わけあって、今夜はものすごく緊張している。
この緊張感は、たぶん明日の夕方までずーっと続く。あー、やだやだ。
会社帰り、車を運転しながら、本当にどこかへ逃亡して消えてしまおうかと思ったくらいだ。
もちろん、全てを捨て失踪するだけの勇気もない当方なので、深いため息を付きながら結局家に帰り着いたが。
ポストを覗くと、通販で注文していた森見登美彦の新刊『宵山万華鏡』が届いていた。
「何もこんな最悪な気分な時に届かなくても・・・」
と悪態をつきながら開封した。
わけあって、今夜はものすごく緊張している。
この緊張感は、たぶん明日の夕方までずーっと続く。あー、やだやだ。
会社帰り、車を運転しながら、本当にどこかへ逃亡して消えてしまおうかと思ったくらいだ。
もちろん、全てを捨て失踪するだけの勇気もない当方なので、深いため息を付きながら結局家に帰り着いたが。
ポストを覗くと、通販で注文していた森見登美彦の新刊『宵山万華鏡』が届いていた。
「何もこんな最悪な気分な時に届かなくても・・・」
と悪態をつきながら開封した。
知人宅のワンコちゃんと同じ名前の犬が主人公の小説、ガース・スタイン『エンゾ: レーサーになりたかった犬とある家族の物語』を読み始めた。
まだ5分の1くらいしか読んでないけれど、冒頭からものすごく面白い。
主人公はエンゾという名の老犬。彼がナレーターとなって、飼い主一家のヒストリーを語るという内容。
今読んでいるのは66ページあたり(全体で350ページほど)で、一家の大黒柱のデニーが、レーサーとしての栄光を掴み始めたところ。彼は幸せの絶頂なのだが、最愛の妻の体調がおかしいことに気づき始めた。娘はまだ4歳くらいで可愛い盛り。
実は、本書の冒頭には、犬のエンゾの終末期が描かれている。同時に一家の行く末も。ゴールを知りながら、一家の進む道を読んでいるわけだ。そのため、これから読み進むにつれて、次々と一家にたいへんなことが発生していくのだろうと想像できる。具体的には分からないので、興ざめするわけではないが。それで、僕は彼らの将来を不安に感じ、胸がモゾモゾとしてしまう。
一気に読んでから紹介しようと思ったけれど、全部読んだ後では平常心を失ってしまうくらい泣きそうな予感があるので、読書途中で紹介することにした。
この夏、絶対に読むべき本だと思う。おそらく。
暇だから、広辞苑(第六版)を拾い読みしてた。
それでも暇だから、クイズを出題してみる。
広辞苑で適当に開いたページ、1段目の4行目をそっくり書き写します。
暇な人は、その言葉が何であるか予想して下さい。
それでも暇な人は、自分の予想をコメント欄にお書きください。
第3原理: 合理的な人々は限界的な部分で考える
・・・夕食のテーブルで迷うのは、絶食するか豚のように平らげるかではなく、マッシュ・ポテトをもう一口食べるか否かである。試験が近づいたときには、まったく無視するか24時間勉強し続けるかではなく、もう1時間テレビをみずにノートを復習するかどうかで悩むのである。経済学者は既存の計画に対するこうした微調整を、限界的な変化と呼ぶ。・・・
多くの状況において、人々は限界的な部分で考えることで、最良の決定を下すことができる。・・・限界的な便益と限界的な費用とを比較することにより、・・・価値があるものかどうか評価できる。『マンキュー経済学: ミクロ編』 pp.8-9
これは、当方の座右の書『マンキュー経済学』のイントロダクションに記載されているものだ。著者が経済学においてもっとも重要だと思うことを10のフレーズにまとめたもののうちの一つである(この教科書はいくつかのバージョンが出ているが、『マンキュー入門経済学』が一番薄くて安く、しかも10大原理もおさえてある)。
某機関紙を読んでいたら、著者サイン付きで『いないいないばあっ! こんにちは! トマトちゃん』を5名にプレゼントすると書いてあった。
不肖当方は、非常勤講師の授業でこのトマトちゃんというキャラクター(いないいないばあっ!)を例示したことはあったのだが、同書は持っていない。だから、欲しいなぁとちょっぴり思ったり。
思ったんだけれど、某機関紙の読者プレゼントに応募するよりも、別の手段を使ったほうが入手しやすいかなぁ、と思ってみたり、みなかったり。
そんなわけで、偶然(本当に偶然だ。当方が家に食料をストックするなどめったにないことだ)、昨日買ってきたトマトが家にあったので、即席でトマトちゃんのフィギュアを自作し、著者に猛アピールしてみる。
人生、初沖縄。
道産子である当方にとっては、国内で一番遠い地方であったわけで、これまでものすごく縁遠く思っていたわけだが。
実際来てみて、やっぱり自分のアイデンティティや文化的背景とはまったく異質だと思った。
地名の看板やコンビニ店員のネームプレートの漢字が全然読めないし、彼らの言葉が理解できないことがまれではないし、民家や公共施設の区別なくシーサーが飾られているのにビックリするし、ギターケースを抱えている人は一人も見かけないのに三線をスーパーのビニール袋に無造作に入れて歩いてくるおじさんとすれ違うし、ラーメン屋はほとんどないのに沖縄そばはあちこちで売ってるし。
とはいえ、ネガティブな印象を抱いているわけではないが。
ここまで、自分のバックボーンと異なる文化に浸かってみると、それはそれで小気味良い。
当方の見仏趣味を啓いてくれた、いとうせいこう・みうらじゅんの最新作『見仏記: ゴールデンガイド』が発売になった。
前作「見仏記: 海外篇」からは7年ぶりだそうだ。
2003年から1年間、web KADOKAWAに連載されていたものをまとめてある。いとうせいこうのあとがきによれば、連載末期にみうらじゅんがやる気をなくしてイラストが未完成のまま放置同然だったらしい。それを今回みうらじゅんがイラストを描く気を起こして、本書が完成したとのこと。
今回のテーマ「ゴールデンガイド」とは、
マニアックは不可、メジャーどころにしぼって紹介。
p.207
だそうだ。
確かにスタートは奈良で花がたくさんあって有名な長谷寺だったり、3話目では京都で一二を争う有名どころの清水寺に出かけたり、4話目では同じく京都で桜の有名な醍醐寺を紹介したりと、「ゴールデンガイド」に恥じないラインナップだった。
#ちなみに、ここに挙げたものは京都移住後一度も行ったことがないので、行きたいと思ってる。
ハロルド・ウィンター著・山形浩生訳『人でなしの経済理論: トレードオフの経済学』の2章、pp.27-28 に、著者がパーティーで知り合った女性との会話のエピソードがある。
彼女は保健政策が専門の若く知的な新任教授で、「人の命の価値は無限であり、それに金銭的価値をつけるなど言語道断」と考えている。それに対して “人でなし” の著者が「いやいや。あなた自身だって、無意識のうちに自分の命の値踏みをしてるよ」と丸め込むエピソードの箇所。
訳者の山形浩生は自身のサイトにたくさんのテキストを掲載している人であり、僕もちょくちょく覗くのでそこで読んだのだろうと思った。で、原稿バージョンと出版バージョンではどの程度違いがあるのか調べてみようと思って、彼のサイトで該当原稿を探した。
しかし、探せど探せど、見つからない。不可解だ。
#彼は商業雑誌の原稿とかもバンバン載せてるし。ちなみに、彼が自分の著作権について表明する文章は名文。
で、google などを駆使して探して、やっと見つからない理由がわかった。
5日前、僕が辻仁成について知っていたのは、彼が中山美穂の夫であるということだけだった。
4日前、みうらじゅんの「色即ぜねれいしょん」の書評をいろいろ読んでいたら、「・・・自伝的小説としては、辻仁成の方が面白いと思う。」という記述を見つけて、ふーんと思った。
3日前、辻仁成を wikipeida で調べてみて、彼は作家のキャリアよりも、ロッカーとしてのキャリアの方が先であることやら、北海道に暮らしていたことなどを初めて知った。
本日、ふらっと本屋に入ったら、辻仁成の『そこに僕はいた』があったので買って読んでみた。
彼の著作を手にするのは、これが初めてだ。
内容は、辻仁成の小学生時代(福岡)、中学生時代(帯広)、高校生時代(函館)のそれぞれについて、当時の友人たちのエピソードに絡めて自分の思い出を語ったエッセイだ。
彼の少年時代は、喧嘩っ早くて、へそ曲がりではあったものの、特にカッコイイとか美しい友情とか、憧れるとか、そういう類のものではなかった。出てくる友人たちも、とりたてて魅力的だというほどの人物たちでもない。
しかし、ともすれば地味な思い出話を、飽きさせずに読ませる辻仁成はスゲェなと思った。何が面白いのかよく分からないのだが、1エピソード数ページで淡々と簡潔に書かれているスタイルなので、サラッと読めて引き込まれる。
個性豊かな友人たちが出てくるのだが、僕が一番印象に残っているのは、新聞配達をしている少年。父のいない家庭で親戚からの援助はあるのだが、長男が新聞配達をして家計を助けているというエピソード。
そういえば、昭和の中期まではそういう苦労話はあったようだけれど、平成の現在では全然聞かない。ワーキングプアだの、格差だの騒がれている現代だが、義務教育中の子供がアルバイトに出なくてはならないほどの貧しさってのはあまり聞かれないので、当時に比べれば今の日本は裕福なんだろうなぁと思ったり、思わなかったり。
深く感動する本ではないが、軽い胸キュンで僕はお気に入り。