山瀬まみ、インフルエンザで休業

記事における山瀬まみの蛇足っぷりがわけわからん。「笑っていいとも!」に出演しているわけでもないし。
が、しかし、とにかくお大事に。

渡辺直美、インフルで「いいとも!」欠席
 お笑いタレント、渡辺直美(24)が20日、月曜レギュラーを務めるフジテレビ系「笑っていいとも!」をインフルエンザのため欠席した。番組冒頭で司会のタモリ(66)が「直美ですが、インフルエンザになりました。げっそり痩せたそうですよ」とユーモアを交えて報告した。山瀬まみ(42)もインフルエンザにかかり、しばらく仕事を休む。

サンスポ 2012.2.21 05:00

40歳の少女40人

  1. 中島ひろ子、女優(1971年2月10日生)
    あと2日でこのリストを卒業。滑り込み。
  2. 純名りさ、女優(3月15日生)
    宝塚歌劇からNHK朝ドラ(『ぴあの』)に殴りこみってことで話題になったよね。
  3. 木村多江、女優(3月16日生)
    少年隊のヒガシの妻で、先ごろ出産したんでしたっけ?
  4. 安野モヨコ、漫画家(3月26日生)
    『監督不行届』は好きだが、それ以外の漫画はどうも僕のテイストじゃない。
  5. 伊藤智恵理、歌手・女優(4月1日生)
    フジテレビのドラマ『キスより簡単』に出てて好きでした。
  6. 西川史子、美容形成外科医・タレント(4月5日生)
    八重歯のSキャラは当方のど真ん中。いじめられたい。
  7. 伊藤美紀、女優(4月9日生)
    ホリプロスカウトキャラバンでは山瀬まみの翌年のグランプリですよね。
  8. つみきみほ、女優(4月13日生)
    ショートカットの元気少女系でしたっけ。彼女の後を継ぐのが内田有紀→広末涼子って感じ?
  9. 大久保佳代子、お笑いタレント(5月12日生)
    なんか、負け犬系女芸人としてたまにテレビで見かける人ですよね、確か。
  10. ソフィア・コッポラ、映画監督(5月14日生)
    彼女の父の映画は見たことないし、彼女の映画も見たこと無い。
  11. 光浦靖子、お笑いタレント(5月20日生)
    あの独特のキャラクターはいいよね。
  12. 木佐彩子、元フジテレビアナウンサー(5月26日生)
    僕は中井美穂の方が好きだな。
  13. 小松みゆき、女優(6月5日生)
    山瀬まみが週刊プレイボーイのグラビアを飾った時、すぐ後ろが彼女のヌードだった(参考)。
  14. 中嶋朋子、女優(6月5日生)
    『北の国から』のせいで、北海道出身じゃないのに道産子女子代表みたいに思われていた時代があったよね。吉岡秀隆と同じく。
  15. 仲村知夏、元歌手(6月26日生)
    『夕やけニャンニャン』の後番組、『桃色学園都市宣言』で猛プッシュされていたような記憶がある。
  16. 藤原紀香、女優(6月28日生)
    最近、やっと彼女の良さがわかってきた。昔は単なるフケ顔だと思ってた、なぜか。
  17. 田中律子、タレント(7月17日生)
    顔は完璧に思い出せるけど、どういう仕事をしていたかは思い出せない。
  18. 倉田真由美、漫画家(7月23日生)
    『だめんず・うぉーかー』を10ページくらい読んだことがある程度の付き合い。
  19. 檀れい、女優(8月4日生)
    勝手にもう10歳くらい上の世代だと思っていた。檀ふみとごっちゃになってたんだな。
  20. 河合美果、グラビアアイドル(8月8日生)
    おっぱい大きかった人?なんとなく覚えているような、いないような。
  21. 川村ティナ、タレント(8月16日生)
    あれ?具志堅ティナとごっちゃになってた。この人はさっぱりわからん。
  22. 中島知子、お笑いタレント(オセロ)(8月26日生)
    最近、スキャンダルっぽい話がちらほら聞こえてくるよね。軽く心配しております。
  23. 仁藤優子、女優(8月28日生)
    ホリプロなわけだが、一時期山瀬まみよりもプッシュされていたような気がして、むむむと思っていた。
  24. 細川ふみえ、女優(9月2日生)
    僕が「おっぱいだけでかけりゃいいってわけでもねーな」と思うきっかけを作ってくれた偉大な人。
  25. 愛田るか、AV女優(9月4日生)
    中学生の時「18歳になったらこの人のAVを見よう!」と決めていたのに、いざ18歳になった時にはもう旬が過ぎていた。
  26. 岡崎朋美、長野オリンピックスピードスケート女子500m銅メダリスト(9月7日生)
    ショートカットで、わりとキリリとした顔の人だったよね。
  27. 櫻井智、声優(9月10日生)
    80年代末のアイドル声優のトップだったよね。童顔で可愛かったし。
  28. ステラ・マッカートニー、ファッションデザイナー(9月13日生)
    偉大なポール・マッカートニーのご令嬢。
  29. リサ・ステッグマイヤー、タレント(9月25日生)
    僕の中では「クールビューティ」という位置づけなのだが、それは正しいのか?
  30. ティファニー、歌手(10月2日生)
    僕が洋楽に目覚めた1987年、大ヒットしてた。でも僕にはバタ臭いロリ顔に思えて怖かった。
  31. 奥井亜紀、歌手(10月19日生)
    代理母出産で物議をかもした人でしたっけ?あの騒ぎはどういう落とし所になったんでしたっけ?
  32. 立花理佐、タレント、元アイドル歌手(10月19日生)
    山瀬まみと同時期にB級アイドルをしていたのでよー覚えています。あの時代、バラドルになりきれなくて消えた感じか?
  33. 千秋、タレント(10月26日生)
    初めて知ったのは90年代の「ノンタンといっしょ」の声優だったけれど、声を聞いただけで「いい!」と思いましたよ。
  34. ウィノナ・ライダー、女優(10月29日生)
    唯一見たのは『シザーハンズ』。
  35. 松嶋尚美、お笑いタレント(オセロ)(12月2日生)
    初めて彼女を見た時、不覚にも「あれ?山瀬まみイメチェンしたのかな?」と思ってしまった。山瀬ファンとして一生の不覚。恥を偲んでここに告白する。
  36. 茂森あゆみ、シンガーソングライター(12月15日生)
    「だんご3兄弟」だよね?
  37. 牧瀬里穂、女優(12月17日生)
    90年代中期、なぜかCMに引っ張りだこだったよね。ただし、今これを書きながら、一色紗英と一瞬だけ混同してしまった。
  38. はな、タレント、モデル(12月21日生)
    みうらじゅんと仏像トークする人。
  39. 久保純子、アナウンサー(1972年1月24日生)
    『ブロードキャスター』で常に「年下のカワイコちゃん」という位置づけでみんなからちゃん付けで呼ばれていた山瀬まみのことを、唯一、さん付けで呼んだ人。
  40. 大東めぐみ、タレント(1月29日生)
    本上まなみと識別できません、僕は。なぜなんだろう。

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NHK『カーネーション』第95回

明日の朝は移動のため、夕方以降にまとめ記事を投稿する予定の当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第95回目の放送を見ましたよ。

* * *

第17週「隠しきれない恋」

オハラ洋装店にやって来た客は桜井(ラサール石井)と名乗り、周防(綾野剛)に燕尾服を注文した。
そして、一通り受付が終わると、糸子(尾野真千子)にも相談を持ちかけた。しかし糸子は、桜井が奈津(栗山千明)と親しげにしていることを怪しんでおり、警戒を解かなかった。

桜井の相談は、糸子にウェディングドレスを作って欲しいというものだった。もちろん、それを着るのは奈津だという。
糸子は桜井のことを全く信用していなかった。そこで鎌をかけて桜井の本心を聞き出そうとした。奈津は死んだ父親に作ってもらった立派な花嫁衣裳を持っているはずだと言ったり、奈津は綺麗な顔をしているけれど気が短く、誰彼構わず容赦無く殴りつけるなどと言ったりした。

それでも桜井は動じなかった。みなまでは言わなかったが、桜井も奈津の後暗い過去をある程度知っているようだった。それらを全て知った上で、懐深く奈津を受け入れようという態度がよくわかった。桜井は奈津を幸せにしてやりたいのだと力説した。
その度量に糸子も納得した。深く頭を下げ、自分のことのように喜び、奈津を桜井に託した。ウェディングドレスの作成も引き受けることにした。

奈津は自分の歳や世間体のことを考え、派手な結婚式をするつもりがないという。役場に婚姻届を出すに留めるつもりだ。みんなに花嫁姿が披露されることはないが、糸子はとびきりのドレスを作ってやろうと決意した。しかも、奈津がへそを曲げるに決まっているので、ドレスの作成は秘密裏に行われることとなった。

ドレス作りには安岡一家も協力した。
玉枝(濱田マリ)と八重子(田丸麻紀)が小芝居をうち、みたらし団子をわざと奈津の制服の上に落として汚した。そうやって、いつも制服のまま家へ帰る奈津から制服を奪った。糸子は奈津の制服から採寸した。
デザインの決定は難航した。本人不在のまま、奈津を引き立てるデザインは決めにくいのだ。そこで糸子は、安岡美容室に出かけていった。自分の頭にパーマを当ててもらいながら、視線をじっと奈津に振り向け観察した。何も知らない奈津は気味悪がったが、おかげで糸子の頭の中には奈津の姿が焼き付けられた。
その結果、奈津の首から肩のラインをきれいに際立たせるデザインとすることにした。襟周りをシンプルに大きく開くこととした。

そうして、桜井の燕尾服と奈津のウェディングドレスが完成した。糸子は自分の作ったドレスを自信作だといって、嬉しそうに桜井に見せた。その出来栄えに感激した桜井は、早くも奈津が着用した姿を想像した。それは美しく、うっとりとするような花嫁姿に思えた。

桜井と奈津が婚姻届を提出する日の朝。
糸子は完成したドレスを安岡美容室に届けに行った。そのことを知っていた周防がいつもより早く出勤し、糸子に付き合ってくれた。
何も知らない奈津は、八重子によって髪をセットされていた。役場に行くだけにしては派手な髪飾りを付けられ奈津は訝しんでいたが、八重子は適当に受け流した。人前でドレスを着ることのない奈津であるが、ドレスを来たときに目一杯美しくなるようにと、八重子が念入りに仕上げた。

髪が完成し、いよいよ奈津と桜井が役場へ出かける段となった。
奈津は今日を限りに美容室の仕事を辞める。奈津は安岡一家に対して、本当の家族との別れのような挨拶をした。対する安岡家の面々も一人娘を送り出すかのようだった。
糸子は奈津に顔を合わせることができなかった。周防の背中に隠れたまま、泣いてばかりいた。結局、奈津とは一言も口を聞かないままだった。ただし、去っていく奈津の背中を笑顔で見送った。

安岡家を去るとき、糸子は周防のことを一家に紹介した。安岡一家とすぐに親しくなった周防に、糸子は嬉しかった。糸子の家の近所の連中とも、周防は完全に馴染んでいた。
糸子と周防の恋は秘めたものであり、その後ふたりで話題にすることもなかったが、糸子はしみじみと幸せに思った。むしろ、幸せすぎて不安になるくらいだった。いつか足元を救われることもあるかもしれないと思うと心配になり始めた。

そんな矢先、オハラ洋装店に1本の電話があった。
松田(六角精児)が出ると、糸子と周防についてのタレコミだった。

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明日いきいきジョシゴト (東海テレビ 火曜日21:54)

当方の大好きな山瀬まみがナレーションを行う番組、『明日いきいきジョシゴト』が2012年1月10日より始まったらしい。東海テレビで毎週火曜日の21:54より放送。
女性のライフスタイルを紹介する番組のようだ。

東海地方のみの放送らしく、当方の地域では見れないのが残念。

そして、番組ホームページのちょっと残念な感じも味わい深い。

東海地方にお住まいの方、見る機会があったら山瀬のナレーションの良し悪し、番組の感想などを教えて下さい。

俺の年越し準備

一人暮らしのくせに実家に帰省もしないし、時候のイベントにも無頓着でものぐさな当方なので、年越しという気分が全然湧かない。
大掃除どころか、通常の掃除もしていないので家も散らかり放題だ。

けれども少しくらいは正月気分を出そうと思い、当方の貴重な山瀬まみコレクションの中から雑誌のスクラップを発掘し、山瀬まみの着物写真を幾つかピックアップした。

そして、それを twitter の背景画像にした。
少しでも正月らしい雰囲気を出そうという魂胆である。

Twitter の背景画像 2012年バージョン

もう、なんつーか、自分で自分のことを気の毒に思う年の瀬である。

しかし、一度興が乗ると止まらなくなる当方である。
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NHK『カーネーション』第73回

今年のクリスマスは、大阪、札幌、奈良の各支部のサンタさんからプレゼントをもらった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第73回目の放送を見ましたよ。

大阪支部から山瀬テレカ、札幌支部から経済学漫画、奈良支部からお酒。どうもありがとうございます。

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第13週「生きる」

1944年(昭和19年)12月暮れ。
アメリカ軍の本土への空襲が始まった。岸和田に攻撃が加えられることはまだなかったが、頭上を爆撃機が飛ぶようになった。

1945年(昭和20年)1月3日。
糸子(尾野真千子)は3人の娘たちだけを連れて神戸の祖父母宅を訪問した。おじ(田中隆三)やいとこの勇(渡辺大知)は紡績会社の経営のため神戸に残り続けるという。若い勇にいたっては、工場長という肩書きのおかげで兵役を免除されており、その役目がなくなると出征せねばならぬという。空襲の恐れがあっても、戦地に行くよりはましなのだ。
祖母・貞子(十朱幸代)は生まれ育った神戸を名残惜しく思いながらも、姫路の山中の別荘に疎開するつもりだという。近頃は祖父・清三郎(宝田明)がボケ始めたため、いざというときに逃げ切れないことを心配しての事だった。

祖父・清三郎は、それほどひどいものではなかったが、短い時間でボケと正気を行ったり来たりしていた。善作(小林薫)の死を知っているはずなのに、糸子だけが来たことについて、善作はなぜ来ないのか、と尋ねるのだった。また、糸子がまだ女学生だと思い込んだりしている。
しばらくすると、糸子のことを千代(麻生祐未)だと思って話しかけはじめた。清三郎は、千代に向かって、善作に冷たい仕打ちをしたことを謝った。自分も元々は貧しい丁稚の出で、金持ちの娘と結婚させてもらったという境遇は善作と同じである。清三郎自身は、先代(養父)にとてもよくしてもらった。それなのに、自分はどうして善作に対して同じように接してやることができなかったのか、と後悔するのだった。その時は善作の死をしっかり意識しており、岸和田の仏壇へ謝罪の伝言を託すのだった。

神戸の家を去る時、糸子と祖母・貞子は抱き合った。日本への空襲が始まったことで、これが今生の別れになるかもしれないと思うと名残り惜しかったのだ。再会を誓い合って、糸子は岸和田に帰った。

翌1月4日、名古屋、大阪、浜松に初めて焼夷弾が落とされたことが新聞で報じされた。焼夷弾には油が仕込まれており、あっと言う前に火が燃え広がるという。人々はその武器に恐怖し、容赦のないアメリカ軍に恐怖した。町内ではバケツリレーによる消火訓練が盛んに行われるようになった。しかし、糸子はバケツの水くらいでは何の役にも立たないのではないかと思うのだった。

そして、3月10日未明には、東京大空襲が行われた。同12日には名古屋が空襲に遭ったという。爆撃対象が西進している様子から、いつ阪神地区が空襲されてもおかしくないと思われた。
その矢先の3月13日の深夜、空襲警報が鳴り響いた。

糸子はハル(正司照枝)を背負い、家中の物を引率して防空壕へ逃げようとした。しかし、恐怖のあまり身のすくんでしまったトメ(吉沢沙那)がどうしても逃げようとしない。もうこのまま死んでもいいと言うのだ。
腹を立てつつも見捨てることのできない糸子は、他の者達を先に防空壕へ行かせ、ハルと一緒に家に残った。空襲が始まって、もっと恐ろしくなればトメも逃げる気になるだろうと予想したのだ。豪胆にもその時期を待つことにした。

はたして、空襲が始まる前であったが、トメは気を取りなおした。このままでは、足腰の弱いハルまで巻き沿いにしてしまう。自分のせいでハルを犠牲にするわけにはいかないと思い直したのだ。
急いで非難を開始する3人であったが、家のものが向かったであろう防空壕はすでにいっぱいで入れないと聞いた。そこで別の防空壕へ向かうのだった。

しばらく行くと糸子は、善作の位牌を家に忘れてきたことを思い出した。
しかし、取りに戻ることはなかった。縁があれば再開できるだろうと割り切って、防空壕への道を急いだ。

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『太陽を盗んだ男』を見た

主演・沢田研二、監督・長谷川和彦、1979年製作の映画『太陽を盗んだ男』を見た。

当時、人気絶頂だった沢田研二が演じる主人公は、少々エキセントリックな中学理科教師。催眠スプレーで交番を襲い、拳銃を奪取。それで武装し、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪する。それを原料に自宅で原子爆弾を作成する。
原子爆弾を用いて警察を脅迫するというお話。

『太陽を盗んだ男』主演の沢田研二。プルトニウムの精製に成功し、喜びに打ち震える。

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NHK『カーネーション』第68回

小野小町の「いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る」という歌があることを知り、寝間着を裏返しにして寝ると恋しい人の夢を見る事ができるというのでユニクロのスウェットを裏返して試してみたら、自分の結婚式の夢を見ることができて、花嫁はミニスカートのウェディングドレスで絶対領域も白く眩しい綾瀬はるかだったのだが、「俺的にはなんか違う。山瀬まみ、もしくはそれに準じる女の子じゃないと納得できん」とプリプリしながら目を覚ました当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第68回目の放送を見ましたよ。

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第12週「薄れゆく希望」

善作(小林薫)の葬式の翌朝、糸子(尾野真千子)は寝床でうつらうつらしていた。娘たちの健やかな寝顔を眺めつつ、善作がいなくなったことをしみじみと考えていた。

そこへ、いつも食事作りをしている清子(坂口あずさ)と光子(杉岡詩織)が騒ぎながらやって来た。家の食料がすっかりなくなっているというのだ。葬儀の参列者に立派な食事を振舞ったため、底をついてしまったのだ。

国内の物資が窮乏していて、今ではみな最低限の簡素な葬式しか行なっていない。静子(柳生みゆ)が反対するのも聞かず、糸子が後先考えずに立派な葬式を出してしまったことが招いた結果だった。糸子の右腕である昌子(玄覺悠子)はすぐにでも店を開けて商売をしなければ飢えてしまうと訴えた。しかし糸子は、善作の喪が開けるまで絶対に店を開かないと言って聞かなかった。葬式の香典をかき集め、店の者(高田真衣吉澤沙那)に買い物に行かせた。

ところが、買い物に行かせたふたりが泣きながら手ぶらで帰ってきた。市場では、小原家に食料は売らないと言われたという。小原家は非合法の闇商売をしているという噂があるといって門前払いされてしまったのだ。葬式を手伝いに来てくれた町内会の奥さん連中が、台所にあった大量の食料を見て不審に思って流した噂だと思われた。
善作を失ってただでさえ落ち込んでいる一家に、さらなる衝撃であった。

結局、背に腹は代えられないので、喪が開ける前に店を開くことになった。しかし、店に対する嫌がらせも始まった。植木鉢が壊されていたり、「非国民」と書いた紙が貼り付けられたりしていた。客足も鈍っていて、開店休業状態であった。

この時、糸子は初めて世間の冷たさや怖さを知った。
同時に、自分の意地を引っ込めるべき時が来たことを悟った。これまで家の者を配給所に行かせなかったのは、国からの施しを受けなくても、才能で家族を養うという自分の甲斐性を誇りに思っていたからだ。配給所の無様な行列に並ばないことで、自分たちの一家が特別な存在であるかのように思いたかったのだ。
けれども、そういった思い上がりが人々の反感を買ってしまったのだと思い知ることになった。

糸子が落ち込んでいる所へ、電器店・木之元の妻(西村亜矢子)が回覧板を持ってきた。それは野菜の配給を知らせるものだった。
どこかぎくしゃくするふたりだったが、木之元の妻が一緒に配給所に行こうと誘ってくれた。糸子は素直にそれを受け入れた。配給の当日、履物屋・木岡の妻(飯島順子)も合流して3人で配給所へ向かった。

赤の他人から店への嫌がらせは相変わらずだが、昔から親しい隣近所の人々は自分のことを信じてくれている。そのことで糸子は勇気づけられた。そして、近所にそういった親切な人々がいるのも、まさに善作の遺産だとしみじみ思うのだった。

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山瀬まみと岡崎京子の対談記事(1989年)

当方の宝箱(山瀬まみ関連のグッズをしまってある段ボール箱)を久しぶりにひっくり返していたら、CUTiE 1989年12月号が出てきた。CUTiEは今でも発行されており、個性的なファッションを主体にした若い女の子向けの雑誌らしい。

どうして僕がこの号を持っているのか、入手した経緯は覚えていない。ひとつには、ネットオークションで落札した可能性が考えられる。しかし、もっとありうることとしては、クラスの女の子からもらったものかもしれない。
当時、山瀬まみは正統派アイドルとしての活動に陰りが見え、バラドルになりかかっている頃だった。しかし、一直線にバラドルになるわけでもなく、「個性的なファッション・モデル」の道も模索しつつあった。そのため、女の子向けファッション雑誌によく出ていたのだ。僕のクラスメイトの女子たちが買うような雑誌にしばしば山瀬まみが掲載されていた。当時から山瀬好きで有名だった当方なので、よく女の子から雑誌のお下がりや切り抜きをもらっていたりした。
そのような経緯で所有しているのだと思う。

さて、この号の表紙は当方の大好きな山瀬まみ。
そして、目玉記事として「山瀬まみ: 日本一のおサイケ娘」というインタビュー記事が掲載されている。全3ページの記事で、トビラに山瀬のショットが2枚と見出し。次のページにインタビュー、最後のページに違う衣装のショットが3枚という構成。

インタビューページでは、若干20歳の山瀬まみがファッション遍歴について語っている。
そして、その聞き役が漫画家の岡崎京子だった。昔の僕は岡崎京子という人を知らなかったので、あまり気にしていなかった。しかし、今の僕は岡崎京子のことを多少知るようになったので、「えっ、元気にこんな仕事もしてたの!?」と驚いたわけである。

CUTiE の山瀬まみと岡崎京子の対談記事

山瀬まみと岡崎京子の対談記事


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