昼休みに喫煙所で4-5本吸うのが日課だったが、今日は全く吸いたいとは思わなかった。
良い流れ。
14時頃、体が火照り始める。額にじっとりと汗が浮く。
風邪を引いてしまったのか、これがニコチンの禁断症状なのか判然としない。
なんせ、禁煙は生まれて初めてのことだから。
自分の体調の変化をとことんまで観察して楽しもうという気が起きてくる。
帰りに体温計を買おうと決意したのもこのころ。
昼休みに喫煙所で4-5本吸うのが日課だったが、今日は全く吸いたいとは思わなかった。
良い流れ。
14時頃、体が火照り始める。額にじっとりと汗が浮く。
風邪を引いてしまったのか、これがニコチンの禁断症状なのか判然としない。
なんせ、禁煙は生まれて初めてのことだから。
自分の体調の変化をとことんまで観察して楽しもうという気が起きてくる。
帰りに体温計を買おうと決意したのもこのころ。
昨夜タバコをやめてから、初めての食事として昼飯を食う。
朝起きてから、牛乳を飲んだり、喉飴をなめたり、ガムを噛んだりしているが固形物を入れるのは初めて。
会社の食堂で鶏肉の丼をとるも、気持ち悪くて半分以上残す。
単に季節の変わり目で体調が悪いせいなのか、ニコチンの禁断症状で気持ち悪くなってるのかは判別不能。
#ここ1週間くらい、ずっと体調がよくないから。
仮にニコチンの禁断症状だとしても、アラン・カーの「禁煙セラピー」の記述を信じる限り、3日もすればスッキリするそうなので、ちょっと風邪を引いて食欲がないものと思って、深刻に考えないことにしておく。
なお、最後の1本を吸った時刻を正確には覚えていないけれど、たぶん昨夜の22時以降1本も吸ってない。
一度吸ってしまうと逆戻りらしいので、今はじっと辛抱中。
ていうか、なんか調子が悪いとは思うけれど、特にタバコが欲しいわけではない。
今のところ、最初の想像よりはぜんぜん余裕っぽい。
禁煙を始めて、一夜明けた。
昨夜眠りに着く前に一生懸命タバコのことを考え、今朝目が覚めてもやっぱりタバコのことを考える。
禁煙を始めて、およそ12時間。
アメリカまで飛行機に乗って出かけてもやっぱり、12時間くらいかかり、機内は禁煙。
飛行機の中での受動的禁煙ではタバコのことは全然思い出さないのに、なんで能動的に禁煙しようとするとタバコのことばかり考えるのか。
それは「俺ってすげーことしてるんだぜ」と思い込みたいだけの話か。
う~む。
なんだろう、この本の胡散臭さ。
根拠があまり客観的ではなく、文章がクドくて、読んでてイライラする文章だった。
でも、読み終わった現在、
「もう、タバコ吸わなくていいかな。」
という気になってしまったから、びっくり。
論理で攻めるんじゃなくて、感情に訴えかける書き方がいいんだろうか。
思うところあって、超有名本「禁煙セラピー」を買った。
さっきから読み始めてる。
同書のp.32で
どうしてタバコを吸っているのか、その本当の理由がわかればすぐにやめられます。長くても三週間で完全にやめられます。
と豪語されている。
今から3週間後といえば11月19日である。
そんなわけで、今日から禁煙日記を書いてみる所存。
今は、全45章のうち7章「タバコ会社の強烈な洗脳力」まで読んだ。
ここまでの内容は、「タバコを吸う明確な理由はあるだろうか」というもの。
喫煙者は、自己弁護のためにいろいろと理由をつけるけれど(e.g., 「ストレス解消」「習慣」「かっこいい」)、理性的に考えればそんなものは正当な理由ではないという説得がなされているフェーズ。
かなり退屈で、最後まで読み通せるか自身がなくなりつつある僕がいます・・・。
ところで、僕が今日までタバコを吸い続けている理由は自分でもよく分からないのが正直なところですが、吸い始めた理由ならとても明確である。
昔、どこかで、神戸から大阪への鉄道の駅(たしか、国鉄だったと思う)を語呂合わせにしたものを読んだ。
詳細はすっかり忘れてしまったが、神戸からぐいぐいと酒を飲み始めて、大阪に着く頃にはすっかりぐでんぐでんになっているという内容のものだったように思う。
30分ほど前にふと存在を思い出し、詳しい内容がさっぱり思い出せず、ものすごく気持ちが悪い。
ぐぐってみても断片しか見つからなかった。
・・・神戸から大阪の駅名を酔っぱらいが出来上 がっていく歌に仕立てたものを聞いた。”もっと待ちや(元町)さぁー飲みや (三宮)二升飲みや(西宮)・・・”と続くのだが忘れてしまった。最後は うめたーうめたー(梅田)だったが、これは意味不明。
「阿P子伝」より
全貌をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
ガラにもなく文芸雑誌など買ってきて読んでみたり。
俺はどこの似非文学青年だ。
“yom yom 2007年10月号” の冒頭に柴門ふみが「心のヒダ」という短文を書いていた。
私は若い頃ひねくれていたので、いくら内面の美しさを磨けと言ったって、結局男は美人ばかりチヤホヤし、心のキレイな娘の良さなど気づいてもらえないのだと強く思い込んでいた。そのため外見も内面も磨かずに十代の大半を過ごした。