『日本の「安心」はなぜ消えたのか』(山岸俊男) 注文した

少なくとも年賀状のやり取りくらいはする仲である山岸俊男さんの新著が出たらしい。

副題まで入れた書名は、『日本の「安心」はなぜ消えたのか: 社会心理学から見た現代日本の問題点』となっている。
10年以上前、某大学院入試の想定設問が「10年後の社会心理学はどうなっていると思うか述べよ」ではないかという予測が立てられ、それに対する模範解答が「No Future」なのではないかと揶揄半分・本気半分で言われていたり、いなかったりするわけだが。
10年経ってもちゃんと「社会心理学」という言葉なり、学問分野なり、本なりがきちんと残っていて、ほっとするやら、しないやら。
#なお「No Future」と言ったのが誰であるか、今でも鮮明に覚えている。

さて、同書はなにやら2/26に出たばっかりらしい。
こんな本が出たことを、本人はおろか、周りの人が誰も教えてくれなかったことをちょっと恨みつつ、みんなの記憶から消えてしまっているらしい自分のことを情けなく思いつつ、でももしかしたら発送に手間取っているだけで、数日したら著者進呈が来るかもしれないと密かな希望を抱きつつ、それすらも失念されているんだったら「関係者の誰か、それとなく耳に入れておいてくれよ」とかそっとつぶやきつつ、まぁ、ウダウダ言っても仕方ないから amazon で注文してしまった。

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『山瀬まみのおいしく暮らそっ』

山瀬まみの料理本が3月7日に発売とのこと。
昨日の日経の記事「食の履歴書」に書かれていた。

出版元の扶桑社のサイトにも情報は出ていないので、詳細不明。
僕が調べた限り、amazon で予約が可能ということしか追加情報がない。

扶桑社からなので、『山瀬まみのおウチが好き。毎日が好き。 』と同様にESSEの記事のまとめだろうか。

発売までもう5日ばかりしかないのだけれど、本当に出るのか?

H大 元上司の情報求む

H大関係者の皆様。

コードネーム「義眼」こと、元上司さんの新しいお勤め先のアドレスを知りたいのですが、ご存知の方は教えていただけませんでしょうか?

ぐぐってみたのですが、『不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか』という1月に出たばかりの本がヒットするばかりで、肝心な情報には行き当たりませんでした。

なお、この本が出たことすら知らなくて早速注文しました。
また、amazon のなか見!検索の著者紹介欄で元気なお顔を拝見して、彼の気取った笑顔に爆笑しているところです。

ご協力をよろしくお願いいたします。

【追記】
ごめん。もうちょっと労力をかけたら、すぐに見つかった。

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クーリエ・ジャポンの図書カードが当たった

COURRiER JAPON の図書カード

ちょっと前に、クーリエ・ジャポンという雑誌を買った。
サイトにアンケート・フォームがあったので、記入して送信したら図書カード(1,000円分)が当たった。
ありがたいことです。

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彩子-Saiko

つい2日前に謎の郵便物を受け取ったばかりだが、今日も帰宅するとなにやら不審物があった。
しかも、2つも!

Mikan.JPG

まず、ドアノブにビニール袋がぶら下がってるし。
暗闇で遠めに見たら、かなりビビる。
そろりそろりと近づきつつ、「あ、そういえばりんちゃんのお母さんがみかんをおすそ分けしてくれるって言ってたっけ」と思い出し、安心してゲッツ!
さっき自力で一つ剥いて(注: 木公はお坊ちゃまなので、自分ではめったにみかんを剥かないと言われている)、食べてみた。外に放置されていたおかげでよく冷えていて、その上甘いみかんでとてもおいしゅうございました。
ありがとうございます。

そして、もう一つは郵便受けの中に茶封筒が入っていた。
差出人の名前は女の子だ・・・。

その名前で思い出すことは、もう10年近く前になる、北大での日々だ・・・。

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本屋で見つけたもの、見つけられたもの

ほとんど誰からも省みられていないことを知っているが、昨年の12月に「2007年度 alm-ore お薦め本ベスト10」という記事を書いた。

そこで、3位に取り上げている『獄窓記』(山本譲司)が文庫になって販売されているのを本屋の棚を眺めていて知った。
文庫化に当たっての著者のあとがきと、精神医学者のなんとかさんの解説が付いたようだ。

なお、前回の紹介文はこんな感じ。

元衆議院議員の著者は、秘書給与の不正利用によって起訴され実刑判決を受ける。つまり、刑務所に入れられた。
腹黒い政治家なら、自分の罪の弁解するために本を書いたりテレビに出たり、講演会をしたりするかもしれない。しかし、山本氏は自分の罪を潔く認め、しっかり反省の弁を述べている。実際、釈放後も選挙に出るでもなく、政治生命を自ら絶っている。そういう意味で、本書は色眼鏡で見る必要は一切無い。
しかし、本書は単なる懺悔書に終わっているわけではない。彼は刑務所の中で障害者ばかりが収容されている部署の担当を任される。その中で、「シャバではどこにも雇ってもらえない。刑務所でしか生活できない」と訴える人々の存在を知ることになる。この経験を元に、彼は福祉政策のためのボランティアとなっていく。
両方ハードカバーで重たいが、ぜひ続編の「累犯障害者」とセットで読みたい。

ハードカバーなのがネックだったのだが、今回の文庫化で安くなったし、持ち運びもラクチンになったのでますますお勧めです。

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マック・マクド・マクダーナル

僕らのジャンクフードの王様・マクドナルドですが、それを何と呼ぶかで、お里が知れるとか、知れないとか。

関東地方では「マック」と呼ばれ、関西地方では「マクド」と呼ばれるとか。
当方は道産子アイデンティティーを有しているので、京都に住もうがなんだろうが、とにかく「マック」と呼んでる。
たまに関西出身者との間で、醜い「マック vs マクド」論争をしたりしなかったりするが、英語の語感的にも「マック」が最適だと信じてる。
それに対しては、コンピュータのマッキントッシュと区別が付かないから「マクド」と言うべきだという意見もぶつけられたりするのだが、とりあえず「ビートルズと “Apple” の商標で争った過去のある会社なんだから、んなこたぁどうでもいい!」と全く理由になっていない理由で拒絶することにしている。

こういう関東人と関西人との醜い言い争いを尻目に、「マクダーナル」と発音する、スカした舶来帰りも巷にいるとか、いないとか言われているが、幸いなことに僕はそういう人物には過去1人にしか出会ったことがない。
ただ、彼が本気でそう言っていたのか、ネタで言っていたのかはよく分からないし、今さら突き止めようとも思わないので、この話はこれくらいにしておく。

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『カラースケッチも3分』 山田雅夫

当方の絵心のなさは、一部ではよく知られている。

小学校の図工で自画像を描いていたとき、あまりのヘタさ加減をクラスメイトにバカにされ、机に突っ伏して本気で泣いたのが小学校2年生のとき。
画家の息子と友達になり彼の家に入り浸っていた時分、「木公君も絵を描いてみないか?」とそこのお父さんが声をかけてくれたのに「僕は絵を描くのが大嫌いです」と言い放ち、彼をガッカリさせたのが小学校5年生の時。
美術の先生が学級担任となり、彼との面談で嫌いな科目は何かと聞かれ、「はっきりいって、美術です」と胸を張ってこたえ、気まずい1年間を過ごしたのが中学1年の時。

そんな僕なのだが、いつかちょっとしたイラストが描ける人間になれたらいいなぁ、とは思っていた。
そしたら、本屋でたまたま『カラースケッチも3分』という本が平積みされていたので、つい買ってしまった。
中身をほとんど見ずに、ほぼジャケ買い。

気分は、管理職になったばかりで、不慣れな部下の扱いに困っているおじさんが「1日10分の努力で部下の気持ちを掌握する!」とかなんとかいうハウツー本を買うようなものか。
「口説ける!誘える!ヤレる! –オンナはこうやって落とせ」という本を買うような気分と言ってもいいかもしれないし、だめかもしれない。

とにかく、1週間後には自作カラーイラストが、当blogにバンバン載るような状況を想像しつつ1ページ目を開いた。

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広辞苑 [第6版]

ちょっぴり遅いお年玉なのか、随分のんびりしていたクリスマスプレゼントなのか、判断は難しいところなのだけれど、とある筋から『広辞苑 [第6版]』を贈り物としていただいた。

実は恥ずかしながら、自宅に1冊も国語辞典を所蔵していなかった当方。
別に生きていくうえで必須なものではないし、まぁインターネットさえ使えれば、たいていの言葉の意味はすぐに調べることもできて、困ったりはしていなかったんだけれど。
しかし、なんとなく現代人の教養のある一つの最低ラインとして(他の最低ラインとしては「ガンダム」を挙げておく、とりあえず)、広辞苑くらい持ってないとダメかなぁ・・・と、思った次第。

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医療市場の是

【注: 2008/01/04追記】
以下の文章には、特定の境遇にある人々(貧困層)を蔑視しているようにとれる表現が含まれています。これは、なるべく読み手の興味をひきつけようとして、あえて扇情的な表現を使用したためです。表面上の表現とは異なり、筆者自身は貧困層の支援をする方法をマジメに提案しているつもりです。その点を勘案の上、本文をお読みいただければと思います。


「患者の皆さん、あきらめてください」(天国のビザ)という、界隈でちょっぴり話題になってる話。

95歳の認知症の男性が入院し、AB型の血液の輸血が必要となった。しかし、血液が不足していて、治療に十分な血液が手に入らなくなってしまった。

患者の家族は、どんな手段を使ってでも治療をして欲しいと訴える。
それに対して、このブログの著者でもある医師は、この患者の治療にあまり積極的になれない。理由は、医療資源(この場合は血液)は有限であり、その使い方や優先順位を考慮すべきだと考えたから。同じ量の血液を使うなら、そもそも寿命の迫った老人と、それよりも長生きする可能性の高い若者と、どちらに輸血するのが適切か。
#なお、最終的にどういう判断をしたのかは、本文中には書かれていないので分からない。

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