NHK『カーネーション』第67回

Wikipediaの「カーネーション(朝ドラ)」に「この記事は過剰な加筆が行われ、読みにくくなっています。あまり重要ではない事項を細かく解説することは、むしろ閲覧者の理解を妨げ関心を損ないます。」とタグが付けられているのを見て、自分のまとめ記事の反面教師にしようと思った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第67回目の放送を見ましたよ。

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第12週「薄れゆく希望」

石川県の温泉地で死去した善作(小林薫)は遺骨となって岸和田に帰ってきた。
千代(麻生祐未)をはじめ家の者はみな泣き叫んで取り乱していたが、糸子(尾野真千子)だけは気丈に振舞っていた。

同行した木岡(上杉祥三)と木之元(甲本雅裕)の話によると、酔って風呂に入ったのが原因で死んだという。木岡と木之元は酒を飲んで深く酔ったことを振り返り、善作を止めなかった原因がどこにあるのか、ふたりで言い争いを始めた。
それを見ていた糸子は、そもそも善作に酒を持たせたのは自分であると言って自分のせいにした。木岡と木之元には、最期まで善作の面倒を見てくれたことを感謝した。

葬儀についても糸子が全てを取り仕切った。近頃では客足も鈍り、金の代わりに食料を持ってくる人ばかりなので金はなかったが、善作のために最大限の葬式をあげようと決めたのだった。

生前の善作の人柄を慕って、葬式には多くの人々が来てくれた。
善作を贔屓にしてくれていた地元の名士・神宮司の娘(酒井藍)は、善作がいつも「べっぴんだ」と言ってくれたという。自分の器量が悪いことはわかっており善作の完全なるお世辞だとわかってもいたけれど、それが嬉しくて、彼の来るのが楽しみだったという。
木岡の弟で、縫製工場を経営している靖(多々納斉)も善作の多大なる世話になったという。工場が借金で危なくなった時、善作が仕事をかき集めてきてくれて窮地を救ってくれたのだという。靖はその恩返しができていないので、何かあったらいつでも相談に来るよう言ってくれた。最近では、軍服の受注をしているので、糸子に回せる仕事もたくさんあるという。

糸子は祭壇の前で善作に感謝した。
善作がみんなに優しくしていたおかげで、その優しさが残された家族に返ってきたのだ。
そして、その場で疲れて眠ってしまった。

糸子の妹たち(柳生みゆ、坂口あずさ、杉岡詩織)は、善作の幽霊に会ったという木岡の妻(飯島順子)から話を聞いていた。
木岡の妻は幽霊のようなものを見るのは初めてだという。善作がいるのを不思議に思ったが、いつものように軽い調子で元気に入ってきたので、あまり不審に思わなかったという。終始上機嫌で木岡の妻に愛想を振りまき、糸子を頼むと何度も繰り返していたという。
その様子が善作そのものだったので、妹たちも善作が来ていたに違いないと信じるのだった。

一方で、葬式の手伝いに来ていた近所の奥さん連中は、小原家の台所に大量の食料があるのを怪しんでいた。小原家の人間を配給所で見かけることは少ないのに、これだけ食料品があるのはおかしいというのだ。ましてや、最近ではめったに手に入らない酒まであった。きっと闇市に出入りしているに違いないと噂しあうのだった。

夜遅く、ずっと取り乱していた千代がやっと正気を取り戻した。
寝ずの番をしている者たちに休むよう言い、床で突っ伏して寝ている糸子に毛布をかけ、彼女を優しく撫でてやるのだった。

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NHK『カーネーション』第66回

よしながふみの『きのう何食べた?』について調べようと思って Google 検索したのだが全くヒットせず、どうしたことだろうかと不思議がっていたら、検索キーワードが「今夜何食べたい?」になっていたという当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第66回目の放送を見ましたよ。

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第11週「切なる願い」

1943年(昭和18年)4月。長女の優子(花田優里音)が小学校に入学することになった。

この頃、善作(小林薫)はずいぶんと回復して元気になっていた。
寝たきりの状態を脱し、居間で優子を膝に乗せながら新聞を読んだり、登校する優子を家の前で立って見送ることなどもできるようになった。さらには、配給切符の整理係として店の手伝いもできるほどになっていた。

同時に、以前のようにわがままで口うるさい態度も復活した。
糸子(尾野真千子)は「すぐに体が大きくなる」と言って、大きめのセーラー服を作った。優子を贔屓してかわいがっている善作は、洋裁屋のくせに手を抜くなと言って糸子を叱った。また糸子は、優子のおさげを毎日結うのが面倒で、オカッパにしてしまいたいと思っている。けれども善作は、次女の直子(心花)をオカッパにしても、優子にだけは絶対に許さないのだった。

糸子は、善作が元気になったことを心の底から喜んだ半面、彼のやかましさに腹を立てたし、すぐに無理をしてしまう様子も心配であった。

そんな頃、隣の履物屋の木岡(上杉祥三)が、石川県の温泉の噂話を持ってきた。それを聞いているうちに、善作はすっかり乗り気になって、湯治に行くと言い出した。長旅は無理だといって周囲は猛反対した。

しかし、温泉の資料を集めて楽しそうにしている善作の様子を見た糸子は、止め切れなくなって温泉行きを許してしまった。
出発前に、糸子は真心を込めて新しい国民服を作ってやった。それは、今では入手困難な純毛の生地を使った上等なものだった。出発の日、それを身につけた善作は上機嫌になってみんなに見せびらかした。
一人台所で出発準備を手伝っている糸子の所へ行き、善作は言いにくそうに、素っ気なく新しい服の礼を言った。糸子も、神妙な表情の善作を前に照れてしまい、まともに受け合わなかった。それでも、善作の喜びはひしひしと伝わってきた。

糸子から善作へ、もう一つの贈り物があった。秘蔵しておいた酒を水筒に入れて善作に持たせてやった。味見した善作は満面の笑みを浮かべ、素直に何度もスラスラと礼を述べた。服にはまともな礼がなかったのにと、糸子は苦々しく思うのだった。
それでも、気持ちよく善作の出発を見送った。善作も、仲間たちと一緒に機嫌よく元気に旅立って行った。

糸子が店で大福帳を調べていると、善作の見事な字で「オハラ洋装店 店主 小原糸子」と書かれているのを見つけた。それは、善作が糸子のことを一人前の商売人だと認めた証拠だとわかった。糸子は嬉しくなって、何度もそれを見返していた。

その日の夜、糸子の元へ電報が届けられた。善作が危篤状態に陥ったので、すぐに来て欲しいという内容だった。

糸子は、冷静に自分を落ち着かせた。まずは旅館の住所を調べるために、善作と同行している木岡の家に行って、彼の妻(飯島順子)から聞こうとした。

ところが、家を出ると、木岡の妻も表に出てきていた。
彼女は雨の降る中、傘もささずに寝間着のままで呆然と立っていた。糸子が声をかけると、今しがた善作に会ったのだという。温泉に行っているはずの善作がここにいるのは不思議だが、「糸子をよろしゅう頼む」と言っていたのだという。

はっとした糸子が道の先を見ると、そこに善作の姿が見えた。
雨にけぶってぼんやりとした姿であったが、彼は何も言わず優しい笑顔で立っていた。その姿はみるみるうちに薄くなってしまい、程なく完全に消えた。

糸子は道に崩れて号泣した。
1943年4月27日、善作は59歳で生涯を終えた。

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NHK『カーネーション』第65回

本日めでたくも、連載回数が『おひさま』の64回を超える当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第65回目の放送を見ましたよ。

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第11週「切なる願い」

糸子(尾野真千子)が幼い時から慕っていた泰蔵(須賀貴匡)が出征することになった。彼の一家とは、糸子が引き起こしたトラブルで絶交状態だったが、八重子(田丸麻紀)を介して和解し、糸子も出征の見送りに行くことになった。

泰蔵のことをよく知る善作(小林薫)も見送りに行くことになった。
善作は周囲が止めるのも聞かず、杖をついて自分の足で歩いて行くことにした。若者達が戦地で命がけで戦っている時に、自分だけが手厚く世話されているのをよしと思わないのだ。自分の不注意で大やけどを負ったことも恥ずかしく、ますますけが人面したくないのだった。

泰蔵の壮行会は簡素に行われた。泰蔵の母・玉枝(濱田マリ)と弟・勘助(尾上寛之)は、調子が良くないのか、最後まで姿を表さなかった。4年前に勘助を送り出すときにはあれほど派手だったのに、今では出征の見送りは重苦しい雰囲気である。

糸子は、奈津(栗山千明)の来ているのに気づいた。奈津は物陰からそっと見守り、涙を流していた。糸子には、夫を送り出す八重子の気持ちがわかるのと同様、初恋の人が戦地に向かう奈津の気持ちもよくわかるのだった。

泰蔵の去り際、善作が率先して万歳を唱えた。
しかし、泰蔵の姿が見えなくなると、善作は突然倒れてしまった。無理な外出が体に障ったのだ。木之元(甲本雅裕)に背負われて帰宅し、以前にもまして体調が悪くなった。回復の兆しが見えていたのに、寝床から出ることができなくなってしまった。
あまりに状態が悪いため、リヤカーで運んで医者(江口直彌)に診せた。すると、体の抵抗力が落ちたせいで皮膚の感染症にかかっていることが分かった。岸和田の病院では手の施しようがなく、一番近くても心斎橋まで行かなくては専門医がいないという。

心斎橋に善作を連れていくのは容易ではなく、その日は家に帰ってきた。
糸子は、すっかり小さくなってしまった善作を見て寂しくなった。自分がしっかりと世話をして、以前のように元気で、周囲に怒鳴り散らしていた善作を取り戻そうと決意するのだった。

しかし、看病、育児、家事、商売の全てを完璧にこなすことは、糸子の能力を超えていた。周りにあれこれと指示を出しても、必ずしもうまくいくとは限らなかった。糸子は頭を抱えた。

そんな時、八重子が訪ねてきてくれた。
彼女は、以前作った女性ファッションのスクラップブックを持参していた。それは、糸子が心斎橋百貨店の制服を作った頃に、よく参考にしていたスクラップブックだった。
ふたりは、懐かしく思いながらそれを眺めた。そして、日本にもこのように華やかな洋服を着ていた時代があったのに、今ではまるで別の国のようだと寂しく思うのだった。

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NHK『カーネーション』第64回

『花のズボラ飯』は山瀬まみで実写化するのが良いという意見(ただし最終的には篠崎愛が推されている)を見て、眼から鱗が落ちるとともに、それを先に思いつかなかったことに忸怩たる思いの当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第64回目の放送を見ましたよ。

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第11週「切なる願い」

昭和18年(1943年)3月。
善作(小林薫)の大やけどから2ヶ月ほど経った。まだリアカーに乗らなければ通院ができない状態だったが、経過は良好で、体を支えてもらえば自分で歩けるようになったし、顔の皮膚もずいぶんと再生し、はっきりとしゃべることもできるまでに回復していた。
ただし、自分がボヤで大やけどを負ったということは他人には伏せていた。たとえば、転んで焚き火に落ちた老婆を助けるためにやけどしたなどと嘘を言って回った。善作は自分が恥ずかしかったのだ。若者たちが戦争で死んだり、大怪我をしているさなか、ボヤごときで大怪我をしたことを恥じていたのだ。

その頃、日本軍はガダルカナルを放棄した。報道では戦略上の転身だと言われていたが、疑り深い人々の間では日本軍の敗退であることは明らかに思われた。まだ敗北が決まったわけではないが、日本が苦戦していることは分かった。

勝(駿河太郎)からハガキが届いた。糸子(尾野真千子)はざっと目を通して彼が生きていることを確認すると、昌子(玄覺悠子)に手渡して子供たちに代読するよう言いつけた。
自分は、まだ勝の浮気を許したわけではない。自分がハガキを読むと子供たちの前で怒り出すことがわかっていたので、それを避けたのだ。
しかし、それでも、糸子は勝が生きて帰ってくることを願った。怪我をしてでもよいから帰ってきて欲しいと思った。自分の手でしっかりと勝を休ませ、回復させてやろうと思った。そして、元気になったら、浮気の件をこってりと絞り上げようと決意するのだった。

着物に戻せるモンペ教室は繁盛していた。連日定員オーバーで、希望者を店頭で追い返すほどだった。入学式や結婚式、さらには夫や息子の出征見送りに、明るく華やかなモンペを身に付けたいという女性が殺到したのだ。

授業を開始しようとした矢先、八重子(田丸麻紀)が思いつめた表情で、慌てて駆け込んできた。どうしても今日中にモンペの作り方を教えて欲しいというのだ。
他の生徒への配慮や、安岡家との確執など複雑な思いはあったが、糸子は彼女を受け入れた。
モンペの作り方を教えながら八重子の方を盗み見ると、彼女は涙を流しながら着物にハサミを入れていた。

他の生徒達が帰った後も、八重子だけは何も言わずに座り続けていた。他に誰もいなくなったところで、ふたりはよそよそしい敬語で話し始めた。
八重子の夫で、糸子も小さい時から慕っていた泰蔵(須賀貴匡)が翌々日に出征することになったという。八重子は彼を華々しく見送るために、どうしてもきれいなモンペで送り出したかったのだという。
さらに八重子は、玉枝(濱田マリ)や勘助(尾上寛之)は落胆してまともに見送ることができないだろうと言い、代わりに糸子が見送りに来て欲しいと言うのだ。出征する泰蔵には明るい思い出と共に旅立ってほしい。そのためには、糸子の協力が必要だというのだ。

八重子につられて、糸子も激しく泣いた。自分が八重子や勘助に行った酷い言動を許してくれていることに涙が止まらなくなった。
ふたりは泣いて抱き合いながら和解した。

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NHK『カーネーション』第63回

本日めでたくも、連載回数が『だんだん』の62回を超える当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第63回目の放送を見ましたよ。

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第11週「切なる願い」

糸子(尾野真千子)は、神戸の祖母・貞子(十朱幸代)のモンペに目を留めた。それは、高級な大島紬の着物をモンペに仕立て直したものだった。大胆な再利用に、糸子は驚いた。
貞子の言い分は、辛気臭い思いをしていると寿命の縮まる思いがする。辛気臭いモンペこそ、上等な生地で作って晴れやかな気分でいたいというものだった。

その言葉に、糸子は重苦しい雰囲気を一気に払拭することができた。忙しくて後回しになっていたのを反省し、自分の身だしなみを整えた。寝てばかりいる善作(小林薫)とハル(正司照枝)の寝室の空気を入れ替え、布団も干してやった。
冬の冷たい空気が入り込んで来るので、寝ているふたりは見を震わせたが、糸子はお構いなしだった。全身大やけどの善作は相変わらず寝ているほかできなかったが、それを契機にハルは元気を取り戻した。起き上がって台所の監督ができるようになった。

それから糸子は、店のテコ入れを始めた。衣料切符の制度が変わり、客足が遠のいているからだ。
縫い子の仕事量も減っているので、まずはりん(大谷澪)を子守専属にした。彼女は居眠りをして、もっとも暴れん坊の直子(心花)から目を離してしまうこともあったが、それでも糸子が子供に付きっきりになるよりは仕事がはかどった。

次に、着物をモンペに仕立て直す教室を始めることにした。貞子の言葉を受けて、女はお洒落をしてこそ輝くということを広めたいと思ったからだ。国はモンペを女性の正装だと決めてしまった。夫や息子の出征や、慶事にもモンペで出席しなくてはならない。そういう時にお洒落をしてこそ、女は元気を取り戻すことができると信じているのだ。

静子(柳生みゆ)や昌子(玄覺悠子)らと研究を重ね、着物からモンペへ、またはその逆を可能とする裁断法と縫い方を編み出した。早速、有料でモンペ教室を開いた。
階下から聞こえる女たちのにぎやかな声を、床に伏せる善作は嬉しそうに聞いていた。

モンペ教室の初回定員は8人だったが、生徒は5人しか集まらなかった。
しかし、そこに集まった5人はいずれも強者揃いだった。岸和田の中でも若くて元気いっぱいで、お洒落好きの女性たちが集まった。彼女らは負けん気も強く、持参した着物で互いに張り合った。互いをライバル視し、教室が始まる前からピリピリした雰囲気が漂っていた。
生徒の中には、糸子の親友のサエ(黒谷友香)もいた。

けれども、教室が始まると、生徒たちはみな熱心に耳を傾けた。肝っ玉の強い女たちばかりなので、高級な着物にも躊躇することなくハサミを入れていく。糸子はその姿を気持ちよく見ていた。
初めは互いに険悪だった生徒たちだったが、次第に作業を助けあうようになった。モンペが完成する頃には、全員が打ち解けて仲良くなった。帰りには、みんなで冗談を言い合いながら寄り道をするまでになった。

お洒落を通じて明るく元気になる女たちを見て、糸子は嬉しく思った。
日本の将来も明るいと心の底から思うのだった。

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NHK『カーネーション』第62回

某女の子と郵便番号についてメールでやり取りしている中で、「アメリカだと90210のように数字だけですが、カナダではアルファベットも使います」と書いてあったのをスルーしてしまったのだが、後になってやっと「あのアメリカの番号は『ビバリーヒルズ青春白書』だ!」と気づいた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第62回目の放送を見ましたよ。

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第11週「切なる願い」

糸子(尾野真千子)は朝晩の区別も付かず、自分が何をしているのかも半分わからないような状態になった。家の中が大混乱でまともな認知能力を失ってしまっていたのだ。

母親として、生まれたばかりの三女の世話に多くの時間を取られる。他の娘たちの名前は善作(小林薫)に付けてもらっていたので、今回もそうする予定だ。しかし、善作は全身大やけどを負ってしまい、それどころではない。

その善作は、自宅療養中なのだが、体が痛いと言ってはすぐに癇癪を起こす。顔がひきつってしまい、うまく声を出すことができない。彼の言っていることを理解できるのは家族の中では糸子だけであり、彼女が通訳としていつも呼ばれた。千代(麻生祐未)が付きっきりで看病しているはずなのだが、彼女はどうしても善作の傷跡を直視することができない。そのため、包帯の交換は毎回糸子が行なっていた。

ハル(正司照枝)も火事の衝撃から立ち直っておらず、毎日寝てばかりである。よほど恐ろしかったのか、夜中にうなされたりしている。その面倒も糸子が看ている。

次女・直子(心花)はますます手が付けられない。糸子が他の家族の世話でちょっと目を離した隙に、家の中をめちゃくちゃに荒らしてしまう。

千代とハルに代わって、妹の清子(坂口あずさ)と光子(杉岡詩織)が料理をするようになった。しかし、これまで一切料理をして来なかったふたりなので、いつも茹で野菜ばかり出てくる。食いしん坊の糸子は、それにも腹が立つのだった。

さらに悪いことに、近頃では商売もうまく行っていない。衣類購入に必要な切符の点数が増やされてしまったため、事実上の値上げとなった。そのため、客足も鈍っているのだ。八方塞がりでイライラとしているところへ婦人会の役員(三島ゆり子)がやって来て、さらなる質素倹約に協力しろ、客が来たら何も売らずに倹約するよう諭せなどと無茶な要求をするのだった。

あまりに忙しく、糸子は時間の感覚がなくなり、視界もぼやけてきた。

そんな時、神戸の祖父母である清三郎(宝田明)と貞子(十朱幸代)が見舞いに来てくれた。糸子の結婚の一件以来、すっかり清三郎と親密になった善作は清三郎の温かさに触れ、うれしさのあまり男泣きした。

本来は、糸子の娘に自分が名付けようと思っていたのだが、その権利を清三郎に譲った。そして、貞子が「さとこ」という音を考え、清三郎が「聡子」という漢字を決めた。

神戸の祖父母の見舞いで、家の中が明るくなった。糸子も眼の前のもやが晴れるようだった。

さらに糸子は、貞子が履いているモンペに目が留まった。それは、大胆にも最高級の大島紬の着物をモンペに仕立て直したものだった。

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山瀬まみと岡崎京子の対談記事(1989年)

当方の宝箱(山瀬まみ関連のグッズをしまってある段ボール箱)を久しぶりにひっくり返していたら、CUTiE 1989年12月号が出てきた。CUTiEは今でも発行されており、個性的なファッションを主体にした若い女の子向けの雑誌らしい。

どうして僕がこの号を持っているのか、入手した経緯は覚えていない。ひとつには、ネットオークションで落札した可能性が考えられる。しかし、もっとありうることとしては、クラスの女の子からもらったものかもしれない。
当時、山瀬まみは正統派アイドルとしての活動に陰りが見え、バラドルになりかかっている頃だった。しかし、一直線にバラドルになるわけでもなく、「個性的なファッション・モデル」の道も模索しつつあった。そのため、女の子向けファッション雑誌によく出ていたのだ。僕のクラスメイトの女子たちが買うような雑誌にしばしば山瀬まみが掲載されていた。当時から山瀬好きで有名だった当方なので、よく女の子から雑誌のお下がりや切り抜きをもらっていたりした。
そのような経緯で所有しているのだと思う。

さて、この号の表紙は当方の大好きな山瀬まみ。
そして、目玉記事として「山瀬まみ: 日本一のおサイケ娘」というインタビュー記事が掲載されている。全3ページの記事で、トビラに山瀬のショットが2枚と見出し。次のページにインタビュー、最後のページに違う衣装のショットが3枚という構成。

インタビューページでは、若干20歳の山瀬まみがファッション遍歴について語っている。
そして、その聞き役が漫画家の岡崎京子だった。昔の僕は岡崎京子という人を知らなかったので、あまり気にしていなかった。しかし、今の僕は岡崎京子のことを多少知るようになったので、「えっ、元気にこんな仕事もしてたの!?」と驚いたわけである。

CUTiE の山瀬まみと岡崎京子の対談記事

山瀬まみと岡崎京子の対談記事


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NHK『カーネーション』第61回

カーネーションの絵葉書を数枚ゲットしたので、送り先を明記してメール(matuda@alm-ore.com)で申し込んでいただいた先着5名様に、直筆の微妙な何かを書いたり描いたりして送って差し上げるつもりの当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第61回目の放送を見ましたよ。

カーネーションのポストカード


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第11週「切なる願い」

油の瓶を火鉢に落下させてしまったせいで、炎が上がった。瞬く間に善作(小林薫)は火達磨になった。
金切り声をあげるばかりで立ちすくんでいる千代(麻生祐未)やハル(正司照枝)に代わって、身重の糸子(尾野真千子)が率先して消火活動に当たった。全身を水で濡らし、なんとか火を消し止めることができた。そのまま、休むことなく木岡(上杉祥三)と木之元(甲本雅裕)の力を借りて善作を病院に担ぎ込んだ。

対応が早かったため、善作は一命を取り留めた。ただし、1ヵ月は安静に過ごさなくてはならないという。

ほっと安堵した糸子は、自分が臨月の妊婦であることをやっと思い出した。濡れて体を冷やしたことが子供に影響を与えるかもしれない。妊婦が火事を見ると、生まれてくる子供の体にアザができると言い伝えられている。
医者(江口直彌)は糸子の活躍を褒めると共に、迷信を信じないよう注意するのだが、糸子は心配でならなかった。

一夜明けて、善作は全身を包帯で巻かれて帰宅した。二階の寝室に寝かされたが、善作は体を動かすことも、しゃべることもできないままだった。心労のため放心状態になっているハルも善作の隣に寝かされた。彼女も何も口が聞けずに寝るばかりだった。

火災の起きた一階の部屋は、急いで修理された。店を臨時休業にし、糸子が陣頭指揮をとった。修繕屋が次々にやってきて、その日のうちに家はほぼ元通りになった。

ところが、その修繕の最中に糸子の陣痛が激しくなった。すぐさま、善作の隣の部屋でお産の準備が始まった。
火事と家の修繕では気丈に働いていた糸子であったが、お産が始まると急に心細くなった。これまで、なんでも自分一人でこなしてきたと思っていたが、本当はそうではなかったということが身にしみたのだ。特に、勝(駿河太郎)と善作、ハルの3人には大きく依存していた。しかし、今、自分のお産に彼らは立ち会うことができない。それが糸子の不安をかきたてた。

それでも、3人目の娘が無事に生まれた。
すぐに、隣室に寝ている善作とハルに赤ん坊を見せた。寝てばかりだったハルは、知らせを聞いて飛び起きて元気になった。目玉しか動かすことのできない善作であったが、なんとか顔に笑みを浮かべようと、焼けた肌を引きつらせた。

火災騒ぎから一日、やっと一家に笑顔が戻ってきた。糸子は、新しい赤ん坊は一生分の手柄を立てたと思うのだった。
赤ん坊の体にアザもなかった。

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横浜情報文化センターで仮面ライダーと水木しげる

横浜市の日本大通りに横浜情報文化センターという施設がある。新聞と放送に関する博物館で、放送ライブラリー(入場無料)はテレビ番組のアーカイブが整備されており古い映像を見ることができるし、日本新聞博物館Newspark(入場料500円)は古今東西の新聞に関する博物館となっている。

放送ライブラリーでは、2012年2月12日まで仮面ライダー40年の軌跡展が開催されている。僕は熱心なファンではないが、男の子の端くれとして仮面ライダーは嫌いではないので見物に行ってきた。入場無料というのが嬉しいし。

入り口では旧仮面ライダーがお出迎え


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