見仏はじめました
先日、北海道から帰って来る日、大雪のため千歳空港発着のダイヤが大幅に乱れていた。2-3時間の遅れを覚悟し、本屋に向かって暇つぶし用の文庫を物色することにした。しかし、あまり興味の引かれる本はなかった。
数ヶ月前から、みうらじゅん&安齋肇の「勝手に観光協会」を好きでよく見ていたので、なんとなくみうらじゅん関係の本を物色し、昔から存在は知っていたのだけれどイマイチ面白くなさそうだと思って敬遠していた『見仏記』(いとうせいこう・みうらじゅん)を手に取った。どうせ、しばらく時間が潰せればいいだけだし。奈良の東大寺とかが紹介されているので、軽く読めればいいやとも思ったし。
ところが、読み始めてすぐに、『見仏記』は名著だと思うようになった。全然宗教くさくないし、説教くさくもないし、文体も軽妙で読みやすい(ちなみに、文章はいとうせいこう、イラストはみうらじゅんという分担になっている)。
今まで、仏像は”拝観”するものであり、そこに宗教的な意義を見出さなければならないと思い込んでいた当方であるが、そのような既成概念がたった数分でぶち壊された。
みうらじゅんに言わせれば、仏像というのは、涅槃(外国)から世俗(日本)に公演にやってきたロック・バンドだそうだ。本尊(寺の中央にいる、一番偉い仏像)がメインボーカルで、脇侍(仏像の周りにある像)はバンドメンバーになぞらえる。明王(e.g. 不動明王)や天(e.g. 帝釈天)は邪鬼と戦うという仏教上の設定があるのだが、それらを “ライブ会場の警備員” とみなしたり。そして、仏像を見に来た人間は、もちろんコンサート会場の客である。ロックバンドは、釈迦の教義を演奏しているというわけだ。
そのバカバカしくも、分かりやすいたとえを知り、俄然、仏像に興味がわいてしまった。
そんなわけで、せっかく奈良・京都圏内に住んでいるわけだし、僕も見仏に出かけようと思った。
もちろん、今まで近隣の寺周りをしたことはあるのだが、なんとなく「観光名所だから?」くらいのノリで漫然と出かけていただけだった。みうらじゅんのような視点を持って仏像を見ると、また違った面白さがわかってくるのではないかと期待が持てたのだ。
最初にどこに出かけようかと思ったのだが、同書の中でいとうせいこうが気に入ったと記している、西大寺の文殊菩薩を見仏に行くことにした。「三人寄れば文殊の知恵」という文殊が、どれだけ利口そうな顔をしているのか見てみたかったし。
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