参加した。僕と一緒に参加することになった女性社員は、部署もフロアも異なるので、互いに顔と名前は知っている仲だが、ほとんど話をしたことはない。ところが、研修会場からの帰路、新幹線の駅(予約列車は異なっていた)まで一緒に移動することになった。いろいろ話をした。
彼女は僕とほぼ同じ年頃だが、3児の母だそうだ。小中学生の頃から本が大好きだったのだが、近ごろは家事や育児に追われて、読書の時間が取れないのがちょっとした不満だそうだ。また、小さい子供たちがいるので、長距離の出張はできれば避けたいとのこと(この日も、家につくのは22時過ぎの予定だった)。
ただし、移動中にじっくりと読書ができるということだけは、出張のご褒美としてありがたく利用しているそうだ。
今回の出張でも前から楽しみにしていた小説を持ってきて読んでいたそうだ。
しかし、往路でその本を読み切ってしまい、帰りに読む本がないと嘆いていた。途中、新横浜で新幹線に乗り換える前に何か買いたいのだが、書店の場所を知らないし、乗り遅れるのが不安であまりウロウロしたくもないのだと困った様子であった。
僕も移動中に読書をする人間であり、その時は鞄の中に3冊も本が入っていた。どれもまだ読み終わっていない本であったが、家につくまでに3冊とも読めるとは思えなかったし、1冊くらいなら貸してあげてもいいと思った。
そこで、鞄の中から川上未映子の『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』というエッセイ(だと思う。タイトルが面白くて、中身も確かめずに購入し、全然読んでないから内容も知らない)を取り出して彼女に持たせた。
単純に、不案内なところで時間に追われながら本を探し求める彼女をかわいそうだと思ったという理由もある。しかし、ここで本を貸し借りする関係を作っておけば、後々何かとイイコトがあるかもしれないという打算の方が大きかった。
今回の貸し借りをきっかけに、京都オフィスに帰ってからも日常的に本の貸し借りをする仲になれるかもしれない。そういうことを繰り返すうちに、僕の本屋での選書眼も変わってきて「お、この本は彼女が面白がって読むかもしれないな。僕が先に買って読んで、終わったら彼女に貸してあげよう」なんていう風になるかもしれない。彼女もきっと同じようなことをするようになるだろう。徐々に本だけではなく、CDやDVDの貸し借りなんかもし始めるようなるはずだ。そうすると、新作封切り映画でも見たいものが重なったりして、一緒に見に行こうかなんてことになるはずだ。映画を見ればお腹も空くから、帰りにちょっと食事でもということになる。最初はポツリポツリと仕事の愚痴や会社への不満を言い合っているのだけれど、気がつけば家庭生活の不平不満を言い合うようになる。
ここまでくれば、もうオトナの火遊びの導火線は止められないわけだ。
今日の社員研修でも、近未来の自分のあるべき姿を明確に想像し、それを実現するための行動計画を立案し、今日から出来ることを即座に実行しろと言われたじゃないか。真面目に研修を受けた当方としては、3児の母とのアバンチュールを実現するために、今日できることとして文庫本を貸してあげることにした。
鞄の中には、他に『パンの耳の丸かじり』(東海林さだお)と『ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学』(マルコ・イアコボーニ )が入っていたけれど、それらは隠しておいて川上未映子のエッセイを出すことが肝心だ、こういう時は。東海林さだおだと「こいつ、おっさん趣味なんだな」と思われるし、ミラーニューロンは学者仲間として外せないテーマではあるが色気がなさすぎる。
「自分は女性作家のエッセイを読む人間です。女ゴコロに共感できるし、あなたの気持ちもわかりますよ!」ということをプレゼンテーションしておくことが、オトナの導火線に火をつける第一歩なのだ。むふふ。
まぁ、そんなこんなで、小市民的妄想を膨らませながら川上未映子を貸したのだが、
「そのかわりに・・・」
と言って、彼女が読み終えた本を僕に預けてくれた。
それが、荻原浩の『ちょいな人々』
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