NHK『カーネーション』第118回

昨日、朝ドラまとめ記事を書く過程について質問があったので、メイキングとして7:45時点のファイル(BS放送終了直後)を公開する当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第118回目の放送を見ましたよ。

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第21週「鮮やかな態度」

聡子(安田美沙子)は、気難しい常連客・鳥山(末成由美)の指名を受けた。鳥山は聡子の若い感性に期待し、自由にやらせてくれるという。聡子はその言葉を額面通り受け取り、日本ではまだ誰も着ていないミニスカートのワンピースをデザインした。ロンドンの女の子の間で流行しているのを参考にしたのだ。

1964年(昭和39年)9月13日。だんじり祭の前日。
洋服が完成し、鳥山が店にやって来た。しかし、試着するやいなや鳥山はカンカンに怒ってしまった。膝が丸出しで破廉恥な服など着れるはずがないと言うのだ。聡子の自由にさせるとの言葉とは裏腹に、もう二度と店には来ないと言って金も払わずに出ていった。

そもそも鳥山のことを面倒な客だと思っていた糸子(尾野真千子)は、この一件をむしろ喜んだ。けれども、聡子はひどく悲しみ、泣き出してしまった。糸子は、客の心理について聡子に諭しながら慰めた。客は今まで人に見せたことのない部分を出すことを恥ずかしく思う。だから、どの程度まで肌を露出させて良いか決めるのは難しいものなのだと説明した。そのことを身をもって勉強できたことを良かったと思えと励ますのだった。

翌、9月14日。だんじり祭が始まった。
直子(川崎亜沙美)も見物のために帰省したし、近所の人々も小原家に集まり、家の中はにぎやかで楽しくなった。あんなに落ち込んでいた聡子も、すぐさま元気を取り戻した。

聡子が件のミニスカートを見せると、直子はべた褒めした。直子によれば、デザイナーは破廉恥だと言われたら勝ちだという。実際、直子も頻繁に苦言を呈される。しかし、デザイナーは客に媚びる必要はないというのが直子の持論だった。自分が好きだと信じるものを作り続けていれば、それを認めてくれる人々が自然に集まってくるというのだ。その方針で成功を掴みかけている直子の言葉は、聡子に強く響いた。直子のおかげで、聡子はますます元気づけられた。

祭りにかこつけて、北村(ほっしゃん。)もやって来た。一時期、彼は自分で一流デザイナーを育成する計画を立てていたが、それは頓挫したという。何人か雇ってみたものの、どれも使い物にならなかったという。
糸子は北村の無謀な計画を「ほれみたことか」と言って馬鹿にした。しかし、北村はそれに食ってかかった。最近の糸子は新しい試みをすぐに馬鹿にするようになったと指摘した。何事もやってみなくてはわからないのに、糸子にはその気概がなくなっているというのだ。新しいことに挑戦することの重要性は直子や聡子もしきりに同意するのだった。

最近、北村は新しい事業として不動産にも手を出し始めたという。地価の上昇が著しいので、今のうちに買っておけば労せず値上がり益を手に入れることができるというのだ。心斎橋に店舗向けの良い物件を押さえてあり、糸子にそれを買うことを勧めた。直子らもそれに賛同した。しかし、糸子は全く買うつもりはないという。これ以上店を増やすつもりはないし、そもそも楽して儲けようという態度が気に入らないと言うのだ。

翌朝、祭りが終わると直子は東京にとんぼ返りした。
ただし、家を出る前に、直子は泊まっていた北村に耳打ちした。心斎橋の空き店舗を糸子には秘密で売らずにいて欲しいというのだった。

だんじり祭は、毎年同じように開催される。毎年同じ事をやっているようで、少しずつ変化もしている。女の子でもだんじりを曳くことができるようになったし、近頃では町内会ごとに揃いの法被で決めている。その様子に、糸子は時代の変化をしみじみと感じるのだった。
しかし一方で、祭りが終わってしまえば、そんな感慨にふけることもなく、いつもと同じ日常が始まるのだった。

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NHK『カーネーション』第117回

僕の指導教官だった人が「優れた研究者は、優れた人格者である」と言っていて、よその人は「お前が言うか!?」と突っ込むのかもしれないが、「いやいや、全くそのとおりでしたよ」と全力で擁護したい当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第117回目の放送を見ましたよ。

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第21週「鮮やかな態度」

1964年(昭和38)年8月。
イブ・サン=ローランがディオールから独立ジャンパールックを発表、ディオールでは新デザイナーにマルク・ボアンが就任しサファリルックを発表するなど、モード界は盛り上がっていた。同時に、日本ではこれまで金持ちの物だった洋服が、庶民の普段着になっていた。販売される洋服の7割が既製服になり、オーダーメイドは3割にまで落ち込んだ。時代が大きく変化していた。

これまで最新モードを毛嫌いしていた糸子(尾野真千子)も、その面白さがわかってきた。優子(新山千春)や直子(川崎亜沙美)が、聡子(安田美沙子)の勉強用に送ってきてくれるデザイン画を、むしろ糸子の方が楽しみに待つようになった。
優子のデザインは女らしく柔らかい線、直子のものは強くて勢いのある線という特徴があることがわかってきた。厳しい競争の中で、それぞれが自分の世界を切り拓こうとする熱意が伝わる。糸子はそこにだんじりのイメージを重ねた。風を切って勢いよく走っていくだんじりのてっぺんで舞い踊る大工方と、優子や直子の姿が重なって見えた。その想像に糸子は興奮した。

一方で、大工方も、時代の先端を切り拓くデザイナーも、若者の役割だと思わざるを得なかった。51歳になった自分の役割ではないと思われた。最新モードのデザインに憧れはあるものの、糸子が実際に扱うのはオバさんたちの庶民的な洋服ばかりだった。

結局、聡子は洋裁学校を辞めてしまった。まだ半人前だが真面目で熱心に店を手伝っていた。
優子も東京から帰って来て店に出た。聡子のデザイナ画を見て、基礎は完成したと褒めた。しかし、単なる職人であればこの程度の腕で良いが、一流のデザイナーになるのだったらさらなる精進が必要だと釘を差した。ここからの伸びが勝負だと言うのだった。

ある日、店に鳥山(末成由美)という客がやって来た。鳥山は洋菓子屋の女社長で、ド派手で悪趣味な洋服を好んで着ていた。鳥山は聡子を指名して服を作って欲しいと告げた。糸子の洋服は婆臭く、優子のものは息苦しいのだとズケズケと言った。聡子の若い感覚に期待し、第一号の客になりたいというのだ。
鳥山は、注文前は自由に作ってよいと調子のいいことを言うが、完成すると決まって難癖をつける。そのため、店では警戒されており、糸子と優子は聡子が引き受けることに反対した。けれども鳥山の強引さに押され、聡子が引き受けることになった。聡子自身も初めての仕事が嬉しかった。
その日から早速デザインにとりかかった。けれども、なかなかこれといったデザインが決まらなかった。聡子は雑誌をめくりながら、自分の大好きなイギリス風のファッションを参考にしながら悪戦苦闘した。

一方、岸和田でも優子の評判が上々だった。庶民的なオバさんを相手にする糸子と違って、上品で洗練された洋服を希望する客は優子が接客することが多くなった。優子の噂を聞きつけ、わざわざ店を探してやってくる客も増えてきた。優子はデザインや洋裁の腕が優れているだけではなく、経理などにも明るかった。東京で鍛えられただけはあると、糸子は一目置いた。

それと同時に、糸子は代替わりを意識し始めるのだった。51歳になった自分は、善作(小林薫)が糸子に店を譲った年齢を超えてしまった。仕事でも優子や直子に敵わないと思うことも多くなった。どのタイミングで引退するべきか、そればかりを考えるようになった。

聡子が鳥山の服のデザインを描き上げた。イギリスの流行を取り入れ、とても丈の短いスカートだった。優子に見せるが、優子の助言は曖昧なものだった。スカートの丈が短すぎることは指摘したが、鳥山が何を好むかは誰にもわからないのだから、意外と気に入るかもしれない、そのまま進めるのが良いという結論だった。

その時、糸子はショックを受けていた。
デザイン画を完成させた聡子は、糸子には一切相談しようとせず、一目散に優子に見せたのだ。

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NHK『カーネーション』第116回

昨日は、一人暮らしの女の人の家で手料理を振舞ったり振舞われたりして、お酒も飲んでいい感じで夜もふけてきて、これは・・・!?という雰囲気になった時に「じゃ、明日は朝ドラ見てまとめ記事書かにゃならんので」と言ってそそくさと帰ってきてしまったヘタレな当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第116回目の放送を見ましたよ。

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第21週「鮮やかな態度」

全国大会で優勝するほどの実力者だった聡子(安田美沙子)がテニスをきっぱりやめた。自分だけ洋裁をやらずに仲間はずれなのが寂しいと涙ぐむのだった。
聡子の泣く様子を初めて見た糸子(尾野真千子)は、彼女のことを不憫に思い何も言えなくなってしまった。短大卒業後に洋裁学校に行きたいと聡子が言えば、その通りにしてやった。

それから約半年後の1963年(昭和38年)4月。いよいよ聡子は洋裁学校に通い始めた。
しかし、入学3日目に聡子が学校を辞めたいと言い出した。机にじっと座って勉強することが苦手で、学校に馴染めないというのだ。糸子は激怒した。自分で言い出したことをすぐに投げ出そうという態度が許せなかった。本人がなんと言おうが、糸子は聡子を学校に行かせ続けた。

その矢先、聡子の中学時代のテニス部顧問(立川貴博)が店の前を通りがかった。糸子は早速彼を捕まえて、聡子のことを相談した。
元顧問によれば、聡子は並外れた根性の持ち主だという。課題や乗り越えるべき山を与えてやれば、がむしゃらにそれに打ち込むのだという。脇目もふらずにのめり込み、本人が気づいた時には課題を達成し、より高みに登っているのだという。聡子にはやる気がないのではなく、打ち込むべき山がないのだろうというのが元顧問の意見だった。

その助言を参考に、糸子は聡子にデザイン画の山を与えた。糸子のデザイン画を模写し、何も見ないで同じようなものを描くことができるようになれば学校を辞めてもいいと約束した。
はじめ、聡子は首を傾げるばかりで、課題にまじめに取り組もうとしなかった。しかし、数分もすると熱心に絵を描き始めた。なかなかうまくは描けなかった。それでも聡子は諦めることなく、机の前置を動かず、徹夜で絵ばかり描いていた。
その様子に糸子も感心し、もう無理に学校に行けとは言わないことにした。

その頃、東京の直子(川崎亜沙美)の店は大繁盛していた。直子の洋服を求める客が増え、そういった客は直子のことを半ば神格化していた。直子はファッションについて客を居丈高に説教し、気に入らないなら売らないとまで言った。すると、客は態度を改め、下手に出て買っていくのだった。また、直子はファッション誌に取り上げられることも増え、完全に自信を取り戻していた。

ただし、店の売上の6割は優子(新山千春)の仕事だった。直子の先進性は万人に受け入れられるものではなく、どちらかと言うと清楚な洋服を作る優子の方が人気があった。しかも、直子は客に対して厳しいので、人当たりの良い優子の方に自然と客がつくのだ。

岸和田に帰省した優子は、聡子が熱心にデザイン画の模写をしていることを知った。東京に再び戻った優子は、自分や直子の古いデザイン画をかき集め、聡子の勉強用に送ってやることにした。
聡子は、母と姉たちのデザイン画を並べて比較した。聡子が見ても、それぞれの特徴の違いがよくわかった。聡子は喜びながら熱心に模写を始めた。

熱中したのは聡子だけではなかった。
ふたりの娘たちのデザイン画を見て、糸子はその素晴らしさに感心した。自分も負けていられないと燃え、聡子の横に並んで娘たちのデザイン画の模写を始めるのだった。

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三十日間マジスパ一巡

NHK『カーネーション』第115回

昨日は比較的真面目なランチだったのに、ジャガーさんの話題で盛り上がってしまった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第115回目の放送を見ましたよ。

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第20週「あなたを守りたい」

優子(新山千春)が本格的に直子(川崎亜沙美)の店を手伝い始めた。丁寧な言葉遣いで人当たりの良い優子は百貨店の支配人(谷口高史)にもすぐに気に入られた。
もちろん、客あしらいも上手かった。店先に飾られている直子の服はいずれも派手すぎて客うけが悪かった。そこで、直子の服の中でも落ち着いたデザインのものを自ら着て店頭に立った。優子の選んだ服と着こなしは確かになかなかのもので、店の評判も上向いてきた。

しかし、直子は少々面白くなかった。直子は自分の感性を理解してくれる者だけを相手にしたかった。冷やかしの客にまで媚びを売る優子の商売に反発した。すると客前ではニコニコと愛想の良い優子の表情が一変した。岸和田弁で啖呵を切り、直子の頭を殴って言うこと聞かせた。いつまでも芸術家気取りの直子を批判し、商売だと割り切ることを説いた。
承服しかねる直子であったが、優子のおかげで客が増えているのも事実だった。少しずつ仕事が忙しくなり始めた。

そんな頃、聡子(安田美沙子)がテニスの大会で順調に勝ち進んだ。府大会の後、近畿大会でも優勝し、ついに東京で行われる全国大会に出場することになった。聡子の快挙に近所も盛り上がり、木之元(甲本雅裕)の喫茶店・太鼓で盛大な壮行会が開かれた。ただし、日中に行われたため、オハラ洋装店の者は誰も出席することができなかった。

糸子(尾野真千子)は壮行会に出席しないどころか、聡子の出発の日程もあまり把握していなかった。聡子出発の日も徹夜で仕事をし、ミシンの前で寝ていた。千代(麻生祐未)に起こされ、寝ぼけ眼でぼんやりと聡子を見送った。それでも聡子は元気よく出かけていった。
聡子は、東京で姉たちの下宿に泊まることにした。会場近くのホテルを手配しようとしたのだが、本人が頑なに姉の所に寝泊まりすることを希望したのだ。優子や直子は遅くまで店で働いたので、少しも聡子の相手をすることができなかった。それでも聡子は毎日機嫌よく会場に向かった。

そしてついに、聡子はテニス全国大会で優勝した。
その日ばかりは、優子と直子も仕事を早く切り上げ、家で祝賀会を行った。疲れはてた聡子は宴会の横で眠ってしまったが、幸せそうだった。

ただし、東京の姉妹は誰も岸和田に連絡をしなかった。そのため、糸子はいつもどおりに徹夜で仕事をしていた。
あくる朝、店の戸を激しく叩く音で糸子は目を覚ました。そこには、聡子の中学時代のテニス部顧問(立川貴博)が立っていた。新聞で聡子の優勝を知り、祝いを言いに来たのだという。近所に住む木之元も新聞を握って駆けつけてきた。
大はしゃぎするふたりの前で、寝不足の糸子は機嫌が悪かった。聡子のニュースにほとんど興味を示さず、すぐに引っ込んでしまった。

聡子が岸和田に帰ってきて、再び木之元の喫茶店で祝賀会が開かれた。最近はテニスの実業団からのスカウトも多いという。周囲は聡子がテニスを一生続けるものと思い、大いに盛り上がった。ところが、将来の話になると聡子は密かに寂しそうな表情を浮かべた。
結局、糸子は祝賀会に顔を出さなかった。聡子本人にも、たった一言褒めてやっただけだった。言葉をかけ終わると、すぐに仕事に戻ってしまった。

ある日、聡子は改まった態度で糸子に向かい合った。そして、金輪際テニスをやめると打ち明けた。聡子の将来は決まったものだと思っていた糸子はたいそう驚いた。考えなおすように促した。
けれども、聡子の意思は固かった。暗い笑顔を浮かべながら、その決意に至った経緯を説明した。

聡子は寂しかったのだ。母とふたりの姉が洋裁に打ち込む横で、聡子は自分だけが仲間はずれだと思っていた。その疎外感に苦しめられていたのだという。テニスは頂点を極めたので、一切未練がないという。
涙ぐみつつも真剣な聡子の眼差しに、糸子は何も言うことができなかった。

打ち明けてすっきりした聡子は持ち前の明るさをすぐに取り戻した。
すぐさま、千代にもにこやかに報告した。やっとみんなの仲間入りができると言って笑った。

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NHK『カーネーション』第114回

次の朝ドラ『梅ちゃん先生』の公式サイトが2-3日前に開設されたのだが、終戦直後の東京を描くにしては宣伝ポスターが妙に今風で雰囲気がそぐわなかったり、主題歌がSMAPに決まった(「さかさまの空」作詞・麻生哲郎、作曲・菅野よう子。菅野よう子なら安心か?)点などにいろいろと不安を覚える当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第114回目の放送を見ましたよ。

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第20週「あなたを守りたい」

1962年(昭和37年)7月。
産休をとっていた優子(新山千春)が店に復帰した。孫・里恵のことがかわいい糸子(尾野真千子)は店に連れてきて、千代(麻生祐未)に子守をさせるように言うのだが、優子は娘を保育所に預けている。里恵が目の届くところにいると、かえって気になって仕事に集中できないからだという。

東京の直子(川崎亜沙美)は危機を迎えていた。2人の従業員と折り合いが悪く、彼女らが一斉に辞めてしまった。直子は一人で店を続けなければならなくなった。しかも、店は閑古鳥が鳴いている。直子は自らビラ配りをするが、誰からも相手にされない。
ついに打ちのめされ、泣きながら岸和田に電話をかけるのだった。

その日、聡子(安田美沙子)はテニスの大阪府大会で優勝した。上機嫌で帰宅したのだが、家の中は直子のことで重苦しい雰囲気だった。聡子は優勝のことを言い出せず、賞状をそっと隠した。

直子の件に関しては、オハラ洋装店から助っ人を送り込むことが決まった。しかし、人選が難航した。直子の店を手伝うには、縫製と接客に慣れている人物である必要がある。けれども、雇っている縫い子の中でその素質を備えたものはいない。糸子は店の要なので岸和田を離れるわけにはいかない。そこで、糸子の右腕である昌子(玄覺悠子)が行くことに決まりかけた。

ところがその時、優子が自ら名乗りでた。東京には夫・悟(内田滋)の実家があるので、里恵を預けることもできるのだという。
難色を示す糸子であったが、さらに優子は畳み掛けた。直子の才能を本当の意味で理解し、彼女の服のセンスや将来像を共有できるのは自分しかいないと言うのだ。糸子や昌子では力不足だと遠慮無く言った。

自分の能力を否定されて糸子は頭に来た。それ以上何も言わず、優子の勝手にさせることにした。
夜になっても苛立ちの収まらない糸子は、酒を飲んでふてくされた。腹立ちまぎれに、聡子に直子の服のことを聞いてみた。すると、聡子は目を輝かせて直子の服を褒めた。糸子はますます面白くなかった。
そんな母の様子とは対照的に、聡子は訳もなく上機嫌だった。そういうところは、亡き父・勝(駿河太郎)の血を引いていた。細かいことにこだわらない性格のせいか、結局、テニスの大会で優勝したことは一切口にしなかった。糸子らがそれに気づくのは随分後になってからだった。

翌日、優子が直子の店に姿を表した。
事前に連絡がなかったため、直子は驚いた。そして、これまで姉に対して負けん気の強かった直子が、隠すことなく優子の前で涙を流した。

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NHK『カーネーション』第113回

糸子の初孫は「里恵」と名付けられたわけだが、その漢字の組み合わせには思わずビクッとなってしまう当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第113回目の放送を見ましたよ。

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第20週「あなたを守りたい」

1961年(昭和36年)5月。
服飾専門学校を卒業した直子(川崎亜沙美)は銀座の百貨店に自分の店を開いた。ところが、毎晩岸和田に電話をかけてくる。口ぶりは強がっているが、仕事のうまくいっていないことが想像された。心配になった千代(麻生祐未)は糸子(尾野真千子)に様子を見に行くよう勧めるのだった。

特急こだまで、東京までは7時間で行けるようになった。糸子は直子の店に直行した。
直子の店は派手に飾り立てられていた。ショーウィンドウには前衛的なオブジェが置かれていた。糸子にはそれらの飾りの意味がさっぱりわからなかったが、若者には通じる何かがあるのだろうと思って感心して眺めた。
糸子が店に入ろうとした矢先、百貨店の支配人(谷口高史)が飛び込んできた。糸子は遠慮して、店の外から様子を伺うことにした。

支配人は単刀直入にショーウィンドウのオブジェを片付けるように命じた。あまりに下品で汚らしく、百貨店の品位を下げているというのが理由だった。さらに、直子の岸和田弁も矯正させられた。直子の下で働く2人の若い女性店員も、バカにしたような態度で直子のことを見ていた。

気まずく思った糸子は、しばらく時間を潰してから店に戻った。すると、ショーウィンドウのオブジェはすっかり片付けられていた。直子は我を押し通せなかったことが察せられた。
糸子は遅れてきたことを適当にごまかし、立派な店構えであることを社交辞令のように褒めた。すると直子も気を良くし、糸子の前では強がって見せた。支配人から才能を認められており、何でも自分の好きなようにできるのだと豪語した。

その直後、女性客がものすごい剣幕でやって来た。直子の店で仕立てたパンタロンが不良品だから作り直せと言うのだった。見た目ばかりが派手で、着やすさ、歩きやすさは全く考慮されていなかったのだ。
作業場で、糸子は直子と共に問題のパンタロンを調べた。確かに、奇妙なところにポケットが付けられていて、縫製の仕方も常識はずれだった。一見して着にくいことがわかった。けれども直子は、このデザインこそ完成形なのだから修正するわけにはいかないと突っぱねた。
それに対して糸子は、服は買った人が気持ちよく着ることで初めて完成するものだと説いた。今回は、客が着れないと言っているのだから修正するしかないと言い聞かせるのだった。

その日の夜、直子の下宿には直子の同級生たち(斎藤:郭智博、吉村:ドヰタイジ、小沢:野田裕成)も集まった。糸子は千代が乗り移ったかのように、「若い子を飢えさせないようにするのがおばちゃんの努めだ」などといって、豪勢に寿司やうなぎを振舞った。彼らは気持ちのよい食欲を見せた。

直子の店の前衛的なオブジェは斎藤が作ったものだという。それは直子も斎藤も自信作だと思っていた。けれども、支配人に撤去を命じられたことをその場で打ち明けた。
糸子も支配人と同じく、あのオブジェは鉄くずにしか見えず、良さが全くわからなかったと話した。けれども、斎藤を貶すわけではなかった。糸子は直子や斎藤の感性を外国語になぞらえた。自分には外国語がわからなくても、外国人同士ではちゃんと言葉が通じている。話の内容はわからなくても、彼らが心を込めて本気で話しているかどうかは雰囲気から察せられる。それと同じように、斎藤の作ったオブジェは心を込めた本気の作品だと理解できたと言うのだ。
直子は少し不審に思った。糸子が店に姿を表したのはオブジェを撤去した後だから、それを見ていないはずである。そのことを問われても、糸子は知らんぷりをした。

話題を変えるために、糸子は若者たちの夢を聞いた。彼らは異口同音に世界中の人に自分のデザインした服を着てもらいたいと語った。プレタポルテの事業を始めれば、自分の既製服を世界中の人々に届けられるというのだ。
直子は、東京をパリのようなファッションの中心地にしたいと答えた。世界中のデザイナーを東京に呼んで、ファッション・コレクションを開きたいと夢を語った。

若者たちの夢は大きかった。糸子がこれまで想像もしたこともない、「世界」を相手にしようとしていることに良い驚きを覚えた。そして、彼らの話を聞いているだけで自然と元気が出てくることがわかった。
そしてまた、大きな夢ほど壊れやすいことも糸子は知っていた。自分にできることは、彼らを守り、後援してやることだと思った。そこで、今はとにかく、彼らに腹いっぱい食わせてやろうと思うのだった。

岸和田に帰った糸子は、ある日、聡子(安田美沙子)と共に北村(ほっしゃん。)に呼び出された。
北村はプレタポルテを始めるために専属デザイナーを探していた。けれども、一流のデザイナーはすでに他の会社と契約していたために1人も獲得できなかったという。逆転の発想で、若いデザイナーを自分の手で一流に育てて、売りだすというアイディアを得た。

そこで、聡子を預かりたいと言うのだ。糸子の娘なら十分に素質があるというのが北村の読みだった。聡子にとっても寝耳に水だったが、すぐに乗り気になった。
けれども、糸子が猛反対した。これまで洋裁には全く興味を示さず、デザイン画の1枚も描いたことのない聡子に務まるはずがないというのが理由だった。

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Almore Avenue

カナダのトロントに Almore Avenue があることを知った。


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僕はトロントには行ったことがないのだが、wikipedia で調べてみると、ざっと以下のようなことがわかった。

トロント(Tronto)はカナダ、オンタリオ州の州都であり、人口は約250万人。カナダの経済の中心であり、北米ではニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに次ぐ都市だと言われている。
トロントはオンタリオ湖の北西に位置し、土砂が堆積してできた地形だと言われている。市内には川や森林が多く、ハイキングも楽しめるという。冬季には気温が-10度以下になることもあるが、カナダ国内でも南部に位置し、比較的過ごしやすい気候で四季もはっきりしている。
トロントは世界中でももっとも移民の多い都市として知られている。人口の約半数はヨーロッパ系の白人だが、アジア系、黒人など多くの民族が暮らす。利用される言語は英語が圧倒的に優勢であるが、日常生活では他の言語も広く使われている。救急サービスでは150以上の言語に対応できる仕組みが整えられているという。

トロント南部のダウンタウンには名門トロント大学がある。同大学には季節のイベントごとに肉を喰らい、大酒を飲み、ちょっと人にはお見せできないセクスィーなコスプレ写真を撮るのを趣味にしている日本人で、「木公さんラヴ」などと嬉しいことを言ってくれるカワイコちゃんのいることが知られている。

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NHK『カーネーション』第112回

2009年下半期に放送されたNHK朝ドラ『だんだん』では3年後(劇中では2011年)の様子として「サブプライムで大変な目にあったがオバマの『チェンジ!』でアメリカは救われた、その余波で日本の経済も上向いた」みたいな設定があったんだけれど(当時の当方のメモが残っている)、現実を見ると『だんだん』の脚本がいかに楽天的でノーテンキだったかと思わざるをえない当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第112回目の放送を見ましたよ。

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第20週「あなたを守りたい」

1960年(昭和35年)10月。
聡子(安田美沙子)はテニスでの活躍が認められ、秩父宮賞を与えられた。
しかし、糸子(尾野真千子)はそのことにほとんど興味を示さなかった。見かねた千代(麻生祐未)から小言を言われたので、申し訳程度に褒めてやった。聡子はそれがとても嬉しかったが、糸子の素っ気ない様子を目の当たりに、それ以上自分を売り込むことをしなかった。

糸子は組合事務所の女性経営者の会合に顔を出した。
今回から若い女性が加わった。彼女は糸子らの世代とは少々異なった考え方を持っていた。新しい時代の服を着ることが嬉しいのであって、自分に似合うかどうかは二の次だと言うのだ。それは糸子には思いもつかなかった考え方だった。
その後、北村(ほっしゃん。)が現れ、新しい時代の商売であるプレタポルテ(高級既製服)の講義を行った。洋服業界も変化しつつあり、オーダーメイドからプレタポルテに商売替えをしようとする人が最近では多いのだ。
しかし、着る人にピタリと似合う洋服をオーダーメイドすることにこだわる糸子は、そういった時代の流れをバカバカしく思い、途中で帰ってしまった。

帰り道、糸子は考え込んでいた。
昔の自分は時代の変化を待ち望んでいた。しかし、現在の自分は変化を恐れ、避けようとしている。現実の変化からも目を背けたかった。外国の品物が勝手に飛ぶように売れた時代は終わった。木之元(甲本雅裕)のアメリカ雑貨店は閑古鳥である。一方で、日本の伝統的な文化も失われつつある。木岡(上杉祥三)の和履物店はすでに閉店してしまっていた。
時代の変化の間で糸子は悩み始めていた。善作(小林薫)が呉服店を閉めて糸子に店を譲ったのが50歳の時だった。今、糸子は47歳になった。もうすぐその時の父と同じ年になる。

しばらくして、サエ(黒谷友香)が店にやってきた。現在の彼女は、心斎橋の高級クラブのママになっており、随分と羽振りもいい。若いホステスを連れて岸和田にやって来ては、糸子の店でドレスを仕立ててくれる。
優子(新山千春)が若いホステスのドレスを担当することとなった。優子は流行を取り入れた、トラペーズ・ラインのデザインを提案した。しかし、サエは即座にそれを却下した。サエは昔ながらのウェストの引き締まったデザインを強行に主張した。今も昔もそれが女を一番美しく見せるスタイルであり、男が一番喜ぶものだと主張した。

糸子はサエの潔さに惚れ惚れとした。年をとっても、自分が欲しいのは男だけだ、と言い切れる性根に感心した。
それに比べて、糸子は自分の優柔不断さに落ち込んだ。自分の信じるデザインの服を作りたいと思う一方で、商売のために流行に迎合した洋服を作らねばならない。一時的な流行に飛びつくのは嫌だと思いながらも、自分が時代遅れになることを何よりも恐れている。あれこれ悩むことを馬鹿馬鹿しいと思いながらも、考えずにいられなかった。
自分が本当に欲しいものは何なのか、ますますわからなくなった。

12月になり、直子(川崎亜沙美)が帰省した。翌春に専門学校を卒業したら、そのまま自分の店を出すという。百貨店に乞われ、オーダーメイドの店をやるのだという。そこで名前を売り、将来的には自分のブランドによるプレタポルテ店を持つ計画だという。
糸子は、名前ばかり全面に出て、タグを付けただけで大量に売りさばくという商売の方法にあまり良い顔をしなかった。北村の偽タグの詐欺事件も頭をよぎり、ますます印象が悪くなっていたのだ。

寝室では直子と聡子が久しぶりにふたりっきりで話をした。
直子は聡子に、将来はテニスの選手になるよう勧めた。直子が受賞した装麗賞に比べれば、聡子の秩父宮賞の方がよほど格上である。将来は約束されたも同然だと言うのだ。
しかし、聡子は乗り気ではなかった。理由を聞くと、糸子があまり喜ばないからだという。直子の装麗賞の時は大騒ぎして喜んだのに、聡子の受賞ではとても素っ気なかったのが気になっているのだ。
直子は母のことなど気にするなと励ましたが、聡子はつまらなさそうにしていた。

年が開けて、1961年(昭和36年)1月。
木之元のアメリカ紹介はついに閉店してしまった。これまで様々な商売を行なってきた木之元だが、これを限りに自ら販売店を行うことはやめるという。
しかし、近所の喫茶店のオーナーに見込まれ、その喫茶店の店長を引き継ぐこととなった。人と話をするのが大好きな木之元にとって、それは適した仕事だと思われた。本人もやる気に満ちあふれていた。少し明るい話題だった。

そして、糸子にとってもっとも明るい話題は、孫が生まれたことである。優子に長女・里恵が生まれたのである。
自分が本当に欲しいものは何なのかわからなかった糸子だが、これこそが宝物だと思った。とても素晴らしい宝物を手に入れたと喜んだ。

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