映画『バグダッド・カフェ』

山瀬まみがラジオ番組(ニッポン放送『ごごばん!』2011年11月4日放送分)で生涯で2番目に好きな映画として『バグダッド・カフェ』を挙げていた。好きな人が好きだといっている映画なので見てみた次第。

きっといい映画なんだろうなと、は思う。でも、僕にはちょっと退屈だった。
ただし、山瀬まみがこの映画の「世界観と映像」がお気に入りだと言っていた訳はわかったように思う。確かに、独特の世界観と映像には引き込まれる。

そして、主題歌であり、劇中で何度も流れる “Calling you” (Jevetta Steele)もいい曲ですね。
この映画の主題歌だとは知らなかったけれど、曲自体は昔から知っていた。George Micheal のカバー版を持ってる(”Five Live”に収録されている)。

山瀬まみ、インフルエンザで休業

記事における山瀬まみの蛇足っぷりがわけわからん。「笑っていいとも!」に出演しているわけでもないし。
が、しかし、とにかくお大事に。

渡辺直美、インフルで「いいとも!」欠席
 お笑いタレント、渡辺直美(24)が20日、月曜レギュラーを務めるフジテレビ系「笑っていいとも!」をインフルエンザのため欠席した。番組冒頭で司会のタモリ(66)が「直美ですが、インフルエンザになりました。げっそり痩せたそうですよ」とユーモアを交えて報告した。山瀬まみ(42)もインフルエンザにかかり、しばらく仕事を休む。

サンスポ 2012.2.21 05:00

明日いきいきジョシゴト (東海テレビ 火曜日21:54)

当方の大好きな山瀬まみがナレーションを行う番組、『明日いきいきジョシゴト』が2012年1月10日より始まったらしい。東海テレビで毎週火曜日の21:54より放送。
女性のライフスタイルを紹介する番組のようだ。

東海地方のみの放送らしく、当方の地域では見れないのが残念。

そして、番組ホームページのちょっと残念な感じも味わい深い。

東海地方にお住まいの方、見る機会があったら山瀬のナレーションの良し悪し、番組の感想などを教えて下さい。

俺の年越し準備

一人暮らしのくせに実家に帰省もしないし、時候のイベントにも無頓着でものぐさな当方なので、年越しという気分が全然湧かない。
大掃除どころか、通常の掃除もしていないので家も散らかり放題だ。

けれども少しくらいは正月気分を出そうと思い、当方の貴重な山瀬まみコレクションの中から雑誌のスクラップを発掘し、山瀬まみの着物写真を幾つかピックアップした。

そして、それを twitter の背景画像にした。
少しでも正月らしい雰囲気を出そうという魂胆である。

Twitter の背景画像 2012年バージョン

もう、なんつーか、自分で自分のことを気の毒に思う年の瀬である。

しかし、一度興が乗ると止まらなくなる当方である。
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NHK『カーネーション』第73回

今年のクリスマスは、大阪、札幌、奈良の各支部のサンタさんからプレゼントをもらった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第73回目の放送を見ましたよ。

大阪支部から山瀬テレカ、札幌支部から経済学漫画、奈良支部からお酒。どうもありがとうございます。

* * *

第13週「生きる」

1944年(昭和19年)12月暮れ。
アメリカ軍の本土への空襲が始まった。岸和田に攻撃が加えられることはまだなかったが、頭上を爆撃機が飛ぶようになった。

1945年(昭和20年)1月3日。
糸子(尾野真千子)は3人の娘たちだけを連れて神戸の祖父母宅を訪問した。おじ(田中隆三)やいとこの勇(渡辺大知)は紡績会社の経営のため神戸に残り続けるという。若い勇にいたっては、工場長という肩書きのおかげで兵役を免除されており、その役目がなくなると出征せねばならぬという。空襲の恐れがあっても、戦地に行くよりはましなのだ。
祖母・貞子(十朱幸代)は生まれ育った神戸を名残惜しく思いながらも、姫路の山中の別荘に疎開するつもりだという。近頃は祖父・清三郎(宝田明)がボケ始めたため、いざというときに逃げ切れないことを心配しての事だった。

祖父・清三郎は、それほどひどいものではなかったが、短い時間でボケと正気を行ったり来たりしていた。善作(小林薫)の死を知っているはずなのに、糸子だけが来たことについて、善作はなぜ来ないのか、と尋ねるのだった。また、糸子がまだ女学生だと思い込んだりしている。
しばらくすると、糸子のことを千代(麻生祐未)だと思って話しかけはじめた。清三郎は、千代に向かって、善作に冷たい仕打ちをしたことを謝った。自分も元々は貧しい丁稚の出で、金持ちの娘と結婚させてもらったという境遇は善作と同じである。清三郎自身は、先代(養父)にとてもよくしてもらった。それなのに、自分はどうして善作に対して同じように接してやることができなかったのか、と後悔するのだった。その時は善作の死をしっかり意識しており、岸和田の仏壇へ謝罪の伝言を託すのだった。

神戸の家を去る時、糸子と祖母・貞子は抱き合った。日本への空襲が始まったことで、これが今生の別れになるかもしれないと思うと名残り惜しかったのだ。再会を誓い合って、糸子は岸和田に帰った。

翌1月4日、名古屋、大阪、浜松に初めて焼夷弾が落とされたことが新聞で報じされた。焼夷弾には油が仕込まれており、あっと言う前に火が燃え広がるという。人々はその武器に恐怖し、容赦のないアメリカ軍に恐怖した。町内ではバケツリレーによる消火訓練が盛んに行われるようになった。しかし、糸子はバケツの水くらいでは何の役にも立たないのではないかと思うのだった。

そして、3月10日未明には、東京大空襲が行われた。同12日には名古屋が空襲に遭ったという。爆撃対象が西進している様子から、いつ阪神地区が空襲されてもおかしくないと思われた。
その矢先の3月13日の深夜、空襲警報が鳴り響いた。

糸子はハル(正司照枝)を背負い、家中の物を引率して防空壕へ逃げようとした。しかし、恐怖のあまり身のすくんでしまったトメ(吉沢沙那)がどうしても逃げようとしない。もうこのまま死んでもいいと言うのだ。
腹を立てつつも見捨てることのできない糸子は、他の者達を先に防空壕へ行かせ、ハルと一緒に家に残った。空襲が始まって、もっと恐ろしくなればトメも逃げる気になるだろうと予想したのだ。豪胆にもその時期を待つことにした。

はたして、空襲が始まる前であったが、トメは気を取りなおした。このままでは、足腰の弱いハルまで巻き沿いにしてしまう。自分のせいでハルを犠牲にするわけにはいかないと思い直したのだ。
急いで非難を開始する3人であったが、家のものが向かったであろう防空壕はすでにいっぱいで入れないと聞いた。そこで別の防空壕へ向かうのだった。

しばらく行くと糸子は、善作の位牌を家に忘れてきたことを思い出した。
しかし、取りに戻ることはなかった。縁があれば再開できるだろうと割り切って、防空壕への道を急いだ。

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山瀬まみと岡崎京子の対談記事(1989年)

当方の宝箱(山瀬まみ関連のグッズをしまってある段ボール箱)を久しぶりにひっくり返していたら、CUTiE 1989年12月号が出てきた。CUTiEは今でも発行されており、個性的なファッションを主体にした若い女の子向けの雑誌らしい。

どうして僕がこの号を持っているのか、入手した経緯は覚えていない。ひとつには、ネットオークションで落札した可能性が考えられる。しかし、もっとありうることとしては、クラスの女の子からもらったものかもしれない。
当時、山瀬まみは正統派アイドルとしての活動に陰りが見え、バラドルになりかかっている頃だった。しかし、一直線にバラドルになるわけでもなく、「個性的なファッション・モデル」の道も模索しつつあった。そのため、女の子向けファッション雑誌によく出ていたのだ。僕のクラスメイトの女子たちが買うような雑誌にしばしば山瀬まみが掲載されていた。当時から山瀬好きで有名だった当方なので、よく女の子から雑誌のお下がりや切り抜きをもらっていたりした。
そのような経緯で所有しているのだと思う。

さて、この号の表紙は当方の大好きな山瀬まみ。
そして、目玉記事として「山瀬まみ: 日本一のおサイケ娘」というインタビュー記事が掲載されている。全3ページの記事で、トビラに山瀬のショットが2枚と見出し。次のページにインタビュー、最後のページに違う衣装のショットが3枚という構成。

インタビューページでは、若干20歳の山瀬まみがファッション遍歴について語っている。
そして、その聞き役が漫画家の岡崎京子だった。昔の僕は岡崎京子という人を知らなかったので、あまり気にしていなかった。しかし、今の僕は岡崎京子のことを多少知るようになったので、「えっ、元気にこんな仕事もしてたの!?」と驚いたわけである。

CUTiE の山瀬まみと岡崎京子の対談記事

山瀬まみと岡崎京子の対談記事


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NHK『カーネーション』第52回

先週金曜日のニッポン放送『上柳昌彦 ごごばん!』で、山瀬まみが次の木曜日(すなわち本日)にスパリゾートハワイアンズ(福島県いわき市)へ行くと言っていたので、本当は朝6時に家を出発して追っかけに行きたかった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第52回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」

ぜいたく禁止令が発布されたことで、上等な生地の売買が禁じられた。金糸入りの生地を大量に抱えた問屋・河瀬(南条好輝)を助けるため、糸子(尾野真千子)が一肌脱ぐことになった。

糸子は、金糸の部分に黒いリボンを縫いつけた。その黒い線がアクセントとなるようにデザインに活かした。店で働く昌子(玄覺悠子)や妹の静子(柳生みゆ)に着させて宣伝した。さらには、同じデザインでハル(正司照枝)の前掛けまで作った。

上等な生地にしては破格の安さであることに加え、ぜいたく禁止令が解除された後には黒いリボンをはずして金のラインが浮かび上がるなどといったことも評判になり、オハラ洋装店に客が殺到した。糸子は、問屋の不良在庫を全て売りさばくつもりで、次々に注文を受けた。

しかし、繁盛しすぎるのも問題だった。
糸子が抱える4人の縫い子だけでは仕事が捌ききれなくなった。紳士服部門の勝(駿河太郎)とその職人たち2人に協力を依頼したり、母(麻生祐未)や妹たち(坂口あずさ杉岡詩織)に手伝わせたりして、なんとかやりくりした。

それでもなお、次女・直子の子守りの問題が残された。直子の異常な暴れん坊ぶりのせいで、誰も子守りを引き受けてくれないのだ。店の者も糸子も、注文をさばくのに必死で直子の面倒をみる暇はない。善作(小林薫)は長女の優子ばかりをかわいがり、直子を受け入れるつもりはまったくなかった。

他に頼るところもなく、勝の弟の所へ直子を預けることとなった。
ただし、勝の弟は岸和田から遠い馬場に住んでいるため、毎日預けて引き取るわけにはいかない。一度預けたら、大晦日まで会えなくなってしまう。そのため躊躇する糸子であったが、他に選択肢はなかった。

翌日、糸子と勝は馬場へ直子を連れて出かけた。
糸子は山道がとても長く感じた。前回来たときは結婚直後で、戦争もなかったし、子供もいなかった。当時の自分はもっと若くてきれいだったと思うと、ますます気が重くなるのだった。

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カキのオイル漬け

11月21日放送のフジテレビ『知りたがり!』で山瀬まみが紹介していたカキのオイル漬けの作成に挑戦する所存。

以下、テレビで見たレシピを記憶した当方が、キッチンに立って調理した模様をお送りする。
詳しいレシピはESSE 2012年 12月・1月合併号
に掲載されているそうなので、そちらをご参照いただきたい。

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