『探偵はひとりぼっち』 東直己

「あっけない幕切れ」

この言葉は生まれてこの方一度も使った記憶はないのだが、最近の当方のマイブームであるところの”すすきの探偵<俺>“シリーズの5冊目、『探偵はひとりぼっち』を読み終えたとき、僕は思わずそうつぶやいてしまった。
#脚色ナシ

事件の発端は、すすきののゲイバーに勤めるオカマが自宅マンションの駐車場で撲殺されたこと。彼(彼女?)はゲイというマイノリティ社会に参加しつつも、多くの人々から慕われていた。主人公<俺>ともたいへん親しく、主人公は彼の死の真相を探り始める。しかし、その事件の背後には大物政治家の影がちらつき、様々な妨害にあう。警察やマスコミも事件から手を引き始め、市井の人々も強大な権力に恐れをなし、主人公への協力を渋り始める。主人公は孤立無援で立ち回らなくてはならなくなる。

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『プリンセス・トヨトミ』万城目学

地味な展開で、事件が起きるまで時間がかかり、山場はあっという間に終わってしまうので、チト退屈だった。
確かに緻密に謎が張り巡らされているのは分かるのだが、その謎解きにたどり着く前にギブアップしそうだった、ヤバかった。

読むのがつらくなったとき、僕はウルフルズの「大阪ストラット」を口ずさんで自分を盛り上げた。

他に比べりゃ外国同然
Osaka strut!

やっと謎が明らかにされたとき、僕は小学生の頃を思い出して「グリーングリーン」を歌った。

ある日 パパと二人で 語り合ったさ
この世に生きる喜び そして 悲しみのことを

本書のラスト、バカな男たちを優しく受け入れる女性たちの姿を目の当たりにし、明石家さんまの「真っ赤なウソ」を歌いながら深く感じ入った当方。

どんなに男が偉くても
女の乳房にゃかなわない

同書を読んだ人なら、これらの曲を歌ってしまった気持ちが分かってもらえるはず・・・と信じてる。

映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』観てきた

原作を読んで「速水先生になら抱かれてもいい」と思い、映画1作目が先週の月曜にテレビで放映されるという宣伝手法にまんまとのせられ、映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』を公開2日目に観てきた。

ていうか、貫地谷しほりのことを心憎く思うことがない当方であり、むしろ彼女のアヒル口にほんわかと萌えてしまう当方なので、スクリーンに大写しの彼女のご尊顔のアップにうっとりと見入ってしまったり。
#あ、そういえば、同じく貫地谷出演のラブシャッフルは見てません。ていうか、毎週見忘れる。

当方が貫地谷しほり以外で注目してみていたところは、自動車のナンバープレート。
速水先生(堺雅人)の赤いスポーツカーが駐車場に停まっているというシーンがあるのだが、ナンバーに「桜宮」と書いてあるように見えた。つまり、桜宮ナンバー。”チーム・バチスタ” のシリーズは架空の都市、桜宮市を舞台にしているのだが、そこのナンバーがあるっつーことに妙に感心してしまった。
ただし、僕の見間違いかもしれないから、これから映画を観る人はちょっと気に留めておいて、真偽を確かめて欲しい。
なお、救急車が出て来るシーンでは、ボディに「桜宮市消防」(?)と書かれていたが、ナンバーは見えないようなアングルになっていた。

あと、劇中で”メディカル・アーツ”という医療品業者が出てくるのだが、速水先生の部屋のキャビネットの上にその会社の段ボール箱が置いてあり、雑多なものが詰め込まれていた。空き箱の再利用と思われるのだが、細かい演出でニンマリした。
ただし、これまた僕の見間違いかもしれないので、これから映画を観る人はちょっと気に留めておいて、真偽を確かめて欲しい。

なお、田口先生(竹内結子)に部屋に置いてあるパソコンはエプソンの Endeavorで、花房師長が飲んでいたドリンクは紀文の調整豆乳のように見えました。
これらも僕の見間違い・・・(以下略)。

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「戦場の絆ポータブル」のPVを見て絶句した当方

一時期、当方もゲーセンに通って遊びまくったゲーム「起動戦士ガンダム 戦場の絆」がPSP用ゲームとしてリリースされることになった。2009年3月26日発売。

ゲーセンのヤツは、モビルスーツのコクピットを模した筐体&コントローラーで迫力のあるゲームだったのだが、PSPの小さな画面ではどうなんだろうか?
しかし、ガンダムゲームが大好きな当方は結局買ってしまいそうな雰囲気がプンプンしている。
#ありがたいことに、PSPは持ってるし。しかも、シャア専用(「ギレンの野望 アクシズの脅威」の特別PSP)。

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『探偵はバーにいる』東直己

札幌すすきのを舞台にした探偵小説。
当方のような道産子のノスタルジーをくすぐるだけの陳腐な地方賛美小説だろうと思って読み始めたのだが、いい意味で期待はずれの大ヒット。
シリーズ1作目を読み終わり、すぐに本屋で2作目、3作目を購入(しかも、札幌ステラプレイスの三省堂書店で)。超ハマり中。

当方が札幌に縁のない人間だったら、たぶん絶対に読まなかった本だと思う。けれども、読んでみたらきっと今と同じようにお気に入りになっていた自信がある。
確かにすすきのローカルネタが多かったり、登場人物は流暢な北海道弁をしゃべるなどの特徴があるが、物語のプロットはしっかりしているハードボイルド系ミステリー。北海道に縁がなくても、楽しめる小説だろう。
親の遺言で「すすきのを舞台にした小説だけは読むな」などと言われているのでなければ、一読をお勧めする。

ちなみに、第1作『探偵はバーにいる』はラブホテルに出入りする売春婦とか、他人の唇の痕の残ったグラスが出てくる汚いスナックとかが出てくるので、潔癖系の人にはちょっと読むのがつらいかもしれない。
そんな向きには2作目『バーにかかってきた電話』をお勧めする。もちろん”汚い描写”は多々あるけれどトーンは控えめだし、殉愛・人情ものという仕上がりで読後感は悪くない。
実際、ネットの評判を見ていても、1作目よりも2作目の方がウケがいいみたいだし。僕も、両作は甲乙つけがたいと思う。

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海龍王寺: 愛染明王を追いかけて、みうらじゅんに出会う

西大寺の愛染明王(西国愛染十七霊場 公式ホームページより)

愛染明王ブーム

昨日、奈良市の西大寺・愛染堂で愛染明王像を見てノックアウトされた当方

絶ち難い煩悩である愛欲を追求することで、むしろ悟りを開こうとする態度に深く感じ入った当方。
真っ赤なシャア専用像なところもカッコいい。
昨日、西大寺で見た愛染明王坐像の周りには、3匹のトンボの死骸があった。西大寺のおじさんと「あの3匹は家族だ。愛を司る愛染明王の膝元で、家族愛の強い3匹が仲良く絶命している」などと、勝手ストーリーを語り合ったりもした。

そんなわけで、にわかに愛染明王にZokkon命ゾッコン ラブな当方。
西国愛染十七霊場なんていうものまで見つけて、近畿の愛染明王を全て行脚しようかとも考えている(右の写真は、同サイトの西大寺紹介より)。

そんな中、昨日、西大寺で愛染明王に初めてお会いした後、性懲りもなくいとうせいこう&みうらじゅん『見仏記(4)』を読んでいたら、奈良の海龍王寺の訪問記にたった2文、こんな記述を見つけた(p.142)。

厨子をはさんで左手には座高五十センチほどの愛染坐像。どちらも親しみのわく風情で、・・・(以下略)

地図を見ると、うちから車で10分強(京奈和自動車道利用)のところじゃないか。
みうらじゅんは、西大寺の愛染明王こそ「愛染明王界では一番有名」などと言っている。しかし、せっかく近いのだから、海龍王寺の愛染明王がどんな感じなのか、そして西大寺が一番優れているのかどうか見定めたいと思い、ブーンと出かけてきた。
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西大寺: 量産型とシャア専用

見仏はじめました

先日、北海道から帰って来る日、大雪のため千歳空港発着のダイヤが大幅に乱れていた。2-3時間の遅れを覚悟し、本屋に向かって暇つぶし用の文庫を物色することにした。しかし、あまり興味の引かれる本はなかった。
数ヶ月前から、みうらじゅん&安齋肇の「勝手に観光協会」を好きでよく見ていたので、なんとなくみうらじゅん関係の本を物色し、昔から存在は知っていたのだけれどイマイチ面白くなさそうだと思って敬遠していた『見仏記』(いとうせいこう・みうらじゅん)を手に取った。どうせ、しばらく時間が潰せればいいだけだし。奈良の東大寺とかが紹介されているので、軽く読めればいいやとも思ったし。

ところが、読み始めてすぐに、『見仏記』は名著だと思うようになった。全然宗教くさくないし、説教くさくもないし、文体も軽妙で読みやすい(ちなみに、文章はいとうせいこう、イラストはみうらじゅんという分担になっている)。
今まで、仏像は”拝観”するものであり、そこに宗教的な意義を見出さなければならないと思い込んでいた当方であるが、そのような既成概念がたった数分でぶち壊された。

みうらじゅんに言わせれば、仏像というのは、涅槃(外国)から世俗(日本)に公演にやってきたロック・バンドだそうだ。本尊(寺の中央にいる、一番偉い仏像)がメインボーカルで、脇侍(仏像の周りにある像)はバンドメンバーになぞらえる。明王(e.g. 不動明王)や天(e.g. 帝釈天)は邪鬼と戦うという仏教上の設定があるのだが、それらを “ライブ会場の警備員” とみなしたり。そして、仏像を見に来た人間は、もちろんコンサート会場の客である。ロックバンドは、釈迦の教義を演奏しているというわけだ。
そのバカバカしくも、分かりやすいたとえを知り、俄然、仏像に興味がわいてしまった。

そんなわけで、せっかく奈良・京都圏内に住んでいるわけだし、僕も見仏に出かけようと思った。
もちろん、今まで近隣の寺周りをしたことはあるのだが、なんとなく「観光名所だから?」くらいのノリで漫然と出かけていただけだった。みうらじゅんのような視点を持って仏像を見ると、また違った面白さがわかってくるのではないかと期待が持てたのだ。

最初にどこに出かけようかと思ったのだが、同書の中でいとうせいこうが気に入ったと記している、西大寺の文殊菩薩を見仏に行くことにした。「三人寄れば文殊の知恵」という文殊が、どれだけ利口そうな顔をしているのか見てみたかったし。
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『阿房列車 1号』 一條裕子(漫画)、内田百閒(原作)

2年位前にIKKIで雑誌連載が始まり、当方は一度もそのマンガを読んだことがなかったのだけれど、
「単行本が出たら、即買いの予定。」
宣言するほど楽しみにしていた、一條裕子画の『阿房列車』の単行本がやっと発売になったので、買った。

内田百閒の名作鉄道エッセイ『阿房列車』を、完全漫画化という感じ。
原作を読んだときに感じた百閒のすっとぼけた感じが、そのまま表現されているように感じた。

原作は文字ばっかりでなんとなく敬遠していた人も、漫画版はさらりと読めるので一度チャレンジしてみても損はないと思う(文庫の原作よりも値段は高いけど)。
収録作は3作。

「特別阿房列車」
“なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。”で有名な第一弾。
出発前のグダグダ話(行きは一等で帰りは三等とか、借金の話とか)が笑えるアレ。

「区間阿房列車」
汽車が遅れたせいで乗り換え列車がすんでのところで出発してしまうやつ。
“向こうが悪いのだから、迎合するわけには行き兼ねる” とヘソを曲げて走ろうとはせず、結局、雨の中ホームのベンチで2時間過ごすやつ。

「鹿児島阿房列車」
百閒が初めて関門トンネルをくぐるヤツ。
途中、生まれ故郷の岡山を通過するヤツ。偏屈だから里帰りしようとしないのだけれど、風景が変わっていることは寂しく思うというアレ。
#この話、一條裕子の情緒的な描き方がうまい。

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