よしながふみの『きのう何食べた?』について調べようと思って Google 検索したのだが全くヒットせず、どうしたことだろうかと不思議がっていたら、検索キーワードが「今夜何食べたい?」になっていたという当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第66回目の放送を見ましたよ。
1943年(昭和18年)4月。長女の優子(花田優里音)が小学校に入学することになった。
この頃、善作(小林薫)はずいぶんと回復して元気になっていた。
寝たきりの状態を脱し、居間で優子を膝に乗せながら新聞を読んだり、登校する優子を家の前で立って見送ることなどもできるようになった。さらには、配給切符の整理係として店の手伝いもできるほどになっていた。
同時に、以前のようにわがままで口うるさい態度も復活した。
糸子(尾野真千子)は「すぐに体が大きくなる」と言って、大きめのセーラー服を作った。優子を贔屓してかわいがっている善作は、洋裁屋のくせに手を抜くなと言って糸子を叱った。また糸子は、優子のおさげを毎日結うのが面倒で、オカッパにしてしまいたいと思っている。けれども善作は、次女の直子(心花)をオカッパにしても、優子にだけは絶対に許さないのだった。
糸子は、善作が元気になったことを心の底から喜んだ半面、彼のやかましさに腹を立てたし、すぐに無理をしてしまう様子も心配であった。
そんな頃、隣の履物屋の木岡(上杉祥三)が、石川県の温泉の噂話を持ってきた。それを聞いているうちに、善作はすっかり乗り気になって、湯治に行くと言い出した。長旅は無理だといって周囲は猛反対した。
しかし、温泉の資料を集めて楽しそうにしている善作の様子を見た糸子は、止め切れなくなって温泉行きを許してしまった。
出発前に、糸子は真心を込めて新しい国民服を作ってやった。それは、今では入手困難な純毛の生地を使った上等なものだった。出発の日、それを身につけた善作は上機嫌になってみんなに見せびらかした。
一人台所で出発準備を手伝っている糸子の所へ行き、善作は言いにくそうに、素っ気なく新しい服の礼を言った。糸子も、神妙な表情の善作を前に照れてしまい、まともに受け合わなかった。それでも、善作の喜びはひしひしと伝わってきた。
糸子から善作へ、もう一つの贈り物があった。秘蔵しておいた酒を水筒に入れて善作に持たせてやった。味見した善作は満面の笑みを浮かべ、素直に何度もスラスラと礼を述べた。服にはまともな礼がなかったのにと、糸子は苦々しく思うのだった。
それでも、気持ちよく善作の出発を見送った。善作も、仲間たちと一緒に機嫌よく元気に旅立って行った。
糸子が店で大福帳を調べていると、善作の見事な字で「オハラ洋装店 店主 小原糸子」と書かれているのを見つけた。それは、善作が糸子のことを一人前の商売人だと認めた証拠だとわかった。糸子は嬉しくなって、何度もそれを見返していた。
その日の夜、糸子の元へ電報が届けられた。善作が危篤状態に陥ったので、すぐに来て欲しいという内容だった。
糸子は、冷静に自分を落ち着かせた。まずは旅館の住所を調べるために、善作と同行している木岡の家に行って、彼の妻(飯島順子)から聞こうとした。
ところが、家を出ると、木岡の妻も表に出てきていた。
彼女は雨の降る中、傘もささずに寝間着のままで呆然と立っていた。糸子が声をかけると、今しがた善作に会ったのだという。温泉に行っているはずの善作がここにいるのは不思議だが、「糸子をよろしゅう頼む」と言っていたのだという。
はっとした糸子が道の先を見ると、そこに善作の姿が見えた。
雨にけぶってぼんやりとした姿であったが、彼は何も言わず優しい笑顔で立っていた。その姿はみるみるうちに薄くなってしまい、程なく完全に消えた。
糸子は道に崩れて号泣した。
1943年4月27日、善作は59歳で生涯を終えた。
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