2014年にこんな約束をしていました。
いつかHotel CaliforniaをPRSユーザーの某木公さんとセッションすることを夢見ながら,今日は帰宅しよう。お疲れさまでしたー。TGIF!!
— Masataka HIGUCHI (@HIGUCHI_MA) November 28, 2014
2024年についに実現しました。
2014年にこんな約束をしていました。
いつかHotel CaliforniaをPRSユーザーの某木公さんとセッションすることを夢見ながら,今日は帰宅しよう。お疲れさまでしたー。TGIF!!
— Masataka HIGUCHI (@HIGUCHI_MA) November 28, 2014
2024年についに実現しました。
久しぶりに松本清張マイブームが来てます。
紙の文庫本で『黒革の手帖』を読み終わった後、次は何を読もうかなと思ってツラツラと松本清張関連のWEB記事を眺めていたわけです。
そしたら、文春オンラインの『読者を旅へといざなう“松本清張ならでは”の小説描写…乗り鉄が語り尽くした清張作品のスゴさとは』という記事に行き当たりました。
『張込み』という短編小説を取り上げて、刑事が容疑者を追って鉄道で東京から九州へ向かう部分が引用されていました。まだ新幹線はもちろん、寝台列車も運行されていなかった時代の話で、狭苦しい客車の中で一昼夜を過ごす描写が僕には真に迫って感じられました。
これは続きが気になると思って、本屋に買いに行きました。電子書籍で買ってもいいんだけれど、紙の本にしたわけです。電子書籍以前の時代から松本清張は文庫本で買っていたし、同じ著者の背表紙が少しずつ本棚が埋まっていく様を見るのも好きだからです。
近所の本屋では、後藤久美子主演のドラマとタイアップしたものが売られていました。今年の正月に放送されたらしいけれど全然知らなかった。
ちょっとレジに持っていくのは恥ずかしいなと思った。内容を確認しようと思って立ち読みするのも恥ずかしかった。
立ち読みでわかったことは、これは短編推理小説を8篇収めているということだった。
最初に目当ての『張込み』が収録されていて、その冒頭がまさに九州へ向かう鉄道のシーンだった。ただし、そのシーンは2-3ページで終わっていて、立ち読みでちょっと拍子抜けした。
しかし、まあ乗りかかった船だしと思ってちゃんと買って帰りました。
続きを読む
50年生きてきても、まだまだ初体験というものはあるもので。長いようで短い期間なんですね。今後もいろいろ初体験することもあるんだろうな。
というわけで、今日は生まれて初めてケーキにロウソク立ててみた。
誰かの誕生日会に参加したことはあるけれど、いつも傍観者の立場だったのでケーキにロウソクを立てた経験はなかったし。
自分の誕生日にケーキにロウソクを立ててもらって吹き消したことはあったけれど。
まさか、自分で自分のためにケーキにロウソクを立てることになるとは思わなかったよね。
チョコプレートにチョコペンで「俺」とか書いてるし。ひとりぼっちで。
一番好きな伊藤沙莉はドッキリにハメられているやつである当方が、NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』のまとめ記事連載を今日限りでやめることを決めましたよ。
今日の放送では、寅子(伊藤沙莉)が明律大学女子部法学科に進学するという新たな目標を得ました。
下宿人・佐田(仲野太賀)の弁当を届けるために夜間学校に行ったところ、「法律では女性は無能力者とされている」などといった講義内容が聞こえてきました。自分が不当に扱われているように思って、寅子は納得がいきません。
そんな寅子の姿を見つけた法学者・穂高(小林薫)は、寅子の意見を聞いた上で、法律に興味があるなら大学に進学するとよいと助言しました。寅子はそれこそ、自分の進むべき道だと思いました。
寅子の見合い結婚を誰よりも推し進めようとしている母・はる(石田ゆり子)は、しばらく故郷に帰省していて家にいません。その隙に、父・直言(岡部たかし)にだけ相談しました。すると父は大賛成してくれました。母の説得も自分に任せておけと胸を張るのでした。
こうして寅子は入学願書を準備し、試験勉強もはじめました。以前よりも毎日が充実しているように思えました。
そしていよいよ、母・はるが帰ってきました。寅子は、父・直言が母を言い負かしてくれるのかと期待していましたが、彼はなかなか言い出さないどころか、寅子を避けるようになってしまいました。結局彼は口先だけで、母に頭が上がらないのでした。
いよいよ寅子は母に直談判しようと思いました。しかし、大親友であり、兄・直道(上川周作)と近く結婚することの決まっている花江(森田望智)から止められました。花江は自分の結婚式が無事に終わるまでははるに機嫌よくいてほしいというのです。寅子の大学進学を知ったら、どうなることかと恐れているのです。
加えて花江は、自分は直道に一目惚れしたのだと打ち明けました。女は自由に結婚相手を選べないものの、なんとかして彼と結婚できるように、時には寅子も利用して、したたかにたち振る舞ったというのだ。寅子も自分の好きなように生きるためには、したたかに暗躍することが必要だと助言した。
2日目にして早くも寝坊しそうになった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』の第2回めの放送を見ましたよ。
寅子(伊藤沙莉)は3度目の見合いに臨んだ。女学校卒業後は職業婦人になりたいと望んでいたが、家庭に入って守るのが女の幸せだと信じる両親の意向に沿う覚悟を決めた。今度こそ、うまくやろうと決意した。
見合い相手の横山(藤森慎吾)は貿易会社に勤めていて、少し前までニューヨークに駐在していた。先進的な考えを持つ男のようで、妻とは対等な立場でなんでも話し合える関係を作りたいと言っている。寅子はこの相手ならば自分らしさも発揮できると思い、嬉しくなった。
横山が現代の政治経済の問題に触れると、寅子は自分の意見を次々と開陳した。寅子は新聞を読むことを日課にしており、気になった記事はスクラップ帳に貼り付け、何度も繰り返し読んでいた。横山のどんな話題についても寅子はよく知っていたし、自分なりの意見も持っていた。時には、横山の話を途中で遮って、矢継ぎ早に自説を述べた。中には、横山よりもよほど詳しい話題もあった。
初めは笑顔で聞いていた横山であったが、次第に機嫌が悪くなってきた。ついには、女のくせに生意気だと言って怒り出してしまった。
後日、横山からは断りの連絡があった。こうして寅子の3度目の見合いも失敗に終わった。
母・はる(石田ゆり子)は、なんとしても女学校卒業前に婚約まで漕ぎ着けると言って諦めなかった。
その頃、寅子の猪爪家では、兄・直道(上川周作)の結婚準備も同時に進められていた。
直道に結婚相手は、寅子の女学校の大親友・花江(森田望智)であった。
ある日曜日、直道と花江の結婚式の招待状準備が行われた。花江とその母・信子(赤間麻理子)も参集し、女たちが丁寧に作業にあたった。さらにその日の夜は、花江の父・真一(横堀悦夫)も招待して宴が開かれることになっていた。
寅子は不平を漏らしながらも、親友の花江の手前、宴の支度を手伝った。
花江本人も、猪爪家の台所に入って料理の手伝いをした。花江は、もうすぐこの家の嫁になるのだから、早く猪爪家の味を覚えたいとにこやかに言うのだった。
女たちはそれらを苦労だとは思わず、にぎやかにおしゃべりしながら作業を行なっていた。
宴が始まると、寅子の父・直言(岡部たかし)が主催者として場を取り仕切った。花江の父・真一も主賓としてご機嫌だった。両家の結婚をとりまとめたと言って、ふたりの父親たちは愉快そうに語り合った。
一方、結婚式の準備や宴の準備にその日を全て捧げた女たちは、急に影のように静かになった。男たちの話を微笑みながら聞いているだけである。
寅子はそれを気に入らないと思った。男たちは全て自分たちの手柄のように振る舞っているが、実際に作業をしたのは女たちである。女たちは男たちの邪魔にならないよう、急に無口で控えめになってしまっている。
それが終わったある日、母・はるの親戚に不幸があり、彼女はひとりで香川県丸亀に帰省することになった。その間、寅子が家事を切り盛りしなくてはならなくなった。
下宿人・佐田(仲野太賀)は、早くに両親を亡くしたが、その父の意思を継いで大学で法律を学ぶために猪爪家に住み始めた。しかし、彼は司法試験に合格することができなかった。現在は、銀行で働きながら、夜学に通って司法試験合格に挑戦中である。
夜学に通う佐田のために弁当を持たせなければならない。しかし、家事に不慣れな寅子は弁当の用意に手間取ってしまった。後で学校に届けると告げて、佐田を送り出した。
寅子が学校に到着するとちょうど講義中で、寅子にとっては初耳な難しそうな内容が取り扱われていた。寅子は廊下からしばし聞き耳を立てていた。
すると、講師の桂場(松山ケンイチ)に見つかってしまった。寅子は慌てて逃げようとすると、今度は廊下の前方から別の男がやってきて道を塞がれる形になった。
その男は高齢だが、誰よりも偉そうな雰囲気を漂わせていた。一目見ただけで寅子は圧倒されてしまった。
その男・穂高(小林薫)は、寅子に向かって何か言いたいことがあるなら言ってみろと告げた。
親しい人ならとっくにご存知のことかと思いますが、僕は北海道大学に入学して大学院を修了しました。
僕の所属ゼミの大先輩に通称 “D-ken” と呼ばれるOBがいました。事情通の方に簡単に説明しておくと、確かオーニョさんとかよぢこさんとかKYNRさんとかと同学年の人だったはずです。
D-ken さんとは歳が離れているので、僕がゼミでご一緒することはありませんでした。しかし、彼は卒業後もちょくちょくゼミ室に顔を出していたので、僕はいつしか顔見知りになりました。
ていうか、彼がゼミ室に顔を出すのは年に1回で、決まって4月下旬から5月上旬あたりでした。その時期になると、決まって缶ビール一箱(24本入り)を差し入れに来てくれるのです。ちょうど札幌の気温も上がって、ビールも美味しくなり始める時分です。
彼は大学を卒業後、札幌市の職員になりました。色白の小太り体型で、ほっぺはいつも赤く染まっていました。見るからに人のよさそうなタイプです。
そんな彼は、毎年、市役所の上司と賭けをしていたそうです。その賭けの内容は「札幌市の気温が初めて20度を超えたら、どんなに仕事が忙しくてもその日は午後に半休を取る」というものです。ですから、4月下旬から5月の初めあたりに午後半休を取得し、ゼミの後輩である僕たちにビールを振る舞ってくれたわけです。
今はもう音信不通になってしまいましたが、今でも春先になると D-ken さんのことを思い出して、心がポッと暖かくなります。
さて、そんなこんなで、2024年の4月1日です。
たぶんお子さんの入学式かなんかだと思うのですが、年度初めだというのに僕の職場の上司が休みを取りました。桜はまだだけど関西の気温も上がってきたし、上司も休んでるし、俺もD-kenさんみたいにこの陽気に誘われて午後からの仕事をサボってもいいよな、と思ったわけです。そんなわけで、午後からは大阪で思う存分ビールクズしてきたわけです。
続きを読む
3日前に終わったばかりなのに、本日また新たな根性試しの始まる当方が、NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』の第1回めの放送を見ましたよ。
1931年(昭和6年)のある夜中。
猪爪寅子(はしづめともこ; 伊藤沙莉)は身の回り品をまとめ、家族が寝静まった隙に家出しようとしていた。大阪に行って、梅丸少女歌劇団に入団しようと決意したのだ。
もうすぐ女学校を卒業する時期であったが、その後の進路が明るいものと思えなかった。両親からは見合い結婚をすることを勧められていたが、家庭に閉じ込められるような人生に希望があるとは思えなかったからだ。
しかし、弟・直明(永瀬矢紘)を便所に連れて行こうとしていた母・はる(石田ゆり子)に偶然見つけられ、家出計画は失敗してしまった。
父・直言(岡部たかし)、兄・直道(上川周作)に加え、下宿している書生・佐田優三(仲野太賀)まで起き出してきて、緊急家族会議となった。
翌日には初めての見合いが予定されていた。
寅子は見合いに行きたくないと主張した。結婚した後の自分の姿が想像できず、胸が踊らないというのだ。せっかく女学校で学んだのだから、すぐに結婚するのではなく、職業婦人として知識を活かしたいと希望を述べた。
母・はるは、寅子を頭ごなしに叱った。女学校で学んだ知識は、夫を支える良き妻となり、子を育てる良き母となるために使うものだと諭した。
他の家族もはるの言葉を否定しなかった。
こうして、寅子は強引に見合いの場に連れて行かれた。
おとなしく席についたものの、寅子は明らかに仏頂面だった。しかも、朝まで続いた家族会議のために寝不足だった。あろうことか、見合いの席で寅子は居眠りしてしまった。
当然、見合いは破談となった。
二度目の見合いが行われた。
両親は、寅子は女学校でも一、二を争う優秀な成績だったと紹介した。
智子はそれを事実だと認めた。ただし、一位の成績ではなく、二位だったと面白くなさそうに話した。一位の者はわざわざ「一、二を争う」などと言わない。二位だったからこそ「争う」と言うのだと説明した。
その不遜な態度のため、もちろん今回の見合いも失敗だった。
寅子は、女学校の友人・米谷花江(森田望智)に相談した。
しかし、花江はまったく寅子の味方をしてくれなかった。寅子は職業婦人になりたいと言うが、就きたい職業が具体的に決まっているわけではない。何も考えていないならば、家庭に入って妻なり母なりの役割を務めるべきだと話した。それが、今まで育ててくれた両親に報いることだと述べた。
寅子の三度目の見合いが用意された。
すでに何もかも諦めてしまった寅子は、素直に出席することにした。
今回の相手、横山太一郎(藤森慎吾)は、帝大を卒業し、現在は貿易会社に勤めているという。1ヶ月前までニューヨークに赴任しており、帰国したばかりだという。彼は見合いの場で、ニューヨーク駐在中の写真を次々と見せてくれた。多くのアメリカ人の友人や、ニューヨークの摩天楼の様子が収められていた。
寅子はその写真を見て胸が躍った。
横山は、完成したばかりだと言うエンパイアステートビルについて、馬鹿げた所業だと断じた。アメリカの株式市場の大暴落をきっかけに、世界中を巻き込んだ大恐慌が発生した。未だその影響も残っているのに、単に世界一の高さを誇るだけのほとんど無駄な建物を作ったといって貶した。
寅子は横山の言葉に感銘を受け、思わず自分の意見を開陳してしまった。
横山の言う通り、経済復興を優先すべきである。日本も(第一次)世界大戦を契機として活発に貿易を行うようになってきたが、これからは日本国内の経済発展に目を向けるべきだと述べた。寅子は父の言いつけで、毎日新聞を読むのを日課としていた。だから、政治経済に精通していたのだ。
ところが、父・直言は寅子が生意気な口を利いたと言って、横山に対してすぐさま謝罪した。
しかし、横山は寅子を責めなかった。むしろ、寅子のことを褒めた。
横山が結婚相手に望むことは、様々な話題について語り合える関係になることだと言うのだ。
寅子は気をよくした。
親の手前、見合いを成功させたい。ただし、可能であれば、対等に尊敬し合える相手と結婚したい。今目の前にいる横山は最適な相手だと思われた。
もっと自分を売り込もうと、寅子は経済に対する自分の意見を捲し立てた。
しかし、はじめはおとなしく聞いていた横山が急に起こり出した。
女のくせに生意気だと言うのだ。
今日(ていうか、日付が変わっちゃったから昨日、3/31)はバンフェスでした。
バンフェスってのは、「バンドフェスティバル」の略称です。僕が通っている音楽教室の発表会です。少し前まで当ブログでは、より一般的な呼称である”バンド発表会”と表記していました。その方が直感的にわかるかと思って。しかし、前回の発表会の報告記事から、バンフェスと書くことにしました。
今回もいつものメンバーであるところの、ボーカル女子、ドラム女子、キーボードおっさん、ギター俺という毎度毎度の布陣で参加しました。
なお、後半で掲載する動画では確認できないようになっているけれど、僕の衣装はFender Flagship Tokyoで買ってきたTシャツでした。今日はMartinとGibsonのギターを使うことにしていたのですが、これらに匹敵するメーカーであるFenderの出番がなかったからです。せめて衣装だけでもと思って。
続きを読む
今シーズンの根性試しがついに成就する当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の最終回(第125回め)の放送を見ましたよ。
鈴子(趣里)のお別れコンサートの開催が決まった。それが楽しみな鈴子は終始機嫌がよかった。
家の者たちも鈴子のステージを最後に見れると思うと楽しみでならなかった。また、世間の人々はこれが最後になるが、家族ならば家で鈴子の歌が聞けると思って楽観的に考えていた。
そんな中、愛子(このか)だけはもう二度と鈴子の歌を聞けないと予感していた。理由はないが、鈴子は二度と鼻歌すら歌わないだろうというのだ。
ただし、愛子はそれで構わないという。鈴子が歌いたくないなら、それでいいと言うのだった。
鈴子は愛子の予言を否定も肯定もしなかった。しかし、自分の好きなようにしていいと言ってくれた愛子のことがとても愛らしく思った。自分と亡き夫・愛助(水上恒司)の娘である愛子は、とても良い子に育ったと感激するのだった。
そして、お別れコンサートの当日を迎えた。
そこには鈴子に縁のある人々が大勢駆けつけた。梅丸少女歌劇団時代の大阪の仲間はもちろん、村山興業の関係者や新橋のパンパンたちもやってきた。
幕が上がると、歌う前に鈴子は口頭で挨拶を述べた。
大勢の人が集まったことに感謝し、本当なら一人一人全員に声をかけてまわりたい程である。世話になった人も来てくれて、その人々がいなければ今の自分はなかったと振り返った。話しているうちに鈴子の目には涙がたまり、胸もいっぱいになって言葉に詰まった。
そんな鈴子に、満席の客たちは口々に応援の声を投げかけた。その声を聞いて、鈴子は言葉を取り戻した。みんなが自分を応援してくれるのと同じように、自分もみんなのことを応援していると述べた。そして、愛してると付け加えた。
それを合図に、羽鳥(草彅剛)が優しくピアノを鳴らした。コンサートの最初の曲は、ピアノ伴奏だけのゆったりとしたテンポの『東京ブギウギ』だった。初披露のアレンジであったが、朗々と伸びやかに歌い上げる鈴子の歌声に観客たちは聴き惚れた。
曲の途中から、フルバンドが演奏を始めた。前半とは打って変わって、アップテンポで明るく華やかな『東京ブギウギ』となった。客たちは一斉に総立ちとなり、体をゆすぶった。
会場の端で見ていた茨田りつ子(菊地凛子)だけは座ったままだったが、鈴子の姿を見ながら涙をこぼした。
こうして、鈴子は羽鳥の作ってくれた全ての歌を心に刻みつけるように歌いきり、コンサートは終了した。
歌手を引退した鈴子は、自宅で家の者たちと一緒にゆったりと朝食を摂っていた。
マネージャー・タケシ(三浦獠太)はご飯のおかわりを晶子(木野花)に要求した。すると大野は、自分でやれと言って応じなかった。
それを見ていた鈴子は、自分のことは自分でやるべきだと話した。ただし、自分でやれないことはやってもらう。そして、自分でやれることは人のためにやってあげる。それが大事だと話した。
人として生まれてきたら、全ての人に義理がある。その義理を果たすのが人情である。まさにこの世は義理と人情だと語った。
ちょうど10年前、うまくいかないこととか、面白くないこととかが身辺にたくさんあって。もういろいろ嫌になって、自棄っぱちになって。
現実逃避待ったなしで。
当時たぶん偶然このツイートを見たんだと思う。
Rocksmithのブルー・オイスター・カルトのソングパック、3曲で「1.19ドル」って明らかに値段つけ間違えてるね。この人らの曲あまり知らないけど…とりあえず買っておいた。
— Blackstar (@Greyhound0302) March 7, 2013
Rocksmithってなんじゃらほい?と調べて、本物のエレキギターをPCやPlayStation(当時は3が最新型だった)に繋いで演奏できるものだと判明した。
ギターはほとんどやったことはなかったけれど、中高生の頃から憧れはあった。真っ当な中高生ならアルバイトでお金を貯めてギターを買うところだろうけれど、ものぐさな中高生だった僕にそんな根性はなかった。だからギターとはそれまで縁がなかった。
大人になっても根性はなかったけれど、自由になるお小遣いはじゅうぶんにあった。RockSmithのソフトとエレキギターのセットが2万円くらいで売られていた。プレステは持ってた。現実逃避にちょうどいいし、飽きて捨てても惜しくない値段だったので通販で注文した。
続きを読む