少し前、小堀純・中島らも『せんべろ探偵が行く』を読んだ。「せんべろ」とは、千円でべろべろになれる店の意。
読んでいた当時、会社のランチタイムの話題としてその本の話をした。そして、「なんとなくそういうのに憧れる。せんべろに行ってみたい」というような話をした。
人の記憶や印象とは、やはり不確かなものだ。
僕は「中島らもみたいな退廃的な雰囲気に、ちょっとだけ憧れますね」みたいな軽い話をしたつもりだった。
しかし、会社の人たちは
「木公は、場末にある小汚くて怪しい雰囲気があり客層もあまり上品ではない店を探している」
という風に思い込んでしまったようだ。
以来、とにかく小汚くて怪しいお店の目撃情報がいろいろと寄せられた。
#周囲には、ホルモンも苦手にするようなお上品な人々が多いので、実地検分をしてきたという人は皆無だ。
ここには書いてなかったかもしれないが、今月末まで当方の勤務先は水曜日と木曜日が休みである。そのかわり土日に勤務する。企業の電力需要ピークを分散させるためだ。
#7月には2週間の一斉休業があった。京都まで自転車旅行をした時だ。
そんなわけで明日、明後日は休みである。
休みだからといって、特に何か用事があるわけでもない。あえて用事を作るでもなく、まぁ寝て過ごそうかと思っていた。それはそれで、無為な時間を過ごしているようでなんとなく気まずさも感じるが、何にも用事がないものは仕方ないので、あるがままを受け入れようと思っていた。
#いろいろ片付けなきゃいけない仕事はあるような気がするが、それには気づかないフリをする。
休みの日に用事がないなどということは、別に他人に話すべきことでもない。
たった一つ前のパラグラフで「明日は用事がない」と言った舌の根も乾かぬうちに、「他人に話す必要もない」などと書くのは、自分自身でいかがなものかと思うわけだが、話の展開上やむを得ない。
用事がないことを公表する必要はないので、用事がないことを僕は黙っていた。黙っていたし、隠していた。
しかし、そういうことはなんとなく雰囲気に出てしまうのだろうか。