『星を継ぐもの』ジェイムズ・P・ホーガン

この物語は、西暦2020年代が舞台のお話。
月面は、民間人が日常生活をするほどには開拓されていないが、科学者らが前線基地で月の調査をしているという設定。ちょうど、現代の南極大陸のような位置づけか。

ある日、月面で誰かの死体が発見される。
宇宙服で完全に身が包まれた人間の死体だが、身元が全く分からない。月面探査のスタッフならば、すぐに身元がわかりそうなものだが、該当者がいない。ちょっとしたミステリー仕立てで物語が動き出す。

その死体は調べれば調べるほど、謎が出てくる。
所持品に記されている文字を読むことができず、世界中のどこにも存在していない言語であった。しかし、その死体の解剖学的特徴は、地球上の人間(ホモ・サピエンス)と変わるところが全くない。

もっとも不可解なことは、死後5万年経過していると判明したことだ。
5万年前の人類といえば、およそネアンデルタール人の時代で、旧石器時代にあたる。どうしてその時代の死体が、先端的な宇宙服を着て、月面に放置されていたのか。

世界中の科学者が集まり、この死体の正体を追求するというのがこのSF小説のストーリーだ。


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みうらじゅん『ボク宝』

『ボク宝』は「ぼくほう」と読む。つまり、国宝のダジャレ。みらうじゅんが大切にしているものを、写真と2ページの文章で紹介するという本。1997年に出たもの。

エロ・スクラップや電子念佛機といった みうらじゅん らしいものもあれば、ブルック・シールズや松本人志といった、一瞬みうらじゅんとの関係性がよく見えないものまで、いろいろ取り上げられている。
全70品目のボク宝が紹介されている。

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村上龍の「トパーズ」を15年越しで読む

ふらっと入った本屋で、村上龍の短編集『トパーズ』を見つけて購入。表題作を読んだ。

売春婦が嫌いなタイプの男に買われてイヤな気分になったり、仕事の合間にちょっとウキウキするようなことがあったり、なんとなく自分の生き方を変えてみようかと思ってみても、結局は生まれ変わることはできず、それでもちょっとだけ清々しい気分になるという、そんな話。

15年前に一度、立ち読みしかけたことがあるのだが(後述)、その時はあまりに気分が悪くなって読むのをやめた。売春婦が主人公で、いろんな体液でグチョグチョになりながら男に弄ばれたという記述のオンパレードだからだ。当時の僕は、そういう小説を楽しむほどには、円熟した精神を持ち合わせていなかったのだ。

それなりに人生経験を積んできた今では、人生ってのはきれい事だけで片のつくものでもないということも、いろいろな思惑に基づいた堅気以外の商売がありうることも、男女の性的活動が少女マンガのように清潔なものだけではないのだということもわかってきた。そういう精神的涵養(もしくは、厭世的傾向)を得た現在では、「トパーズ」に描かれている人間たちの活動の生臭ささこそが、何よりの醍醐味だと思えてしまった。

「トパーズ」の文体も独特なものだった(他の短編は異なる)。1段落に1センテンスしかないという、特別な書き方をしている。読み始めたときは、句読点でダラダラと長い文章を繋げるばかりの上、1文ごとに段落を変えるとは、なんて酷い駄文なんだと思った。しかし、注意深く紙面を追っていくと、徹頭徹尾その調子だったので、意図的な表現スタイルなのだとわかった。

1段落に一つの長文しかないというスタイルは、つかみどころがなく、読み手を不安にさせる効果があると思った。読み手が文章から感じるその印象は、物語の主人公の心情に合致しているのだと思う。ストーリー内容で主人公に共感させるのではなく、文字の配置の仕方で読者の共感を生み出すという手法だと気づいた。主人公は売春婦であり、一般市民にとっては共感を抱きにくい対象だ。だから、ストーリーからは引き出すのが難しい共感を、文体を用いてサブリミナルに抱かせる手法なのだろう(先日、クイズで出題した原田宗典の「優しくって少しばか」も寝起きのボンヤリした感じを文章で表現しようとする作品)。

過去に一度読むのをやめた本だけれど、今こうして再会できてよかった。

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『猛虎はん』 ほりのぶゆき: 野球マンガ選集

90年代には、時代劇パロディ・マンガ『江戸むらさき特急』などがわりと売れた漫画家・ほりのぶゆき。僕の中では、吉田戦車、中崎タツヤと並ぶギャグ漫画家として位置づけられている。けれども、最近では ほりのぶゆき をあまり見かけなくなって寂しい思いをしていた。

それが、たまたま入った本屋で、かのトラジマ(もちろん、阪神タイガースの象徴だ)を輝かせつつ、ほりのぶゆきの新刊が平積みになっていたので、即買いした。

ほりのぶゆきは兵庫県出身で、幼い頃からタイガースファンだったそうだ。そんな彼が、阪神タイガースのことを愛を込めつつ揶揄したマンガが集められている。

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『私家版』(ジャン=ジャック・フィシュテル)

彩子さんに紹介してもらった、フィシュテルの『私家版』を読んだ。

彼女は映画版を推していたのだが、そちらは入手が難しかったので(価格の問題もあるし、懇意のレンタル屋にもなかった)、原作小説の翻訳版を読むことにしたのだ。

キャッチ・コピーは「本が凶器になる完全犯罪」。
冒頭の数ページを読むと大筋の手口は予想できてしまい、実際その予測もはずれない。

とはいえ、主人公を殺人に決意させるに至った因縁、完全犯罪達成までの用意周到な準備、断片的なピースを見事につなぎ合わせる文章構成と、三拍子が見事に揃っている。派手な客寄せシーンがあるわけでもなく、比較的淡々と物語が進行するのだが、退屈せずに読まされる(ただし、翻訳文のクセが僕好みじゃないところがあって、最初の1章を過ぎるあたりまでは少々の忍耐力が必要とされた)。

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『猫にかまけて』 町田康: あるにゃんも嫉妬

怒って、そっぽを向くあるにゃん

Blackstar さんにお薦めいただいた町田康の『猫にかまけて』を早速入手して読んだ。同書は、町田康が自宅で飼っている猫を中心とした、連続エッセイという体裁である。

あまりに楽しく、いろいろ考えさせられる内容でもあったので、読み始めたら止まらなくなった。
途中、当家の猫であるところの あるにゃん が
アナタ、よその猫に浮気していますね。ワタシをないがしろにすると、後悔することになるわよ。人間のオネーチャンにもいろいろ失敗しているアナタにとって、ワタシは最後の砦なのよ。そんなワタシを放っておいていいのかしら?
なんて、ちょっかいを出してきたのだが、「うるさいな。今いいところなんだから、あっちいけよ」と邪険にしていたら、本当に彼女はヘソを曲げてしまった。
いつもなら、カメラを向けると、寄って来て愛想を振りまき、フレームに捉えることも困難なのに、今夜はそっぽを向いたまま振り向こうともしない。
あああ、あるにゃん、オレを見捨てないで。

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情熱を持って書く: 『言語表現法講義』(加藤典洋)

僕は、自分の文章にうぬぼれてはいないつもりだ。それほど優れた修辞技法を使えるわけでもないし、書いてある内容だって必ずしも人々の関心を惹くものではないだろう。
それでも、5年近くも当blogを継続し、記事数も通算2,000を越えた。その間、何人かは僕の文章のファンになってくれたようだ。人に認められるということは、素直に嬉しい。僕の活動の原動力となっている、ファンの皆様には感謝したい。

自分のファンのことは、分け隔てなく大切にしているつもりの当方である。しかし、女好きで有名な当方のことであるので、普段から女性ファンのことを優遇しがちなことを本人も自覚している。自覚しているのだが、改善するつもりも、義理もない。今後もこの調子だ。

何人かいる女性ファンのうち、当方が「ファン第一号」と認定証を発行して差し上げてもよいと考えている女の子がいる。
彼女は
はぁ?なに寝ぼけたこと言ってんの?そんなの欲しいわけないじゃん。むしろメーワク
と一笑に付すだろうが。

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『日本の殺人』 河合幹雄

僕たちは、殺人者は残虐非道であり、相手が誰であっても躊躇することなく殺してしまう、となんとなく思い込んでいる。小説や映画でそのような登場人物をたくさん見ているせいかもしれないし、マスコミ報道などで凄惨な犯人像が日常的に伝えられているせいかもしれないし、センセーショナルでおどろおどろしい事件は茶飲み話で取り上げられやすいせいなんかもあるかもしれない。

しかし、法社会学を専門とし、公的な統計資料を調べたり、刑務所を訪問して聞き取りを行っている著者によれば、実際の殺人者像は大きく異なるらしい。

日本の殺人数は年間1400件ほどだそうだ(未遂-人殺しを実行したが死ななかった- と予備-殺すつもりで準備した- を含む)。人口10万人あたりに換算すれば 1.2件となる。他国と比較すれば、アメリカで5.6、イギリスで3.5であり、日本は他の先進国に比べてずいぶんと殺人が少ない。このあたりは、「日本は治安がいい」ということなので、今さら騒ぐほどのことでもないが。

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『名誉と暴力』(ニスベット&コーエン)

・・・自分の悩みや揺れ動く心が自分ひとりの私的な事柄なのではなく、世のなかのあり方と深く結びついているのだという理解が、自分の生き方について考えるための手がかりとなってくれることを願ってやみません

『名誉と暴力』邦訳刊行にあたって(山岸俊男)
(強調部筆者)

センテンスの最後を「やませまみ」と空目してしまいながらも、ニスベット&コーエン『名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理』(石井・結城編訳)を読んだ。

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『宵山万華鏡』読了

本日読了。
京都の祇園祭の期間中、毎年7月16日に行われる宵山(山鉾巡行の前夜祭)の一日をめぐるオムニバス。6編のストーリーには、それぞれ異なる狂言回しが存在するが、舞台も登場人物もオーバーラップしている。1話ずつ読んでも短編としてまとまっているし、全篇を貫く「幻想世界のふしぎ」も森見登美彦らしい世界観でぐっとひきこまれる。

3本目「宵山劇場」では、僕の大好きな小説『夜は短し歩けよ乙女』の名もなき登場人物の後日談が語られていて、旧作ファンへのサービスも抜かりない。京都市内が舞台というのは森見の定番だが、達磨だの鯉だのといった小道具も『・・・乙女』とオーバーラップし、なかなか微笑ましい。

あとびっくりしたのが、登場人物が京ことばをしゃべっていた。
京都が舞台なんだから、あたりまえじゃないか
とおっしゃる方もいるかもしれないが、僕の記憶する限り森見作品の登場人物は、京都人であっても標準語を話していたと思う。たったそれだけのことで、新鮮な作風に見えてしまった。

表紙もキラキラ☆していてきれいなことは報告済み
当方は祇園祭に一度も行ったことがないのだが、今年は出かけてみたいと思わされたりと、いろんな方面から楽しめる1冊だった。

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